1) マスコミの最近の世論調査によると、憲法改正を支持する国民の声が高まっている。 大体、6割前後が憲法改正に賛成し、反対は2〜3割程度で残りは態度不明である。 しかし、現実には憲法改正をしようという気運は、それほど盛り上がっていないのではないか。
私自身はこのホームページで、何度も憲法改正を訴えてきた。 しかし、最近は訴えれば訴えるほど、正直言って何か空しさを感じることがある。 もとより、憲法改正を含む政治改革というのは、一朝一夕に出来るものではない。改革には勿論、困難や障害が付き物である。
しかし、日本人の習性や我が国の歴史的経緯を考えると、“改革”ほど困難なものはないと痛感してしまうのだ。 日本人は本質的に改革を好まない。もともと土着性の強い農耕民族である。 その習性は極めて保守的であると言ってよい。
世界に日本人ほど、あるいは日本人以上に保守的な民族がどの位いいるのだろうか。 私は日本人ほど保守的な民族は、それ程いないのではないかと思っている。 良く言えば、伝統と文化を重んじる人種であろう。 逆に言えば、改革には最も縁遠い人種である。
よく指摘されることだが、日本人は「外圧」がないと本当に動くことはないと言われる。この見方に私も同感である。 近代日本の2大改革と言われる、明治維新も第2次大戦後の民主化も、アメリカなど外国の圧力がなかったなら起こりえなかったからだ。(仮に自力だけでやっていたとしたら、大幅に遅れただろう。)
日本人は、ある「枠組み」の中での手直しや創意工夫は得意だが、枠組み自体を壊したり変革することは、最も不得手なのである。 日本史上、本気で枠組みを破壊しようとしたのは、為政者(権力者)では織田信長ぐらいしかいない。しかし、その彼も、“旧勢力”の一員である部下の明智光秀によって滅ぼされたのだ。
2) 日本人の習性を考えていると、改革というものに悲観的にならざるをえない。 農耕民族である日本人は、いわゆる“村社会”で2000年も生活してきた。 協調的なのは良いが、「まあ、いいじゃないか」とか、「ほどほどにやろうよ」といった精神風土の中で育ってきた。 だから、村社会を根底から変えるようなことは、ほとんど出来ないのである。
そう考えてくると、国の根本的な改革も、外圧でもない限り不可能ではないかと思ってしまう。 しかし、それでは余りに惨めである。それ程自主性がないのかと、日本人であることを自嘲したくない。 しかし、そうは言っても悲観的にならざるをえない。
現行の憲法についても、あらゆる問題が指摘されているにも拘わらず、現実は改善しようという気運にはほとんどなっていない。 たしかに国会には、憲法調査会が設置されて審議が行なわれているが、国民の中には改正への強い指向が表れていないのだ。
世論調査の数字と国民の本気との間には、大きな隔たりがある。 いくら憲法改正を支持する者が6割いようとも、国民は本気になっていない。 我々国民が最も関心を抱いているのは、失業者の増大などによる経済不況であり、日々の生活のことである。 国民生活に直結する景気回復が、最大の課題になっているのは当然かもしれない。
しかし、それとは別に、国の根幹の問題である憲法改正も重大な課題である。 多くの人が憲法9条の問題を始めいろいろの点を指摘しているが、改正への突破口が見えてこないのである。 このままでは「北方領土」の返還ではないが、憲法改正も何十年も叫んでいる内に、時間だけがどんどん過ぎ去っていくのではなかろうか。
3) 日本人が余りにも変革(改革)に無関心なので、安全保障問題に関してある有名な政治家が、「北朝鮮にテポドンでも撃ち込まれたら良いのだ」と言ったことがある。 勿論、これは乱暴な発言だが、本当にその位いのことがないと、今の日本人は真剣に憲法9条の問題を考えることはないだろう。 先程も述べたように、外圧や外国からの衝撃がない限り、この国の人々は本気で動こうとはしないのだ。
こう考えると、憲法改正などというのは、ほとんど絶望的なものに思われてくる。 保守的で伝統と文化を重んじる日本人には、憲法は不磨の大典であり、万世不易のものと考える人が多い。 何事も現実にあるものを神聖化し、それをタブーにしてしまう傾向がある。この精神風土は、「八百万(やおよろず)の神々」を信仰する 日本人に伝統的なものである。
また、日本人は権威に弱い。 最近は少し弱まってきたと思うが、「お上」という想念は脈々として根強いものがある。権威に弱いから“ブランド品”を拝む習性がある。 これも伝統と文化を重んじる姿勢なのだろうが、それが余りに強いと変革(改革)の精神は失われていくだろう。
今の日本国憲法も、言うなればアメリカ製の“ブランド品”である。それを拝むのは良いだろう。 現行憲法は実に素晴らしい精神を有している。 民主主義の鏡である。大多数の人がそう思っているだろう。 しかし、その精神は良いとしても、その条文が日本の現実と乖離、矛盾する点が数多く出てきたことも事実である。
憲法の問題点については、これまでにしつこく何度も言ってきたので、ここで改めて指摘するつもりはない。 しかし、どのような素晴らしい“ブランド品”でも、時代に即して改善していかないと、やがては陳腐な過去の遺物に成り果ててしまうだろう。 “ブランド品”にも新しい生命の息吹が必要なのである。その息吹を吹き込まなければならない。
憲法改正は現状では“絶望的”にさえ見える。 しかし、どれほど絶望的に見えようとも、誠実に粘り強く改正に取り組んでいくことが、21世紀初頭の心ある日本人の務めではなかろうか。 何事も変革(改革)に冷淡な日本人ではあるが、黙々と努力していく内に、憲法改正への糸口が見えてくるかもしれない。 (2002年8月8日)