参議院補欠選挙を“嘲笑”する

1) 衆議院と参議院の統一補欠選挙(以下、衆参統一補選と呼ぶ)の投開票が、来る10月27日に行なわれる。衆議院が5選挙区、参議院が2選挙区である。 参議院の場合は千葉と鳥取の選挙区だが、私はなんと言われようとも、両選挙区での投票ボイコットを訴える。

 既に私は、このホームページで2度にわたって、参議院の廃止と投票ボイコットなどを訴えてきた。(「参議院は必要か? その廃止を考えよう」「参議院選挙をボイコットせよ!!」を参照) そして、世界の大勢が「一院制」になっていることも明らかにしてきた。

 参議院自体が、戦後の発足時に比べて、まったく存在意義を失ってしまったことは明白である。“良識の府”としてスタートした参議院が、いかに有名無実なものに転落していったか、既に詳しく指摘しているので、重複となる説明はできるだけ避けたいが、もし重複するようであればお許し願いたい。

 参議院が衆議院のカーボンコピーとなり、存在意義も独自性もほとんど失ったことは、大方の日本国民が認識していることである。 参議院の存在が、かえって政治の混乱や不透明さを増幅させてきたことは明らかで、無用の長物から更に有害な障害物になった、と指摘する識者もいる。

 さすがに国民も分かってきたようで、読売新聞が昨年春に実施した全国世論調査によれば、24%もの人が参議院の廃止にはっきりと賛成し、衆参二院制について「今のままでよい」とする意見は、過去最低のたった37%しかなかったのだ。 これは昨年の調査だから、今年になって、参議院の無用性を認識する見方は更に強まっているだろう。

2) 参議院がいかに無駄なものかということは、テレビ局で十数年間も政治部記者をしてきた私には、痛いほど良く分かる。 政治部記者というのは、仕事がら多くの参議院議員とも接触するから、知らず知らず彼等に同情し、身内のようになってしまうことがある。 これを“癒着”と言う。

 私も他人に同情しやすいタイプだ。 取材上やむを得ないが、参議院議員を含む政治家に癒着したことがある。 しかし、どんなに癒着しようとも、参議院はまったく無駄であり廃止した方が良いという考えには変わりがなかった。 いや、それよりも取材すればするほど、その考えが強固なものになっていったのである。

 個々の参議院議員への同情は別として、国政については客観的に公正に、また冷厳に見ていかなければならない。 毎年、参議院のために、莫大な国費が浪費されている(約410億円)ことを見過ごすことはできない。 全て、国民の血税によって賄われているのだ。

 参議院がこのようになってしまったのは悲劇である。 戦後まもなく誕生した時は、その存在に多大の期待が寄せられていただろう。 一院制が良いという意見を封じてまで作ったのだから、国民が期待するのは当然である。 しかし、今日の体たらくを目にすれば、参議院は一日も早く消滅した方が良いのだ。

3) そもそも、参議院の前身は「貴族院」である。 こんなものは、旧華族ら特権階級のためにあったもので、戦後の民主化で華族制度が廃止になったのに伴い、貴族院は当然消滅していったのである。(また戦前、天皇の最高諮問機関としてあった枢密院も、戦後すぐに廃止された。)

 従って本来は、貴族院の消滅と同時に、日本は一院制の政治体制を取るべきであった。 それをしなかったのは、痛恨の極みである。 旧支配層や保守陣営がGHQに対して、戦前の「貴族院」の残骸を死守しようとしたからである。

 これまでに何度も述べてきたが、参議院という「第二院」が必要となるのは、道州制の導入といった連邦制の国家になった場合、初めて認められるものである。 道州制についてはいろいろ論じられているが、まだ国民的コンセンサスにはほど遠い。(道州制については、別稿を参照)

 参議院を廃止するか、それともその権能を縮小するかは別として、その場合は憲法改正が必要となってくる。 近い将来、憲法改正が行なわれるとしたら、参議院の問題は重要なテーマになってくるだろう。

 国民の多くが、その存在に疑問を抱いている参議院の補選に、どうして投票しなければいけないのか。 そんな必要はまったくない。否、むしろ積極的に投票をボイコットすべきである。 政治部記者時代の痛切な体験から、私はそういう信念に達した。

 憲法改正へのインパクトとしても、参議院選挙の投票ボイコットは重要である。 投票率が激減すれば、為政者だけでなく国民も真剣に考えるようになるだろう。 総務省(旧自治省)がなんと言おうとも、千葉県民や鳥取県民がどう思われようとも、私は参議院補欠選挙を“嘲笑”する。 (2002年10月25日)

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