凄まじいものは 夜吠える犬

1) 犬を可愛がる人は多い。私も以前は何度も犬を飼っていたので、その可愛さは分かっているつもりだ。 しかし、年を取るにつれて“吠えまくる犬”が嫌いになってきた。家にいる時間が増えてきたせいもあるが、近所でやたらに犬が吠えていると耳障りで仕方がない。しかも、20〜30分も吠え続けられると正直言って頭に来てしまう。

 始めは我慢していた。そのうちに諦めるようになった。 しかし最近、夜中に30分以上も吠え続けられると、安らかに眠るどころではない。ワンワンキャンキャンキャンキャンワンワンワンワンキャンキャン・・・犬の鳴き声が耳にこびりついて正に安眠を妨害されるのだ。その犬を殺したい気持にもなってくる。

 そして先日、しょっちゅう吠えている近所の犬が、夜中にまた吠え出した。いつ止むとも思えない。 早く止んでほしいと願っていたが、一向に止む気配がない。それどころか、吠え声はますます高まり続いていくのだ。ついに私は頭に来てベッドから起き上がると、網戸をバーン、バーン、バーン、バーン・・・と10回ほど“聞こえよがし”に叩き付けてやった。お陰で網戸の縁(へり)が曲がってしまって正常に閉まらなくなり、指先も痛めてしまった。

 犬の吠え声に合わせて喧しい音を立ててやったせいか、飼い主が気が付いて何らかの処置をしたのか、やがて吠え声は止んだ。 ご近所の方々は網戸を叩き付ける喧騒にびっくりしたかもしれないが、騒がしい犬の吠え声が止んでホッとしただろう。私も安堵した。そして、ようやく安眠の床に就いたのである。

 ところが翌日だったか、また延々と犬の吠え声が響き渡るではないか! 相変わらず一向に止まない。私は又も頭に来て別の網戸を叩き付けてやったが、指先を痛めていたので今度は5〜6回の“破裂音”で終えてしまった。腹が煮えくり返って、犬の飼い主に対してどのような処置を取ろうかと考えあぐねた。

 そして、その翌日だったか2日後だったか、その犬の飼い主(Sさん)の奥さんがたまたま新鮮な野菜を私の家に届けてくれた。 Sさんは大地主で畑を沢山持っているので、取れ立ての野菜を時おり近所の人たちに配ってくれるのだ。それは有り難いのだが、この時ばかりは“問題の犬”のせいで私は神経を逆撫(さかな)でされたように感じた。

 私は憤然として妻からその野菜を取り上げると、道を挟んだ正面のSさん方に怒鳴り込んだ。鎖に繋がれた例の犬がもの凄い勢いで吠えかかってくる。 私は野菜を突き返した後、奥さんに「犬を何とかしてくれ、近所迷惑だ。夜中に30分以上も吠えられると眠れないぞ」と激しく抗議した。

 Sさん方で10分ほど抗議すると私は帰宅した。Sさんとは20年近く“隣人関係”にあったが、これまで何のトラブルもなかった。それが犬のことで気まずい関係になるとは、因果なことである。 帰りぎわに「この犬さえいなければ、何の問題もないのに」と思ったが、詮方ないことである。

2) どうやら、私は恥ずかしいことをさらけ出したようだが、年を取るにつれて“吠えまくる犬”には我慢できなくなったらしい。それにしても“ウルサイ”ものだ。 昔、吠えまくる犬に頭に来て飼い主と大喧嘩したり、その犬に逆に噛みついて瀕死の重傷を負わせた人の話しを思い出す。

 若い頃はそうした話しに苦笑したが、高齢になった今の自分には笑えない話しだ。現に飼い主方に怒鳴り込んだではないか。 Sさん方の犬はその後、吠え声が少なくなったように感じられる。年寄りの猛抗議で、飼い主さんが配慮してくれているのなら有り難い。

 それにしても、住宅街での“吠えまくる犬”には困ったものだ。以前、スピッツを飼うことが流行したが、最近はスピッツも少なくなったようだ。それはこの種の犬が余りに“けたたましく吠える”から、住宅街では飼うのを遠慮しているのだろう。スピッツを品種改良して、より鳴かない犬にしているという話しも聞く。

 本来、犬は大草原や大農場など広い所で飼うのが相応しい。映画でもよく見るが、沢山の犬が御主人に従って狩猟に出る時の「ワンワンキャンキャン!」という吠え声は、元気が良くて勇ましく聞こえる。 しかし、これを密集した住宅街でやられると、ただ騒々しくてウルサイだけだ。当然苦情が出てくるだろう。

 犬などのペットを飼ってはならないマンションも多い。しかし、住宅街ではペットの飼育は基本的に自由である。従って犬などを飼う家は多いが、騒音などのトラブルのほか、時には人が噛みつかれたり噛み殺される事件も起きているのだ。

3) 犬の吠え声で隣人関係が“まずく”なるというのは情けない。 しかし、例えば暴走族の騒音で困っている家は多く、これなどは地元の警察に取締りをお願いしたりしている。人間による騒音が警察沙汰になっているのだから、動物による騒音にも規制があって当然だと考える。

 ところが、平和な時代には人は得てして動物に甘くなる。カモ、レッサーパンダ、アザラシ、ペンギン、イルカなどの映像がテレビに映し出されると、人々はほのぼのとした心温まる気分になってしまう。子供たちはそうした可愛い動物を見たがり、家族連れで動物園や水族館、テーマパークなどに出かける。

 それは良いのだが、一方である種の動物が増えすぎたりすると人々は困ってしまう。 天然記念物のニホンザルが畑や人家を荒らすので処置に苦しんだり、閑静な住宅街に出没するイノシシに恐怖を覚えたりと、動物愛護と生活防衛の狭間で心が揺れ動くのだ。

 しかし、極端な例かもしれないが、元禄時代の「生類(しょうるい)憐みの令」が発令されていた頃よりはマシだろう。 史上名高い“天下の悪法”と呼ばれるこの法律では、動物の殺生や虐待を禁じており、犬などを過って殺すと死刑に処せられた。動物愛護の精神は良いのだが、犬に襲われても反撃することが出来ず、ただ逃げ回るだけという極めて非人道的な法律だった。要するに、犬の方が人間より偉かったのだ。

 これは「犬公方(いぬくぼう)」と呼ばれる徳川5代将軍綱吉が発布した法律で、江戸市中には数十万頭の野犬を手厚く保護する「お犬様御用屋敷」が何カ所も設置されたほか、魚や鳥も食料として飼養してはならないという極端なものだった。 人々は大変な苦しみを受けたため、こんな馬鹿げた法律は綱吉死亡後ただちに廃止された。(「生類憐みの令と動物愛護」を参照して頂きたい。) 

 犬は可愛いが、人間より偉くなってはいけない。 かの有名な「タイタニック号」が沈没した時、海に放り出された“愛犬”を追って入水(じゅすい)した老婦人のことを思い出す。ある人々にとって、犬はこんなにも可愛いのだ。しかし、一般社会では犬よりも人間の方が大切にされなければならない。それが基本である。

 年を取ると、犬の吠え声がなぜか気になる。老人にはなりたくないものだが、これも宿命だから仕方がない。 犬の吠え声・・・1000年も前に書かれた「枕草子」にも「すさまじきもの 昼ほゆる犬」とある。清少納言は“すさまじきもの”の筆頭に“吠える犬”を挙げた。 彼女は「昼吠える犬」を“興覚め”の意味で挙げたようだが、私にとって「凄まじいものは 夜吠える犬」である。(2006年7月28日)

 トップページに戻る