昭和天皇が“A級戦犯合祀”に強く反発

1) 靖国神社への“A級戦犯合祀”問題で重大な事実が明らかになった。 過日、この問題について昭和天皇が「だから私はあれ(合祀)以来、参拝していない。それが私の心だ」と語っていたことが、日本中に伝わった。これは1988年(昭和63年)4月28日、当時の宮内庁長官であった故富田朝彦氏のメモ帳(日記)に記されているのをマスコミが報道したものだ。

 昭和天皇が靖国神社への参拝を控えていた理由として、A級戦犯の合祀を不快に思われていたとする説が有力だったが、今回の富田メモの公表によって、それは決定的になったと言える。 ところが、この報道について一部の右翼的な知識人や言論人は、「富田メモの信憑性は疑わしい」「富田氏の恣意が入っているのではないか」などと勝手な憶測を披瀝している。

 どういう根拠があって、そのような揣摩(しま)憶測を流すのか。 そこには、富田メモを信じたくないという感情だけが“むき出し”になっていて、科学的な根拠は微塵もない。報じられた昭和天皇のお言葉を素直に受け止めれば、A級戦犯の合祀にはっきりと不快感を示されていることは明白である。 天皇の御心をねじ曲げて解釈しようというのは、右翼的な立場から考えても、これこそ“不忠者”と決めつけて良いだろう。

 また、こういう勝手な憶測を立てるのは、昭和天皇のお側に絶えず仕えていた故富田朝彦氏に対する重大な侮辱である。 メモを残した富田氏の人格を云々する前に、「お前達のねじけた心と不見識を恥じろ!」と右翼的な知識人らに言いたい。

2) A級戦犯合祀という本題に入る前に、何の根拠もないのに、デタラメな憶測を振りまく一部の知識人に我慢が出来ないので不満をぶつけた。 彼らが「富田メモ」の信憑性を疑うのなら、これから科学的な検証を行なってその信憑性を覆すように努めれば良いのだ。いつまでも一部の知識人を非難していても始まらないので、本題に入っていく。

 昭和天皇は更に「A級が合祀され その上 松岡、白取までもが・・・松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々(やすやす)と 松平は平和に強い考えがあったと思うのに 親の心子知らずと思っている」と述べられたという。

「松岡」は松岡洋右元外相、「白取」は白鳥敏夫元駐伊大使を指すと見られる。(二人ともA級戦犯で靖国神社に合祀されている。) 問題は「A級が合祀され その上」という箇所である。「その上」という言葉は「それに加えて」とか「さらに」という意味である。松岡や白鳥以外の12人のA級戦犯の合祀が、昭和天皇の不快の原因に始めから含まれていたことは間違いない。

 また「松平の子の今の宮司」というのは、その当時の靖国神社宮司・松平永芳を指すことは事実関係から考えて間違いない。この男が1978年(昭和53年)10月17日、東條英機らA級戦犯14人を「昭和殉難者」として遺族にも知らせず、靖国に密かに合祀したのである。(この事実が一般に知られるようになったのは、翌年の4月19日に初めて新聞報道で伝わってからである。 詳しくは「靖国神社から“A級戦犯”を撤去せよ」を参照して頂きたい。)

 昭和天皇は松平永芳について「(松平慶民氏)の心子知らず」と悪し様におっしゃっている。彼は1978年に靖国神社の第6代宮司に就任するやいなやA級戦犯の合祀に踏み切ったから、天皇は「今の宮司がどう考えたのか 易々と」と述べられたのだろう。 このように、昭和天皇は時の松平宮司を厳しく批判されている。

 この松平永芳は昨年(2005年)7月10日に死去したが、問題のメモを残した富田朝彦氏はそれより前の2003年11月に亡くなっている。 従って、富田氏が他界してから2年8ヵ月もの間は「富田メモ」は公表されなかったことになる。松平が亡くなってから丁度1年を経て、富田メモの内容が一般に知らされたのだ。

 つまり、松平の「一周忌」が済んでからメモは公にされた。これを私なりに“人道的”に推し量ると、昭和天皇から厳しく批判されている松平元宮司の存命中に、彼を傷つけないようにする配慮があったのではないかと推察する。

 なぜなら、靖国神社の元宮司が昭和天皇から名指しで非難されていると分かったら、松平の“精神的苦痛”はいかばかりであったろうか。想像も出来ないほどの苦痛であったに違いない。 そういう意味で、どういう経緯があったかは知らないが、松平の一周忌が終わって富田メモが明らかになったことは、人道的にも“極めて良いタイミング”であったと考える。

 これこそ私の勝手な推測だが“武士は相身(あいみ)互い”である。たとえ不忠の者であろうとも、昭和天皇の御心を無視した松平であろうとも、存命中の彼に傷がつかないようにとの思いやりが働いたと見るべきである。

(注・天皇の御心を踏みにじった松平については、「元宮司」の肩書き以外には敬称を付けないことにした。最も“忠臣”であるべき者が、結果的に“逆臣”になったからである。 2・26事件の時の昭和天皇の怒りを思い出す。)

3) 以上、A級戦犯の合祀問題、富田メモの内容と松平元宮司の関係などについて考察したが、肝心なことはA級戦犯の分祀が可能なのか、靖国神社に代わる国立の新たな追悼施設が必要なのか、千鳥ヶ淵戦没者墓苑の拡充整備をすれば良いのかなどの問題が残っていることだ。

 これらの問題については様々な検討が求められるが、ただ一つ言わせてもらいたいのは、外国の賓客らが訪日した際、快く参拝してもらう追悼施設がどうしても必要だということだ。 今の靖国神社にどれほどの外国の賓客が参拝してくれているだろうか。最も近い国である韓国・中国はもとより、その他の外国人の参拝もほとんど無いだろう。

 国の追悼施設は徹底的に「無宗教」でなければならない。全ての人に受け入れられるものでなければならない。 しかし、靖国神社のような神道に根ざした「宗教法人」では、国際性も普遍性もあったものではない。更に先の大戦を「自存自衛の戦い」と位置づけていることから、これに反発する外国の賓客は靖国には絶対に参拝しないだろう。

 しかも、靖国自身のためにA級戦犯の分祀を求めても、神社側は教学上の理由で拒絶するばかりだ。 昭和天皇の御心は今上天皇にも受け継がれている。現天皇もA級戦犯が合祀されている靖国には絶対に参拝されないだろう。

「富田メモ」が明らかになった直後、小泉総理は「(参拝は)心の問題であり、強制されるものではない。誰でも自由だ」と語ったという。 それならば一方に「政教分離」の問題を抱えているが、小泉総理は行きたければ靖国神社に個人(私人)として参拝すれば良いだろう。どうせ9月には総理大臣の職務を離れるのだから、勝手に参拝すれば良い。“個人の自由”だと言うのだから。

 しかし、昭和天皇の御心が明らかになったことで、靖国問題は決定的な段階に入ったと思う。この問題は解決を迫られている。逃げようにも逃げられない段階に入ったのだ。英知を結集して解決策を見いださなければならない。 私の考えは既に幾つも述べているので、本日はこれ以上の論及を控えるが、今後も折に触れて意見を表明していきたい。(2006年7月27日)

 

 付記・・・なお、昨年「靖国問題」については幾つかの小論を載せたので、参考までにそれらを以下にリンクしておいた。読んで頂ければ幸いである。 「靖国神社よ、御霊を拉致・監禁するな!!」(2005年6月11日) 「靖国問題の唯一の解決策とは?」(2005年6月16日) 「A級戦犯は“敗軍の将” 泣いて“馬謖”を斬れ!」(2005年6月29日)

 

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