アメリカは、なぜ嫌われるのか

1) アメリカが好きだという日本人は多い。しかし、アメリカが嫌いだという人も多い。 日本人の好き嫌いは別として、どうも最近感じることは、中東やアジアでアメリカは嫌われているようだ。 好かれているという感じがしない。それは、どうしてなのだろうか。

 昨年の9・11同時多発テロ事件の時、ニューヨークの一市民が、テレビ局のインタビューに対して「どうして、アメリカはこんなに嫌われるのか」と語っていた。 あれほどの悲惨なテロ事件の後だっただけに、実感がこもっていた。

 たしかにアメリカは、今やイスラム圏やアジアを中心にして、ひどく嫌われたり憎まれたりしている面がある。 世界で唯一の超大国になったこの国に対して、反発や敵意、ジェラシーなどがあるのは事実だ。

 しかし、それだけではなさそうだ。 超大国への反発やジェラシーといったものは、古代ローマ帝国にも、中国の秦帝国やイスパニア王国、大英帝国などにもあった。「出る杭は打たれる」で、強盛国に対する敵意というのは昔からあるものだ。 日本もかつては「大日本帝国」として、周辺の国や地域から憎まれたことがある。

 アメリカは今や、世界を取り締まる警察官、保安官の立場だから、「不届き者」や「犯罪人」から憎まれたり、嫌われたりしやすいだろう。 しかし、取り締まる側の方にも、配慮や気配りといったものがないと、必要以上に憎まれたり嫌われたりするのではなかろうか。

2) 最近の事例でいくと、オサマ・ビンラディンの話しが有名だ。 旧ソ連軍がアフガニスタンを制圧していた時、彼はアメリカ軍兵士の援助を受けて旧ソ連軍と戦った。 ところが、祖国サウジアラビアに戻ると、そこにはアメリカ軍が常時駐留していてショックを受ける。

 一部の報道によれば、素肌を露出したショートパンツ姿のアメリカ軍女性兵士が、我が物顔で偉そうに、サウジアラビア兵士を殴りつけているのを目撃したという。 これでは、ビンラディンでなくとも「こん畜生!」と思うだろう。

 女性がチャドル(ベールを兼ねたマント)を巻いて外出するのは、イスラム文化圏の習わしであり、そんなことは分かっているはずだ。 ニューヨークでもあるまいし、“キンキラキン”の素肌を丸出しにした女性兵士が、自国の兵士を馬鹿にするのを見れば誰だって頭にくるだろう。

 そういう点を見ると、アメリカ人というのはまったく「デリカシー繊細な心)」がないように思う。 自分が全て正しいと思っているのだろう。それは「傲岸不遜」ということだ。 日本人だったら、もっと気を付ける。「郷に入っては、郷に従え」という精神があるからだ。

 それに関連して言うと、この前テレビを見ていたら、日本の女性記者はイスラム諸国を取材する時、きちんとチャドルを着けていた(やや滑稽だったが)。 取材上の都合や、あるいは当局に言われたのかもしれないが、現地の風習を尊重する姿勢が現われている。 アメリカ人も、少しはこういう姿勢を見習えと言いたい。

 ビンラディンは勿論、アメリカ軍女性兵士の暴力沙汰だけで反米になったのではなく、アメリカの中東政策、イラク人の圧殺、パレスチナ人への弾圧などに憤激して「アメリカ憎し」の急先鋒になったと言われる。

 私はもとよりビンラディンを支持するわけではないが、アメリカの傲岸不遜な態度、その無神経さ、独善などに彼が一層の憎しみを募らせたことは間違いないと思う。 また、心理的に見れば、その気持はよく分かるような気がする。

3) イラクの場合も、アメリカの「御都合主義」、無神経さが顕著である。 隣国のイランがホメイニ革命で反米になったのを怒ったアメリカは、その後、イラクのフセイン大統領を焚き付けて、イランとの戦争を積極的に支援したという。 そのアメリカが、今度はイラクを討伐しようというのだ。イラクと戦争したくて仕方がないという感じだ。

 フセイン大統領が起こしたイラクのクウェート侵攻は、湾岸戦争をひき起こした。 イラクの侵略は勿論悪い。 当然、西側諸国はアメリカを支援して、イラクに大打撃を与えた。それは良いのだが、もともとフセインを甘やかした張本人はアメリカだ。 かつて、ビンラディンらを甘やかしたのと同じパターンだ。 

 アメリカには、一貫した世界戦略というものがあるのだろうか。 全て「御都合主義」で迷走している感じだ。 もし、一貫したものがあるとすれば、中東地域ではイスラエルだけを擁護、支持してきたことぐらいだろう。

 従って、日本はアメリカの対イラク戦争に積極的に協力するのは止めよう。 日本は「集団的自衛権」の行使を禁じているから、もとより深入りすることは出来ない。(仮に集団的自衛権の行使が認められたとしても、対イラク戦争に加担することは得策とは思えない)

 それよりも何よりも、アメリカの対中東政策は、どう見ても「御都合主義」に終始しているから、危なくて見ていられない。 しかも、対イラク戦争は根本的に『アメリカの戦争』なのである。

 更に言えば、日本はイラク、イラン等と正常な外交関係を結んでおり、対イラク戦争で深入りすれば、せっかく築いてきた良好な関係を台無しにしてしまう危険がある。 対イラク戦争が起きようが起きまいが、日本はアメリカと違った立場で、中東での平和外交を推進する資格があるし、又そうすべきだと思う。

「アメリカの戦争」に積極的に加担しようと考えている日本人は、ほとんどいないだろう。イージス艦をインド洋に派遣するだけでも、賛否両論が沸騰している現状である。 アメリカの対イラク戦争に協力的なのは、先進諸国の中で、同じアングロ・サクソンのイギリスだけではないか。

4) 話しが対イラク戦争のことに逸れてしまったが、かつてのベトナム戦争などを振り返っても、アメリカは“唯我独尊的”に行動を起こしてしまう所がある。 アメリカは非常に正義感が強く頼もしい面があるが、どこか独善的な感じがしてならない。 自分の“正義”を絶対と思っているから、どうしても「押し付けがましい」態度が出てくるのだ。

 何事も同盟国と相談する姿勢はあるが、基本的には「敵か味方か」「イエスかノーか」「白か黒か」といった発想である。分かりやすいのは良いのだが、「灰色」の部分が欠落しているし、また「灰色」を認めようとしない。 つまり、ものの考え方が極めてデジタル的で、アナログ的な要素がないのだ。

 しかし、現実には、白と黒の間には途方もない灰色の領域があるのだ。 灰色の世界に入ると、アメリカ人はどうやら苛立つ習性があるようだ。ところが、現実の世界は「グレー」に染まっていることが多い。 何事も「ゼロか1か」で決められるものではない。

 先程、アメリカ人には「デリカシー(繊細な心)」がないようだと言ったが、デリカシーなどというものは、正にアナログ的な心情である。 いや、心情そのものがアナログ的と言ってよい。だから、我々日本人の「惻隠の情」「物の哀れ」「わび」「さび」といった感覚は、アメリカ人には分からないだろう。(文化の違いだから、仕方がないだろうが)

 もっとも、アメリカ人の「押し付けがましい」ところが、戦後の日本に民主主義、平和憲法、男女同権などを植え付けたのだから、歴史的には評価できる面もある。 日本人だけでは、悪しき「惻隠の情」によって戦後の大改革は出来なかっただろう。

5) 自分が持っているものを、他国は持つなという理屈は絶対に通らない。 アメリカは核などの大量破壊兵器を最も多く保有しているが、そういう国がイラクなどに対して、大量破壊兵器を持つなと言っても、まったく説得力がない。 これは道徳の“イロハ”だ。単なる大国のエゴということになってしまう。

 日本のような核を持たない国がそう言えば、相手も「なるほど」と思うかもしれないが、自分が一番多く持っているくせに、相手に「絶対に持つな」と言ったって、なんの説得力もない。 相手は内心「何を言ってやがるんだ」と思うだけである。こんなことは、小学生にも分かる理屈だ。

 そういう当たり前の道理を、アメリカ人は分かっているのだろうか。多分、分かっていないと思う。 そこに、アメリカが嫌われる由縁があるのだ。自分だけは特別だという思いは、単なる“傲慢”である。

 アメリカ人には素晴らしい科学的な能力があるのに、どうして相手の心情を思いやるという能力に欠けているのだろうか。 こういった指摘は随分されていると思うが、アメリカという国はそれが理解出来ないようである。 どうも、アナログ的なセンスに欠けているようだ。

 しかし、アメリカは自由と民主主義を尊重する国である。そういう面で、日本とは価値観を共有する“盟友”である。力強く頼もしい同盟国だ。 特に今後の「北朝鮮問題」では、大いに協力し合える仲である。

 日米関係は、間違いなく大切にしていかなければならないが、同盟国である日本は、時にはアメリカの“独善的”な姿勢をチェックする必要があるだろう。 アメリカに追随したい日本人は多いだろうが(アメリカは世界一の大国だから)、日本としても言うべきことは言わなければならない。 時には「ノー」と言う必要もある。

 思い込んだら突っ走る“長男坊”を、なにかと客観的にチェックするのは“次男坊”の役目だ。 同盟関係も時には「ノー」と言い、本音をぶつけ合う所から真の関係が成熟するはずだ。

 共通の価値観を持つのだから、あるいはアメリカが嫌われる点を補完するのも、日本の役割なのかもしれない。 私なりに、アメリカの欠点を指摘したつもりだが、最後に“洒落”にもならないが、北朝鮮よりはアメリカの方がはるかに良い国であり、好ましい国であることは間違いない。 (2002年12月9日)

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