ロマン・ロラン

1) 20世紀で最も偉大な文学者を挙げろと言われれば、私はロマン・ロランを挙げるだろう。「ジャン・クリストフ」などの文学作品のみならず、20世紀前半の世界に及ぼした彼の存在の影響は計り知れない。 その人類愛、ヒューマニズムと共に、彼の人格の高潔さは、正にその当時の世界の“良心”であった。

 しかし、ロマン・ロランの人類愛、ヒューマニズムは余りに理想主義的な要素が強かったために、現実の国家観や政治観で、大きな禍根を残したことも否定できないと思う。 具体的には、当時のソ連邦への対応が間違っていたのだ。理想主義は良いとしても、現実の政治がどういうものか、理解できなかった側面があったと言ってよい。

 私自身の話で恐縮だが、若い頃の私のロマン・ロランへの傾倒、心酔は尋常ではなかったと思う。 高校時代に「ジャン・クリストフ」や「魅せられたる魂」といった大河小説、「ベートーヴェンの生涯」などの伝記等を読んで、私はこの作家を非常に尊崇し敬愛するようになった。

 大学の仏文科に進学したのも、また極左の学生運動に入って行ったのも、この作家の影響が大きかった。 更に、学生として最後の仕事である卒業論文も「ロマン・ロランの“ゲーテ研究”について」であり、私はその中で、汎神論をテーマにして卒論を仕上げた。

 しかし、私がロマン・ロランから決定的な影響を受けたのは、彼が第1次世界大戦中にスイスへ亡命し、絶対平和の精神からこの残酷な世界大戦を否定し、独仏両国の和解のために、全身全霊を打ち込んで行動したことである。

 よく知られていることだが、彼はこの大戦中に「国際赤十字戦時捕虜情報局」で献身的に働き、日夜平和運動に専念した。 ノーベル文学賞授賞で受けた賞金は全部、赤十字社とフランスの社会事業に寄付した。 正にこの当時の世界の“良心”であり、青年達に計り知れない影響を与えたのである。

2) ロシア革命が起きてから、ロマン・ロランは一貫してレーニンを支持した。 後の「革命によって平和を」という著作を読めば、彼がいかにロシア社会主義革命を支持し、それに世界の未来を託していたかが分かる。

 しかし、その一方で彼は理想主義者だから、“暴力”は認めようとしない。社会主義革命には共鳴しながらも、暴力を否定しようとする。 従って、ロマン・ロランは、インドにおけるガンジーの“非暴力”による独立運動に関心を寄せていく。 レーニンとガンジーの間で揺れ動く心境は、「魅せられたる魂」の中でも如実に読み取ることができる。

 理想主義者というのは“厄介”なもので、全てが善いものでなければ納得しない。 例えばスイスに亡命中のレーニンが、ロシアと交戦中の敵国・ドイツと取り引きして、封印列車を用意してもらい、それに乗って中立国を経由し、革命を起こすためにロシアに入るということが許せないのだ。

 目的のためには手段を選ばず、「敵(ロシア帝国)の敵(ドイツ帝国)は味方」という政治力学が理想主義者には分からないのだ。 ロマン・ロランは、封印列車によるレーニンのロシア入りを認めようとせず、同行するよう誘われたが断っている。 それならば、大戦中にスイスからロシアにどうやって入ることができるのか、次善の策を示すべきである。 しかし、“理想主義者”はそんなことには関知しないのである。

 そのくせ、ロシアで社会主義革命が武装蜂起暴力)で成功すると、ロマン・ロランは熱烈にそれを支持する。 世界史における大いなる実験ということで、ロシア革命に熱い期待を寄せることになるのだ。

3) 当時のヨーロッパの知識人が、ロシア革命に多大の夢と希望を抱いたのは分かる。 悲惨な帝国主義戦争(第1次世界大戦)の後に、平和な世界の建設を夢見ることは当然かもしれない。共産主義という新しい理想の下、平和で人道的な世界秩序を構築することは、知識人でなくとも多くの人達が抱いた夢である。

 これ以降、ロマン・ロランは一貫してソ連邦を支持していくと共に、反ファシズム国際委員会の名誉議長に推されるなど、ファシズムとの闘いの象徴的存在となる。 それは彼にとって極めて相応しいことであるが、自由も人権も抑圧されたソ連邦の体制を、黙認するかのような姿勢が表れるのだ。

 ソ連邦を追放された革命家レオン・トロツキーは、ロマン・ロランらの姿勢を厳しく批判するが、ロランはそうした批判をどの程度理解していたのか、非常に疑わしい面がある。 ソ連邦の変質と堕落スターリン独裁による弊害については、トロツキーの方がロランよりはるかに良く熟知していたようだ。

 ロランと同世代のフランスの作家アンドレ・ジッドは、1930年代初頭に共産主義に転向するが、ソ連邦を訪問して、その余りの画一主義閉鎖性を見て驚き、ソ連邦を厳しく批判するようになった。 ロランよりはジッドの方が、はるかに良くソ連邦の実情を把握していたと言えるだろう。(ソ連邦の大規模な「ラーゲリ(強制収容所)」の存在を、ロランは知らなかったのだろうか。)

 やがて1939年8月、共産主義のソ連邦が、こともあろうにファシズムのナチス・ドイツと不可侵条約を結んで第2次世界大戦を誘発させ、自らはポーランドやフィンランドなどを侵略して領土を拡大していった。 およそ“共産主義”国家とは言えない重大な裏切りであり、重大な犯罪行為である。 これによって多くの共産主義者は憤激し、転向していったのである。

 こうした国家と政治の現実を、“理想主義者”であるロマン・ロランは、どのように受けとめたのであろうか。 内心、絶望しただろうか。それとも、仕方がないことだと思っただろうか。 単なる理想主義の限界というものが、ここにはっきりと現われていると思えてならない。

4) しかし、ロマン・ロランの人格の高潔さ、その純粋さには深い敬意を表さざるをえない。 正直言って、私ごときの俗物的人間にとっては、彼は神様のような、イエス・キリストのような存在である。その思いは今でも変わらない。

 学生時代を終わって社会に出てから、一サラリーマンとなった私は若いエネルギーを持て余し、紅灯の巷をさまよい歓楽に溺れるようになった。 ロマン・ロランのような高潔な人は、一度たりともそのような経験はないだろう。彼から見れば、そのようなことは“堕落”以外の何物でもなかろう。 従って、俗物的な私は、ロランから必然的に離れていくしかなかったのだ。

 学生時代には、「みすず書房」の全集を始め何十冊もあったロランの文献も、今や十冊にも満たなくなった。いつの間にか整理、処分してしまったのである。 理想に燃えた青春が遠くへ遠くへ消えていくと共に、ロランの著作も遠くへ消えていったのである。

 しかし、ロマン・ロランの著作の鮮烈さは、今でも幾つか脳裏に残っている。 殊に「伝記」類の素晴らしさ、人物評論、社会評論の慧眼は忘れることが出来ない。ジャン・ジャック・ルソーの人物評論などは、その要点が今でも脳裏にこびりついている。

 また、「ピエールとリュース」「愛と死の戯れ」、「ジャン・クリストフ」の中の“アントワネット”の章などは、比類のない美しさで人々を感動させずにはおかないだろう。

 ロマン・ロラン自身は「私は極めて宗教的である」と言った。 確かにそうであろうが、私から見れば、彼ほど“詩的”な人はいない。 詩は世に出ていないと思うが、その純粋さ、その気高さ、至愛の精神において、彼こそ真の“詩人”であったと思う。

(40年以上も前のロマン・ロランとの出会いを想い出しながら、また、私の青春がはるか彼方に消えてしまったのを感じながら、執筆を終わる。 2002年7月14日・フランスの革命記念日に)

後記・・・私が若い頃(学生時代)、何事にも辛辣な批評を加える友人のアナーキストが、ロマン・ロランのことを「ノーブル(高貴)だ」と言った。私はその言葉を忘れない。 拙文にもあるように、私はロマン・ロランを「神様のように、イエス・キリストのように」今でも思っている。(2004年3月17日)

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