国家とは“税金”である。「公僕」という言葉は消えたのか

1) 国家とは領土、国民、主権の3つの要素から成り立っているという。 これは、国家の定義ということだが、3つの要素があっただけでは、国家は機能しない。 国家機能はいろいろな組織によって運営されているが、その組織は公務員らによって成り立っている。 公務員の給与や組織の運営費は、国民の税金によって賄われている。 ということは、国家とは税金で成り立っているのだ。

 国民は、税金を国家や地方公共団体に納めるのだが、その税金を運用するのも、国や地方の公務員である。それによって、国家や地方公共団体は活動することができる。 税金とは、国家や地方公共団体のいわば“血液”である。 国民はこの血液を、絶えず国家等に提供している(血税とも言う)のであるから、その使い道、使い方を厳重に監視する権利があるし、また監視する必要がある。 以上述べたことは当たり前のことだが、この当たり前のことが、結構いい加減に認識されているのが問題だ。 

2) 話が少し変わるが、「公僕」という言葉を最近ほとんど聞いたことがない。昔はよく聞いたものだ。 死語になったのだろうか。 辞書を引くと「公衆に奉仕する者」とか「国民に奉仕する人」となっており、公務員(public servant)のことを意味している。

 公僕というのは、単純に言って「公の僕(しもべ)」であり、僕とは「召し使い」のことである。 「召し使い」という言葉があまり良い印象を与えないからなのか、公務員が偉くなったからなのか、公僕という言葉もあまり使われなくなったのだろうか。

 しかし、先に述べたように、国や地方を問わず、公務員は国民の税金によって生かされているのである。 公務員の主人は、まさに国民である。内閣総理大臣であろうと○○大臣であろうと、納税者である国民に奉仕しなければならない。 要するに「公僕」なのである。 ところが、この当たり前の認識が、日本ではなぜ希薄なのだろうか。 なぜ、公務員の天下りや汚職が跡を断たないのだろうか。

3) 「お上」というのは、ふつう「国家権力」即ち「政府」のことをいう。 あまり好きな言葉ではないが、よく使われる。先日も、あるNGOの代表が「お上のすることは、あまり信用できない」旨の発言をしたら、自民党の国会議員が怒ったため、アフガニスタン支援国際会議にNGOの代表が出席できなかったという大問題が起きた。

 なぜ、日本人は「お上」という言葉をよく使うのか。(皮肉を込めて使う場合が多いが) 「お上」というのも、結局は「公僕」のことではないのか。 政府も税金で成り立っているだけである。政府は、つまり「公僕の代表」と言うだけのものである。

 諸外国のことはよく知らないが、日本では昔から、この「お上」の意識が強すぎるのではないのか。 日本の歴史や日本人の意識を、ここで検証するつもりはないが、21世紀に入って、もういい加減に「お上」の意識は払拭してもらいたいものだ。 代わりに「公僕」の意識を徹底させて欲しい。

4) もう25年以上も前の話で恐縮だが、私はテレビ局の政治部記者だったので、派閥担当の仕事として、自民党の福田赳夫さんという人の所へしょっちゅう取材に行っていた。(若い人は知らないと思うので少し紹介すると、福田氏は後に首相を務めた自民党の実力者で、今の内閣官房長官・福田康夫氏の父親に当たる。)

 ある晩取材に行ったところ、たまたまその時は、記者が私一人だった。 私は運がいいと思って、福田さんといろいろ話し込んでしまった。何を話したのか今は覚えていないが、けっこう長い時間居座ってしまった。 そして帰り際だったと思うが、何かの話のついでに福田さんは一言だけポツリと述べた。「矢嶋君、日本は役人天国だよ

 私は、この言葉を一生忘れない。いまだに耳の奥に残っている。 「日本は役人天国だよ」と言った福田さんは、旧大蔵省のエリート官僚出身の政治家だった。実感がこもっていた。 あれから25年以上がたつが、私は今も、日本は役人天国に変わりがないように思っている。

5) 福田さんが述懐したことは、今でも当たっているのではないのか。“官僚”という公務員が事実上国家権力を握り、今でも「お上」として君臨しているのではないのか。 そうあってはならないと、国民の代表である国会議員が、「官」に対する「政」の優越を目指して奮闘しているが、「政」と「官」の戦いと癒着は、まだまだ長く続きそうだ。

 昨今の外務省汚職の報道を聞いていると、国民の誰もが憤激しているだろう。 大多数の外務省職員は真面目に仕事に取り組んでいると思うが、少数の不届き者が税金を私利私欲のために使った。これは、「公僕」意識の欠如以外の何物でもない。 血税を吸い取る“ヒル”みたいなものだ。

 税金の使い道と使い方について、ようやく国民の意識が高まってきたと言える。 経済不況にあえぐ国民としては、当然の関心事ではあるが、21世紀に入った日本を“役人天国”と絶対に言わせないように、徹底した監視を強化していく必要がある。

 それと同時に、全ての人間が、「公務員は公僕」だという認識を改めて頭の中に叩き込むとともに、学校教育でも、教師は児童に対して、そのことを徹底的に教え込んで欲しいと願うものである。 (2002年4月2日)

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