日本の「核武装」を真剣に論議せよ

1)北朝鮮の核実験と日本の立場 

 10月9日、北朝鮮が「地下核実験」を実施したと発表、日本など近隣諸国だけでなく世界中に衝撃を与えた。その直後から核実験は失敗したのではないかとか、強力なTNT火薬を爆発させただけではないかとか、いろいろな憶測が出ていたが、アメリカは16日になって、北朝鮮の核実験実施を公式に確認した。

 この核実験が極めて小規模(TNT火薬相当で1キロトン未満)なものであろうとも、何らかの失敗があったと憶測しようとも、日本のすぐ隣に「核保有国」が誕生したことは間違いない。これはわが国の安全保障上、極めて憂慮すべきことである。

 この件に関連して自民党の中川昭一政調会長は、日本の核保有について「いろいろ議論があってもいいではないか」とテレビで語った。 ところが、この発言が物議を醸し、日本は「非核3原則」を国是としているのだから、核保有を論議すること自体“とんでもない”などといった意見が出された。しかし、果たしてそうだろうか。

 唯一の被爆国である日本に核アレルギーがあるのは当然であり、広島・長崎の惨劇は我々の目の底に焼き付いている。また、二度と戦争を起こしてはならないという決意で戦後、平和主義に徹してきたこともよく理解できる。しかし、それだけで日本の平和と安全が守られるのだろうか。

 日本がもし核保有国になったら、それは東アジア諸国だけでなく世界的にも大きな反響を呼び、強い反発を受けるに違いない。 しかし、だからと言って、核保有問題を“タブー”視して議論そのものを封印して良いものだろうか。

「非核3原則」とか「専守防衛」と言ったものは国の基本方針である。極めて重要なものだが、絶対不変とか“永久不滅”と言ったものではない。ある時代の国家の基本方針・国是と言ったものは、時代が変われば自ずと見直さなければならない類のものだ。

 我々日本国民は、自由と民主主義の中に生きている。思考の自由、言論の自由は尊重されなければならない。わが国の核保有論議を初めから“タブー”として、それに関する思考や言論を圧殺しようとする姿勢は、断じて認めるわけにはいかない。それこそ、わが国の自由と民主主義を蔑(ないがし)ろするものである。

2)現実は「非核2原則」である

 私はいま、日本が核武装すべきだと言っているのではない。すぐ隣に「核保有国」が出現した以上、わが国の核保有についても真剣に議論すべきだと言っているのである。 従ってこの際、私なりに所見を述べたいと思う。これは日本国民として当然の権利であり、また義務でもある。

 そこで、まず取り上げたいのは「非核3原則」の問題である。これは「核を持たずつくらず持ち込ませず」というものだが、もう40年近くも日本の“国是”となっている。 唯一の被爆国としては誠に立派な国是と言えるだろう。しかし、この「非核3原則」は果たして守られているのだろうか。私ははなはだ疑問だと考える。

「核を持たず、つくらず」ということは、間違いなく順守されてきた。日本は核兵器を持っていないし、作ってもいない。 しかし「核を持ち込ませず」というのは、果たして守られてきただろうか。そんなことは有り得ないと断言したい。

 日本はアメリカの“核の傘”に入っているとよく言われるが、1974年の9月、アメリカのラロックという退役海軍少将(米第7艦隊旗艦の元艦長)が議会の証言で、核を搭載した米軍艦艇が日本に寄港していることを認める発言をしたため、日本国内で大騒ぎになったことがある。(結局、この問題は“ウヤムヤ”に終わった。) その後も、アメリカの要人が日本への核持ち込みを認める発言をして問題になったが、そういう事実は当然あったと私は考える。 

 核を持ち込ませないのであれば、日本の領海に入る直前に米軍は核兵器を抜き取らなければならない。しかし、最高機密である核兵器を洋上で“抜き取る”ことが現実に有り得るだろうか。それを証明した軍事専門家がこれまでにいただろうか。そんなことは皆無だと断言したい。

 要するに、日本は日米同盟(日米安保条約)のもと、アメリカの「核抑止力」のお陰で平和と安全を享受してこれたのだ。これは厳然たる事実である。 従ってこの際、もう「非核3原則」などと“きれい事”を言うな!、と言いたい。軍事専門家の中には「非核2,5原則」などと皮肉を言う者がいるが、現実は「非核2原則」で日本はやってきたのだ。日本国民は、こういう実態をどうして直視しないのか。

3)アメリカの「核抑止力」と日米同盟

 北朝鮮が核実験をしたことで、日本はますます「非核3原則」ではやっていけないことが明白になった。実態は核の持ち込みによる「非核2原則」で平和と安全を確保してきたわけだが、最早この“詭弁”は通じなくなってきた。わが国はアメリカの「核抑止力」に一層頼らざるを得ない状況になってきたのだ。

 日本が余りに“核アレルギー”の強い国なので、アメリカはこれまで相当に苦労してきたと思う。私の推察では、アメリカは現実を理解させようと日本にいろいろ“牽制球”を投げてきたのだが、その都度、わが国は核に対してアレルギー拒否反応を示してきたのだ。

 アメリカはいい加減に嫌になったと思うが、日本は大切な同盟国であり唯一の被爆国でもある(それも、アメリカが2発の原爆を落としたからだ)。従って、日本国民の感情を害するのは良くないと判断し、表向きは「非核3原則」を尊重する姿勢を示してきたのだ。

 また、日本政府もアメリカから「事前協議」の申し入れがないことを理由にして、核の持ち込みなどは有り得ないのだと国民を説得して乗り切ってきた。こういう状況が30年以上も続いてきたのだ。 しかし、北朝鮮が核保有国になったことで、こういう“ごまかし”の安全保障戦略は通じなくなったと言える。

 北朝鮮の脅威が強まるにしたがって、日本自らが核武装をしないのであれば、我々はますますアメリカの「核抑止力」に頼らざるを得なくなる。米軍の核を「持ち込ませず」どころではない。 不安が募れば募るほど、どんどん持ち込んでほしいとこちらからお願いしたいくらいだ。こうして「非核3原則」から「持ち込ませず」という条項は消えていく運命になったと言ってよい。米軍の核を公然と持ち込めば、北朝鮮からの攻撃の可能性は一段と弱まるからだ。

4)日本の「核武装」を論議せよ

 こういう話しをすると、アメリカの“核の傘”にすがるだけで、日本は余りに情けないではないかと思う人も多いだろう。そうした所から、日本も自ら核武装を考えるべきだという意見が出てくる。 しかし、日本の核武装は、近隣諸国や国際社会から大きな反発を招くことは間違いない。しかも、日本は核拡散防止条約(NPT)に加盟しているのだ。

 従って、当面はアメリカの“核の傘”に守られながら生きていくしかないが、それが未来永劫続くというものではない。独立した国家なのだから、自らの進路は自主的に選べる権利は当然あるのである。 さらに言わせてもらえれば、NPTそのものが、アメリカなどの核保有国と日本などの非核保有国との間に、極めて不平等差別的な内容を含んでいる。

 私はNPTの問題をここで長々と論じるつもりはない。しかし、これほど“不平等な条約”があるのかと驚いたくらいである。インドやパキスタン、イスラエルが加盟せず、北朝鮮が脱退するのも当然だと思わざるを得ない。とにかく、NPTほど不公正な条約はない。NPTの悪口を言うのが本論ではないので止めるが、機会があればこの問題を今後も追及していきたい。 

 さて、日本人は「核抑止力」というものをどのように理解しているのだろうか。核兵器は人類を破滅に追い込むものだから良くない、ということは子供でも分かっている。こんなものは地球上から無くしてしまえと、ほとんどの人が思っているだろう。しかし、現実には一向に無くならない。人類に戦争がある限りそれは半永久的に無くならないだろう。

 ところが、核兵器があることによって戦争を、特に大戦争を未然に防いでいるという皮肉な面がある。インドとパキスタンは長年戦争を繰り返してきたが、お互いに核を持つことによって戦争を自制せざるを得なくなった。もちろん、そこに“核の恐怖”があるからだ。それが「核抑止力」である。

 核を持つことによって自国の力を高め、それによって戦争を抑止する。この単純な論理は戦後永々と生き続けてきた。事実、米ソ(アメリカと旧ソ連)を中心に山ほどもある核兵器が開発、製造されたのに、広島・長崎への原爆投下以降、核兵器は一度も使われていない。

 逆に、目覚ましい発達を遂げた「通常兵器」による戦争だけが拡大した。 私は以前「言い方は悪いが、通常兵器だと、人間は『一定の範囲』だという“安心感”から戦争を起こしてしまう。 ところが核兵器があると、決定的破滅を招くのではないかという恐怖心から、自制せざるを得なくなるのだ」と書いたことがある。(「ド・ゴールと毛沢東・・・右と左の核武装主義者」を参照。04・9・21)

 また、その中で「核廃絶を唱えるのはもちろん結構だが、核を廃絶しただけで安全と平和が実現すると思ったら大間違いだ。 核兵器を廃絶すれば、“発達した通常兵器”による戦争が一段と増えるだろう」とも書いた。あれから2年以上が経ったが、その考えに間違いがないことをますます確信している。

 それだけではない。核の抑止力によって、相手(敵側)は容易に攻めてこれなくなるから、通常兵力を削減する余裕が生まれてくる。通常軍備の縮小が可能になるのだ。 実際に、ド・ゴールはフランスの核武装をすることによって通常兵力を削減し、NATO軍からも脱退することができた。逆に核を持たなかったら、通常兵器を増強せざるを得なかっただろう。

 こうして見てくると「核抑止力」というものは、現代において極めて重要な意味を持っている。日本が今後、核武装をするかしないかは別として、この問題を真剣に議論していく必要があるし、それは日本国民の義務だとさえ考える。 

“きれい事”ばかりを言っていては駄目だ。きれい事は“無責任な連中”に任せておこう。 マスメディアや政治家は今こそ率先して、日本の核武装やNPTなどの問題を取り上げ、国民に真剣な議論を呼びかけていくべきである。(2006年10月19日)

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