1) 国の「追悼施設」とは、日本国民だけでなく諸外国の人たちも快く参拝してくれるものが望ましい。そのためには基本的に宗教性が無く、一方的な歴史観を持たない施設が良い。 外国ではよく無名戦士の慰霊施設がそれに該当しているが、日本の首相らが訪問した時、そういう所に快く参拝するケースが多い。
こうした点から見ると、靖国神社は追悼施設としてまったく不適切である。国家神道を奉じるこの宗教法人は、先の大戦を「自存自衛の戦争」と位置づけているため、相当数の日本人にとっては良いとしても、外国の元首や要人らがお参りする施設としては相応しくない。これまでに、どれほどの外国の元首が参拝しただろうか。
国の追悼施設だから、日本国民だけが参拝できれば良いという考えもあるが、これだけ国際化が進み内外の人達が行き来する時代には、誰でも快くお参りできる施設である方が望ましいに決まっている。 日本の最友好国であるアメリカの大統領が靖国神社に参拝しただろうか。ましてや、中国や韓国の元首に至っては靖国参拝など問題外のことだ。
先の大戦は、日本側から見れば自存自衛の戦いという一面があるかもしれない。しかし、アジア諸国から見れば、明らかに「侵略戦争」の性格を有したものであった。中国を始めフィリピンなど東南アジア諸国では、多くの日本兵が戦死したと同時に、現地の人たちも戦争に巻き込まれて大勢死んでいった。
ここで先の大戦の性格を分析する時間はないが、あの戦争が日本にとって「自存自衛」のものだと固執する限り、靖国神社に多くの外国人の参拝をお願いすることは極めて難しいと判断せざるを得ない。 国の追悼施設については、こうした背景を視野に入れて考えていくべきだろう。
2) 東京・千代田区に「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」というのがある。調べてみると、この墓苑は昭和34年(1959年)に国によって建設され、先の大戦の戦没者35万人余りのご遺骨が納められている。これらのご遺骨は遺族にお渡しできなかったものばかりなので、いわば日本の“無名戦士の墓”と言ってよいものだ。
最近この戦没者墓苑を拡充するとか、新たな追悼施設を造ろうといった動きが出ているが、靖国神社が今のままの姿である限り当然のことだと言えよう。 新たな国の追悼施設がどのようなものになろうとも、国内外の人たちが快くお参りできる施設にすべきである。
そこで、私の勝手な意見ではあるが、二、三のことを述べておきたいと思う。国の追悼施設は、先に述べたように宗教性を完全に無くした方が良い。お参りの仕方は参拝者の自由にすべきである。 靖国神社のように、参拝形式がどうの玉串料がどうのといった神道の掟(おきて)に囚われる必要はない。(どうしても神道形式が良いと思う人は、もちろん靖国神社に参拝すれば良い。)
そして、私が最も深く念じているのは、新しい追悼施設が21世紀の日本を象徴する「平和の祈念塔」であってほしいということだ。 ところで、多くの日本人が広島・長崎の平和記念公園や平和公園を訪れたことがあるだろう。原爆の犠牲になった両市では毎年8月、平和式典が厳かに開催されている。
私も何度か広島・長崎を訪れたが、長崎の平和公園に建てられた「平和祈念像」を見ると、いつも深い感銘を受ける。この祈念像は地元の彫刻家・北村西望(せいぼう)氏が作ったものだが、右手を天に高く掲げ、左手を地に水平に伸ばした姿は真に印象的である。平和への誓いが切々と伝わってくるようだ。
新たな国の追悼施設もこのような人類の祈り、願い、誓いを表すものであってほしい。 北村西望氏のような優れた彫刻家、芸術家は今の日本にも少なからずいるはずである。彼らが協力して戦没者追悼のための“一大モニュメント”をぜひ造ってほしいのである。そうすれば、この一大モニュメントは「鎮魂・不戦・平和」の象徴として、末永く人々の心の中に生き続けるだろう。
3) 先に述べた「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」の35万余のご遺骨(身元が分からない!)は、真に深い意味を有している。 日本が独立を回復した昭和27年以来、遺骨の収集が営々と行われそれは今も続いているのだ。靖国神社の「霊爾簿」に記された御祭神の名前よりも、ある意味で“生々しく”胸に迫るものがある。
この戦没者墓苑を拡充するとか、あるいは東京の北の丸公園や新宿御苑に新たな追悼施設を建てようとか色々な意見が出ているが、それは国会で国民の総意として決めれば良いことだ。 要は「無宗教」の国立追悼施設が建立されるのが望ましい。
近い将来、そうした追悼施設が出来上がり、アメリカやロシアの大統領はもとより、中国や韓国、東南アジアの諸国、ヨーロッパ、中南米、中東、アフリカなど全世界の外国人がお参りに来てくれたら、どんなに素晴らしいことか! それを夢見ると私の心は弾むのである。
例えば、アメリカのアーリントン国立墓地・・・主に軍人を埋葬しているそうだが無名戦士やケネディ大統領の墓もあり、昔お参りに行ったことがあるが、まるで“公園”のような佇(たたず)まいで、どんな外国人も気軽に訪れることができる“観光スポット”という感じだった。
この国立墓地には、世界中の元首や要人も参拝に訪れており、もちろん日本の首相や政治家もお参りしている。そこには何の違和感、何の“精神的プレッシャー”もないのだ。 天皇陛下も参拝を控えられる靖国神社とはえらい違いである。
日本の首相、要人が外国の追悼施設に自由に参拝しているのに、その国の元首や要人が「答礼」の形で参拝しようと思っても、それに相応しい追悼施設がわが国になかったとしたら、お互いに“気まずい”関係になっていくだろう。国民はそのことを思うべきである。
結論を述べるが、21世紀の日本を象徴するような、“美しくて壮麗な”無宗教の国立追悼施設を早急に建立しよう。 それは長崎の「平和祈念像」のように、芸術性が高く印象的な一大モニュメントであってほしい。そのために、日本の偉大な芸術家たちの協力を仰ごうではないか。
新しい追悼施設が「鎮魂・不戦・平和」の象徴として、日本国民だけでなく外国人にも受け入れられるものであってほしいと、切に願うものである。 (2006年8月25日)