1) 20世紀の終末から21世紀にかけて、特に注目されるようになったのは、民族と宗教の問題ではなかろうか。 勿論いつの時代にも、この2つの問題は、歴史の大きな要因として存在していたわけだが、最近とみに、その比重が目立ってきたのではないかと思う。
一つには、社会主義イデオロギーの崩壊ということがある。 今でも社会主義国家はいくつもあるが、ソ連邦や東ヨーロッパの社会主義圏の崩壊・消滅で、このイデオロギーは、もはや“神話”のようになってしまった。 中国などの社会主義国家も、市場経済化を目指している。
米ソを頂点とした、自由主義対共産主義という図式が消滅して、にわかに民族と宗教の要因が、クローズアップされてきたようだ。 中でも、民族問題は劇的な様相を呈している。ご承知のように、旧ユーゴスラビアの解体などは、凄まじいものがある。 チト−大統領の死後、この国は民族問題で亀裂を深め、今や完全に四分五裂してしまった。 その間、クロアチアの内戦、ボスニアの内戦、コソボ紛争など、血で血を洗う民族間の抗争が繰り広げられた。 その結果、20万近い死者と約250万の難民や避難民を出したといわれ、その凄惨さは世界中を驚かせたのである。
社会主義イデオロギーが崩壊するやいなや、民族同士の殺りく、戦争が一挙に噴出するというのは、あまりにも劇的であり、かつ悲惨である。 旧ユーゴだけでなく、旧ソ連も旧チェコスロバキアも、各民族国家に分裂してしまった。 こうした事態を見ると、民族問題とは、いかに根が深いものかと痛感せざるをえない。
2) 一方、宗教問題も、それに劣らず劇的な様相を見せている。 最近では、イスラム原理主義の動向が焦点になっているが、なんと言っても、1979年に起きた、イランのホメイニ革命が衝撃的ではなかったろうか。 私事で恐縮だが、その当時私は外務省担当の記者をしていたが、パーレビ国王に対する反体制運動が活発になってきた時、外務省当局はほとんど問題にしていなかった。「シャー(国王)の権威は絶対的だよ」と、記者会見で話していたのを思い出す。
ところがその後、あれよあれよと言う間に、パーレビ体制は打倒されて、国王夫妻は亡命してしまった。 国王の近代化政策や、秘密警察による恐怖政治が命取りになったと言われる。 しかし、その当時、アメリカの強力な支援のもと、磐石と見られていたパーレビ体制が、かくも簡単に崩壊してしまうとは、外務省のみならず大多数の人達は思ってもみなかっただろう。
イスラム教シーア派によるこの革命は、正に“宗教の奇跡”みたいなものだ。当時の日本のマスコミも、ホメイニという“中世の怪物”が、突如現れてきたかのように受けとめたフシがある。 私自身もその時、宗教とは「どえらいもの」だと痛感した。
3) 最近では、なんと言っても、アフガニスタンを支配していた「タリバン」のことが思い出される。 ビン・ラディンのテロ事件とともに、イスラム原理主義の凄まじさを物語るものだろう。
昨年(2001年)3月、タリバン政権はバーミヤンの仏教遺跡を爆破した。有名な世界最大の石仏像が、木っ端微塵に吹き飛ぶのをテレビで見た時、私は仏教徒ではないが、これは恐るべきことだと戦慄を覚えた。多くの人がそう感じたにちがいない。
イスラム原理主義から言えば、全ての偶像は認められない。従って、爆破したということだろう。 しかし、そこに宗教の恐ろしさを感じる。教理に反するものは、全て認めないという姿勢がはっきりとうかがえる。 ご承知のように、タリバン政権はアメリカなどの攻撃で崩壊したが、イスラム原理主義は依然として根強く残っている。
マルクス主義によれば、「宗教はアヘン」と言われる。 マルクス主義はすっかり色あせてきたが、この「アヘン」は一向に衰えを見せない。 今や科学技術の驚くべき進歩や、IT革命が見られているというのに、宗教の存在はかえって強まっているかのような状況である。
4) 20世紀を迎えた時、多くの人は時代が“インターナショナル”になってきたと感じただろう。 その後の100年間は、資本主義経済の国際化、社会主義の国際化、国際連盟や国際連合の創設、情報・通信のグローバル化、航空機など輸送の国際化等、たしかに“インターナショナル”になってきた。
しかし、国際化と裏腹に、一方では「ブロック化」や「民族主義」「国家主義」も台頭してきた。 社会主義も“インターナショナル”に向かうと同時に、陣営内で対立と分裂を深めていった。 矛盾しているようだが、両方の進行が同時に拡大していったのである。
現実の世界では、国際化が進むと同時に、民族の重要性が高まり、精神の世界では、物質文明の進展とは裏腹に、宗教の重要性が強まったと言えないだろうか。 これはあたかも、国家の単位で言えば、中央集権と地方分権が同時に進行するような“矛盾”を感じる。
最近の国際情勢の顕著な動きとして、「9・11テロ事件」以降、アメリカとロシア、中国はにわかに歩み寄りを見せている。 ご承知のように、ロシアも中国も国内に民族問題を抱えている。アメリカも多民族国家であり、依然として“人種”問題を抱えている。 テロを共通の敵としながらも、大国同士は民族と人種の問題を抱える点で、これまで以上に共通項を認識してきたと言えるのではないか。
5) 21世紀中にも、いろいろな思想が生まれてくるだろう。 18世紀のルソーや19世紀のマルクスのように、新しい思想家が現れてくるだろう。その展望などは、今の時点でとてもできるわけはないが、民族と宗教の問題が、依然として大きなウェートを占めていくことだけは断言できるだろう。
世界的に見れば、国連至上主義や「ヨーロッパ連合」、「アジア連合」、「アメリカ連合」といった潮流は必ず強まってくるだろう。 しかし、その一方で「民族主義」は絶えることはないだろう。 宗教においても又、新しいものが生まれると同時に、既存の大宗教の中に、革新と再編の動きが生じてくることも予想される。
民族と宗教の問題が普遍的で、かつ半永久的である以上、我々地球上に生息する人類にとっては、“共生”という論理で生きていくしかないのではないか。 お互いに他民族の存在と、他宗教の存在を認め合っていくしか生きる道はないように思う。 これはごく当たり前の論理で、誰もが思っていることにちがいない。 しかし、この当たり前のことがなかなか難しいというのが、悲しい現実である。(2002年2月25日)