〈前書き〉・・・この小説の時代背景は、1959年(昭和34年)から1964年(昭和39年)となっている。 当時、高校から大学にかけての私自身をモデルにした、自伝的小説である。小説である限り、勿論これはフィクションである。 第一部では恋と革命、第二部では欲情(リビドー)と煩悩がモチーフとなる。
第一部
1)恋の芽生え
敦子の白い二の腕が、月の光でおぼろに浮かび上がってくるように見えた。 二階の彼女の薄暗い部屋は、七月の気だるい暑さで眠っているようである。 窓を開けているのに、外の雑音もほとんど聞こえてこない静けさが、あたりを支配している。
古びた椅子に身体をもたせかけている敦子を眺めていると、行雄の心は次第に熱い重みに圧迫されてくるようであった。 先程から二人は言葉を交わしていなかった。 敦子が来月留学することになっているアメリカのシカゴのことや、彼女が受験してパスしたAFS、アメリカン・フィールド・サービスの奨学金制度などの話しをしているうちに、二人の会話は途切れてしまった。
敦子は、あまり多くを語りたがらない様子だった。 行雄がいろいろ質問するのに対して、彼女はうつむき加減で、時々行雄の方を上目づかいにチラリと見ては、細い声で短く答えるだけであった。
そうはいっても、彼女は退屈しているのではなく、行雄の質問をもてあそぶように軽く受け流している感じで、その瞳は絶えず笑みをたたえていた。 敦子は行雄とのたわいのない会話を楽しみながら、彼と二人きりでいるこの一時に、明らかに満足しているようであった。
彼女は二人だけの時間を楽しみたいために、むしろ沈黙と静けさを望んでいるようだ。 そのことに気がついた時、行雄の心は何か熱いどろどろした重みに、押しつぶされるような感じがした。
それから沈黙が始まった。行雄はもう言葉をかける気にはなれなかった。 彼は敦子の白い顔立と、よく伸びた四肢にじっと目をやるだけだった。 彼女は瞳に笑みをたたえながら、床に視線を投げやっている。
部屋の中の気だるい暑さを、月の光だけが微かに冷やしているようだ。 敦子がチラリと視線を行雄の方に向けた。 行雄の心をうかがうような、あるいは彼をからかうような、その甘い視線が行雄の視線と合った瞬間、彼は目眩(めまい)に襲われた。
それでも行雄は、彼女の甘い柔らかな視線を放したくなかった。 次の瞬間、敦子はまた、その潤んだ瞳の矢を床に投げやっていた。 しかし、行雄の心はその時、敦子の甘い愛の視線に射抜かれていたのだ。
「俺は彼女を愛している。彼女が好きだ!」 行雄は心の中で叫んだ。 また敦子が自分を見つめたら、俺はどうなってしまうのだろう。 再び彼女の視線が・・・そう思うと、行雄の心は甘い不安と胸苦しさで震えた。
耐えられない心の重圧に、彼は目のやり場がなくなった。 彼のうつろな視線が薄暗い部屋の中をさまよう。 そして再び、行雄が敦子を見やると、彼女は目を閉じているようであった。
行雄はもう部屋から逃げ出したい気持に駆られたが、彼はまるで金縛りにあったように、椅子から立ち上がることができなかった。 沈黙が続く・・・もう耐えられない。 ああ、彼女の足元に身を投げ出し、その足に接吻すればいいのだ・・・しかし、行雄は石像になったように、身動きが取れなかった。
恐ろしいほどの静けさが部屋の中を支配し、それとは逆に、行雄の心臓は先程から破裂せんばかりに、激しく動悸を打っていた。 ああ、俺はどうすればいいのだ、一体俺はどうなるんだ・・・行雄は喘ぎ、息も絶え絶えになった。
その時。 ドアをノックするのとほぼ同時に、敦子の母の敏子が部屋に入ってきた。
「まあ、二人ともぼんやりしたままで、何をしてるの。 敦子はまったく気の利かない子ね。ぼーとしていないで、早く夕飯の手伝いでもして、行雄さんに食事をしてもらわなくては駄目じゃないの。 アメリカへ行くことになってから、まったく気が利かないんだから。 行雄さん、何もありませんが食事をしていって下さいね。 さあさあ敦子、早く」
そう言うと、敏子は気ぜわしく敦子を立たせ、行雄にもついてくるよう促して、階下の食堂の方へ戻っていった。 行雄は救われる思いがした。あのまま二人で部屋の中で過ごしていたら、一体どうなったことだろう。 それから、敦子の家族と行雄は夕食を共にした。
行雄の父の村上国義は、敦子の父の森戸徹三にとって、同じ共栄銀行に長く勤務した先輩に当たる。 国義は今はそこを退き、共栄銀行が大株主になっている東和精糖株式会社の役員に転出していた。
十年ほど前、国義が共栄銀行の名古屋支店長だった頃、徹三はその下で働いていたが、社宅住まいの同学年の行雄と敦子は、父親同士の関係もあって小学生時代幼な友達であった。 約二年の間、少年と少女はランドセルを背負って、毎日同じ小学校へ一緒に通っていた。
ユキオちゃん、アッコちゃんとお互いに呼び合った仲で、敦子の母の敏子はその頃、行雄のことをとても可愛がってくれた。 学校から帰ると、行雄は数軒ほど離れた敦子の家によく遊びに行った。 敦子には一歳年下の徹郎と、その頃生まれたばかりの信二という二人の弟がいたが、行雄はもっぱら敦子と徹郎の三人で遊んだ。
森戸の家で夕飯を共にする時、徹三が「ユキ坊は、大きくなったら何になりたいの」と聞いてくると、行雄はよくこう答えたものだ。「僕は野球選手になるよ。 川上や大下のような強打者になるんだ。ホームランを何本でも打つよ」
そうすると、徹三は笑いながら「ほう、ユキ坊は大したものだ。 頑張って強打者になれよ」と言って、行雄の頭をトントンと軽くたたいてくれた。 すると翌日には、敏子が「ユキオちゃん、これあげるわよ」と言って、軟式の野球ボールを行雄に買ってきてくれたりした。
こうした少年時代の思い出が行雄の脳裏をかすめると、彼は敦子の家族にたまらない親しみを覚えるのだった。 いま、敏子と敦子、それにもう小学校五年生になった信二と夕食を共にしていると、行雄は赤の他人の家に来ているような感じがしなかった。
つい半年ほど前、行雄がいる埼玉県・浦和市(現在のさいたま市)の隣の与野市(これも現在、さいたま市)に、森戸一家が滋賀県の大津から引っ越してきた。 徹三が共栄銀行大津支店から、浦和にある埼玉第一支店長に栄転して移ってきたのだ。
敦子の家は、行雄の家から自転車で三十分ほどの所にあった。 彼は敦子に会いたいために、時たま森戸家を訪れるようになっていた。 今日は徹三が会社の仕事で不在、また徹郎は友人と西洋絵画展を見に行っていたのでいなかった。
「敦子はアメリカ行きが決まったとたん、気が抜けたようになって、少しも家の手伝いなどしなくなったんですよ。 甘ったれているのかしら・・・まるで幼稚園児に逆戻りしたみたい。行雄さん、少しハッパをかけて下さいな」 敏子がいつもの快活な口調で話しかけてくる。
「ええ、でもあと一ヵ月もしたら、この家を離れて一年間留学するんですから、敦子ちゃんも寂しい気持になってきたんじゃないですか」
「そうね、あと一ヵ月ね。 向うへ行ったら英語ばかりで、始めは友達もいないし、洋食ばかり食べるんじゃ、考えるだけでもやるせない気持になってしまうわね。 去年留学した女の子で、日本のことを思い出しては、部屋に閉じこもって泣いてばかりいた子がいたんですって。
まあ、そんな子は珍しいでしょうし、敦子は案外、気のしっかりした所があるから大丈夫とは思うんですけどね。 でも行雄さん、あなたも時々手紙を書いて、敦子を励ましてやって下さいね。 そのうち、この子も向うの生活に慣れてくるでしょうけど。 敦子、一年の辛抱よ。しっかりおやりなさいよ」
敏子にそう言われて、それまで黙り込んでいた敦子が一言だけ言った。 「私は大丈夫よ」素っ気ない答え方だった。 「そう、大丈夫ね。あんたは結構しっかりしているし、冷たい所があるんだから。 さあさあ、行雄さん、もっと召し上がって下さい。このお肉おいしいでしょ」 敏子がさかんに行雄に食事を勧めた。
敦子に冷たい所があるのかしら、と行雄はいぶかった。 そんなことはない。彼女は優しいし、この半年ほど付き合っている間、彼女は行雄にいろいろ助言や忠告をしてくれたではないか。
同じ地域に住むとはいえ、行雄は東京の早稲田大学付属高等学院に通学しているのに対し、敦子は半年前に与野市に引っ越してきた際、編入試験で埼玉県立H高校に入学していた。 二人が会って話せるといっても、たまの日曜日に、行雄が敦子の家に行った時ぐらいである。
それでも敦子と会っている時、行雄は自分の考えや学校のこと、それに悩みごとなどを素直に話すと、彼女はいつも親切に答えてくれた。 行雄が日教組の勤務評定反対闘争などの社会問題に関心を持って、高校生にしては早過ぎるかもしれないが、学生運動の枠の中で行動してみたいと打ち明けたりすると、敦子は、そんな行雄の短絡的な性向をよく戒めた。
「行雄ちゃん。あなたは社会の仕組みや、複雑な関係をまだ十分に知っていないのじゃないかしら。 あなたは行動力があり、何事にも真剣に取り組む人だと思うわ。 でも、私達くらいの高校生で、そうした教育問題や日教組と文部省の対立関係など、よく理解できるのかしら。
そうした問題は大人の人達がよく考え、議論して解決することだと思うの。 私達には他に学び、よく勉強することが沢山あると思うわ。 あなたの好きな歴史や文学で、今もっと勉強することが沢山あると思うの。 こう言っては生意気なようだけど、そうした勉強を、今もっともっとすることが大切だと思うわ」
敦子にそう言われると、何かの行動にしゃにむに突進したいという行雄の気持と情熱は、やんわりと彼女の懐に包み込まれて、治まってしまうようになるのだ。
「ふん、そういうことかな。 アッコちゃんは落ち着いたもんだね。まあ、もう少し考えてみるよ。 じゃ、『エリーゼのために』を弾いてよ」「わたし、まだ下手なんだけど・・・」「いいから弾いてよ」
行雄にせがまれて、敦子はやむなく、ベートーヴェンの「エリーゼのために」をピアノで弾く羽目になった。 敦子のピアノは上手とは言えない。途中でつっかえたりしながら、なんとか弾き終えた。
「それじゃ、もう一つ。今度は『乙女の祈り』がいいな。 ね、これで終わりだから、弾いてよ」 駄々っ子のように行雄が催促するので、敦子は渋々またピアノを弾き出す。 下手でも真剣にピアノを弾く敦子を眺めているのが、行雄には楽しい一時なのだ。
つっかえつっかえ、バダジェスカの「乙女の祈り」を弾き終えると、「高校生になってからピアノを習っても、上手くなるわけはないわ」と、敦子はつまらなそうに愚痴をこぼすのだった。
「いや、いいんだ。アッコちゃんのピアノが聴けただけでもいいんだ。 それじゃ、僕帰るよ」 そう言って、行雄は敦子の家を離れていった。 そうしたたわいのない二人の交流が、この半年近く続いてきたのだ。
ところが先月、敦子がAFSの奨学生試験に合格してアメリカ行きが決まってから、行雄の彼女に対する見方が変ってきた。 彼女は大津のZ高校にいた時も、編入試験で埼玉県立H高校に移ってからも、学業成績はいつも学年でトップクラスだった。
もともと頭が良いのと、誰にも負けたくないという勝気な性格が、敦子をトップの成績にさせていたのだろう。 担任の教師が彼女の抜群の成績に目をつけ、AFSの試験を受けてみないかと勧めた。 敦子はアメリカに行ってみたい気持もあったから、その試験を受けたのだ。
何百倍という競争率の中で、敦子はものの見事に試験に合格した。(この時代に、アメリカへ高校生が留学できるというのは、夢のような話しであった。) 行雄は高等学院の同期生の何人かが、AFSの試験を受けてことごとく落第したのを知っていたので、敦子が合格したことを聞いた時は、少なからず驚いた。
アッコちゃんは出来るんだ、と思った。 敦子への親愛感に、尊敬の念が入ってきた。「アッコちゃんはすごい。感心したよ」 行雄が率直に尊敬の気持を敦子に明かすと、彼女はやや面喰らったような顔付きをしたが、満更でもない様子だった。
それに比べて自分はなんなのだ、と行雄は思う。 文学や歴史、社会問題にばかり心を奪われて、学校の成績は少しも良くならない。 いや良くなるどころか、高校二年の終り頃から成績は落ちていくばかりだ。
それは彼自身、学校の勉強そのものになんの意味があるのかと、疑問を深めてきたことにもよる。 在日米軍基地への反対闘争、日教組の勤務評定反対闘争など、政治・社会問題に行雄は心を惹かれていたのだ。
また、「カラマーゾフの兄弟」や「戦争と平和」など、ロシア文学の雄大で深遠な魅力に比べると、学校の授業自体が実に平凡でつまらなく、馬鹿々々しく見えてきたこともあったのだ。
それに、高等学院の中に一体「早稲田精神」というものがあるのだろうか、と疑うようになった。そんなものは、まったくないのではないか。 自分は小学生の頃から「早稲田精神」に憧れて、高等学院に入ってきたのだ。 ところが、学院の雰囲気というのは、受験勉強の苦労もなしに早稲田大学へ進学できるという、安易で無気力なものだった。
適当に勉強していれば、大学の好きな学部に進むことができる。だから適当に勉強し、適当にクラブ活動をしているだけだ。 なにか“ぬるま湯”につかっている感じなのだ。「早稲田精神」とは何かを、生徒に真面目に教えてくれる教師もいない。
教師がいつも言うことといえば、次のようなものだ。 「君達は学部に進学したら、受験を勝ち抜いて入ってくる一般の学生に負けないように、今から学力を身に付けたまえ。 大体、学院出身者は出来が悪いという評判だらけだ。 君達もけっこう難しい入試を通って学院に入ってきたのだから、勉強すれば一般の学生には負けないはずだ」
学院から大学へ進学した先輩達が、相当学力が低かったのだろう。 だから大学側が、生徒にもっとハッパをかけてくれと学院に指示してきたに違いない。 しかし、教師が「勉強、勉強」と言っているだけでは、「早稲田精神」などというものは、どこかへ消えてしまったように行雄は受けとめた。
一体、どこに「早稲田精神」があるのだろう。 あの大隈重信が薩摩・長州の藩閥政治に対抗して、自由で在野精神にあふれる人材を育成しようとした、建学の精神はどこに消えてしまったのか。 この学院にあるのは、“エスカレーター”に乗って無事に学部へ進学しようという、無気力で安易な眠ったような雰囲気だけではないか。
二年生になった頃から、行雄はこうした学院の空気に強く反発するようになった。 二年生の終り頃、行雄は意を決して、家を出て東北地方でアルバイトをしながら、「早稲田精神」とは何かを説いて回りたいという衝動に駆られた。
彼はリュックサックに二、三冊の書物と下着などを入れて、家を出る準備をした。「早稲田精神」とは何か、それを知っているわけではなかった。 自由で反逆の精神なのか、それとも民族主義の精神なのか、あるいは社会革命の精神なのか分からなかった。
ただ東北地方を放浪することにより、自分流の「早稲田精神」を身に付けて、それを叫んで回りたかったのだ。 ところが、出発予定日の直前になって、置き手紙を書いている所を母の久乃(ひさの)に見つかってしまった。
久乃は泣きながら、必死になって行雄をとどめた。 行雄も母の涙に心が動揺し、家出だけは諦めざるをえなかった。 しかし、それによって、高校生活に対する行雄の空しい気持はますます内向し、募るばかりとなった。
母には心配をかけたくない。しかし、俺はどうすればいいんだ。 俺はこのまま大したこともせず、日一日と空しく時を過ごしていくのだろうか。 悶々たる気持でどうしていいのか分からないままに、行雄は今まで以上に文学や思想の中に救いを求めていくようになった。
丁度そうした頃、敦子の家族が与野市に移ってきたのである。 懐かしさも手伝って、行雄は自転車のペダルを踏んで敦子の家を訪れるようになった。 行雄は彼女になんでも打ち明け、悩みや不安を聞いて欲しいと思うようになっていた。
そのうち、ロマン・ロランの「ジャン・ クリストフ」、ロジェ・マルタン・デュ・ガールの「チボー家の人々」などを持って敦子に会いに行き、文学の素晴らしい魅力について話し込むようになった。 敦子も文学が好きで、二人で気に入った箇所や文章を朗読しあったりしていると、行雄は広い草原を心ゆくまで歩いているような解放感と、安らぎを覚えるのだった。
こうした二人の交際を、行雄の母も敦子の母も温かく見守っているようであった。 久乃は、息子が放浪の旅に出なくなっただけでも安心していたし、敏子は、娘が行雄と楽しそうに付き合っているのを喜んでいたようだ。
行雄は、もともと聡明で頭の良い敦子が好きだったが、彼女がAFSの試験に合格してから、その思いに尊敬の念が入ってきたことは、先にも述べたとおりである。 それは、学校の勉強を軽視していた行雄にとって奇妙なことだが、成績が低下する一方の自分に比べて、敦子の学業の素晴らしさがあまりに際立ったからだろう。
彼女は僕の文学や思想、歴史などへの傾倒を理解しながら、学業をおろそかにせずAFSの試験にも受かってしまった。 彼女はなんと心の幅が広い、優秀な女の子なのだろう。彼女は素晴らしい、素敵だという思いが募ってきた。
行雄がそうした思いを正直に明かすと、敦子は「でも、行雄ちゃんは文学や思想では、私なんか及びもつかないほどよく知っているし、社会問題にも関心があるし、私のやっていないフランス語もよく出来るでしょ」と言って、行雄を慰めてくれた。
そういう謙虚な態度が、行雄の敦子への思慕を一段と増幅させた。 彼女を敬う彼の気持は、まるで美術家がビーナスに憧れるように、もう崇拝の念にまで高まってしまったようだ。
敏子が賑やかに座を取り仕切っていた夕食が終わった。 行雄は敦子らに別れを告げると、森戸家を後にした。信二が手を振りながら「お兄ちゃん、また来てね」と言っているのを背にして、行雄は自転車に乗り家路についた。
夜空の星々が恐ろしいまでに光を強めている。 行雄はできるだけゆっくりと家に帰りたくなった。どうでもいい、回り道して帰ろう。 今夜はまた、なんて素晴らしい星空なんだろう。こんなに光り輝く星空を今までに見たことがあるだろうか・・・
それに、十五夜に近い月が、星の光に負けるものかと天空の一角を占めている。 敦子の部屋に二人でいた時の重圧感を行雄は思い出した。 それを思い出すと、彼は身の震えるような快感に襲われた。
あの耐え難い重圧感は何だったのだろうか。 あれは敦子への愛と讃美の念で、自分の胸が潰されるような感じではなかったのか。 夜空を見上げているうちに道端の電柱にぶつかりそうになり、行雄はあわてて自転車のハンドルをきった。
まるで酔っ払いだな、と行雄は自分が可笑しかった。 ああ、僕は敦子をこよなく愛しているようだ。この思いは、この月、この星々でなければ分かってくれないだろう。 敦子の白い顔、二の腕が幻のように目の前に浮かんでくる。行雄は彼女の幻影を放すまいと目を閉じて、自転車を停めた。
通りすがりの子供連れの婦人が、いぶかしそうな目つきで行雄を見やった。 かまうものか、僕は敦子を愛しているんだ。こよなく愛しているのだ。 ああ、夜空よ星よ月よ、僕はどれほど君達に感謝したらいいのだ。
神よ、僕をこの地上に生かしてくれる神よ、僕はどれほどあなたに感謝したらいいのだ。 願わくば、道行く人達がいなければ願わくば、僕はこの大地にひれ伏して口づけしたい。 生きよう、生きるんだ。敦子のために生きるんだ! 行雄は心の中でそう叫んだ。
2)長瀞
その日から行雄は、敦子の幻を朝から晩まで追い求める陶酔の日々を送るようになった。 おかしなもので、敦子への愛に焦がれる自分を知ってから、行雄は気楽に森戸の家へ行く気持になれなくなった。 今度彼女に会ったら何を話し何をしようかと、いろいろ思いあぐねるようになってしまった。
敦子が横浜港から船でアメリカへ出発するのは、三週間ほど後の八月中旬である。 それまでに自分の思いを告白して、一年間別れ別れになっていても、太平洋を越えて二人の愛の虹をかけておかなければならない。
そう思うことは簡単だが、ではどういう風に愛を告白しようかとなると、行雄にはとんと良い考えが浮かんでこなかった。 でも、なんとかなるだろう。自分が彼女を愛しているのは本当なのだから、その本心を素直に言えばいいのだと思うしかなかった。
そんな取り留めのないことを考えていたある日、母の久乃が「学校からお父さん宛にこんな手紙が来ていますよ」と言って、まだ封を切っていない高等学院からの手紙を行雄に渡した。 父親宛の手紙なら、自分で開けて読めばいいのにと思いながら、行雄は封を切って中身を読んだ。
その内容は以下の通りである。「貴方の御子息は第一学期の成績が芳しくなく、このままでは卒業に必要な六十点平均に到達することは厳しい状況となっています。 どうか御両親におかれましては、御子息の勉学に充分に配慮され、激励して頂くことを切にお願い申し上げます。云々」
手紙の末尾には、高等学院長・樫山欽四郎名の捺印があった。 行雄は陶酔の気分から、いっぺんに冷水を浴びせかけられたような気持になった。彼の一学期の成績は五十八点平均だった。 しかし、これならばなんとかすれば六十点に達することはできるだろう。 卒業すればいいんだろう、卒業すれば、と行雄は思う。
こういうことも敦子に明かして、自分はこんなに学業をおろそかにしている出来の悪い生徒だと言おう。 その方がすっきりした気持になる。出来の良い敦子に対し、出来の悪い自分ではないか。 そう考えていると、行雄は益々やるせないほど彼女が恋しくなってきた。
出来の悪い自分にとって、敦子はまるで女神のように思われ、はるか彼方の山上にまします“幻”となって映ってくるのだ。 ああ、敦子、敦子、敦子・・・この限りない愛の泉は、彼女の命からほとばしり出てくる。彼女の足元にひれ伏し、その御足に口づけしたい。 彼女のあの白い手を僕の額に押しあて、祈りを捧げることがどうして悪いのだろうか。
そういう切ない思いにひたる時、行雄の頬に一筋の熱い涙が伝わり落ちるのだった。 敦子に今度会ったら、僕は必ずこの胸の内をさらけ出し、彼女の永遠の愛を勝ち取るのだ。 彼女はきっとこの願い、この夢を叶えてくれるだろう。そうなれば僕の命、このちっぽけな命と心は、全て彼女に捧げることができるのだ。
行雄は一日中、夢を見ていた。 どうせ夢を見るのなら、この世で誰も見たことのないほど美しい夢を心行くまで見よう。 敦子の御足に接吻したまま死のう。そうすれば、彼女の足元は僕の熱い涙で濡れるだろう。 僕の涙に濡れて彼女はより美しく輝くだろう・・・それがこの世で一番美しい夢なのだ。
ああ、敦子、敦子、僕の敦子・・・行雄の心は今、この宇宙の始まりと同じように、熱と蒸気と混濁で張り裂けんばかりになっていた。 愛・・・僕はピエタのように、彼女の膝に抱かれて昇天してしまうのだ。 そういう夢を見ていると、行雄はもう他に何もする気になれなかった。 自分から敦子に電話をかけることも、恐ろしくてできなかった。
彼が夢を見ている最中に、電話は彼女の方からかかってきた。 「行雄ちゃん。今度、徹郎や信二と一緒に長瀞へ行ってみませんか。 私まだ長瀞へ行ったことがないので、アメリカへ行く前にぜひ一度行ってみたいの。 そう言ったら母も大賛成してくれたわ。明日でもあさってでもいいから行きましょう。 ね、いいでしょう?」
敦子からの思わぬ誘いに行雄は喜んだ。「うん、それはいいさ。どうせ休みだもの、早く行く方がいいね」 行雄が快諾したので、敦子は嬉しそうな声を出して続けた。「ありがとう。それじゃ後で、行雄ちゃんの都合の良い日を教えて。 私も来月になると、アメリカ行きの準備で忙しくなるから早く行きたいわ。 じゃ、また後でね。お母さまによろしく、さようなら」
敦子の電話が切れると、行雄は初めて現実の世界に戻った感じがした。 なにしろこの一週間ほど、自分は夢うつつの状態で、現実に何をしたらいいのか考える気にもなっていなかった。 今の敦子の電話で、何をすれば良いのかが分かった。
夏休みだ。彼女とどこへでもいいから、一緒に行こう。 長瀞は何度か行ったことがあるが、敦子と一緒なら更に何度も何度も行こう。そして、早く行こうと急かされる気持になった。 しかし、明日ではなにか早過ぎるような感じがした。明日ではもったいない。行雄は、もう少し“夢”を見ていたいと思った。
それならば、明後日にしよう。 暫くして行雄は敦子に電話をかけ、明後日長瀞へ行くことを約束した。 敦子は前の電話以上に、嬉しそうな弾んだ声を上げていた。
次の日、もう少し夢を見ていたいと思っていたのに、行雄は朝からそわそわして落ち着きをなくしていた。 中学時代に友人と長瀞へ行った時の写真を出してきて見たり、自転車に乗って久しぶりに近くの公園に出かけたりした。 そのうちに、急に友人の向井弘道に会いたくなった。
向井は、行雄と同じ中学校から共に高等学院に進んだ同期生で、中学時代から行雄とざっくばらんに話し合える仲だった。 ところが最近になって、行雄は彼とあまり話し合うことがなくなった。 それはこの春、向井が高等学院の学生自治会委員長になったのに対し、逆に行雄が学院そのものを馬鹿にするようになったため、なんとなく疎遠な関係になっていたからだ。
勿論、会えば会ったで挨拶もするし話しもするが、クラスは違うし彼はけっこう自治会の仕事で忙しく、行雄は歴史研究会やフランス文学研究会のクラブ活動にだけ精を出していたから、落ち着いて話し合う機会はなかった。
久しぶりに向井の家に寄ると、彼はニコニコ笑いながら行雄を迎えてくれた。「やあ村上君、元気かね。 最近あまり会わないから、どうしていたのかと思っていたよ。お父さん、お母さんはお元気? このところ、ちっとも君の家に行っていないからなあ」
「ああ、僕も両親も元気だよ。休みになったから、君も少しは暇になったと思って寄ってみたんだ」 向井に温かく迎えられたので行雄は気分を良くし、久しぶりに彼とざっくばらんに話しを続けていった。
学院のこと、中学時代の旧友や教師の話しなどをしているうちに、向井は自治会の話題を持ち出してきて、行雄のいる三年K組のクラス委員・大川勇のことに触れてきた。「大川君は君も知っているだろうが、全学連のシンパだよ。完全なマルキストだね。 このあいだも、安保改定反対闘争のことを議題にしようと言い出して、自治会で安保反対決議をしたらどうかなどと演説していた。 勿論、そんな提案などは否決されたが、高校の自治会に政治問題を持ち込んでくるなんて、おかしいと思わないかい?」
向井の言うことはもっともなので、行雄は「僕もそう思うよ」と相づちを打った。 しかし行雄は日頃、大川に好感を持っていたので、次のようにべらべらと喋りまくってしまった。
「でも大川君は、とても感じの良い親切な人だよ。 彼が全学連に関係していることは誰でも知っているけど、彼はとても人柄がいいので、みんな彼を立派なクラス委員だと思っているよ。 彼は今や、裕次郎や水原弘のような人気者だね。僕なんか近寄りがたいと思っているくらいだ。
ほら、先月のクラス別野球大会の時なんか、決勝で彼がホームランを打ってくれたからC組に勝てたんだ。 あんなに細くて小さな身体で、ホームランを打つんだから大したものだ。気力があるんだね、彼は。 ほかの連中は格好だけはいいけど全然打てなくて、彼のホームランでK組は優勝できたんだ。 素晴らしいよ、彼は」
行雄があまり大川のことを褒めるので、向井は面白くないといった顔付きになり黙ってしまった。 二人は暫く黙り込んでいたが、向井が気を取り直したように口を開いた。
「ところでこの前、須原屋に本を買いに行ったら、雨宮さんにばったり会ったよ。 彼女は相変わらず愛想が良くて、元気そうだったね。なにか女らしくなったみたいだったな」 雨宮の話しが出て、行雄は一瞬ぎくりとした。
雨宮和子。 行雄が中学時代、一学年下の彼女が好きでたまらなくなり、よく彼女の家に押しかけて行き、半年以上付き合った子である。 しかし、行雄が高等学院に入ると、中学三年になった和子は受験勉強で忙しくなり、次第に疎遠になってしまった。
それに、和子の方で行雄を敬遠したきらいがあった。 行雄が「マノン・レスコー」や「ジャン・クリストフ」の情感あふれるくだりを、彼女と共感を分かち合おうと思って朗読すると、中学三年の和子が当惑した顔付きになり、仕方なさそうに朗読を聞いていたことが思い出されてきた。
結局、彼女の受験勉強を心配した両親が、行雄の母に二人の交際を暫く止めさせて欲しいと頼んできたため、行雄は兄の国義に厳しく叱られ、和子の家に行くことを諦めた。 その後、和子が浦和第一女子高校に入学してからも、行雄はもう彼女の家に行くことはなかった。
それでも、中学時代の雨宮和子との楽しかった交際を、行雄は時たま思い出すことがあった。 いま、向井から和子の話しを持ち出され、行雄は彼女のことを改めて思い出していた。 後頭部を刈り上げ日焼けしてボーイッシュな、ふっくらとした顔立の和子。バスケットボールが好きだった和子・・・ 彼女も高校生になって女らしくなったのかと、行雄がその面影を思い浮かべていると、それが森戸敦子の幻影に移り変わっていった。
行雄は雨宮和子のことには触れず、向井に親しみを込めて語りかけた。「ねえ、ヒロちゃん。僕、好きになった女の子がいるんだ・・・」 それから行雄は、敦子のことを一気に向井に話して聞かせた。彼の共感や激励が欲しかったのだ。
ところが向井は、行雄の話しを聞いていても一向に共感するような表情を見せなかった。 行雄は自分が一方的に話しているうちに、気まずい雰囲気を感じるようになった。どうも、向井の共感や激励は当てにできそうもないようだ。
話しがある程度進んだ所で、向井は行雄をさえぎるような形で「君の好きなようにしたら。彼女への好意がそのまま続けばいいじゃないか」と言った。 その口調には相手を皮肉る感じが込められていたので、行雄はそれ以上話しを続けることができなくなった。
向井は行雄のことを、熱しやすく冷めやすい男と見ていたのだ。それも分からないわけではない。 一年ほど前、二人の共通の友人である斎藤正裕の妹に、行雄が熱を上げたことを向井は覚えている。 ところが、数カ月もしないうちに行雄の情熱は冷めてしまったのだ。
その時は、向井が行雄に「君は冷めやすいんだね」と言ったことがある。 一年も経っていないことだから、行雄もその時のことをよく覚えている。そして今、それを思い出した。 行雄は急に自分の痛い所を突かれた感じになり、不機嫌になってしまった。
彼は暫くして向井に言った。「僕、もう帰るよ。どうも、君には分かってもらえそうもないから」 行雄はぶっきらぼうにそう言うと、向井の家を出てしまった。 今度こそ友人に自分の気持が分かってもらえるものと期待していたのに、それが裏切られる形となった。
不愉快な気分で家路についたが、我が家に近づくにつれて、行雄は明日の長瀞行きのことで嬉しさが込み上げてきた。 明日は敦子と一緒に行けるということが、不愉快な気分をぬぐい去っていった。 向井に長瀞行きの件を言わなかったことが、秘めた幸福感となって沸き上がってくるのだ。
帰宅すると、もう夜の七時を過ぎていた。久乃が待ちわびていたように行雄に告げた。「さっき、敦子さんから電話があったのよ。帰ってきたら、こちらから電話をさせますと言っておいたわ」 「うん、ちょっと向井君の所へ行っていたんだ」 行雄はそう言うと、すぐに敦子に電話をかけた。
「明日九時に、浦和駅の西口で会いませんか。こちらは徹郎が都合が悪くなって、信二と私の二人だけです。 それでいいですか?」「ああ、いいよ。僕、カメラを持っていくよ。 それじゃ、明日九時に浦和駅で」 二人とも弾んだ声のうちに電話を切った。
行雄は自分の部屋に戻ると、最近撮ったことのないカメラを取り出してみた。 だいぶ前に入れたフィルムが、まだ十数枚は残っていた。 これで敦子の素敵な写真を何枚も撮ってあげようと思った。 その夜、ベッドにもぐり込んだが、明日の長瀞行きの期待で行雄はなかなか寝つくことができなかった。
翌朝、行雄がバスで浦和駅西口に着くと、信二が目ざとく行雄を見つけて走り寄ってきた。「お兄ちゃん、おはよう。僕も連れてってね」と声をかけてきた。 敦子はと見ると、上下とも水色の半袖ブラウスにスカートをはいており、それがいかにも爽やかな印象を行雄に与えた。
「おはよう、今日はとても暑くなりそうだね。 僕、登山帽をかぶってきちゃったけど、麦わら帽子の方がいいくらいだね」 「でも、行雄ちゃんの登山帽は似合うわ。さあ、行きましょう」敦子が快活に答えた。
行雄が、母からもらってきた金でさっさと切符を買うと、敦子が「私が誘ったのに・・・それじゃ、帰りは私が持ちます」と言って、三人はプラットホームに入った。 京浜東北線で大宮駅に着くと、今度は高崎線に乗り換えた。 電車の中はそれほど混んでいなかったが、けっこう蒸し暑く扇風機がせわしげに回っていた。
三人は熊谷駅で降りると、その後は秩父鉄道に乗り換え、昼前に長瀞駅に着いた。 真夏の日差しが、刺すように強く行雄達の顔に当たる。 敦子はまぶしそうに目を細め、時々手を額にかざして日差しをさえぎっていた。信二だけが元気良く先を歩いていく。
長瀞の有名な岩畳が見えてきた。 初めて見る光景に、小学生の信二は大はしゃぎで「先に行ってるよ」と言って、岩畳の上をピョンピョンと跳ねるように走っていった。「信ちゃんはすばしこいね」と行雄が言うと、「ええ、あの子は運動神経だけはいいのよ」と、敦子が笑って答えた。
日差しが強烈なので、行雄は目の前がくらむような感じがした。 荒川をはさんだ対岸の樹木の緑が、行雄の目に鮮やかに、きつく迫ってくるような気がした。 その時、行雄は右手首の上に柔らかく暖かい感触を受け、はっとして思わず敦子の方を振り向いた。
彼女の左手が、行雄の右手首に伸びていたのだ。 敦子はニッコリと微笑んだが、行雄が余りにびっくりした表情を見せたので、左手をそっと下ろしてしまった。 なんて暖かい手なんだろう! 行雄は呆然とした気持になった。 彼女の手の暖かみが自分の皮膚を通して、骨に染み入るような感じがした。
敦子にこうやって触れられるなんて、生まれて初めてだ。 彼女は僕に好意を持っている。行雄は一瞬にしてそう信じた。 嬉しいというより、なにか愕然とするような感じに襲われた。 自分が崇拝してやまない彼女に、こうも親しく触れられたことが、異様なものに思えてならない。
行雄は心の動揺を見られたくなかったので、敦子から離れた。そして、信二の後を追うように、足早に岩畳の上を進んでいった。 心臓のドキドキという鼓動が耳の奥にまで達してきて、息苦しいような気持になった。 こちらから、敦子にそれとなく好意を示そうと思っていたのに、いきなり彼女の方から予想もしない親愛の情を示され、行雄は気が動転したのだ。
それと同時に、昨夜あまり良く眠れなかった疲れが、真夏の強い日差しの下で行雄の五体を襲ってきた。 こんなことではいけないと思いながら、行雄は敦子の方を振り返った。彼女はけげんそうな表情を浮かべて付いてくる。 彼女に申し訳ないという気持が湧いてきて、それが行雄の心の中に内向していった。
こういう時は「びっくりしてごめんね」と一言いえば済むことなのに、心の動揺と疲労感でそれが素直に言えなかった。 俺は意気地がないんだと思うと、行雄は急に自分が情けない奴に見えて嫌になってきた。 彼はこういう場合、すぐに自虐的な気持に陥ってしまう癖(へき)があるのだ。
もうどうでもいいような気持になって、行雄は敦子にまた背を向けて、信二の後を追っていった。 岩畳の上には十数人の行楽客が見物に訪れていた。 他の人達がいる所で、親愛の情を示したことがいけなかったのかしら、と敦子は思った。 それにしても、あの人は訳の分からない人だ。どうしてあんなに不機嫌な顔をするのだろう。 敦子は不満を押し殺しながら、行雄の後を付いていった。
荒川の流れが瀞となって淀んでいる。どこからともなく蝉の鳴く音が聞こえてくる。 眺めの良い所に来て三人はたたずんだ。 「お兄ちゃん、写真を撮ってよ」と信二が声をかけてきた。行雄はようやく我に復ったような気持になり、瀞と対岸の樹林をバックにして敦子姉弟をカメラにおさめた。 その後、三人は代わる代わるに写真を撮った。
長瀞の景観を暫く楽しんだ後、行雄達はもと来た道を戻り、駅近くの食堂で昼食を取った。 食事中、行雄はほとんど無言だった。「せっかく来たんですから、宝登山(ほどさん)の方にも行きましょうよ」と敦子が言った。「うん、行こう行こう」と信二が相づちを打つので、行雄は渋々二人の後に付いて宝登山へ行くことにした。
なだらかな昇り坂を上がっていくと、汗が噴き出してきた。蝉の声がやけにうるさく聞こえる。 強い日差しに照り映えた森を見ると、行雄は圧迫されるような感じを受けた。暑さと疲労感で彼は歩く意欲をなくしていた。
ふて腐れた表情で歩いていると、敦子が近寄ってきて行雄の肩にそっと手を添え、「ねえ、疲れたんでしょう」と声をかけた。 「いや違うよ」と行雄は答えたが、その表情には、もう歩き回るのは嫌だ、早く帰ろうという思いがにじみ出ていた。
またも今度は、敦子の方が面白くなくなってしまった。 浦和駅を出る時はあんなに元気が良さそうだったのに、長瀞の岩畳に着いてから、行雄は急に不機嫌になってしまった。 疲れているのかもしれないが、この人はどうしてもっと楽しそうに快活にしてくれないのか・・・敦子は不満であった。
彼女の気持をまったく察していないように、行雄はまるで「うつ病患者」のように黙り込んだまま歩いていた。 宝登山神社の境内を散策している途中で、行雄は「もう帰ろうよ」と敦子に言った。 彼女は返事をしなかったが、信二が「もう帰るの?」とびっくりしたような声を上げた。
「うん、もう帰ろう。暑くてやりきれないよ」と行雄は吐き捨てるように言うと、さっさと長瀞駅に向かって歩き始めた。 敦子と信二は、仕方なくその後を付いていくしかなかった。 帰りの電車の中でも、行雄と敦子は一言も言葉を交わさなかった。 信二だけがたわいのないことをしゃべっていたが、そのうち彼も疲れたのか眠りこけてしまった。
電車を乗り継いで浦和駅に着いた時は、まだ日の残る夕方であった。 「それじゃまた、さよなら」 行雄が敦子にそう言うと、彼女はなにも返事をせずうつむいてしまった。行雄は逃げるようにしてバス停に向かった。 後に残された敦子は悔しかった。
アメリカへ行く前に、彼と楽しい一時を過ごそうと思って出かけたのに・・・結果は行雄の勝手気ままな振舞いに、不愉快な気持だけが残ってしまったのだ。 彼と私はうまくいかないのかしらと思う。 敦子は信二とタクシーに乗ると、寂しい思いを抱いて家路についた。
行雄は帰宅すると自分の部屋に閉じこもり、今日一日のことを振り返ってみた。 敦子に触れられた右手首には、まだ“ぬくもり”を感じるような気がした。あの時の感触が残っている気がしてならない。 それと同時に、心の奥底から悔やみが込み上げてきて、敦子に申し訳ないという気持で胸が締めつけられるのだった。
自分はどうしてこんなに愚かなのだろう。 どんなに疲れていても、またどんなに気が動転しても、彼女と楽しく過ごすことはできたはずだ。自分の勝手気ままな振舞いから、彼女との貴重な一時を台無しにしてしまった。 なんて馬鹿なんだ。敦子になんて謝ったらいいのか。
行雄は自分の愚かさを責めさいなんだ。もう彼女との関係は駄目になるかもしれない。 そう考えていると、敦子にまったく値いしない自分が、彼女からのせっかくの親愛の情を、どうしてぶち壊してしまったのか悔やまれてならなかった。
行雄は悲しくて耐えられない気持になった。拳で自分の頭を殴ってみたがそれでも治まらず、今度は頬を力一杯殴りつけた。 顔面に相当の痛みを感じて、目を閉じると不思議なことに気持が安らいできた。 甘く切ない悲しみが込み上げてきて、涙が一筋、頬を伝って流れ落ちた。
自分は駄目な男だ。そうだ、そのとおりだ。 しかし、いくら自分が馬鹿で駄目な男でも、敦子のことをこれほど思い慕っている人間は、この世に二人とはいないはずだ。 それは間違いない。それなら、それでいいじゃないか。
行雄は、野原に咲く名もない雑草の花に自分をなぞらえてみた。 そこに輝くばかりに美しい敦子が現われ、自分を踏んで通り過ぎていった。ああ、しかしそれでも、雑草の花である自分は幸せなんだ。 彼女に踏みつけられ、死んでいくだけでも幸せなんだ。
そう思うとまた、やるせなく甘い気持に襲われて涙が流れてきた。 ああ、僕ほど敦子を愛している男はこの世にいない。 たとえ彼女に忌み嫌われることがあろうとも、彼女にめぐり合える機会を僕に与えてくれた神様に感謝しよう。
敦子は、僕なんか到底足元にも及ばないほど、素晴らしい女性ではないか。彼女と付き合えるだけでも幸せなのだ。 明日、彼女に電話して、今日の僕の失礼な態度を謝ろう。 彼女は許してくれなくてもいい。僕はただ謝るだけだ。 そう考えていると、行雄はようやく平静な気持を取り戻し、眠りにつくことができた。
3)「若草物語」
翌朝、行雄は遅い食事をすませると、すぐ敦子に電話をかけた。 「行雄ちゃん、昨日はどうしてあんなに不機嫌だったんですか? 私と一緒にいるのが嫌でしたら、正直にそう言って下さい。 私は貴方と一緒にいることが嬉しいんです。でも貴方が嫌でしたら、考え直さなくてはなりません」 敦子が不満をぶつけてきたが、それを聞いて逆に行雄は胸をなで下ろした。
「敦子ちゃん、ごめん。 昨日は本当に僕が悪かった。僕はずいぶん後悔してるんだ。 せっかく君と長瀞へ行けたというのに、楽しい一時を台無しにしてしまって、ごめん。 僕の性格がおかしいから、あんなになってしまったんだ。 勿論、僕は君と一緒にいることは嬉しいし、ありがたいとさえ思っている。こんな変な僕と付き合ってくれるんだから。 昨日は本当に申し訳ありませんでした」 行雄は率直に謝った。
「ううん、それならいいんです」 敦子は安心したような声を出すと、一呼吸おいて「今日もうちに来てくれませんか?」と丁寧に言ってきた。 行雄は喜びで胸が一杯になった。「勿論行くよ、君が許してくれたんだから。 あ、そうそう、君にぜひ見てもらいたいものがあるんだ。『若草物語』といって、僕の中学時代から高校一年にかけての日記なんだ。 つまり、雨宮さんっていう女の子が好きになって、その子と付き合っていた時の日記なんだ。
僕はいま、もう雨宮さんと勿論付き合っていないけど、その『若草物語』を大切にしまってあるんだ。 それをぜひ君に読んで欲しいと思う。そうすれば、僕という人間が君にもっと良く分かってもらえると思うんだけど・・・ね、それを持っていってもいいだろう? 他の誰にも見せたことがない日記なんだ。それを君にだけは読んで欲しいと思っているんだけど」
敦子が嬉しそうに答えてきた。「光栄です、私だけが読めるなんて。 勿論、読ませて下さい」 「うん、それならできるだけ早く行くよ。あと一時間もしないうちに。それじゃ、また後で」 行雄は受話器を置くと部屋に戻り、机の引出しの奥深くにしまっておいた「若草物語」を取り出した。 この日記は、オールコットの小説で有名な、あの「若草物語」に因んで名付けたものである。 学校用の薄いノート七冊にまとめたもので、行雄はそれを“風呂敷”に丁寧に包むと、すぐ自転車に乗って家を飛び出した。
外は暑かった。 今日も真夏の太陽がじりじりと照りつけ、行雄はたちまち全身に汗をかいた。 それでも彼は、昨日の長瀞の時とは打って変って、元気良くペダルを踏んでいった。 学校のプールへ行くのだろうか、浮き輪や水着をひっさげた何組もの小学生のグループが、はしゃぎながら歩いている。
太陽はすでに中天にかかり、あり余る光を力強く大地にふりそそいでいた。 木々の緑が光を浴び、一層鮮やかに色濃く輝いている。 光と熱と活気に満ちた夏・・・素晴らしい夏を全身で感じながら、行雄は汗まみれになって敦子の家に着いた。
敦子がすぐに冷たいタオルを持ってきてくれたので、行雄はそれで顔をぬぐった。 生き返ったような気持になった彼は、敏子と暫く雑談を交わした後、二階の敦子の部屋へ彼女と共に上がった。 敦子が扇風機をかけると、涼しい風が行雄の全身をかすめていく。
彼はすぐに風呂敷から「若草物語」を取り出すと、「敦子ちゃん、全部読んでね」と言って七冊のノートを彼女に手渡した。 敦子は古びた椅子に腰をおろすと、脚を組んで「若草物語」を読み始めた。 行雄は敦子がどのような反応を示すのか、注意深く彼女の表情をうかがっていた。
敦子は冷静な面持で一冊目のノートを読んでいく。 それを半分ぐらい読んだところで彼女は、「これ、誰にも見せていないのよね。雨宮さんにもね?」と、分かりきったことを聞いてきた。「勿論さ。君に見せるのが初めてなんだ」 行雄が答えると、敦子は満足げな吐息をはいて更に読み続ける。
敦子は一心不乱に読んでいく。行雄は彼女の白い脚がかすかに揺れるのを眺めたりしていた。 沈黙が続き、扇風機の回る音だけがヤケに部屋の中に響く。 敦子はすぐに一冊目を終えると、二冊目のノートを読み始めていた。 食い入るように読み続ける彼女を見ているうちに、行雄は胸が高鳴ってくるのを覚えた。
この前、同じこの部屋で敦子と過ごした時、長い沈黙の重圧感に耐えられなくなったことを思い出していたのだ。 あれは夜だったが、今は真昼の暑さで、行雄の心もじりじりと焼け付いてくるような感じがしてきた。 沈黙が更に続く・・・敦子は早くも三冊目のノートを読んでいた。
やがて三冊目を読み終えると、敦子は深く溜息をつき目を閉じてしまった。彼女は明らかに感動していた。 暫くして彼女は目を開け「きれいだわ。とてもきれい」とつぶやいた。 中学二年の秋に、行雄が生徒会の席で雨宮和子を見かけてから彼女に好意を抱き、翌年の中学三年の夏、ようやく和子と交際できるようになったくだりが、三冊目までに記されていた。
バスケット部では和子の一年先輩で、行雄のクラスメートである女生徒に連れられ、彼が初めて雨宮家を訪れたこと、和子と交際できるようになった喜びや興奮などをつづっていたのだ。 そうしたくだりを読んだことで、敦子は明らかに満足していた。 「四冊目以降は、彼女との交際の記録や、やがて別れることになる所が詳しく書かれているんだけど・・・」と、行雄が声をかけた。
「ううん、今日はもうこれ以上は読みたくないの」と、敦子が答えた。 彼女は、男女の交際がめでたく成就する所だけを読んで満足しているようだ。 それ以上は、読んでも意味がないとでも思っているのだろうか。 交友関係が破局を迎える所まで読んでしまうと、せっかく素敵な気分になっているのに、冷や水をかけられたような気持になることを恐れているのかもしれない。
それでも行雄は、敦子が「若草物語」に感動してくれたことに満足していた。 やがて彼女はやや物憂げな表情で行雄を見やると、「貴方は純粋なのね」とポツリと言った。 その言葉が今度は彼を感動させた。 自分が崇拝し愛している女性から、そのように言われることは無上の光栄と感じられたからである。
敦子が「若草物語」のノートを机の上に置いたので、行雄は、外を散歩しようと彼女を誘った。すると敦子が答えた。 「まだ暑いから、夕方になって散歩しましょうよ。それより今日は、ゆっくりしていって欲しいわ。 最近撮った私の写真も見て欲しいし、ピアノも聴いて欲しいの。貴方と二人だけでいられるのも、もうあまりないと思うわ」
敦子は珍しく口数が多くなっていた。 行雄と一緒にいることが、いかにも楽しいという素振りを見せていた。 行雄は彼女の最近の写真を三十枚以上も見せてもらったが、近いうちに気に入ったものを何枚かもらう約束をした。
敦子の写真を見ながら取り留めのない話しをしていると、彼女はつと立ち上がり「これから、ピアノを弾きます」と静かに言った。 二人だけでいる時に、敦子が自分の意思で行動を起こすというのは滅多にないことだ。 行雄は黙って彼女の演奏を聴くことにした。
彼女はピアノが苦手だと知っていたが、今日は少しも悪びれる様子がなく、ゆっくりと椅子に座ると落ち着いた感じでピアノを弾き出した。 それは、この前聴いた「乙女の祈り」だった。何度もつっかえながらも、心を込めて弾いている様子だった。
行雄は敦子の横顔を眺めていたが、彼女の真心が鍵盤を通じて伝わってくるような感じがした。 この曲を作ったバダジェスカも、今の敦子と同じように真心を込めてピアノを弾いたのだろうか。 乙女の愛と夢が込められた曲・・・行雄は敦子の全身にうっとりと見とれていた。
白い腕、白い脚、薄いピンク色のワンピースに包まれた彼女のふくよかな腰、微かに揺れる黒髪・・・敦子の清潔な匂いが部屋中に漂ってくる感じだった。 行雄にはもう、彼女が女神のように近づきがたい存在にはどうしても見えなかった。 ピアノにひたすら打ち込む敦子は、甘美な夢に憧れる一人の少女でしかなかった。 彼女はただ僕との愛を願っているのではなかろうか。
そう思うと、行雄はこよなく愛しさを感じ、敦子を抱きしめたい衝動に駆られた。 心の底から、熱い思慕の念が込み上げてくるのを感じたが、今は抱きしめることはできないのだ。 扇風機の風が、行雄の心を冷やすかのように彼の首筋をかすめていく。
敦子はピアノを弾き終えると、恥ずかしそうに微笑んでみせた。 自分の気持が、行雄に伝わったのではないかという思いからだろう。行雄も微笑み返した。 それから二人は「若草物語」のことから、彼女の留学先であるシカゴのことなど、取り留めのない話しを続けていった。
夕方になって二人は外出した。 少しは涼しくなっているかと思っていたが、外はまだ真夏の蒸し暑さがこびりつくように残っていた。 二人はどちらからともなく手を握り合っていた。 敦子の暖かく、湿った柔らかい手の感触をなんと表現したらいいのだろう。それはまるで、お湯とゴムの“塊”のように行雄には感じられた。
彼はもう、なんの抵抗もなく彼女の手を握り、その指の感触を楽しんでいた。敦子は自分の手を完全に行雄に委ねていた。 彼はいま、彼女の手を自分の思い通りにすることができた。どんなに強く握っても、締めても、ひねってもいいのだ。 行雄は自分が生まれてから、これほどの快感を味わったことがなかった。彼は長い間、敦子の手を楽しんだ。
行雄は、自分の心が限りなく開かれていくような感じがした。 勝利者だ、俺は勝利者だという実感が彼の身体中を制圧していた。誰も手にしたことがないような、美しく素晴らしい愛を俺は手にしているのだ。 行雄はそのように信じた。
散歩のあいだ中、行雄はほとんど一人で何やらしゃべりまくっていた。 敦子との散歩が終わり、行雄は森戸の家を後にして帰宅すると、食事もそこそこに自分の部屋に飛び込んだ。 彼は高揚し酔っぱらったような気分になっていた。そして、敦子の幻を追い求めながら便せんに詩を書きなぐっていった。
「 あなたの“乙女の祈り”をきいて ぼくの心はときめく あなたの真心にふれて ぼくの胸はふるえる ああ 愛する人よ ぼくの全てをあなたに捧げることができるのなら ぼくは大地に接吻し神に感謝をしよう その日が遠からず来ることを神に祈ろう 愛する人よ ぼくはあなたのために生き あなたのために死ぬ
あなたの足元にひれ伏し 白く芳しいその御足に口づけすることを 許してほしい そしてぼくは喜んで死ぬ あなたはぼくの熱い涙に濡れて もっと美しく光り輝くだろう ぼくに幸せと悦びを恵んでくれた人よ ああ ぼくの初恋の人 ぼくのカルピス あなたの全てを吸いつくし飲みほそう そうすればあなたはぼくの血となり 悦びの涙となるのだ・・・」
行雄は夢中になって詩をつづっていった。 便せんに何枚も詩を書きなぐりながら、行雄はこれらの詩を、敦子がアメリカへ立つ前に彼女に贈ろうと思った。 その夜、彼は思いつくままに、ひたすら愛の詩を書きつづっていった。
4)愛、そして別れ
敦子がアメリカへ出発する日も、あと数日に迫ってきた。 行雄が書いた詩は敦子を非常に感動させ、彼女はそれを大切にとっておくと言った。彼の熱烈で、ひたむきな思慕の情が敦子の心を打ったのだ。 彼女はお返しに、この前見せてくれた自分の新しい写真を十数枚も行雄にくれた。彼は敦子の写真を無性に欲しがっていたので、大喜びでそれらを受け取った。
敦子の写真は以前、長瀞で撮ったものなど十枚ほどしかなかったので、行雄の机の引き出しは、彼女の写真で一挙に花やかになった。 彼は自宅にいる時、しばしばそれらを手に取って長い間見とれていた。
敦子が出発する三日前、行雄は彼女が良く写っている写真を何枚か持って、友人の向井の家を訪れた。 この前、向井に冷ややかに応対されたことをすっかり忘れてしまったのか、行雄はのぼせ上がったように、敦子のことや彼女への思慕の情を彼に打ち明けた。
向井は黙って聞いていたが、先日とは打って変って、行雄の気持に水を差すようなことは言わなかった。 彼は微笑みながら、少し行雄をからかうように「太平洋を越えた恋だね」と言った。 太平洋を越えた恋・・・向井はいいことを言ってくれると思い、行雄は嬉しかった。 帰り際に、向井は「二人の友愛が長く続くことを祈るよ」と付け加えた。 彼が素直にそう言ってくれたので、行雄はとても勇気づけられた気持になり、心の中で彼に感謝した。
胸の暖まる思いで行雄は帰宅した。 敦子と会っていられるのもあと三日で終りかと思うと、先日、彼女と手を握り合って散歩したことが、地下から湧き上がる温水のように彼の心に浮かび上がってきた。 ああ、もう一度、もう一度でいいから彼女の手を握り、できれば彼女を抱き締めたい。
そう思っているところへ、母の久乃が行雄の部屋に入ってきて、「明日の夕方、敦子さんとお母さんが、お別れの挨拶にうちに来るということですよ」と伝えてくれた。 そうか、彼女と会って話しができるのも明日が最後なのだ。彼女になんと言ったらいいのだろう。彼女になにをすればいいのだろうか。
僕の写真を何枚か持っていってもらおう。 そのうちの一枚は敦子の胸の中にしまって欲しい。そうすれば、僕は彼女と共に一年間アメリカへ行けるのだ。 彼女の胸のぬくもりをいつも感じながらおれるのだ。そして僕は、太平洋を越えて彼女の心の中に生き続けることができる。 そう考えるのは図々しいことだろうか。いや、そんなことはないと行雄は思う。 彼はアルバムをめくって、自分のポートレートを何枚か取り出し、これらを敦子に持っていってもらおうと考えた。
その夜、行雄は遅くまで敦子の写真を眺め続けた。 彼女の聡明さを物語るようなその広い額。細く長く伸びた眉毛。 すずしい目もとのつぶらな両眼。その下になだらかに伸びた清楚な鼻。やや厚ぼったいが小気味よく結ばれた唇。
敦子の顔写真をそっと手に取ると、行雄は恐る恐るそれに唇を押し当てた。 なにか勿体ないような気持になった。それは彼女への思慕というより、貴く美しいものへの限りない尊崇の念に似たものであった。
翌日、行雄は朝早く目を覚ました。 なにか落ち着かず、テレビを見たり家の回りを散歩した後、クラシックレコードを聴いたりしながら半日を過ごした。 そして、真夏のじりじりした蒸し暑さの中で、彼は敦子に捧げる最後の詩をつづっていった。
「あなたの胸に抱かれて 僕の心は太平洋を越える あなたの胸のときめきに 僕は生きる希望を感じる 長き別れの時の中に 二つの命はさらに燃える あなたの小さく白い胸 その胸を僕はなでるともなく なでてあげよう あなたは朝露に濡れ 虹の中に美しくよみがえるだろう・・・」
ああ、敦子、敦子、敦子。 僕は君と別れるのがいやだ。いやだ! 行雄は切なさに胸が締めつけられ、思いきり泣きたい気持になった。 泣けるものなら心ゆくまで泣きたい。それで気が晴れるのなら、彼女と別れた後、子供のように泣きじゃくろう。
そう思いながらも行雄は、敦子と今日会った時は、彼女を気持良くアメリカへ送り出さなければならない、それが男らしい態度というものだ、と自分に言い聞かせた。
夕方、敦子は母と一緒に村上家に別れの挨拶にやって来た。 彼女は、先日行雄が貸した「若草物語」を持参してきて「とても良かったわ。ありがとう」と彼に告げた。 行雄は何も答えなかったが、彼女の好意が痛いほど分かるような気がした。
家では父の国義と母の久乃が、なごやかに二人を出迎えた。 国義は幼い頃の敦子のことをよく覚えていたので、昔話を織り込みながら彼女の利発さを盛んに誉めた。 傍らにいる行雄にとっては、父が敦子を激賞することは、自分の学業成績の悪さを当てつけられているような気がして、あまり面白くなかった。
皆で夕食を共にしている間も、国義はすっかり上機嫌になり、若い頃、自分が一人で満州へ旅立った話しを持ち出して、アメリカへ行く敦子を激励した。 満州の思い出話しを始めると、国義はいつも止まることがなかった。今日も延々と続くような感じがする。
父が酒を飲みながら一人でしゃべりまくっているので、行雄は腹が立ってきて、夕食を終えるとさっさと自分の部屋に引っ込んでしまった。 もうすぐ敦子がこの部屋に来てくれるはずだ。 早く来てくれないかなあ、と思いながら待っているのに、食堂の団らんは一向に終わりそうもない。
行雄は次第に苛立ってきた。 父が敦子を“一人占め”しているような感じがしてきて、我慢がならなくなった。部屋でじっと待っていることができず、親父の奴めと思いながら家の外へ飛び出した。
せっかく敦子との最後の晩だというのに、どうして早く二人だけにしてくれないのか。 父への怒りが行雄の心に充満し、彼は腹立ちまぎれに散歩を始めた。近くの公園まで行くと、行雄はベンチに腰を下ろして時間をつぶした。 夜空を見上げると、すでに幾つかの星がまたたいていた。
もうそろそろ大丈夫だろうと思いながら、三十分ほどして行雄が帰宅すると、国義はまだ敦子を引き留めているようだった。 聞き耳を立てると、国義と久乃と敏子が、共栄銀行の名古屋支店時代の思い出話しをしているようだ。
行雄はすっかり絶望的になって、ベッドの上に寝転がった。そして、三人の大人を呪った。 それと同時に、敦子に対しても腹が立ってきた。どうして大人達の下らない話しにいつまでも付き合っているのか。 早くなんとか言い訳して、どうしてこの部屋に来てくれないのか。 もう勝手にしろ!という思いだった。
先ほど家を出たのも、彼女に早く部屋に来て欲しいからそうしたのだ。なんて馬鹿々々しいんだ。 これが敦子との最後の晩だなんて・・・行雄がじりじりと焼け付くような思いで待っていると、国義がいい加減に酔っぱらったのか「それでは元気に行っておいで」と、敦子に上機嫌で声をかけ、自分の部屋に引っ込んでしまった。 ようやく終わったか、と行雄はほっとした。
暫くして敦子が行雄の部屋に入ってきた。 彼が怒っているのを察して、敦子は「ごめんなさい。待たしてしまって」と言った。 「ああ、待ったよ、待ちくたびれた」 行雄はむっとして答えた。
「貴方がさっき、家を出ていったのも知っていたわ」「貴重な時間を台無しにしてしまうなんて、親父も親父だ」 「お父さまのことを悪く言っては駄目よ。とても励ましてもらったわ」 二人が言い合っているうちに、敦子は行雄が寝そべるベッドの端にそっと腰を下ろした。
すると行雄は立ち上がり、机の引出しから自分の写真数枚と、これまでに書いた詩のノートを持ってきた。 「これ、アメリカへ持って行って欲しいんだ」 彼がそれらを敦子に手渡すと、彼女は黙ったままうなずいた。
行雄もベッドに腰を下ろしたが、それ以上はもう言葉が出なくなった。 沈黙が始まると、彼の心はみるみるうちに狂おしく悶えてきた。あれほど、敦子と二人になることを待ち焦がれていたくせに、この男は彼女とどう過ごしてよいのか分からなくなった。
横目でそっと敦子を見ると、彼女はなんと清らかなのだろう。 水色の半袖ブラウスとスカートに包まれた敦子は、花に例えればバラやダリアではなく、アジサイ(紫陽花)やスミレ(菫)という感じだった。 彼女がベッドに腰かけているだけでも、清々しい匂いが漂ってくるようだ。
行雄が見とれていると、敦子は何かを期待するかのように、視線を床に落としながらじっと座っている。しかし、彼は何もすることができなかった。 暫くすると敦子は立ち上がり、庭に面した廊下へ出ていった。 行雄が廊下に出て見ると、彼女は隅の方でうずくまっていた。まるで腹痛に襲われている感じだった。
「ねえ、オナカが痛いの?」と聞いても、敦子は黙っている。 どうしてよいか分からず、行雄が立ち尽くしていると、彼女はすっと立ち上がり部屋の方へ戻ってきた。 行雄の側を通る敦子の背に、彼がそっと左手を当てると、その瞬間、彼女は白い頬を朱色に染め目が星のようにきらめいた。
その表情の激変に行雄はびっくりし、思わず敦子を前の方へ突き放した。 彼女は勢い余ってベッドの上に座り込んだ。 同時に行雄は、自分の突拍子もない行動に、胸の底から慙愧の念に襲われ身も心も切り裂かれる思いがした。 彼は、情愛に満ちた少女の扱い方が分からなかったのだ。
馬鹿だ、自分はなんて馬鹿なんだ。行雄は絶望的な気持になって、“でくの坊”のように立ち尽くしていた。 敦子は顔を伏せてベッドに腰かけていたが、その姿は叱られた少女のように痛ましく、頬も青ざめていた。
申し訳ない。行雄はいくら後悔しても足りない気持になり、洋服箪笥にもたれかかって目を閉じていた。 謝ればいいのだ、謝れば・・・でも、なんと言ったらいいのか。謝罪の言葉など、すぐには思いつかなかった。 数分の間、重苦しい沈黙が続く。
ついに行雄は、断末魔の沈黙に耐え切れず、よろめきながら敦子の傍らに身を投げるようにして倒れ込んだ。 そして、罰を受けた子供が許しを乞うように、おずおずと手を伸ばして敦子の手の上に重ねた。 すると、彼女の手の暖かみが、彼の心の困惑を和らげてくれるような気がした。
暫くして、行雄が顔を上げて敦子を見ると、彼女の視線と合った。その目元が微かに笑ったように見えた。 それが行雄の気持をほっとさせ、彼の身体と心から緊迫感が抜けていった。 彼は敦子の手を握りながら身体を起こし、彼女の側に並んでベッドに腰かけた。 「ごめんね」行雄はささやくように言うと、敦子の身体に腕を回してそっと抱いてみた。
熱い。その熱さといったら、彼女の肉体の中に炎があるみたいだ。 敦子は行雄の抱擁を待ち望んでいたのだろうか。 彼女の肉体の熱さに行雄はたじろぎ、それ以上敦子を抱き寄せることができなかった。彼女の髪の毛が行雄の耳に触れたので、彼は身体中がこわばった。
こうして敦子を抱いているだけで、行雄の心は感謝の念で一杯だった。これ以上、何を欲することができるだろうか。 行雄は敦子から腕を放すと、ほっとしてベッドの上に仰向けになって寝そべった。 心身のすみずみまで満足感に浸されていた。
敦子がアメリカへ行く前に彼女を抱くことができた。それだけで、もう何も思い残すことはない。 行雄は感謝と満足感で法悦の状態になっていた。敦子はと見ると、彼女はいつの間にか床に腰を下ろしてベッドに身体をもたせかけ、両腕をその上にながながと伸ばしていた。
行雄は寝そべったまま横向きになり、彼女の両手を握った。 暖かく湿ったその両手は、まったく力が抜けており、彼のなすがままになっていた。 この前、行雄が感じたとおり、それはお湯とゴムの塊のようであった。
敦子がまるで降伏した敗残兵のように見えて、行雄はおかしくなった。 彼は急に勝ち誇ったバッカス(酒神)のような気分になり、彼女の手を強く握ったり、ひねったり、ベッドに押し付けたりした。 それでも、彼女の両手がなすがままになっているので、行雄は思わず笑い出してしまった。
「ねえ、敦子ちゃん、もうお別れだね。 アメリカへ行ったら手紙をちょうだいね。君の写真も送って欲しいな。 一年後には、二人でまた長瀞へ行こうよ。この前は、僕が失礼な態度を取ってしまったけど、今度行く時は、きっと楽しくやれると思うよ。僕はあのことをずっと反省してるんだ。ねえ、敦子ちゃん・・・」
行雄はすっかり上機嫌になってしゃべり始めた。 一方、敦子はむしり取られたスミレ(菫)のように黙り込んでいた。 敦子母子が帰宅する予定の九時が、刻々と近づいてきた。冗舌になった行雄は「あと十分」「あと八分」「あと四分」と、腕時計を見ながら気ぜわしく言うので、敦子が微笑んだ。 しかし、彼女は何も語ろうとはせず、過ぎゆく行雄との一時を満喫しているようであった。
やがて敏子が、「敦子、もうおいとましますよ」と言いながら、行雄の部屋に入ってきた。ところが、敦子がぐったりと手を行雄に委ねているのを見て、彼女は驚いたように立ちすくんだ。 敏子が入ってきたので、行雄も酔いが醒めたように我に復った。
敦子はゆっくりと身を起こして立ち上がり、無言で母の後に付いていった。 行雄と久乃が門まで見送ると、そこで敦子は初めてニッコリと微笑み、「さよなら」と行雄に別れを告げた。
久乃が「それではあさって、横浜にお見送りにまいります」と言うと、敏子も笑って挨拶し、待たせてあったタクシーに敦子と一緒に乗り込んだ。 敦子は去っていくタクシーから顔を出し、行雄らに手を振った。彼もタクシーが見えなくなるまで手を振り続ける。またたく間に、タクシーは闇の中に消えていった。
二日後、行雄は久乃と一緒に、敦子を見送るため横浜港へ出かけた。 八月中旬を過ぎたとはいえ、港にはまだ真夏の強い日差しが照りつけ、船客や送迎客などがごった返し活気づいていた。
行雄達が着いた時には、敦子はすでに乗船しており、徹三や敏子、弟の徹郎、信二の一家が見送りに来ていた。 徹三が「遠い所を、わざわざお見送りに来ていただいて有難うございます」と、丁寧に挨拶してきた。 久乃は「いいえ、今日は敦子さんの門出の晴れ姿を、ぜひ拝見したくてまいったんですよ」と答え、なごやかに談笑していた。
しかし行雄は、港に着くと敦子の姿は見えないし、余りに多くの人達がごった返しているのに気押されて、浮かぬ気分になっていた。 そうこうするうちに、徹三が「船に入って、敦子に会ってやりましょう」と言うので、行雄は徹三や徹郎と一緒に乗船した。
迷路のような船内をくぐり抜けてデッキに上ると、AFSの奨学生達が、埠頭に見送りに来た親類や友人、恩師らに手を振ったり、声をかけ合ったりして別れの挨拶をしていた。 どの顔にも、一年間のアメリカ留学を前にして、肉親や友人との離別の感慨をかみしめる、高校三年生の表情がありありと出ていた。
涙をぽろぽろこぼしている女の子、やたらに甲高い声でしゃべりまくる男の子。 敦子はと見ると、彼女も真夏の日差しを顔一杯に受けて、なにか陶然とした表情で友人達と別れを惜しんでいるようである。 時おり、「森戸さん、元気でね」とか「森戸、頑張れよ」という声がかかると、彼女は笑いながら手を振っていた。
行雄も敦子に声をかけようと思って近づいた時、出航を前にして奨学生らの取材をしていたどこかの新聞記者が、彼女にインタビューを始めた。 たぶん、アメリカ行きの感想などを聞いているのだろう。(この当時、高校生が海外留学するのは、極めて異例のことだった。)
行雄は急に気が滅入ってしまって、敦子に近寄る気持になれなかった。 一昨日、自分が手を握り抱いた彼女が、今は多くの人達の“共有物”になっているように見え、なんともやりきれない悲しみが込み上げてきたのである。
多くの人達に見送られ、新聞記者の取材まで受けている敦子は、今や行雄の手から遠く離れた近寄りがたい存在に見えた。 彼女が自分の“独占物”ではないと思うと、悔しいと言おうか腹立たしい気持にさえなった。 徹三も、娘が一年間いなくなることに寂しさを覚えるのだろうか、厳粛な表情になっている。
行雄は敦子や徹三達から離れて船内に降り、それから埠頭の方へ向かった。 母はと見ると、久乃は久しぶりに横浜港に来たからだろうか、楽しそうに周囲の光景を眺めている。 五色のテープが飛びかい、敦子達を乗せた客船の出航する時刻が近づいてきた。
一昨日の夜の敦子の熱い身体と、暖かく湿った両手を行雄は思い出していた。彼女ともいよいよお別れだ、と彼は痛切に感じた。 しかし、敦子はいま、なんと自分から遠ざかった存在になっているのだろうか。
彼女は行雄の気持などまったく意に介さないかのように、嬉しそうに笑いながら、見送りの人達に挨拶したり手を振ったりしている。 これがこの半年、自分が親しく交際し、憧れてきた女の子なのだろうか。 彼女はアメリカへ行ってしまうだけでなく、いま自分以外の大勢の人達の“共有物”になっているのだ。
行雄は腹立たしい気持を抑えながら、じっと敦子を見つめていた。 すると彼女の視線が、自分の姿を捕らえたような気がした。彼女の表情から微笑が消え、暫く行雄を眺めているようであった。 行雄が困惑したままでいると、彼女はさもおかしそうに口を開けて笑った。
次の瞬間、行雄は思わずカッとなり、その場にいることが耐えられなくなった。「お母さん、僕、先に帰るよ」 彼が突然そう言って後ろを向いたので、久乃はびっくりし「行雄、待ちなさい」と止めたが、彼は衝動的にもうその場から立ち去っていた。
言い様のない怒りと悲しみが行雄を捕らえ、彼は港のバスターミナルの方へ足早に向っていった。 自分は勝手気ままな人間だとは思うが、どうしようもなかった。バスの中でも、帰りの電車の中でも、行雄は腹立たしくてならなかった。
敦子、さようなら。 もう僕は、君とまともに付き合うことができないのだろうか。君は、僕の手からまったく離れてしまったのだ。 それでいい、それでいいかもしれない。君には未知のアメリカの生活があるだろうが、僕はこれから、一体どう過ごしていけばいいのか。 君のいない、味気ない毎日をどう送ったらいいのか。
敦子が近くにいない生活なんて、自分にとっては砂漠をさまようみたいなものではないか。 どんなに腹が立っても悲しくても、彼女はもう日本を離れ、いま太平洋をアメリカへ向っているのだ。
行雄は帰宅すると、敦子の写真を取り出して口づけした。涙が止めどもなく流れ落ち、子供のように泣きじゃくった。 泣けるだけ泣くと、行雄の心はようやく穏やかになり、安らかな甘い諦めの気持に浸ることができた。
5)マルクス主義
敦子がアメリカへ行ってから、行雄は虚脱したような毎日を送っていた。 夏休みも終りに近づき、行雄は不承不承、学校の宿題を片づけるようになったが、その合間をみて向井の家に遊びに行ったり、自転車に乗って荒川べりにくつろぎに出かけたりした。
土手の草むらに寝転がって青空に浮かぶ雲を見ていると、その中から敦子の白い顔が幻となって現われてくる。 彼女は今頃、もうシカゴに着いているかもしれない。そして、民間の篤志家の家に入って、新しい生活を始めているだろうか。彼女が特訓に励んでいた英会話は、上手くこなしているだろうか・・・
目を閉じていると、夏草の香りとともに、敦子との甘い交遊の思い出が蘇ってくる。 彼女の暖かく湿った手や、熱く燃えたしなやかな身体の感触が、昨日のことのように行雄の脳裏に思い出されてくる。 彼女はきっと、張りのある幸せな毎日を送っているだろう。 自分も暫く彼女のことは忘れて、何かに打ち込める日々を送りたいものだと思う。
目を開けると、青空の彼方に無限の宇宙が遠く広がっているのを感じる。 まだ十七歳の自分にも限りない可能性が、この宇宙の広がりと同じようにあるはずだ。 虚脱したような毎日の生活に区切りをつけ、自分の青春を何かに燃焼させることができるのなら、自分も敦子に負けないような素晴らしい人生を送れるかもしれない。
なんでもいい。何かに自分の全身全霊を捧げ、この夏の太陽のように激しく燃えて生きたい。 しかし、そうした人生が自分には可能だろうか・・・いや、つまらない自分だからこそ、そうした燃えるような人生が必要なのだ。 生命の燃焼、そして死なのだ、と行雄は思う。
雑草が頬にこそばゆく感じられて身体を起こすと、荒川のゆったりとした流れが日に映えて目に染みるようだ。 美しく安らかな自然・・・その中にいると、虫けらのように空ろな毎日を送っている自分も、蘇ってくるように感じられる。 自分というちっぽけな一つの命が、自然の中に生かされているのを感じる。
誰も何事も、この命を妨げたり破壊することはできないだろう。十七歳の俺はこうして生きている。 行雄は土手の坂に沿って、草むらの中をごろごろと身体を回転させてみた。 そして、立ち上がると再び自転車に乗り、ペダルをぐいぐいと踏んでいった。夕暮れの爽やかな夏の風が頬をかすめていく。 土手の一本道を、行雄は全速力で突っ走っていった。
二学期が始まると、秋の学院祭へ向けて、行雄はフランス文学研究会のクラブ活動に熱中するようになった。 仏文研は学院祭で、モリエールの「守銭奴」をフランス語劇で上演することになり、行雄は主役のアルパゴンを演じることになった。
皆で一つの劇を作り上げていくのは楽しいもので、行雄は来る日も来る日も練習に励んだ。 彼は中学時代から演劇が好きで、これだけは上手くこなせるという自信があった。だから練習にもおのずと熱が入ったが、仏文研の友人や後輩も、そうした行雄を温かく応援してくれた。
演出役の船津二郎が、欲張りじじいのアルパゴンを印象深く見せるため、“すりこぎ”型の小さな黒い杖を用意してくれた。 その杖をつきながら行雄が演技すると、芸が一段と冴えてくるように見えるから不思議なものだ。
いよいよ十月の初旬になって、学院祭が大学の大隈講堂で行なわれた。 仏文研の出し物「守銭奴」は、行雄をはじめキャスト全員の熱演で大成功を収めた。フランス語劇だから、大半の学生は意味がよく分からなかったようだが、金と女の間を血迷う欲張りじじい・アルパゴンの醜いユーモアは、それなりに理解されたようだった。
劇が終ると、行雄は多くの学友から熱演を誉められた。 ふだんクラスメートから離れがちで、うさん臭く見られていた行雄にとっては、これは大きな自信となるものだった。 やれば出来るのだという思いが高まり、大学進学の際は仏文科か演劇科に入ろうという気持になった。
気を良くしていた彼だったが、唯一不満だったのは敦子から手紙が来ないことであった。 彼女が渡米してから行雄は、三度、四度とシカゴに手紙を出し、自分の生活ぶりを逐一知らせていたが、敦子の方からは無しのつぶてで、国義と久乃宛に簡単な礼状が一通届いただけだった。 両親には手紙を寄こしておいて、どうして自分にはなんの便りもくれないのだろうか。
敦子は慣れないアメリカできっと忙しいだろうとは思ったが、自分が無視され、馬鹿にされた感じで行雄は極めて不愉快だった。 優等生の彼女に対する、嫉妬の入り交じった怒りが彼の心に充満してきた。 恋い焦がれている女性から冷たくされるほど、癪にさわることはない。ついに行雄は怒りを爆発させた。
彼は五度目の手紙の中で、敦子のことを「冷血漢」「エゴイスト」「女天狗」などと罵倒し、もう君とは絶交すると書いてしまった。 横浜港で別れる時、多くの人達の歓声と激励の中で、敦子は行雄のことをまるで忘れたかのように陶然としていたではないか。
そして、腹立たしく見送っていた俺の姿を目にとめると、彼女はまるであざ笑うかのように、顔を天に向けたではないか。 それらのことを思い出すと、行雄は“めまい”がするほど悔しさで胸が一杯になった。絶対に許すものかという気持で一杯になった。 断固とした決別の手紙を敦子に出すと、彼は暫くのあいだ悲壮な興奮に酔っていた。
学院祭が終って数日たった頃、尊敬しているクラス委員の大川勇が、放課後ニコニコ笑いながら行雄に話しかけてきた。「この前の村上君のフランス語劇は、素晴らしかったね。意味はよく分からなかったけど、あんなに力のこもった熱演は見たことがないよ」 大川にそう言われて、行雄は「そんなことはないよ」と謙そんしたが、内心は嬉しかった。
「ところで、大川君は相変わらず全学連の行動に参加してるの?」と行雄が尋ねると、彼は待ってましたと言わんばかりに、「もちろん、参加してるよ。 実は君にもこのパンフを読んで欲しいんだ」と言って、カバンから青い表紙の薄っぺらなパンフレットを取り出し、行雄に手渡した。
「これは、全学連が安保条約改定反対のために発行したパンフだけど、全学連に賛同するかしないかは別として、これを読んでもらえれば有り難いんだがね」 日頃尊敬する大川にそう言われて、行雄はパンフレットを受け取った。
「僕はこれから、高田馬場へ行く用があるので失敬するけど、明日、できたら君の意見を聞かせて欲しいんだ」 大川は微笑んで軽く手を上げて立ち去った。いつもの軽快で颯爽とした立ち居振舞いだった。
行雄は、オルグされていると思ったが、少しも嫌な感じを受けなかった。 その晩、彼は帰宅すると全学連のパンフレットに目を通した。 日米新安保条約粉砕や岸反動内閣打倒、そして安保反対闘争を通じて、全学連が社会主義革命の突破口を切り開いていくことなど、戦闘的な言辞が至る所に記されていた。
その中で、行雄が特に惹かれたのは、「いま、われわれ全学連が闘争に立ち上がらなければ、それだけ日本の独占資本は強化され、それだけ日本プロレタリアートの解放は遅れ、それだけ社会主義革命は遠のく」と断定した文章であった。
その確信に満ちた文章は稲妻のように行雄の心を貫いた。 社会主義とはなにか、また革命とはなにか、プロレタリアートの解放とはなにか? 彼は心の中に、急速に問題意識が浮上してくるのを感じた。 勿論、資本主義に対する社会主義の概念ぐらいは知っていたが、それが、この平和な日本にいま必要なのだろうか? 問題意識が、巨大な雲のようになって行雄の心を覆ってきた。
あの砂川基地反対闘争や、日教組の勤務評定反対闘争などに、全学連が積極的に参加していったことはよく覚えている。 しかし、全学連の本当の目標は、社会主義革命の達成にあるのだろうか。 社会主義とはなにかなど、行雄はそれらのことを一刻も早く知りたいという衝動に駆られた。
とにかく早く知りたい。そして、それらが善であり正義であるなら、全学連の運動に全身全霊をなげうちたい。 崇高な正義の闘いに、このちっぽけな命を燃焼させよう。正義のために生き、正義のために死ぬのなら本望だと行雄は思った。 行動への矢も楯もたまらない衝動というのか、それは彼がフランス語劇に熱中し没頭したのと、同じ次元のもののようであった。
翌日、行雄はパンフレットを大川に返し、授業が終ってから彼と一緒に帰ることになった。 二人はじっくり話し合おうということで、上石神井駅に至るいつもの通学路を帰らず、遠回りをして上井草駅まで歩くことにした。
いつの間にか秋たけなわといった季節になり、行雄は学生服を着ていても暑いとは感じなかった。 彼が社会主義とはどういうものかと聞くと、大川はマルクス、レーニン、トロツキーなどの言葉を引用して熱心に説明を始めたが、その声は甲高く強く響くものがあった。
「この現実の社会、それは村上君も知っているとおり資本主義社会だ。 私有財産が認められ、一見、全ての自由が保障されているようだが、はたしてそうだろうか。 事実を率直に言わせてもらえば、それは一部の財閥や富豪、資本家だけが生産手段と富の大半を所有し、本当の自由というものは、そういう少数の人間や階層に握られているのだ。
われわれは彼等をブルジョワジーと呼ぶが、現実の国家というものは、そのブルジョワジーの富や権力、自由を保護し、それらをより強固なものにするために存在しているのだ。 一方これに対して、労働力しか持たず、生産手段や富をほとんど持っていない、非常に多くの労働者階級というものがある。
われわれはこれをプロレタリアートと呼ぶが、彼等は日々、ブルジョワジーに搾取されながら労働に従事している。搾取とは、要するに利益をしぼり取ることなんだ。 プロレタリアートは、いわばブルジョワジーの鎖につながれており、みずからその鎖を断ち切らなければ、本当の自由を獲得することができないのだ。
君はあの悲惨な炭鉱労働者や、近江絹糸の女工の痛ましい話しはよく知っているだろう。 あれほど悲惨でなくても、多くの労働者は資本家の貪欲な利潤追求のために、細々とみずからの労働力を売って、その日暮らしの賃金をもらって生活しているに過ぎない。 こうした現実が許されてよいと、誰が思うだろうか。 資本家を除いて、誰もそうは思わないだろう。
大多数のプロレタリアートが資本家の軛(くびき)から解放され、本当に自由で豊かな生活を獲得したいと思うなら、ブルジョワジーのためにある現在の国家を打倒し、プロレタリアートのための国家を樹立しなければならない。 そのためには革命が必要なのだ!」
大川はここで一呼吸おくと、行雄の顔をまじまじと見て反応をうかがったが、行雄の方はただ呆然として聞いていたので、表情にはなんの変化もなかった。 大川は更に話しを続けた。
「マルクスは、資本主義社会における歴史の原動力を、プロレタリアートに見い出した。プロレタリアートこそは、明日のより自由な社会を実現させるための担い手なのだ。 そして、一部の資本家に握られている生産手段を国有化し、大多数の労働者、農民のための社会、つまり社会主義社会を実現することが、現代における歴史的な課題と言えるのだ。
そのために、われわれ学生やインテリゲンチャは、側面から社会主義革命に協力し、それを支援していかなければならない。 いや、むしろわれわれ学生は革命の前衛となって、現在の国家を打倒し、プロレタリアートを解放するために、進んで先頭に立って闘わなければならないと思うんだ」
大川の説明には、ますます熱が入ってきた。 その細くて小柄な身体から言葉がほとばしり出てくるので、行雄はただ引きずり込まれるように聞き入っていた。
「しかし、社会主義革命を達成した国の中にも、本当にプロレタリアートのためになっていない国があるのだ。 村上君、君は三年前のハンガリー動乱のことを、よく覚えているだろう。 ハンガリーの労働者、学生が真の社会主義社会を目指して立ち上がった時、ソ連はブダペストに戦車を繰り出し、プロレタリアートの正当な要求を武力で弾圧したのだ。
これが、本当の社会主義国家のやることだろうか。これが、本当の革命的な行為と言えるだろうか。 それは断じて違う! それならどうして、社会主義革命の祖国であるソ連が、このように卑劣な反革命的な行動に出たのだろうか。
その答えはこういうことだ。 レーニン、トロツキーが指導したロシア十月革命を、権力を手に入れたスターリンがねじ曲げ、裏切ったところに原因があるのだ。 レーニンの死後スターリンは、プロレタリア世界革命を放棄し、ソ連邦という一国だけの社会主義社会の建設に狂奔して、世界革命を裏切った。
それを阻止できなかったトロツキーらにも責任はあるだろうが、スターリンはひたすらソ連だけの強大化を図り、他の国の革命を見殺しにしてきた。 ドイツやスペインの例が、そのいい見本だ。
革命の祖国を守ることが唯一の使命だと、コミンテルンを通して誤った理論が幅を利かせたため、いつしかソ連だけが、全ての革命運動が擁護すべき目標となってしまい、その結果、ソ連絶対主義と社会帝国主義国家・ソ連邦の誕生となったわけだ。
これは明らかに、スターリンの一国社会主義理論の誤りであり、ソ連の名のもとに、他の社会主義国家や革命運動が犠牲にされるという、とんでもない結果をもたらした。 だから、スターリン自身が、ソ連共産党の中で批判されるようになってからも、ソ連の社会帝国主義的な本質は一向に改められず、あのようなハンガリーの悲劇となって現われてくるのだ。
これからも、第二、第三のハンガリー事件は十分に起こりえると思う。 つまり、ソ連共産党が今になっていくらスターリンを批判しても、彼等の体質は依然としてスターリニストの体質であり、そうである限り、われわれはそうした社会帝国主義とも断固闘わなければならないのだ。 われわれの旗印は簡単に言って、反帝国主義、反スターリニズムということになる。 村上君、どう思う?」
大川はここでまた一呼吸おくと、行雄の顔色をうかがったが、行雄の方は頭の中に“竜巻”が吹きすさぶような感じがして、なにも答えられなかった。 大川は更に話しを続けていった。
「ところで、わが日本共産党のことだが、これはもはや、日本の社会主義革命の担い手ではなくなっている。 彼等は四年前の六全協決議によって、平和革命の路線を取ったが、これは根本的にマルクス主義とは相容れないものだ。
もちろん、われわれだって、ブルジョワ民主主義社会における議会の存在価値を、全面的に否定するものではない。 われわれはブルジョワ議会を利用してもいいが、それに埋没し、それによって平和革命を達成しようなどと考えるのは、明らかに幻想でしかない。
なぜなら、ブルジョワ議会こそ民主主義の名において、現在の社会体制を少しでも長く持続させるために創られたものだからだ。 ところが日本共産党は、みずからの火炎ビン闘争など暴力革命方式が上手くいかないと見るや、六全協でがらりと基本方針を変更し、今度は平和革命の名のもとに、ブルジョワ議会べったりの体制内政党に堕落してしまった。
そして、“歌ってマルクス、踊ってレーニン”という、マルクスやレーニンが聞いたら恥ずかしくなるような、大衆追随の骨抜き政党に転落してしまったのだ。 もはや彼等には、社会主義革命を完遂していく前衛党としての、自覚もなければ力量もない。 彼等にできるのは、ブルジョワ議会選挙のための票集めぐらいのものだ。
だからこそ、今やわれわれは、堕落した日本共産党に代って、真に社会主義革命をやり遂げることができる、本当の前衛党を構築していかなければならない。 そのために、革命的な労働者、学生が結集して、新しい地平線を切り開いていかなければならないのだ」
小柄な大川はここで、行雄の顔を見上げながら話しかけてきた。「村上君。 僕の言ったことは、君に全て分かってもらったとは思わないが、一番肝心なことは、搾取され虐げられているプロレタリアートを解放し、本当に自由で人間的な社会を創り出すことに、君も賛同してくれるかどうかということなんだ。
もし君が、そういう素晴らしい社会を創り出すために情熱に燃え、理想にまい進するという気持が少しでもあるなら、僕は喜んで君と一緒に行動し、苦楽を分かち合いたいという思いで一杯なんだ」
大川の熱烈で長い説明が終ると、行雄はこれまでに覚えたことのない感動に襲われていた。 これほど自信に満ちた、またこれほど確固として説得力のある“雄弁”を行雄は聞いたことがなかった。
それと同時に、今まで漠然としか考えていなかった社会主義というものが、初めて行雄の頭の中に稲光りとなって差し込み、彼はその電気に打たれて身震いする思いだった。 彼は大川から救いの光を与えられたような感じがして、暫くの間、返す言葉がなかった。
いま、行雄は自分の眼前に、希望に満ちた広い地平線が開かれてきたと思った。 彼は感動に胸を締めつけられながら、「大川君、ありがとう。 僕はもちろん君と一緒に行動したい」と答えた。
二人はすでに上井草駅付近まで来ていたが、もう少しじっくりと話し合いたいと思い、駅の近くの喫茶店に入った。 社会主義をもっと知りたいという、溢れるような欲望が行雄の心に込み上がっていた。
大川は勉強の基礎として、マルクス・エンゲルスの「共産党宣言」、「賃労働と資本」「空想から科学への社会主義の発展」や、レーニンの「帝国主義論」「国家と革命」、トロツキーの「裏切られた革命」などをリストアップしてくれて、彼らしく几帳面な注釈を付け加えた。
現実の学生運動の話しに移ると、大川は「今月三十日に、全学連の安保反対統一行動があるから、君も良かったらデモに参加してはどうか」と誘ってきた。 行雄はデモの経験などはないので即答を避け、暫く考えさせて欲しいと答えておいた。
二人はそれから、日米安保条約の問題や全学連の運動などについて意見を交わしたが、一時間ほどして喫茶店を出て、帰宅の途についた。 行雄はその途中、高田馬場駅で降りると早速古書店に立ち寄り、大川から教えられた社会主義の文献を、買えるだけ買いあさって帰宅した。
まず「共産党宣言」から読み始める。 読んでいくうちに、行雄はその書物に吸い込まれていくようだった。凄まじい勢いで読んでいく。 それはまるで、渇ききった砂漠のような心が水分を限りなく吸いつくすように、また飢えた狼が獲物の肉に食らいつくように、メラメラと燃える炎が障子やふすまを焼きつくすような様であった。
ページをめくるにつれて、行雄の心は大空に解放されていくような爽快な気分になっていた。 そして、最後の文章にくる。「プロレタリアートは革命において、鉄鎖のほかに失うべきものは何も持たない。 彼等は獲得すべき一つの世界を持つ。“万国のプロレタリアートよ、団結せよ!”」
その結びの文を読んだ時、行雄は大声で「革命を!」と叫びたいような興奮と感動に酔いしれていた。 若き日のマルクスとエンゲルスの情熱が彼の心に“飛び火”したのだ。 俺はやる、俺は立つ、俺は闘うぞ、という気持で彼は一杯になった。
そして行雄は、今日の大川との話し合いで、十月三十日の全学連統一行動への参加について、慎重な答え方をした自分が恥ずかしく思われた。 俺は必ずデモに参加する、必ずやると、心の中で固く誓ったのである。(以下の続きは、第92項目で連載していきます。)