「曽野綾子って、だれ?」(ジェネレーションギャップ!)

1) テレビ局には、実にさまざまな電話がかかってくる。 私は定年前の約3年間、フジテレビの「視聴者なんでもサービスセンター」という部署にいたので、いやと言うほど、視聴者からの電話を受けた経験がある。 電話の大半は、問い合わせである。 放送予定や番組内容、出演者、曲名、テレビ局のことなどが、問い合わせの主だったものである。

 そうした問い合わせは良いのだが、厄介な電話が入ってくることも多い。 特に、番組内容やテレビ局の姿勢に対する苦情は、激しかったり、延々と続くことがよくある。 こういう時は、我々も心して対応しないと、とんでもないトラブルに発展する恐れがある。 また、放送予定や放送時間が変更したりすると、ビデオでの収録が出来なかったと、一斉に苦情の電話が殺到してくることも多い。

 同じように厄介な電話は、他にも沢山ある。 なんでも“からんでくる”人、一方的に怒鳴り込んでくるもの、意味不明な電話、なにを言っても分かってくれない人、酔っぱらい、ヤクザ、暴力団風の男、暇つぶしに延々とかけてくる人、泣きわめくもの、“人生相談”をしてくる人・・・等々、数え上げれば、キリがないほどだ。

 我々「視聴者センター」の人間は、これらの電話に、出来るだけ丁寧に、誠実に対応するのだが、こちらも生身の人間なので、時にはトラブルこともある。 元いた部署の話なので、差し障りのあることは言えないが、視聴者への対応というのは、けっこう骨の折れるものである。

2) 「視聴者センター」と同じく、いや、時にはそれ以上に大変なのが、電話の交換手である。 まさに会社の窓口だから、視聴者と最初に接触する所だ。通常、1日に1000本以上は電話を受ける。 なにかあると、すぐ3000本、4000本となり、極端な場合は1万本を超えることもある。 電話の本数だけでなく、交換手の女性達は、前述した“厄介”な電話を、まず最初に受ける人達だということである。

 テレビとは、“お茶の間の花”である。 これほど親しまれ、これほど影響力のあるメディアは他にない。 あらゆる人が、テレビを見ているだろう。 従って、責任も重いのだが、いつ何時、誰からテレビ局に電話がかかってくるか分からない。 電話をしてくるのは、某内閣総理大臣もいれば、皇族に直結した人もいれば、知的障害の人もいれば、暴力団員もいれば、ありとあらゆる人達なのである。 それらの電話を、まず最初に受けるのが交換手だから、彼女らの苦労も並み大抵ではない。

3) さて、1年以上も前のことだが、作家の曽野綾子さんが、休日の夜にテレビ局に電話をかけてきた。 この時の話は、数日後、彼女が「産経新聞」にてん末を書いておられる。 すでにオープンになったことなので、ここで取り上げることにした。

 曽野綾子さんといえば、我々年配者の中では、知らぬ者はいない。 かつて、有吉佐和子さんらと共に、日本に“才女時代”を現出した、極めて“有名な”作家である。 その令名を聞いただけで、私などは“身震い”しそうだ。 (ちなみに曽野さんの誕生日は9月17日で、実は私と同じ誕生日である。丁度10年先輩の人なので、私は昔から憧れていた。)

 その彼女が某日夜、「曽野綾子です。 ペルーのフジモリ前大統領の記者会見を○○日、○○時から、××で開きたいと思います・・・」といった電話をかけてきたらしい。 ところが、交換手は「曽野綾子」という名前をまったく知らない。 多分、“変なおばさん”からの電話だと思ったらしい。“変なおばさん”は、世の中にはいくらでもいる。 仕方がないので、報道局の外信部に電話をつないだようだが、そこにいた若い人も「曽野綾子」という名前を知らない。 結局、フジモリ氏の記者会見のご案内は、泡と消えてしまった。

 翌日以降、そのことの後始末が大変だったようだが、それはここでは問題にしない。 その話を聞いた時、私はものすごく怒った。「なんで、曽野綾子の名前を知らないんだ!」と叫んだ。 センター室長が「まあまあ」と取りなしてくれたが、後で聞くと、20人余りの交換手は、誰も「曽野綾子」の名前を知らなかった。 ショックだった。

 センターの数人の若い女性達に聞いても、誰も「曽野綾子」の名前を知らない。 私は、だんだん侘びしくなってきた。自分が怒ったことが、間違っていたように感じられてきた。 ジェネレーションギャップなんだ、と思わざるをえなかった。

4) つまり、曽野綾子さんは、若い人達の中では、まったく“無名”だったのだ。 私は情けなくなったが、仕方がないのだ。世代の違いとは、こうも大きいのかと思った。 私が怒ったことは、ちょっぴり反省するとして、それなら我々60歳前後の人間が、どれほど若い人達を知っているだろうか。 知る必要はないとしても、ほとんど知っていないのではないか。

 我々古い年代でも、「イチロー」は知っているだろう。「キムタク」も多分知っていると思う。 しかし、GLAYだとか、竹野内豊だとか、TOKIOなんて、ほとんど知らないのではないか。 ところが、若い人達は全員が知っているにちがいない。それが、ジェネレーションギャップなのだ。

 私はテレビ局にいたので、やや自慢げに話をしているようだ。 しかし、実は「視聴者センター」に配属された時、ものすごく苦労し、汗をかいた。 若い視聴者から「LUNA SEAはどうなってるんですか」とか、「ラルクアンシエルの放送予定は?」などと聞かれると、何を言っているのかさっぱり分からない。 「なんでしょうか、それは?」と聞くと、相手の女性は、「若い人に替わって下さい!」と金切り声を上げた。 私は恥をかいたような気分になり、あわててセンターの若い女性に電話を替わってもらった。

5) 若い人が「曽野綾子」を知らないように、私は「LUNA SEA」を知らなかった。(せっかく知ったのに、もう解散してしまった。) このジェネレーションギャップは、どうしようもない。 この前、テレビのクイズ番組を見ていたら、「山本富士子」のことが出ていたが、若い女性は勿論のこと、中年の女性も彼女のことを知っていないようだった。

 山本富士子と言えば、天下の大女優ではないか。 いや、大女優だったのかもしれない。 世の中の移り変わりは早い。過去のものは、どんどん忘却の彼方へ行ってしまうのだろう。 例えば、「カストロ」なんて言ったって、今の若い人はほとんど知らないだろう。我々の若い頃は、世界で最も有名な人物だったのに・・・ 

 過去は、どんどん忘却の彼方へ去っていく。それが、現世の定めなのだ。 ということは、知る知らないが、問題ではない。 知る必要はないとしても、出来るだけ知るように努めることが、大切なのではなかろうか。

 若い世代と古い世代の間に、どうしようもないギャップがあるのなら、願わくば、お互いに、相手の世代を知るように努めようではないか。 その橋渡しをしてくれるのが、テレビや新聞、インターネットなどのマスメディアならば、老いも若きも大いにそれらを活用しようではないか。(2002年3月18日)

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