1) 深刻な経済不況、少年の凶悪犯罪、倒産、リストラ、自殺等々・・・暗いニュースが続く中で、10月に入ってなんと言っても明るいニュースは、小柴昌俊さん、田中耕一さんの2日連続ノーベル賞受賞だった。
特に、一介のサラリーマンで弱冠43歳の田中さんが、ノーベル化学賞を受賞したことは、御本人ばかりか日本中の人達が驚いた。「シンデレラ・ボーイ」という言葉はよく使われたが、「シンデレラ・サラリーマン」の誕生である。
テレビ・新聞が連日、田中さんの話題を取り上げていたが、御本人は至って朴訥で飾り気がなく、その辺にいる平凡なサラリーマンと外見はまったく変わりがなかった。 日頃着ている作業服を脱ぎ、慌ててスーツとネクタイ姿に着替えてテレビの前に登場するなど、見ていて誰もが微笑ましく思っただろう。
田中さん本人は、役職が島津製作所の「主任」だという。 企業によって役職名はいろいろ違うものだが、「主任」というのは、どこの企業でも大方、平社員のちょっと上程度のものである。 そういう人がある日突然、ノーベル賞受賞というのは、愉快この上もないニュースだった。
失礼な言い方に聞こえたら申し訳ないが、43歳で「主任」というのは、サラリーマン世界では、相当出世が遅れているということだ。 田中さんの話題をいろいろ聞いていると、明らかに研究一筋で、出世にはどうも無頓着らしい。 御本人は自分のことを“変人”と言っているのだから、出世には縁のない人なのだろう。 そこが又、今回のノーベル賞受賞を際立たせている。
2) 戦後間もなく、日本人を勇気づけた出来事が2度あったと思う。 いずれも昭和24年のことで、一つがその年の夏、全米水上選手権大会に出場した“フジヤマのトビウオ”古橋広之進選手が、長距離レースで驚異的な世界新記録を打ち立てて優勝したことだ。 日本人もアメリカ人もびっくり仰天したものだ。 もう一つがその年の秋、湯川秀樹博士が日本人として初めて、ノーベル賞(物理学賞)を受賞したことだ。
当時の日本は敗戦後のどん底にあり、食うものも食えず、凄まじいインフレが吹き荒れ、倒産や合理化(リストラ)で失業者が街にあふれていた。 そればかりでなく、下山事件、三鷹事件、松川事件など奇々怪々な事件が多発し、世の中は真っ暗であった。 日本は世界的に見ても“4等国”に転落し、その悲惨さは、今の若い人達にはとても想像できないだろう。(当時のエンゲル係数は、明治時代末期の水準にまで転落していた。)
こうした真っ暗闇の中で、古橋選手と湯川博士の快挙は、どれほど日本人を勇気づけたか、完全に自信を喪失していた日本人に、どれほど明るいニュースとして受けとめられたか、私がここで的確に述べるのは、ほとんど困難なことである。
勿論、それ程までではないが、今回の田中さんのノーベル賞受賞は明るいニュースだった。 下積みのサラリーマンは沢山いる。能力があるのに、なかなか認められない人も大勢いる。 私自身は“落ちこぼれ”のサラリーマンだったが、その辺の事情は良く分かっているつもりだ。
3) 本当に従業員を大切にする企業は伸びるだろう。 現代の日本では、どうしてもリストラ第一になってしまう。 これほど経済環境が悪化してくると、リストラもやむを得ない面があるだろうが、「企業は人なり」というのは真実だ。
田中さんのノーベル賞受賞で、島津製作所は一躍有名になって株も上がり、御本人も「役員待遇」に昇進するという。大変結構なことだが、こういう素晴らしい快挙がないと、企業もなかなか思い切った人事はできないだろう。
信賞必罰は重要なことだが、その前に「従業員を大切にする」という精神が、最も重要ではなかろうか。 そんなことは言われなくても分かっていると、経営者から叱られそうだが、利益第一の企業では、なかなかそうなっていないのが現実ではないのか。
優秀な人材がアメリカなど海外に出てしまうと、「頭脳流出だ」と騒ぎ立ててから久しい。 何もかも、日本が一番優れた研究施設を持つのは難しいだろうが、「企業は人なり」の精神からいけば、その点で最大限の努力が必要となる。
田中さんの場合は極めて異例のケースだが、今回の件で、島津製作所が予想もつかない得をしたことは間違いない。 もっとも、企業は雇用の問題から、最近「ワークシェアリング」に真剣に対応しなければならなくなった。
「ワークシェアリング」などというのは、本来、企業の論理から言えば、これまでの方針にまったく逆行するものである。 生産性の向上と、合理化を追及し続けてきた企業にとっては、たとえ社会の趨勢とはいえ、もともと考えられないことであった。 これも従業員を大切にする一つなのだろうが、高度経済成長時代にはあり得なかったことだ。 そういう意味では、現代の企業経営者は大変なんだと思わざるをえない。
話しが企業のことにまで及んでしまったが、「主任」田中耕一さんのノーベル賞受賞は、近来にない愉快な、清々しい話題であった。 日本の若い働き手の人達が、今後の躍進と成果をものにすることを願わずにはいられない。 (2002年10月15日)