裁判官の給与引き下げは、憲法違反である

1) 先日、読売新聞のコラム「編集手帳」(9月4日)を読んでいたら、面白い記事が載っていた。 「今年は裁判官の給与も、新たな憲法問題になりそうである」というのである。 それによると、裁判官の給与は毎年、人事院勧告に連動して改定されるが、人事院は今年初めて、国家公務員給与の引き下げを勧告したのである。

 これは不況に苦しむ民間賃金の動向を反映させて、初めて引き下げの勧告をしたわけで、実に納得のいくことだと思う。 ところが、ここで大きな問題になってきたのが、裁判官の給与である。

「編集手帳」が指摘していたので憲法を調べてみたら、第79条と80条で「最高裁判所の裁判官と、下級裁判所の裁判官の報酬は、在任中、これを減額することができない」旨、はっきりと条文化されている。 従って、もし裁判官の給与を引き下げたりしたら、これは明らかに憲法違反ということになる。

 憲法違反は、もとよりすべきではない。しかし、人事院勧告も勿論尊重すべきである。 困ってしまった森山法務大臣は「最高裁の検討を待つ」として、最高裁にゲタを預けてしまったそうである。 要するに、難しい判断から逃げてしまったのである。 あとは最高裁がどう判断するかが、焦点となってきた。

2) 最高裁には良い知恵を出して欲しいものだが、ここで私が述べたいのは、憲法の条文と社会の現実が、大きく矛盾することが余りに多いということである。 先の「編集手帳」では、「ローマ人にとって法の精神とは『必要に応じて変える』ということだ」という、イタリア史研究家の塩野七生さんの言葉を引用している。

 基本的には、政治も法律も社会的ルールも、必要に応じて変わってきたし、これからもそうなるだろう。 いつの時代でも、政治形態や法制度は次第に古臭くなっていくものだ。 これは仕方がないことで、このため時期を見ては改革、改正が行なわれていく。現実との間の矛盾が大き過ぎると、時には革命が起きることもある。

 それならば、裁判官の給与も引き下げることが出来るように、憲法改正をすればいいではないか、という意見が当然起きてきてもよい。 ところが、読者もご承知のように、日本では現行憲法を一度も改正したことがないし、もし改正しようとしたら、国民投票などの大変な手続きが必要となってくる。

 こういう言い方をすると失礼だが、裁判官の給与のことなどで、一体誰が憲法改正をしようなどと言い出すだろうか。そんなことはあり得ないだろう。 そんなことより、憲法9条を始め重要な改正問題が他にいくらでもあるからだ。

 そこで、私が次に言いたいことは2つある。 1つは、憲法改正の手続きをもっと簡略にすべきである。 2つめは裁判官の給与のことぐらいは、例えば法務省で決められるようにするなど、憲法の条文から削除すべきである。

 これはごく簡単な例として述べたが、ところがそうしようとしても、いずれも憲法改正が必要となってきて、とても簡単にはいかないのである。 今あげた例を実行しようとすれば、当然「司法権の独立を軽視しようとするのか」といった議論も出てくるだろう。

 事ほど左様に、現状では憲法改正につながるものは、全て実現不可能と言ってよい。 しかし、こういう状況が憲法施行後50年以上も続くと、一体どうすればいいのかと、フラストレーションばかりが溜まってしまうのだ。

3) しかし、どうにでもなれ、と思ってばかりでもいられない。 もし近い将来、憲法改正が行なわれるとしたら、憲法は国の最高法規だから、条文は出来るだけ“根幹”の部分に制限すべきである。 例えば裁判官の給与のことなどは、別の法令で定めるようにすべきである。

 ということは、細かいことまで憲法で条文化すると、しょっちゅう憲法改正が必要となってくるからである。 日本人は「変える」ことを好まないから、憲法の条文は出来るだけ簡略に、根幹部分だけに限定すべきである。

 裁判官の給与(報酬)のことまで憲法に条文化されたのは、もとより「司法権の独立」という重要な原理から為されたものだろうが、今回の人事院勧告のようなものがあると、これからも絶えず紛糾のタネになってしまうだろう。

 細かいことまで憲法に条文化すると、直ぐに憲法違反の事態が起きてくる例として、最もポピュラーなものが憲法89条だ。 ここでは、国による私学助成が禁止されているのに、現実は私学助成がおおっぴらに行なわれているのだ。

 初めて知る読者もいると思うので、その条文の骨子をご紹介しよう。 89条では「公金その他の公の財産は・・・(中略)公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」とある。

 この条文が出来た時には、国家権力からの干渉を阻止するために、民間の教育事業などの自主性を保障しようという目的があったようだ。 ところが現実は、日本の私学はほとんどが国から助成金を受けているのだ。 また、助成を受けなければ、学校経営はとても無理な状態なのである。 このため、憲法違反と言われないように、私学振興財団を経由して補助金を受けているのが現実である。(間接助成の形を取っている。)

 こういうことは、来るべき憲法改正の時には、89条から「教育などの事業のくだり」を削除してしまえば済むことだが、改正自体が一向に行なわれないので、放ったらかしになっているのである。

4) 私学助成の矛盾点を指摘したが、裁判官の給与引き下げについては、事が司法の当事者に係わるものなので、安易な屁理屈や詭弁などでは済むはずがない。 基本的には、憲法79条と80条を改正しないかぎり、とても引き下げなどは出来ないように思われる。

 このため、最高裁がいろいろ知恵を絞って打開策を考えるだろうが、79条と80条があるかぎり、論理的には引き下げは無理である。 最高裁自体が、憲法違反の恐れのある措置を講じるわけにはいかないだろう。

 憲法は国の最高法規だから、誰もが順守すべきである。 ましてや、法の番人である最高裁なら尚更である。 最高裁が憲法違反をすれば、重大な問題である。 もし仮に、裁判官の給与が引き下げられたりしたら、全ての裁判官は憲法違反の疑いで、訴えを起こすべきである。それが法の番人の義務ではないのか。

 憲法と現実との間には、様々な矛盾が起きている。 しかも、その矛盾・乖離は益々拡大しているのだ。 あらゆる矛盾・乖離を放ったらかしにしてきたツケが、いま日本国民や政府に回ってきたのだ。

 但し、こういう事態になってきて、少しは真面目に憲法改正のことを考えようという気運が出てくるならば、裁判官の給与引き下げ問題も、21世紀の日本の改革にとって、悪いことではないように思われるのである。 (2002年9月10日)

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