読売新聞は1994年と2000年に、過去2度にわたって憲法改正試案を発表してきた。その識見と努力に対して心から敬意を表したい。これ程まとまった憲法改正試案は他にほとんど例を見ない。私も読売新聞の試案から大いに学ぶことができた。この場を借りて感謝を申し上げたい。
すでにいくつかの点で、読売の改正試案を引用させてもらったが、一つどうしても不満な点が残っている。 それは最も重要な「安全保障」の条文である。その改正試案では、第3章「安全保障」の第11条第1項で、「日本国民は・・・国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを認めない」となっている。 私はすでに他の所で述べているように、「国家主権」をないがしろにしている現行憲法の非を明らかにしてきた。侵略戦争は絶対に認めてはならないが、自衛権の発動による他国との戦争は、やむを得ないものが当然ありえる事態が、いくつも予測されるのだ。 憲法というのは、とりわけ「安全保障」の面では、あらゆる事態を想定して国民の生命と財産、安全を保障するものでなければならない。 この点、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使を、『永久に認めない』というのはいかがなものであろうか。これは自らの手足をがんじがらめに縛って、「国家主権」をないがしろにしていると言わざるをえない。
すでに述べているように、きたるべき憲法改正では、「基本的人権」も「国民主権」も最大限に拡充して尊重されるべきである。そして、現行憲法で軽視されている「国家主権」も、当然最大限に尊重されてしかるべきである。 勿論、「国家主権」は他国との関係で慎重に行使されなければならない。しかし、あらゆる事態を想定して、国家の最高法規である憲法は、国民の信託に応えなければならない。「国家主権」はいささかなリとも軽視されたり、ないがしろにされてはならない。「国家主権」の保持と行使は完全でなければならない。
そうした点から見ると、読売新聞の憲法改正試案は、「安全保障」の面では不十分と言わざるをえない。 我々日本国民は、戦後一貫して平和主義の路線を歩んできた。侵略戦争は二度と行うまいと誓って歩んできた。その点は、世界各国から高く評価されて現在に至っている。 どのような憲法改正が行われようとも、日本が侵略戦争を起こすことは絶対にあってはならない。従って、「侵略戦争は、永久にこれを放棄する」と明文化すれば良いことだ。それと、民主主義国家として「国家主権」を確立することとは、まったく別の問題である。 読売新聞の憲法改正試案に深い敬意を表すとともに、もうひと努力して、素晴らしい「安全保障」の試案を作っていただきたい。 (2002年1月16日)