“亡国”的な政党は解散し、“売国”的な国会議員は辞職せよ。
1) 少し前のことだが、衆参統一補欠選挙の最中に、内閣官房副長官の安部晋三氏(自民党)が、社民党の土井たか子党首、民主党の菅直人氏らのことを「間抜け」と名指しで批判して問題になった。
どうして「間抜け」かというと、北朝鮮の“拉致事件”の犯罪者・辛光洙(シングァンス)が韓国で逮捕された時に、土井氏や菅氏らが無罪釈放を求める嘆願書に署名していたというのだ。 安部氏はそれを「今から考えれば、極めて間抜けな議員だった」と批判したのである。
選挙戦の真っ最中だから、社民党や民主党は「選挙の争点をすり替えるものだ」と反発し、衆議院議院運営委員会で抗議したり、“安部発言”を徹底的に追及する構えを見せているという。
これに対し安部氏は、「間抜け」とは「抜かりがあった」という意味だと反論していたが、言葉のやり取りをここで論じるつもりはない。 双方とも、それぞれ言い分はあるだろう。 ただ私が驚いたのは、どんな事情があったか知らないが、よくもそんな嘆願書に署名していたものだということだ。
嘆願書への署名は12年前だそうだが、辛光洙が韓国でスパイ容疑で逮捕されたのは17年前である。その直後、彼が原敕晁(ただあき)さんを拉致したことは、半ば公然とした話しとして伝わっていたはずである。 まして、北朝鮮問題に詳しいという旧社会党系などの議員達が知らないわけがない。 他の拉致被害者の家族の人達も、24年前から真相究明に乗り出していたのだ。
こういう馬鹿げた嘆願書に署名したというのは、どういう事情があったのだろうか。 それをここで詮索するつもりはないが、もはや「間抜け」どころの問題ではない。安部氏は優し過ぎるくらいだ。 私だったら「馬鹿! 阿呆! 売国奴! 国賊!」と叫んだだろう。(少し乱暴な言い方だが)
2) 北朝鮮問題についての社民党は、目を覆いたくなるような惨状だ。 一体、この政党は日本の国の政党なのか。まさか北朝鮮の政党ではなかろう。 あまりに酷いので、この問題ばかりではなかろうが、最近次々と、女性の国会議員が離党してしまった。
これは当然のことだ!! この政党は一体、「国益」のことをどう考えているのだろうか。「国益」というのは、最も単純で分かりやすいものだ。「国益」とは何かぐらいは、中学生でも分かっている。
大体、社民党というのは、旧社会党の流れを汲んでいるのだから、本来は「弱者」や「被害者」の味方であるはずだ。そういった点に支持者が集まる党なのだ。 ところが、拉致被害者の家族が土井氏らに相談しても、“けんもほろろ”という感じだったという。一体これが、民衆のための政党だと言えるのだろうか。 社民党も落ちたものである。
かつての旧社会党は、いろいろな批判はあるだろうが、鈴木茂三郎氏、淺沼稲次郎氏、河上丈太郎氏らを先頭にして、民衆の立場に立って政府・自民党と闘っていた。 やや現実離れした所もあったが、こうした姿勢が民衆の支持を受けていたのである。
ところが、今の社民党はどうか。 民衆の立場に立っているつもりだろうが、そうした姿勢がほとんど見えてこない。 今回の拉致事件など北朝鮮問題への対応は、致命的である。もともと朝鮮労働党とは最も太いパイプがあるはずなのに、それがまったく生かされていないではないか。
最早、こんな政党は潰れていくだけだ。 国民の信頼を裏切り、北朝鮮の言いなりになってきたことは“亡国”的である。亡国の党は、一日も早く解散した方が良い。
3) 話しが社民党のことになってしまったが、自民党にもその他の政党にも、北朝鮮問題についてはこれまで、“売国”的な言動を行なってきた国会議員が数多くいる。 名前はいちいち挙げないが、大方の人達はすでに分かっているだろう。
少なくとも今後は、売国的な言動は慎んでもらいたい。もし、それが出来なければ議員を辞職してもらうか、有権者の手で落選させるかのどちらかである。
拉致事件で最も重要な課題は、北朝鮮にいる実行犯・辛光洙を直ちに日本へ取り戻すことである。 拉致事件を犯して原さんの人生を滅茶滅茶にし、パスポートを偽造して工作活動を繰り広げていたこの男を、日本で取り調べて裁判にかけることである。 そうすれば、他の拉致事件についても、いろいろ分かってくるはずだ。
これは政府だけでなく、国会議員全てがやるべきことだ。何故なら、辛光洙は日本の「国家主権」を明らかに侵害したからだ。 社民党も名誉を挽回したいなら、そのくらいのことはやって、国民の信頼を回復すべきである。 それも出来ないようであれば、“亡国”の党という烙印を押されたままで終わるだろう。
我が国で国家的な犯罪を犯した男が、北朝鮮では今や“英雄”扱いされているという。 この不条理を、日本国民はどのように受け止めるのか。 私はやや激しい言葉を使ってしまったが、国民各位のご賢察をお願いするのみである。 (2002年11月6日)