外国語と日本語と私

1) 日本人は外国語に弱いと言われる。それは特に、話し方(スピーキング)と聞き方(ヒアリング)においてと言われる。 私は自分の頭(センス)の悪さを棚に上げてそう述べているので、お許し願いたい。 例えば、英語については、中学1年から大学4年まで10年間も勉強したのに、一向に会話(カンバセーション)が上手にならない。

 日本人の中には勿論、英会話の上手な人もいるが、大学の英文科を卒業したというのに、ほとんど英語が話せないという人も多数いる。 そういう人達を見ると、私は自分の頭の悪さを放っておいて、なんとなく安心してしまう。

 我々高年齢の日本人は、一般的に英語など外国語の会話がどうして下手なのだろうか。 私も何度も英会話に挑戦したが、少しも上手くならず今日に至っている。情けない限りだ。

 25年ほど昔のことだが、私はフジテレビの報道にいた時、たまたま「外務省記者クラブ」の担当を命じられた。「よしっ、やるぞ!」と本当にやる気になって、当時で30万円以上もする英会話習得器械と教材を購入し、寸暇を惜しんで勉強した。

 そして、数カ月経ったある日、アメリカ大使館でレクチャーがあるというので、記者クラブの他社の仲間と大使館へ行き、アメリカ人のレクを聞いた。 ところが、ある程度分かると思っていたのに、そのアメリカ人のレクが速いこともあってか、内容がほとんど理解できないのだ。 私はがっかりした。

 仕方がないので、私はTBSの記者をしていた秋山豊寛氏(後日、日本で最初の宇宙飛行士となった人)に、レクの内容を詳しく教えてもらって事無きを得た。 彼は国際基督教大学を出ていて、イギリスのBBC放送でも仕事をした経験があるから、英語の実力は大変なものがあった。 その後も、よく彼から教えてもらったのである。

2) 私なりに猛勉強しても、英語のヒアリングやスピーキングが上手くいかないというのは、自信を喪失させるものである。 私はだんだん英会話の勉強に嫌気がさし、それから逃避するようになっていった。こうなると勉強の意欲も失われ、いつしか“特訓”は終わってしまったのである。

 その後も二、三回は英会話に挑戦したが、結局上手くいかず、せいぜい片言の英語が話せる程度で終わっている。 英語だけでなく、高校・大学を通じて学んだフランス語にしても同じである。フランスへ行っても片言しか話せないのだ。

 ここで、大いに負け惜しみのつもりで言うと、日本の語学教育というのは、七面倒臭い文法などから始めるから、余計に上手くいかないのではないのか。 外国語を話そうとすると、頭の中にまず文法のことが浮かんできて、思うように舌が回らなくなることが多い。 我々古い年代の者には、そういうケースが目立つようだ。

 もう一つ、これも負け惜しみになるが、英会話などに対して“気恥ずかしい”と思う側面がある。 上手になりたいくせに、外国語をペラペラと話すことに違和感のようなものがあるのだ。 これは潜在意識の中にあると言ってよい。こういう意識がある限り、語学は決して上達しないだろう。

 古い世代の語学教育などは、もう絶望的だ。 屈折した心理を持たず、伸び伸びした若い世代に期待するしかない。最近、特にそう思うようになってきた。

3) ところで、外国人から見ると、日本語は“悪魔の言葉”と映ることがあるそうだ。 それもその筈で、英語ではアルファベット26文字(ローマ字)で全てが済むのに対し、日本語は漢字、ひらがな、カタカナの3種類の文字を使う。 更にその中に、たまにはローマ字が挿入されることもある。外国人から見れば、確かに複雑怪奇な言語だろう。

 英語なら、1人称単数主格は「I」一文字で済んでしまうが、日本語では「私」「僕」「俺」「小生」などがあり、しかも「私」は、発音が「わたし」「わたくし」であったり、女性では「あたし」「あたくし」と言うこともある。

 更に、日本語の同音異義語の多さ、複雑さは物凄いものがある。 例えば「きこう」というのは優に20種類以上の言葉がある。「気候」「気孔」「奇行」「機構」「紀行」「帰港」「起工」「寄港」「寄稿」「起稿」「貴公」「気功」「貴校」「機甲」「機巧」「帰校」「奇効」「騎行」「帰降」「寄口」「帰向」「奇巧」「帰耕」「紀綱」などで、この他にも、あまり使っていない言葉がまだあるのだ。

「こう」と発音(音読み)する漢字が幾つあるか調べてみたら、259もあったので厭になった。(講談社・日本語大辞典を参考) 主なものでも、口、高、好、甲、公、功、巧、光、広、工、弘、交、好、向、行、考、港、孝、航、坑、宏、紘、攻、更、幸、降、鉱、抗、効、校、肯、皇、厚、後、構、鋼、硬、恒、侯、荒、候、降、耕、香、虹、黄、康、腔、稿、冦、衡、綱、項、興、拘、勾、購、閤、浩、巷、講、媾、酵、縞、肛、仰、絞、洪、肱、郊、江、孔・・・などである。

 日本語では、これらの漢字がふんだんに使われるのである。 アルファベット26文字で済ます英語等に比べると、なんと複雑で厄介なことか! これでは、悪魔の言葉と言われても仕方がないだろう。

4) 私達日本人は1000年以上もの長い間、そういう複雑な日本語を使ってきた。 従って言語に対する“感性”が、欧米人とは比較にならないほど、独特のものになってしまったのではなかろうか。 そして又、日本語の使い方が極めて“微妙”なものになってしまったのだ。

 例えば「又」とか「勿論」という漢字があるが、平仮名で「また」とか「もちろん」と書く場合も多い。 文章を書く時、前後の文脈や句読点のことまで考えて、漢字にするか平仮名にするか迷ってしまうことがある。 私は文章を書くことが多いので、いつも迷っている。 これが英語ならば、ほとんど迷わない。「and」と「of course」で済んでしまう。

 更に敬語(謙譲語、丁寧語、尊敬語)を使う場合は、日本語はもっと複雑になってくる。 それらを使う場合、余りに多くの使い方があるので、重複したりバカ丁寧になったりすることも多い。「〜させてもらっていいですか」というのも、「〜させてもらって宜しいですか」とか、「〜させてもらって宜しゅうございますか」などと平気で言ってしまうのだ。 その点、英語なら「May I〜」で大体済んでしまう。

 これらのことを見てくると、日本語の感性は、英語など外国語の感性とは余りに大きな隔たりがある。 日本語は難しい。しかし、日本人である私は日本語が大好きである。 外国語の習得が下手な私は、今後も日本語を愛し続けていくしかないのだ。(2002年7月9日)

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