「革命」から解放されたという気持で、行雄は渋谷の街頭に出た。風がかなり強く吹きつけ、冬の寒さが身に凍みる思いだ。 空腹感を覚え、行雄はラーメン店に入って醤油ラーメンを貪るように平らげた。身体が暖まったので、店を出ると繁華街をぶらぶらと歩き始めた。
クリスマスが近いせいか「ジングルベル」の音色がどこからか聞こえてくる。 道行く人達は、なにかせわし気に歩いているように見えた。酔っ払った数人のサラリーマンが、哄笑しながら通り過ぎていく。 行雄はふと、自分は解放されたのに独りぽっちなんだと思った。歩いているうちに、なんとも言えない寂しさが込み上げてきて、思わず涙があふれそうになった。
しかし、俺は間違っていないと思う。 俺はいまアナーキズムに別れを告げてきたが、それは革命から脱落したり変節したのではなく、逆に革命を乗り越えてきたのだ。 俺は敗北したのではなく、新しく生まれ変わろうとしているのだ。行雄は何度も自分にそう言い聞かせた。
しかし、渋谷の繁華街をふらつく間に、彼は全ての思想や信念から、自分が宙ぶらりんになってしまったように感じた。限りない“虚無”の不安が迫ってくるように思えてならなかった。 いま歩いている自分が、底知れない虚無の中を彷徨っているように感じられた。
行雄は堪らなくなって喫茶店に飛び込んだ。座席に身を沈めると瞑想に耽った。 俺は革命思想をアウフヘーベン(止揚)したのだ。革命を裏切ったり、それから逃げたのではない。 俺はマルクス主義を、そしてアナーキズムを乗り越えてきたのだ。闘いと思想遍歴の果てに、俺はいまこうした自分になっているのだ。 俺は決して間違っていない。彼は繰り返し自分にそう言い聞かせた。
しかし、自分はこの先どうなるのだろうか。真っ暗な宇宙の果てに放り出されるような気がする。 そこは暗黒の虚無が支配し、救われない自分が限りなく漂っていくような感じがする。俺は果たして救われるのだろうか。救われないまま終ってしまうのだろうか・・・
言いようのない不安が行雄の心に襲いかかってきた。彼は震える思いでそれに耐えようとした。 これから、俺は全力を尽くして、自分に光明を与えてくれる思想を探していかなければならない。救いの思想を手にしなければならない。 そうでなければ、俺は真っ暗な宇宙の果てに孤児となって死んでいくだろう。
しかし、そういう救いの思想があるのだろうか。 自分がこれまで全存在を賭けてきた、革命思想に代わるものが果たしてあるのだろうか。 そう考えていると、行雄は悲観的にならざるをえなかった。現実にいま、なんの救いの思想もないのだ。彼は打ちひしがれたように座席に身を沈めたまま、不安におののいていた。
学生運動から一切身を退くと、行雄はようやく浦和の自宅に落ち着くようになった。 彼の両親は、息子が毎日帰宅するのを喜んでいたが、以前より一層無口で、青白い顔付きになった彼の身を心配していた。実際、行雄は日に日に憔悴していった。
安保闘争の頃の情熱とエネルギーに満ちあふれていた行雄とは、まるで別人のように弱々しく、ふさぎ込んだ人間に変っていた。 両親や兄が、気晴らしに旅行でもしたらどうかと勧めても、行雄はまったく耳を貸さなかった。彼はうつ病患者のように悲し気で、いつも物思いに耽っていたのだ。
行雄には、自分が変節や裏切りをしたという意識はなかったが、挫折したという気持は痛いほど感じていた。 そうだ、俺は挫折し転向したのだ。一昔前、俺は革命から転向した人間を、心の底から憎み軽蔑していた。 転向した者は卑怯者であり、殺されて地獄に落ちればいいと思っていた。
しかし、今や自分がその転向者になってしまったのだ。 転向とは、変節や裏切りと同じ意味を持つのではないのか。どんなに自己弁護しようとも、アナーキズムに代わる正当な思想を持たない限り、俺は単なる挫折した転向者で終ってしまうのだ。
行雄は徹底的に自分自身を責め、苦しめた。革命思想から解放されたと思った瞬間から、彼はこれまでに経験したことのない、精神的苦痛に悩まされることになった。 どうにでもなれ! ただ俺は苦しむしかないのだ。苦しみ、もがき、悶えることしかできないのだ。そう思う毎日が続いていった。
大晦日の晩。 行雄は、これまで大切に保存していた革命運動の機関紙や雑誌、パンフレットなどを全て燃やすことにした。 マル学同時代から親しんできた「探求」や「前進」、アナーキストだった頃に投稿した「クロハタ」、笹塚らと心を込めて作った「反逆の砦」などを全て庭に運び出した。
行雄はそれらにマッチで火をつけた。火は見る見るうちに書物を呑み込み、焼き尽くしていく。 めらめらと燃え上がる炎に、一枚一枚のページがめくれるように包まれ、やがて灰になっていく。 燃えろ、燃えろ、もっと燃えろと思った。
行雄は、この一年以上の自分の革命人生が、いま炎と灰の中に空しく消え失せていくのを感じた。 なんとも“やるせない”苦い思いを彼は噛みしめていたが、それと同時に心の奥底に、ある種の解放感を覚えた。
書物を焼きつくした炎は、やがて弱々しく消えていく。それと同時に、革命に燃えた自分の情熱も跡形もなく消えていくのだ。 心に残るのは、ただ灰になった革命運動の思い出という、亡骸(なきがら)だけなのだ。 冬の冷たい風が行雄の頬をかすめ、足元の灰を飛ばしていった。これで全てが終ったのだと思いながら、彼は長い間、庭にたたずんでいた。
13)死から生へ
一九六一年の元旦は、行雄にとってこの上もなく暗いうつろな幕開けとなった。 彼は家族ともろくに口もきかず、ほとんど部屋に閉じこもって物思いに沈んでいた。時の流れが、これほど長く切ないものに感じられたことはなかった。 全ての苦悩が、なんの仮借もなく彼の心を蝕んでいくようである。
唯一の喜びは、森戸敦子から“ありきたり”の年賀状が届いたことだった。 それは、神からも人間からも見捨てられた、哀れな孤児に届いた福音のようなものであった。 行雄は嬉しさのあまり神経が高ぶり、その年賀状に口づけして涙ぐんだ。そして、無性に敦子に会いたいと思った。
しかし、挫折した自分の惨めな様を、どうして彼女に見せることができるだろうか。こうして不様に虫けらのように生きている自分には、彼女に会う資格はないのだと思う。 この哀れな男にも、最後のプライドというものはあるのだ。 会いたいと思っても、今は敦子に会うことはできないと行雄は断念した。
危機が確実に近づいていた。 行雄は全てのことに関心や興味を失い、生きていく欲望も気力も持つことができなかった。人生とはこんなにも味気なく、一時、一時がこんなにも耐え難いものなのだろうか。 砂を噛むような思いとは、こういう状況を言うのだろうか。ただ呼吸をして“生物的”に生きているだけの自分なのだ。
絶望とは、ある哲学者が言ったように「生きることもできない、死ぬこともできない」状態を言うのだろう。 現在と未来になんの希望も光明もなく、ただ漠然と呼吸しているだけのこの生き物。 行雄は絶望していた。どこに暗闇からの出口があるのだろうか。どこに救いの光りがあるというのか。
何もない、何もないのだ。 死・・・全てを無にし、全てに永遠の安らぎをもたらす死。 俺も大川らのように、ブロバリンを飲んで死んでもいいのだ。自殺・・・馬鹿野郎! この俺が、どんな悪いことをしたというのか! 俺にはなんの罪もないはずだ、死んでたまるか!
そうは思ってみても、どこに生きることへの、喜びや張りがあるというのだろう。何もないのだ。有るのはただ挫折感と苦悩だけだ。 行雄は悶々として冬休みを過ごした。 憔悴し切った彼は両眼が落ち込み、“まぶた”が一重から二重に変っていた。
唯一の慰めは、テレビで大相撲中継を見ることだった。 大好きだった横綱・栃錦は引退していたが、柏戸、大鵬といった若手の大関らが奮闘する様を、放心したように見ていた。 そうした時だけが、安らかな気分になれたのである。
ある日のこと、向井が久しぶりに行雄を訪ねてきた。 彼は行雄が学生運動から離れたことを知っていたので、励ましのつもりで来たのだろうが、行雄は少しの間雑談を交わした後「これ以上、君と話すことはないよ」と言って、冷たく向井を追い返してしまった。 行雄は誰とも話したくない心境だったのである。冬休み中、まるでうつ病や自閉症患者のように、彼はほとんど部屋に閉じこもって過ごした。
三学期が始まっても、行雄はまともに大学の講義を聴きに行くことはなかった。 クラスメートにも会いたくないし、ましてや全学連の活動家とは顔を合わせたくなかった。 時たま外出するようになったが、当てもなく東京の街頭を彷徨うくらいである。
そんなある日、行雄は突然、美味しいものを食べたいという衝動に駆られた。 食べ物にはまったく関心がなかったのに、どういうわけか動物的に旨いものが食べたいと思ったのだ。日頃の彼は、家でも食事は不規則だし、食べたいものを言わないので久乃を当惑させていた。 日々の空腹感が極まって、そういう欲望が起きたのかもしれない。
財布の中には五千円ほどあった。よしっ、俺は今日これを全部使って、美味しいものを食べるぞと誓った。 夕方になって、行雄は新宿の繁華街に出かけた。彼はこの一年以上にわたって、旨いものを食べたことがなかった。それは、自分が“革命家”であるという自覚を持っていたからである。
革命家たるものは、清貧に甘んじなければならないと思っていた。 武士は食わねど高楊枝ではないが、革命家であるという強烈なエリート意識がそうさせていたのだ。 デモ行進して喉が渇いても、行雄は一般の学生のように、アイスキャンデーやアイスクリームを口に入れることは決してなかった。
しかし、今は違う。自分は革命家でもエリートでもない。挫折した一介のルンペンなのだ。そういう革命家としての誇りは、もう必要ないのだ。よしっ、食べるぞと決意したが、その決意は、かつての国会突入の前の気持に似ていた。 彼は歌舞伎町の界隈でいろいろな料理店を物色した。
とある街角の近くで、ロシア料理店が目についたので行雄はその店に入った。 メニューを見たが何がなんだか分からないので、ウェーターに聞いて最上級のマトンのシチューと高級ウオッカを注文した。
胸の高鳴りを覚えながらシチューをスプーンですすると、とろけるような熱い味が腹の底まで浸みとおる。旨い! こんなに旨いものは、この一年以上食べたことがなかった。 マトンを貪るように食べると、これがまた何とも言えず柔らかく、その美味しさは格別であった。
次いでウオッカを一口飲むと、喉が火のように熱くなり目頭がジーンとしびれてきた。 行雄はウオッカの酔いで心地良い疲労を感じながら、俺は革命家ではない、エリートでもないと再び自分に言い聞かせた。
俺はいま自分のために飲み、食べているのだと自覚した。 そして、それは誰からも咎められるものではなく、かつて他人の幸せや解放を念じて行動したために、多くの人達から非難され弾圧されたことが馬鹿々々しく思えるのだった。
ロシア料理店に一時間ほどいた後、行雄はまた繁華街に出て街頭をぶらついた。財布にはまだ二千円ほど残っている。 全部使わなくてはと思いながら、今度は立派な店構えの中華料理店に入った。店内は家族連れなどの客で賑わっていた。
いつも食べているラーメンや餃子などには目もくれず、芝エビのチリソースと酢豚、春巻きを注文しビールを飲んだ。 隣りのテーブルでは、親子四人連れが楽しそうにおしゃべりをしながら、料理に舌鼓を打っている。 行雄には、その一家団らん振りが羨ましく思え、独りきりの自分を寂しく感じた。
家族の団らんなどは“プチブル”のささやかな楽しみだと、つい先日までは軽んじていたのに、今ではそれが非常に羨ましく感じられるのだ。 俺はいつから家族の団らんを忘れてしまったのだろうかと、行雄は悲しい思いに駆られた。
しかし、とにかく腹一杯食べようと思い、彼は注文した料理をほとんど平らげてしまった。 先ほど飲んだウオッカにビールが混ぜ合わさったせいか、酔いが一層強くなって気持悪くなったが、彼は満腹感に満足していた。 俺は腹一杯食べて飲んだのだから、これでいいのだと自分に言い聞かせた。
それから数日後、青白い顔付きでぶらぶらしている行雄を見兼ねて、クラスメートの橋本敏夫が、キリスト教を信仰する学生の会に彼を誘ってきた。 宗教には関心のない行雄だったが、橋本が熱心に勧めるので、彼について練馬の「友愛の家」という施設を訪れた。
和室が四部屋ある古びた家屋は、学生クリスチャン達が廃材などを組み立てて作ったもので、彼等が「友愛の家」と呼ぶものである。 大工仕事に素人の学生にしては、有り合わせの廃材で見事に建てたものと言えよう。
そこに十数人の学生が集まり、一緒に夕飯を作って食事をした。 この後、学生達は互いに「敏夫さん」とか「一郎さん」などと名前を呼び合って、神の愛についてティーチインを始めた。 行雄は、キリスト教のことは良く分からないので黙って聞いていたが、ティーチインは延々と三時間以上も続いた。
その晩、行雄達はシュラーフザックに身を包んで寝たが、翌日、学生達は隣接する精神障害者施設のために、無償で便所を建ててあげることになった。 行雄も便所作りに一日中汗を流したが、和気あいあいと楽し気に働く学生達の姿は印象に残るものだった。
夕方になって勤労奉仕が終ると、行雄は橋本と一緒に帰路についた。 橋本が「友愛の家」や今日一日の労働について感想を聞いてきたが、行雄は大した感慨もなかったので、「さあね」と冷たくいい加減に答えた。
すると、橋本が語り始めた。「君はやっぱり自己中心主義者のようだね。 自己も大切だが、人間は自分独りで生きていると思ったら大間違いだよ。 この社会と大自然の中で、人によって生かされ、神によって生かされているということを知らなければならない。
別にこれは、キリスト教だけの考えではないのだが、そういう認識に達しない限り、人間はいつまでたっても孤独だし、人生の本当の喜びを感じることはできないと思う。 君は学生運動も随分やり、本もいろいろ読んでいるようだが、肝心なことをいつも忘れているような気がするよ。
お節介なことを言って悪いけれど、それは君が、いつも自己中心にものを見ているからだと思う。 僕から見ると君は絶えず背伸びをして、焦りながらやっていたような感じがしたね。 君はいま、確かに苦しい思いをしていると思う。学生運動をあれほどしていたからね。
君は君なりの仕方で脱却すると思うが、自分の生き方をもっと他人との関係、社会や大自然との関連において見直すべきだと思う。 そうした点から、人の愛、神の愛というものが分かってくるのではないのか。 君はどう思う?」
橋本にそう言われても、行雄は黙ったまま答えなかった。 彼の言わんとすることが分からないではないが、素直にそうだとは言えなかった。無償の勤労奉仕はとても良いことだが、それと宗教の問題とは別の次元のものである。
行雄はもともと宗教には関心がなかったので、心の底からキリスト教に“身震い”しない限り、信仰しようという気持にはなれないのだ。 それでもクリスチャンである彼等は幸せだと思う。宗教的信条があるからだ。 それに比べて、自分には今やなんの信念も思想もない。 自分はいま、苦悩の中を彷徨っているだけである。
しかし、行雄はそれでも良いと開き直った気持になった。傷つき挫折した人間が、そう簡単に救われるだろうか。 心の底から納得できる思想を体得しない限り、自分は救われないのだ。自己中心主義者となんと言われようとも、自分はそういう人間である。 自分をごまかすことはできない。他人からどのように見られようとも、自分の力で救われるまでは、苦悩に耐えていかなければならないのだ。 行雄はそう思いながら橋本と別れた。
「友愛の家」を訪れた後も、行雄の煩悶はますます深刻になっていった。 朝、目を覚ますと、今日も鉛のように重苦しい一日が始まるのだと思う。 俺は、なんの存在価値もない塵(ちり)や芥のような人間だと思う。自分にはなんの生きがいも目標もないのだ。
マルクス主義もアナーキズムも乗り越えた自分だと知りながら、塵や芥のような人間なら、どうして生きていくことができるだろうか。 死ぬことは簡単だ。誰もがやるように、ブロバリンを飲んで首を吊ればいい。 敗北者だとかなんとか、他人からどのように言われてもいい。
しかし、死ぬことの意義があるのだろうか。もっとも、生きることの意義もあるのだろうか。 何もない、何もないのだ! この呼吸だけしている虫けらが・・・ああ、生きることも、死ぬこともできないこの虫けら。 行雄は絶望感に苛まれていた。
ふと、自分はどうして生まれてきたのだろうかと思ってしまう。生まれてこなかった方が良かったのかもしれない。 あの太平洋戦争の末期、俺は母の背におんぶされて、なんの覚えもなく逃げまどっていた時、アメリカ軍の爆弾に当たって死んでおれば良かったのだ。 そうすれば、今のような耐え難い苦悩を経験することはなかったのだ。
虫けらのような自分を思うと、切なさに涙が込み上げてくる。泣けるものなら泣こう。 行雄はベッドにうつ伏し懊悩しながら泣いた。泣いているうちに、いくらか心が安まってきた。 俺の十九年の短い人生は何だったのかと思う。ぼんやり物思いに耽っていると、安保闘争の頃の思い出が蘇ってくる。
機動隊と真正面から対峙した時の緊迫の瞬間。 六月十五日の国会突入、女子学生の死を聞いて泣いたあの時・・・その後の機動隊の凄まじい実力行使。 国会を二重、三重にデモ隊が取り囲み、赤旗をなびかせながら行進していく情景。
デモ行進した後、徹夜で座り込んだ日々。 座り込みから警察官にしょっぴかれ、いよいよ留置場にぶちこまれるのかと期待していたら、途中で放免された時の悔しさ・・・俺は雑魚(ざこ)なのかと情けなく思ったものだ。
大川や笹塚らと、日本革命の展望について果てしなく議論した日々。 競馬新聞社を経営している元マルキストの社長を訪れ、革命運動の資金をもらおうと四苦八苦したあの時・・・社長さんはなかなか金を出そうとしなかったが、ついに何万円かをせしめた時の喜び!
ある時、俺を連行する大男の機動隊員を「税金泥棒」と呼んだら、失神するほど顔面を殴られ、思わず「すいません!」と悲鳴を上げたこともあった。 デモ隊の中に敦子に似た女子学生を見つけた時、俺は「敦子ちゃん」と声をかけたくなったものだ。
行雄の思い出は敦子のことに移っていった。安保闘争以前の彼女との甘く切なく、楽しい日々。それを思い出していると、彼は無性に彼女に会いたいと思った。 自分の不様な姿を見られたくないので、一度は彼女に会うことを諦めたが、今や矢も楯も堪らない気持になった。
苦悶の底無し沼から自分を救い出してくれるのは、結局、敦子しかいないと思う。 傷ついたこの哀れな男を癒してくれるのは、彼女しかいないのだ。行雄の想いは次第に狂おしくなっていった。
そして一月末のある夜、彼は再会の願いを込めて敦子に手紙を書いた。電話では、とても自分の気持が十分に伝わらないと思ったからである。 この手紙は、心の錯乱状態がそのまま表れたような激しく悲痛なもので、普通の人間なら冷静に読むのに耐えられないようなものだった。 行雄は過去の非礼を詫びてから、再会の願いを切々と訴えた後、乱れる心情をそのまま文末に吐露した。
「できることなら、君の暖かいその胸に顔を埋めて泣きたい。 君の柔らかな優しいその手で愛撫されるなら、僕の耐え難い苦悩も癒され、僕はきっと蘇ることができるだろう。 いま朽ち果てようとしている枯れ木に、君は水を注ぎ、太陽の光を恵んでくれるのだ。
ああ、僕の永遠の女性、救世主よ。どうか僕を助けてほしい。 愛なくして、どうして生き物が救われることがあるだろうか。君の愛なくして、どうして僕は生き延びていくことができるだろうか。 君の愛がなければ、僕の人生は暗闇であり地獄だ。そんな人生なら、生きていく価値は何もない。死んだ方がましだ。
ああ、僕の女神よ。君の暖かい胸の中で、僕は光と希望を取り戻すことができるのだ。“僕の敦子”と呼ぶのを許してほしい! 君と結ばれることがなければ、僕は死を選ぼう。 ああ、敦子、敦子、君の全てに、君の全身に接吻したい。お願いだから、それを許してほしい! 君は永遠に僕のものなのだ」
通常の精神状態なら恥ずかしくなるようなその手紙を、行雄は速達で敦子に送った。彼は息を凝らして彼女の返事を待った。 四日後、敦子からの返事が届いた。
「私はいま、大学受験を目前にして、とても貴方に会えるような状態ではありません。 冷たいと思われるかもしれませんが、受験が終って落ち着いたら、貴方と会うことも考えてみたいと思います。
貴方が私を褒めちぎることには当惑しています。 貴方は相変らず熱烈で極端で、幻想を追い求めているようですね。いまの私は、以前、貴方が考えていたような女ではなくなっています。 お互いにもう少し落ち着いたら、冷静に話し合えるのではないでしょうか」
敦子の手紙は短かった。 そして、将来の結婚については英語で「Good Heavens!」と書かれていた。 行雄は英和辞典を調べて、Good Heavens!が「とんでもない!」という意味だと分かると、奈落の底に突き落とされた感じがした。
なんて冷たいんだ・・・これが、救いを求めた哀れな自分に対する返事なのか。行雄は憤りと悲しみで目が眩んだ。 悪魔! 鬼! 畜生! 彼は心の中で敦子を呪った。 これが、あの優しく麗しかった彼女の返事なのか。行雄は逆上のあまり、気も狂わんばかりになった。
彼は直ちに、机の引出しの中に大切に仕舞っておいた敦子の写真や手紙を取り出すと、それらを全てビリビリに破いてしまった。 それでも気持が治まらず、それらを風呂の焚き口へ持っていきマッチで火をつけた。行雄にとって“宝物”であった写真や手紙は、あっという間に炎に包まれ灰になった。
彼は去年の大晦日、革命に関する全ての機関紙誌やパンフレットを燃やしたことを思い出した。 これでいいのだ、どうせ俺は脱落者であり、革命からも恋からも見捨てられた敗北者なのだと思った。 これ以上、どうして生きていく必要があろうか。死んでやる、死んでやる! いや、このまま野垂れ死にしてたまるか!
行雄の心は生と死をめぐって千千(ちじ)に乱れた。 死んでたまるかという思いと、生きていても何の意味もないという思いが錯綜し悶え苦しんだ。 俺が死んでも多分両親が悲しむだけで、他に誰も俺の死なんか悲しむ者はいない。敦子だって悲しまないのだ。
それならば、死ぬ前に敦子に“面当て”の遺書を書いておこう。 それがいま、俺にできる唯一の生の証しなのだ。傷つき死んでいく自分の残像が、彼女の心に刻み込まれれば本望というものだ。 行雄はそう思い、便箋を取り出すと敦子宛てに最後の手紙を書き出した。 少し前に、彼女の写真や手紙を全て廃棄したことで、彼の心はむしろ穏やかになっていた。
「先日は、あなたに大変失礼な手紙を書いたことをお許し下さい。でも、あれは僕の本心です。 この手紙があなたの手元に届く頃、僕はもうこの世にはいないでしょう。遠い宇宙の彼方から、この地球を眺めながら、あなたの幸せを願っていることでしょう。
僕は、革命にもこの世の生活にも敗れた脱落者です。 しかし、わずか十九年の人生だったとはいえ、僕はこれまで自分がやってきたことに何の悔いもありません。 しかし、僕は疲れた。この一、二ヵ月の苦痛、煩悶については、あなたには分かってもらえないと思います。
今はあなたの幸せを願い、あなたの心の中に、永久にこの哀れな僕が生き続けていくことしか望んでいません。 この一年以上、ありがとうございました。あなたは僕にとって永遠の女性でした。女神でした。本当にありがとう。
こうして最後の手紙を書いていると、涙があふれてきて目の前が霞んできます。 手が震え、上手に字を書くことができない。ごめんなさい。 でも、僕が永久にあなたの心の中に生きてゆけるのであれば幸せです。
心からあなたを愛します。最後にあなたを抱擁し接吻します。 あなたとの楽しい思い出を抱いて、僕はあの世へ行きます。いつまでも幸せに。 さようなら 敦子様 あなたの行雄より」
書き終った時に行雄は泣き崩れた。涙にくれながら敦子宛の遺書を胸に抱くと、彼はベッドの上に倒れ込んだ。 これなら、もういつ死んでもいいと思うと、かえって安らかな気持になり、彼は打ち続く苦悩と疲労からすぐに眠りについた。 そして、その夜、行雄は不思議な夢を見ることになった。
純白のローブを着た敦子と手を取り合って、行雄は天国へ上っていく。 二人はそのまま天空の彼方へ上っていくように見えたが、途中で敦子が制止した。 彼女はニッコリ微笑むと「ごらんなさい。あの美しい地球を」と言って、下界を指差した。
下界には、雲間から緑に輝く地球が見える。その美しさに行雄がうっとり見とれていると、敦子が優しくささやいた。「帰りましょう、地球へ」 行雄がためらっていると、彼女は彼の手を強く握り締めて下界の方へ降り始めた。
「待ってくれ、僕は天国へ行くんだ!」 行雄は叫んだが、敦子は彼の手をさらに強く握り締めると、どんどん下界へと引っ張っていく。 下降するスピードがますます強まり、敦子の純白のローブが風に翻る。
「待ってくれーっ!」 行雄が必死に叫ぶが、二人は矢のようなスピードで地球へ落ちていく。 丸い球体が、行雄の眼前に見る見るうちに迫ってきて、息がつけないほどになってきた。青く広がる大海原が二人を待ち構えている。「危なーいっ!」行雄が叫んだ瞬間、彼は夢から覚めた。
夢か・・・行雄はほっと胸をなで下ろした。彼は背中にびっしょりと寝汗をかいていた。 夢とはいえ、地球にフルスピードで落ちていった時は、なんと恐ろしかったことか。あのままいけば、海面に叩き付けられて即死するところだった。
敦子は俺が天国へ上っていくのを押しとどめ、地球に引きずり戻したのだ。 しかも今、俺は地球に叩き付けられずに生き残っている。彼女はもっと生きろということを、俺に暗示したのだろうか。 行雄は自分が見た夢を分析していた。胸に手をやると敦子宛の遺書がある。
そうだ、俺は昨夜彼女に遺書を書き、この世を去ろうと思っていたのだ。 しかし、彼女は夢の中でそれを制止したのだろう。あの夢のせいか、何かから解放されたような気がする。 俺は革命にも恋にも敗北したが、敗北したまま死ぬなということか。このまま死ねば“犬死に”ということではないか。 このまま死んでたまるかという思いが、行雄の胸中に湧き上がってきた。 それにしても、あの天空と地球はなんと美しかったことか・・・
その時、彼の脳裏に思いがけない発想が浮かんだ。 プラネタリウムへ行ってみよう。星を見るのだ、星を見て宇宙の生命と神秘を探るのだ。それが俺の救いになるかもしれない。 いまの自分には、他に何の救いの手立てもないのだ。そう考えると、行雄は藁(わら)にもすがる思いでプラネタリウムへ行くことにした。
彼は精神的にも肉体的にも疲れ切っていたが、その日の午後、渋谷の東急プラネタリウムに出かけた。(その当時、ここは最新の天文博物館として人気を集めていた。) プラネタリウムに着くと、小学生のグループが教師に引率されて見学に来ていた。大勢の小学生の中に、青白い顔をしてやつれ切った行雄がいるのは、なんとも異様な光景だったかもしれない。
しかし、彼はそんなことには構っていられなかった。小学生と一緒に天文博物館に入る。 やがて場内が暗くなると、丸天井のスクリーンにいろいろな星座が映し出され、解説者の声が聞こえてきた。
「わあー、きれい」と子供達の歓声が上がる。北極星を中心に小熊、大熊、カシオペヤなどの星座が光を放つ。 美しい。宇宙の生命と神秘の中に引きずり込まれていくようだ。 季節ごとに、次々と星座が映し出されていく。うっとりとそれらを眺めていると、行雄は、自分の苦悩や悲哀が、宇宙の彼方へ吸い取られていくような気がした。
宇宙は永遠に生きている。そして、宇宙はなんと広く、限りなく、美しいのだろう。 それに比べて、自分という存在は、なんと限りなくちっぽけなものだろうか。そう考えると、行雄には自分がたまらなく“いじらしい”ものに思えてきた。
塵や芥のような存在である自分が、こうして無限の宇宙の中に生きている。 それがどんなに小さなものであっても、無限の宇宙と共に生きているのだ。それが真実ではないか。 行雄は自分の存在の確かさに、いま初めて気がついたような思いがした。自分の存在の貴重さに、初めて目が開かれたような思いがした。
人間のどんな苦悩も、喜びも悲哀も、宇宙は受け入れ吸い取ってしまうのだ。 無限の宇宙から見れば、人間の存在というものは、かくも微小で“無”に等しいものなのだろうか。それが人間というものだ。 塵や芥のような人間だからこそ、微小な命を生きていく価値があるのだと思う。
どんな人間も生きていく価値があるはずだ。 無限の宇宙から見れば、善人も悪人も、幸せな人も悩める人も問題ではない。そんなものは、宇宙には関係のないことだろう。人間が生きようが死のうが、そんなものは宇宙にはまったく関係のないことだ。 行雄は様々な星座を眺めながら、そう考えていた。
プラネタリウムを出ると、行雄は渋谷の繁華街を歩き始めた。 以前、日本アナキスト連盟を脱退した直後に、この街をぶらついた時のことを思い出す。あの時は全ての思想から放り出されて、言い様のない不安におののいていた。 しかし、今はだいぶ違う。彼は宇宙の生命と神秘に触れた思いから、久しぶりに澄み切った心境になっていた。
無限の宇宙の中で、無限の空間と時間の中で、人生は瞬時にして終る。 だからこそ、人間は生きていく価値があるのだ。それが真理ではないのか。 プラネタリウムがそれを教えてくれたように思う。
俺はなぜ、敦子に遺書を書いたのだろう。苦悩に耐えかね、絶望の果てに、激情の赴くところ俺は死を選ぼうとしたのだ。 なぜ生き急ぎ、死に急ぐのか。そんな必要はないではないか。仮に生きていく意味がなくとも、人生は一瞬の内に終るのだ。
こうして渋谷の街を行き交う人達も、やがて全員が死んでいく。自分が哀れな人間なら、この人達も同様に哀れな人間ではないか。 そう考えると、行雄は周囲の人達が無性に恋しく思われ、「やあ、こんにちわ」と声をかけたい衝動に駆られた。
解放感に浸りながら、彼は渋谷駅から帰りの国電に乗った。 夕方のラッシュ時だったので、電車の中はオーバーなどで着膨れした乗客ですし詰め状態になっており、身動きが取れなかった。
しかし、行雄は久しぶりに爽やかな気分になっていたので、前後左右から人波に押されながらも、きつく暖かい接触に身を委ねていた。 赤羽駅に着くと、彼は多くの乗客と共に電車からホームへ吐き出された。
乗換え用の階段を上っていると、すぐ側を七十歳位いの老女が大きな風呂敷包みを背負って、重そうに足を運んでいる。 行雄はとっさに風呂敷包みを後ろから両手で支え、一緒に階段を上っていった。老女はびっくりした顔付きで行雄の方を振り返ったが、階段を上り切ると、嬉しそうな表情を浮かべ彼にお辞儀をした。 行雄は思わず頬が火照ったが、すぐにお辞儀を返した。
その晩、彼はベッドに入っても、あのプラネタリウムの星座の美しさが脳裏にこびりついて、なかなか寝付けなかった。 今日の爽快な気分は全て、あの星座からもたらされたように思えてならなかった。
無限にして神秘な宇宙。そして、限りなく小さな哀れむべき人間。塵や芥のような自分の存在。 自分は間違いなく、宇宙の中に生きているのだと思う。それだけが真実であり、それだけが確かなのだと思う。 行雄は敦子宛に書いた遺書を、枕の下にそっと仕舞い込んだ。
プラネタリウムでの体験から行雄は、全ての人間はもとより、この世に存在する全てのものに価値があるという考えを持つようになった。 そういう考えを持つことで、全ての存在を容認し、自分自身の存在も認めようとしたのである。
自分に存在価値がある限り、自分の命を抹殺することはできない。 だから、自分は「生きることを許されている」と思うのだった。挫折し転向しようとも、敗北者の烙印を押されようとも、生きていくことは許されると思うのだった。
この時点で、行雄自身は意識していなかったが、その思想がくっきりと「汎神論」に傾いていったことを、彼は後に分かるようになる。 その頃は汎神論も分からず、日一日生きていくことで精神的格闘を繰り広げていた。
そんなある日、行雄は大学を出てから西早稲田の界隈を散歩してみた。 相変らず考えに耽りながら歩いていたが、プラネタリウムへ行ってからは苦悩もやや治まっていた。 学生用のアパートなどが密集する狭い路地をふらついていると、どこからともなく、メロディーを口ずさむ男の声が聞こえてくる。
そのメロディーは緩やかに大らかに、朗々として伝わってきた。 なんと安らかで美しいメロディーだろうか。行雄は立ち止まって男の声に聞き惚れた。 暫く聴いていると、彼は心が晴れ晴れとして解放されていく感じがした。男は一節を繰り返し口ずさんでいく。
そのメロディーはまるで、行雄に「生きよ、生きよ」と語りかけてくるようだった。 やがて男の歌声が終ると、行雄は救われたような思いがした。 あのメロディーは一体なんの曲なのか。どこかで聞いたことがあるような気がするが、曲名は分からない。 彼は同じメロディーを何度も何度も口ずさみながら散歩を続けた。(後に、その曲はベートーヴェンの交響曲第六番「田園」の第五楽章『牧人の歌』と分かる。)
それから数日後、行雄は新宿のK書店に立ち寄ってから、近くの喫茶店に入って一服していた。 苦悩や煩悶からはすでに解放されていたが、期末試験が近づいてきたため憂うつな気分だった。 彼は大学の講義にほとんど出席していなかったので、試験にはまったく自信がなかったのである。
しかし、じたばたしても始まらない。なるようになれという心境だった。 西早稲田で聞いた、あの安らかで美しいメロディーがすっかり気に入り、行雄は繰り返しそれを口ずさんでいた。そうしていると心が癒されてくるのである。どんな憂いも消えていくような感じがするのだ。
彼は長い間、物思いに耽ったりメロディーを口ずさんだりした後、喫茶店を出た。 もう夕刻になっていたので、帰宅を急ぐサラリーマンやOL、若者達が人波をつくって新宿駅の方へと流れていく。 行雄も人の流れに身を任せるようにして駅に向った。
ラッシュの人込みが今日はヤケに神経に障る。群集に押しつぶされるような思いで、彼は改札口を通った。 駅構内のガヤガヤした騒音、電車の発着する音、スピーカーから流れ出る駅員の甲高い声・・・それらが混然としてうるさく耳に響いてくる。
行雄はなにか“もうろう”とした気分になって、山手線のホームに通じる階段をうつむきながら上っていった。彼の意識は間違いなく“ぼんやり”していた。 そして、ホームに出て顔を上げた瞬間、彼は愕然として立ちすくんだ。
その時、行雄ははっきりと見たのだ。 一瞬、群集の動きが“静止”したかと思うと、また動き出したのだ。その時、彼の頭脳を何かがはっきりと強く直撃した。 行雄は目眩を起こしホームの端の手すりにつかまった。後方から階段を上ってきた人達が、いぶかし気に彼の方を振り向いて通り過ぎていく。
これだ! この思想だ! 行雄は心の中で叫んだ。 彼が見たのは、全ての群集が寸分の狂いもなく、己(おのれ)の運命に従って決められた通り歩いていることだった。サラリーマンもOLも、アベックも親子連れも、男も女も皆そうだ。 その瞬間、行雄は「全てが必然」だと知った。
全てがなるようになった。全てがなるようになっている。そして、全てがなるようになっていく。つまり全てが必然なのだ。 行雄は“救われた”と思った。この思想が真理だと思った。 世の中には、偶然などというものは一切ない! 全てが必然なのだ。
行雄は興奮を抑えることができなかった。彼は電車に乗り込んだが身体中に震えが起きて、興奮のやり場がなかった。 両手の拳を力一杯握り締めていたが、ラッシュの人込みの中では耐えるのが困難であった。
やむをえず、彼は途中の高田馬場駅で降りると、大学の方へ向って歩き始めた。 雨がかなり強く降り出してきたが、そんなものは問題でなかった。興奮しているため、冷たい雨雫が頬を伝って流れるのが、かえって気持良く感じられた。
この世に偶然はない! 偶然というものは、浅はかな人間が考え出した“便宜的”な一つの概念にすぎない。偶然と思われるものも、実は全て必然の中にあるのだ。 例えば人間は皆、自由意思か、規則や命令の中で動いている。実はそれ自体が、必然の中にあるのだ。
もし、人間が思わぬ“偶発的”な事故や災難に遭ったとしよう。 人間は誰しも、事故や災難を嫌う。誰もそんなものには遭いたくないと思っている。 しかし、事故や災難はしばしば起きる。そこには、人間の意思を超越したものがあるのだ。 そして、そこには必ず然るべき“原因”があるのだ。
ということは、誰もが嫌がる事故や災難は、初めからそれが起きるように運命付けられているのだ。 これは天災、人災を問わない。起こるべくして起きるのだ。 人間は誰しもミス(過失)を好まない。しかし、誰かのミスで人災が起きれば、そのミスが原因となる。 そのミスはなぜ起きるのか。誰もが嫌がるミスは、人間の意思や能力を超えて起きるのだ。
人間の意思を超越したものは「運命」である。 ところで、われわれ人間は、大なり小なり「自由意思」を持って行動する。 一見して、運命や宿命に抗しようと思っているかもしれない。あるいは、運命や宿命を無視しようとしているかもしれない。 しかし、人間という動物が「自由意思」を持つのは当然であり、それ自体が人間に与えられた「必然」なのである。 もし人間が自由意思を持たなかったら、人間ではなくなってしまう。単なる猿と同じだ。
だからこそ、人間は大いなる必然の中で、自由意思を大切にして行動しなければならない。それが人間の証明ということになる。 人間のみに与えられた「自由意思」も、天から見れば「必然」そのものではないか。だから全ては必然の中にある。
行雄は雨に濡れながらそう考えていた。 必然の中で、万物は流転する(パンタ レイ)のだ。 万物が絶えず生成変化していくように、人間も一時たりとも生成変化を止めない。だから自分も、己の必然の中で変ってきたのだ。そして、変っていく。俺の青春流転だと思う。
人間は己の自由意思で、必然の中に“生々流転”しているのだ。これこそ真理である。「ああ、運命の神よ。僕は自分の必然の中で、精一杯に生きていきます」と行雄はつぶやいた。
生きるために生きる、死ぬまで生きる。 行雄はそう思いながら、いつしか早稲田大学のキャンパスにたどり着いていた。降りしきる雨の中、人影はほとんど見えなかった。 彼は暗い空を見上げ、そして叫んだ。「俺は生きるぞ! 生きてやるぞ! 徹底的に生きてやるぞ!」 (第一部完。2003年3月14日)
《参考文献・・・「1960年5月19日」(日高六郎編・岩波新書) 「全学連」(中島誠編著・三一新書) 「安保闘争史」(斎藤一郎著・三一書房) 「中核VS革マル」(立花隆著・講談社) 「全学連」(大野明男著・講談社) 「全学連各派」(社会問題研究会編・双葉社) 「共産党宣言」(大内兵衛、向坂逸郎監修・新潮社) 「マルクス伝」(向坂逸郎著・新潮社) 「石川啄木詩集」(伊藤信吉編・角川文庫) 「大杉栄集」(大沢正道 編集解説・筑摩書房) 「青春の墓標」(奥浩平著・文藝春秋) 「ロシア革命」(松田道雄編・平凡社) 「ロシアの革命」(松田道雄著・河出書房新社) 「ロシア革命史」(猪木正道著・中公文庫) 「昭和史全記録」(毎日新聞社) 「哲学事典」(平凡社) 「万有百科大事典」(小学館) 「日本語大辞典」(講談社) 「広辞苑」(岩波書店)》
第二部(その1)
1)安らぎ
三学期の期末試験が目前に迫ってきたが、行雄はほとんど講義を聴いていなかったので、不安ばかりが募った。 最初の試験の前日になって教材に目を通してみたが、内容が良く理解できないので、苛立ちが高じてくるばかりである。
学生運動だけにのめり込んでいたのだから、仕方がないと半ば諦めたが、どうにでもなれ、なるようになれと思った途端、気持が少し楽になってきた。 どんな出題であろうとも、分からないものは分からないのだ。彼は教材を大ざっぱに斜め読みしただけで、初日の試験に臨んだ。
結果の感触はまったく自信のないものだった。不可でなく、可が取れれば上出来というもので、次の試験課目も更にその次も同様であった。 どのくらいの課目で落第するか見当も付かなかったが、行雄はとっくに開き直っていたので、それほど苦にならなかった。
とにかく試験を受けるだけでも御(おん)の字だと思っていたから、あとは堂々と教室に行けばいいのだ。それ以上、何があるというのか。 そんなことを考えながら、ある日のこと、今夜もゆっくり風呂に入ろうと思って、行雄は脱衣場で衣服を脱ぎ浴槽につかろうとした。
その瞬間、思いがけない発想が浮かんだ。 入学以来一度もしたことがない角帽を被り、大隈重信が着ているような長いコートを羽織って、試験会場に乗り込んでやろうというものだった。そう思った途端、彼の全身に力がみなぎり、身体中の筋肉が硬直してしまった。
暫くの間、身体の硬直が治らないので、行雄は浴槽の前で仁王立ちになっていたが、その内にようやく全身の力が抜けてきたので、浴槽に入ることができた。 彼は風呂からあがるとすぐに、母の久乃に長いコートがないかと尋ねた。
彼女の話しだと、父の国義が昔着ていたコートがあるという。 それを納戸から出してもらうと、茶色の生地の分厚い真冬用のロングコートだった。 とても春先に着用するようなものではなかったが、行雄はそれで満足することにした。
翌日から彼は、その分厚いコートと角帽を身に付けて試験会場へ行くことになった。 試験の中身には自信がなかったが、気持に張りが出てきた。そうすることによって、自分の存在を辛うじて保てるように思え、この格好で期末試験を乗り切ろうと考えた。
角帽などは普段、体育会系や右翼系の学生しか被らない“代物”なので、極左だった行雄が身に付けていることに、仏文科のクラスメートは不審に思ったようだ。二、三人が「おい、村上、君は右翼になったんじゃないだろうな」と声をかけてきた。
行雄は「そんなことはないよ」と答えて気にしなかったが、試験の方は苦戦の連続だった。 特にひどかったのは一般教養科目の「法学概論」で、一つの項目を除き全て白紙で答案を出さざるをえなかった。 一つの項目とは、憲法第九条と自衛隊のあり方についての設問だったので、彼は思いつくままに自説を大胆に披瀝していった。
「憲法九条によれば、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しないとなっている。 ところが、自衛隊は明らかに戦力を保持しており、『その他の戦力』に該当する。従って、自衛隊の存在は憲法に違反する。 それから言えば、自衛隊は廃止されなければならない。
しかし、唯物論的見解によれば、現実に存在する下部構造が、法律などの上部構造を変えていく歴史観を取っている。 従って、逆に自衛隊の存在を確認することにより、理論的に整合性を持たせるため、憲法九条の方を改正しなければならない」
行雄は自説を勝手に書きながら、「法学概論」を担当するS教授の顔を思い浮かべていた。 S教授はマルクス主義志向の人だったから、こういう答案は相当な“当てこすり”になると思い、内心ほくそ笑んでいた。
期末試験の結果は惨たんたるもので、「法学概論」を始め五課目が不可で落第となった。その他の課目もほとんどが可で優はゼロ、良が二つしかなかった。 しかし、行雄は試験が終ったことでようやく気持が落ち着き、春休みを楽しもうという心境になった。 冷たかった冬の空気が少しずつ和らいでいくと、すぐそこに暖かい春の訪れが待っているようだった。憔悴し切っていた彼の肉体も精神も徐々に回復していく。
行雄は早春の秩父の山々を見たいと思い、泊りがけで三峰山に登って自然の霊気に接した。 この後、ゆっくりと世界文学を味わおうという気持になり、シェイクスピア、ゲーテ、シラーなどの名作を読んで楽しんだ。
この中で特に惹かれたのはゲーテで、初めはその詩や小説など文学作品に魅了されたが、次第にこの文豪の世界観や思想に目が開かれていった。 ゲーテの世界観の根本は「汎神論」だと思った。
汎神論では自然即ち神だから、「神は万物であり、万物は神である」と言っているようだ。 神と万物は同一であり、従って、宇宙もこの世の全ての事象も神の“表現”ということになる。 全ての存在が神であるなら、自分も他人も何もかも神の表現である。
いや、目に見える存在だけでなく、目に見えないもの、即ち霊魂や思念や気なども全て神の表現なのである。 それならば、われわれ人間が考えたり行なうことは、全て妥当で許されることになり、あとは人間社会のルールや法律、規則などとの調整が残るだけである。
全てのものは有るがままで良いとするなら、道徳的な努力は必要ないということになるが、ゲーテの世界観では、自然の中に既に“神性”が宿っているから、道徳的に問題はないという見方になる。 人格は自然に育っていくという考え方なら、これは人間を肯定的、楽天的に見るものだろう。
いずれにしろ、行雄はそうした汎神論の世界観に魅力を感じ、自分が革命運動から離れたのも当然のことだと思えるようになった。 革命運動から“脱落”したのではなく、それを“通過”したと思えるようになった。
こうした考えは、二ヵ月ほど前、新宿駅で体験した「全てが必然」という閃きにどこか通じるものがあるように思えた。 あれは運命論、決定論だったが、汎神論と何か共通するものがあるように思える。 行雄はゲーテの世界観から、自分がはっきりと救済されたという自覚を持った。あとは自分の好きなように生きていけばいいと思うのだった。
春休みの間に、行雄は友人の向井弘道の家を何度も訪れた。 学生運動をしていた時は彼を避けることが多かったが、今度は自分の方から積極的に行くようになったのである。 向井は、行雄が平穏で落ち着いた生活を取り戻したことを喜んでいた。彼から「だいぶ元気そうになったね」と言われると、行雄は照れくさい感じがした。
ある日のこと、行雄は向井に次のように話した。「ヒロちゃん、僕はプチブルを馬鹿にしていたが、プチブル的なものが一番人間的だと思うようになったよ。 些細なことにとらわれ、小心翼々として生きているのがプチブルだと言うなら、それはそれで結構じゃないか。それこそ最も人間的な生き方だと思うよ。
イデオロギーを振りかざし、やたらに大声で喚き散らしているのはごく少数の人間だけだ。 彼等は人間とはどういうものか、本当に分かっているだろうか。分かっちゃいないはずだ。 実は僕もそうだったが、自己陶酔しているだけだね。自分に酔いしれているだけだ。
そんな連中に、人間とは何かが分かるはずがない。人生のことも世界のことも理解していない。 頭でっかちの理論家ばかりだよ」 行雄はそう言って、つい先日までの自分の生き方を否定した。 こういう自己否定の仕方は安易なのだろうが、行雄は過去の自分から一日も早く決別したいために、そういう言い方をしたのだ。
それから、行雄は挫折した時の苦い体験や、最近の汎神論の話しなどを向井にしていったが、彼はほとんど黙ったまま根気良く耳を傾けてくれた。 一時間ほど行雄が一方的に話しをした後、向井は気分を変えようと思ったのか「ちょっと、クラシックでも聞かないか」と言って、プレーヤーにレコードをかけた。
華やかで心地よい音色が流れてきた。「この曲、なんていうの?」と行雄が聞くと、向井は「モーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジークというんだよ」と答えた。 春の息吹を思わせるような調べである。
曲が終ると向井が言った。「どう、この曲は。もっと聴きたいのだったら、貸してあげてもいいよ」 行雄は喜んで借りることにした。「きれいな音楽だね。うちには兄貴のプレーヤーがあるから、それで聴くよ。 モーツァルトのそれだけでなく、他のいい曲も貸してくれないかな」
行雄がそう頼むと、向井は借り手の希望を聞きながら、ラックからベートーヴェン、シューベルトなどのレコードも何枚か取り出して渡してくれた。 その中には、以前それを聴いて救われる思いがしたベートーヴェンの「田園」も含まれていた。
この後二人が雑談していると、向井が突然、森戸敦子の話しを持ち出してきた。「敦子さんは今どうしてるの? 君もようやく落ち着いてきたのだから、もう一度彼女と付き合ってみる考えはないの?」 行雄はもろに“古傷”に触れられたような気持になり、すぐに答えることができなかった。
敦子が一年遅れで今年の春、東京の国際基督教大学に入学したことは母から聞いており、行雄の両親からお祝い金が送られたことも知っていた。 しかし、彼にとって敦子のことは、もはやまったく他人事のように思われた。一年前は恋人だったろうが、彼女はすでに行雄から遠く離れた存在になっているのだ。
暫くして彼は答えた。「駄目だよ。今さら彼女に会うことなんかできない。とても彼女に合わせる顔はないよ」 向井は敦子のことでそれ以上話しをしてこなかったので、行雄はほっと胸をなで下ろした。彼はいま、敦子のことは忘れたいという気持で一杯だったのだ。
その日、行雄は自宅に戻ると、兄の部屋からプレーヤーを持ち出してきて、向井から借りたレコードを聴いた。 モーツァルトやシューベルトも素晴らしかったが、行雄にはやはり、べートーヴェンの交響曲第六番「田園」が最も心に残るものだった。 特に第四楽章の「嵐・雷雨」の激しい場面から、第五楽章の「牧人の歌」で、穏やかな喜びに満ちたものに移っていくところに感銘を受けるのだった。
それは激烈だった安保反対闘争と、その後の挫折、苦悩、絶望という“嵐”のような状況をくぐり抜けた自分が、生きることへの希望と心の平和を取り戻した体験を、跡付けているように感じられるからだ。「牧人の歌」の平和と感謝に満ちたメロディーは、なにか宗教的な喜悦を表わしているようにも思えた。
また、第一楽章から通して聴いていると、「田園」は自然や人々の営みへの讃歌とも感じられるのだ。 それは神と同一である自然、そして神の“表現”である人間を讃美する音楽のように思われ、自然と人間への温かい愛を歌い上げているように受け取れるのだ。
そこには真の安らぎと静かな喜びが満ちあふれている。行雄はベートーヴェンに感謝したい気持で一杯になった。 自分もいま安らぎを覚えている。この心の平和は決して破られたくないし、それを大切に守っていきたいと行雄は願うのだった。
2)新学年
新学期。桜の花の満開と同時に新しい学年が始まる。 学生達が集まってくると、大学のキャンパスはおのずと活気がみなぎってくるが、一年前の安保反対闘争が盛り上がっていた頃に比べれば、平穏なたたずまいを見せていた。
ただ、大隈侯の銅像前などには、相変らず全学連の立て看板が並べられ、数人の活動家が演説をしたりビラを配っていた。 行雄が何気なく立て看板を見ると「マル学同、全学連執行部を掌握!!」「全学連、反帝・反スターリニズム路線を確立!!」などという荒っぽい文字が目についた。
行雄がかつて所属していたマル学同(マルクス主義学生同盟)が、ついに全学連のヘゲモニーを握ったのである。 彼は一年前、大川勇らとともにマル学同で活動していたことを思い出した。 あの頃は、マル学同の主張を学生達に浸透させようと必死に努力したが、ブント(共産主義者同盟)系の社学同(社会主義学生同盟)の勢力が強くて、なかなか思うようにはいかなかった。
そのマル学同が全学連の執行部を掌握するとは・・・隔世の感がする。 安保闘争の総括でブントが崩壊したことにより、社学同系の活動家が多数、マル学同に合流してきたということだ。
しかし、いまの行雄にとっては、そんな全学連のことはどうでもよいことだった。彼はもう学生運動などはまったく眼中になかったので、見覚えのある活動家を避けるようにして、文学部の校舎へと足を速めた。
過去一年間、彼はほとんどまともに講義を聴いていなかったので、なにか“新入生”に戻ったような気分で小教室に入ると、中には数人の学生しかおらず、男子は行雄の他にもう一人いるだけだった。 春の陽光が小教室の後方に差し込んでいて、室内はのどかな雰囲気に包まれている。
大柄な中野百合子が、親友の渡辺悦子となにやらヒソヒソ話しをしている。 眼鏡をかけた勉強家の堀込恵子は、フランス語の辞書を開いてなにか調べているようだ。彼女はクリスチャンで、このBクラスではフランス語に最も堪能だと言われていた。
行雄が席に付くと、顔の浅黒い剽軽(ひょうきん)な感じの宮部進が声をかけてきた。「村上君、久しぶりだね。元気でやってる?」 「まあまあ、元気でやってるよ。君の方はどうなの?」 行雄が問い返すと、宮部は「うん、僕もまあまあだ。春休みは九州旅行に行ってたけどね」と答えた。
行雄が九州のことに話題を向けると、宮部は冗舌になって旅行の話しをいろいろし始めた。 彼は失敗談などを面白おかしく話すので、三人の女子学生もいつの間にか宮部のお喋りに聞き入っていた。
彼が別府の温泉旅館で、若い仲居さんが気に入って言い寄ったが、すげなく断られた話しなどをすると、中野や渡辺が声を上げて笑った。 宮部の話しはやや誇張されていたようだが、求愛に絡む雑談はクラスメートの気持を和ませるものがあった。
そんな話しをしているうちに、今日の講義の担当であるM教授が開始時間に十分ほど遅れて教室に入ってきた。 白髪、痩身で小柄なM教授はフランス象徴詩が専門である。本日の教材は、ボードレールの「悪の華」の一節だった。
象徴詩は難解で行雄には良く分からなかったが、辞書をめくりながら「悪の華」を追いかけていく。 こんな詩をやっていても退屈になるだけだと思いながらも、彼は淡々とした気持で講義に付いていった。
途中でM教授は教材から外れ、ボードレールの人生や愛人関係などのエピソードを語り始めた。こういう時は、難解な詩から解放されてほっとする。 詩人のデカダンスな生活ぶり、混血女性との交わり、禁治産者になるほどの浪費癖、アヘン中毒、梅毒症状など、晩年は廃人同然になるボードレールの生きざまには、興味が尽きないものがあった。
やがてまた詩の講義に戻ると、辞書をめくりながらのやるせない時間が過ぎていく。 こんな授業を受けていても、自分の人生には何の役にも立たないと行雄は思う。たまたま仏文科に入ってしまったのだから、仕方がないかと思いながら、うんざりして後方に目をやると中野百合子の視線とばったり合った。
彼女の方も退屈していたようでニコリと微笑んだ。行雄も軽くうなずき、また手元の教材に目を移す。そしてまた時間が淡々と過ぎていく。 もうそろそろ授業も終りそうなものだと思っていると、ようやくM教授の講義が終了した。
こうした平凡な日々が続くことになり、行雄は新たな学生生活に充実感は持てなかったが、他にやることもないので講義を真面目に聴くしかなかった。 仏文科Bクラスには五十人ほどの学生がいるのだが、教室で顔を合わせるのは多くても十人程度で、皆が適当にノートを回し合ったりしていた。
平凡な学生生活は、かつて行雄のような左翼の活動家が、「日常性への埋没」と言って軽侮していたものだろう。 しかし、彼はそうした日常生活に埋もれていくしか他に道はなかったのである。やや退屈ではあったが、彼はそれなりに勉学を続けていった。
春たけなわの頃になると、行雄は暇を見つけては自転車で荒川べりに出かけた。 草むらに横たわって周りの景色をぼんやり眺めていると、ここで森戸敦子や革命運動のことなどを思い浮かべていたのが、つい昨日のことのように思われてきた。
あの頃は希望と充実感に満たされていたように感じていたが、今はそういうものはない。 ただ心の安らぎと、将来への漠然とした期待があるだけだ。自分の将来については、はっきりとした目標が何一つあるわけではなかった。平凡な学生生活を続けていくうちに、おのずと進路が定まってくると考えるしかなかった。
運命論や決定論、汎神論を知るうちに、行雄は、将来とは「なるようにしかならないもの」と思うようになっていた。 思考自体がまったく受動的になってしまったのである。自我の意識が極めて希薄になっていたと言えよう。
しかし、彼はそれで良いと考えていた。 大いなる運命に自分を委ねることが間違っているとは思わない。どのような運命であろうとも、それを泰然自若として受け入れる生き方こそ、堂々として男らしいのではないか。 今さら“じたばた”しても仕方がないという考え方だった。
そうしたある日、行雄が向井の家を訪れたところ、母校であるM中学の卒業生名簿を作ることに協力して欲しいと頼まれた。 向井は大学の理工学部に在籍していてそれ程忙しくはなかったが、一人でやるには手に余るので協力してくれということだった。
彼は中学時代の二年先輩のA氏から頼まれたのだが、A氏はいま就職活動などで忙しく、後輩の向井に名簿作りをお願いしてきたという。 行雄もA氏のことは知っていたし、中学時代に自分も生徒会長をやっていたので愛校心というものはある。それに親友の向井からの依頼なので協力することになった。
早速、向井と手分けをして、M中学の卒業生約二千人の名簿作りを始めたが、これは結構手間のかかることであった。 所在不明の卒業生も少なからずいたので、人づてに所在を確認するため、行雄は暇を見つけては自転車で浦和市内を駆け巡った。休日は朝から晩まで自転車のペダルを踏んだ。
彼が確認したものを向井が古い名簿を元にして整理し、新名簿の原稿をまとめていった。 行雄が活動的だったのに対し、向井は事務的で几帳面なタイプなので、この分業はスムーズに進んだ。
浦和市内を駆け回っていると、行雄は全学連時代の忙しかった自分を思い出した。 あの頃の連日のデモや警官隊との衝突に比べれば、手間ひまはかかってもこれは大したことではないと、自らを励ました。 自転車で駆け回っているうちに、この名簿作りは誰にでも喜んでもらえると思うと“やりがい”を感じたし、それに毎日、やや退屈な講義ばかりを聴いているよりはマシだと思った。
こうして二ヵ月余りをかけて、行雄と向井は卒業生名簿の資料を全て整え印刷所に出した。「行雄君、よくやったね。君の行動力は凄いよ」 向井にそう言われて、行雄は満更でもない気分だった。 確かに自分には、名簿作りに全力をあげて取り組んだという充実感がある。これは安保反対闘争以来のものだと思った。
名簿の製本の段階で、表紙のカラーは黄色にすることを行雄が提案すると、向井も心良く応じてくれた。 彼は別の色を考えていたようだが、行雄が献身的に活動したことを認めて譲歩したようだ。 黄色は、行雄にとって「理想」を意味するカラーだったのである。
七月上旬、二人はM中学の新井教諭の了解を取り付けて、ほとんどの卒業生に名簿を郵送することができた。 どうしても所在が分からない卒業生は、十人ほどしかいなかった。こうして、行雄と向井の無償の行為は終ったのである。
夏休みに入ると行雄は、第一学年の期末試験で単位を落とした課目の補習授業を受けることになった。 落第した五課目の中から、彼はS教授の「法学概論」を選んで授業に出席した。 大学で最も広い教室には何百人もの学生が詰めかけていたので、行雄は、自分と同じ立場の者が大勢いると思い安心した。
補習授業は丸々七日間行なわれたが、連日超満員の学生を前にして、講義を続けるS教授の表情はいかにも満足げに見えた。 行雄も今度ばかりは落第してはならないと思い、真面目にノートを取っていった。
講義の最後に、S教授は「これが私のいつものやり方です」と前置きして、日本国憲法の前文を朗々とした力強い声で読み上げていった。 前文の中ほどに至って、S教授の声は一段と高まる。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した!」
S教授の頬は少しずつ紅潮してきて、蒸し暑い真夏の気温のせいか額には汗を浮かべていた。 前文の最後にきて、彼の太い声は広い教室の隅々にまで響き渡った。 「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う!」
朗読を締めくくった時、S教授は太った上半身を折り曲げるように前にかがめ、余韻を噛みしめているようだった。 彼は暫く間を置いてから、今度は低い声で「どうも、ありがとう」と言うと、ゆっくりとした足取りで教壇を去っていった。
超満員の学生の間から期せずして拍手が湧き起こり、それが教室全体に広がっていくと、行雄もつられるように拍手をした。 S教授の“名調子”に、学生達のどよめきと明るい笑い声が暫く続いた。 この後の「法学概論」の追試で、行雄は今度こそ優を取ることができた。
太陽が有り余る光と熱を降り注ぐ真夏、行雄は市民プールに何度も行くようになり水と戯れた。 一年前の真夏はマルクス主義かアナーキズムかの選択をめぐり、連日文献を読み漁って思い悩んでいたが、それに比べると余りにも平穏な夏休みである。しかも、自由な時間がたっぷりあるのだ。
彼は急に旅行がしたくなり、母から小遣いを沢山もらうと東北地方を一周することになった。 息子がまともな学生生活を送るようになったので、行雄の両親は安堵してどんどん小遣いを出してくれるようになった。 特に国義にとっては、息子が過激な学生運動をすることに比べれば、金の問題などは大したことではなかったのだろう。
行雄は国鉄の周遊券を買うと、東北地方を十五日間かけて旅行した。 裏磐梯、金華山、平泉、三陸沖、恐山、十和田湖、男鹿半島、羽黒山等々、これといった名所や景勝地を次々に訪れ、帰宅した時には小遣いを使い果たすほど旅行を満喫した。 すっかり日焼けした彼は、生き返ったような気持になったのである。
3)中野百合子
九月の二学期が始まって一週間ほど経ったある日、行雄は授業に出た後、甘泉園の方へ散歩してみることになった。 大学の裏門を通り抜けて商店街に出たが、夏の蒸し暑さが残っていて、歩いていると汗がにじみ出てくる。
商店街から路地に入ると人通りもほとんどなくなり、日影になったので行雄はほっとした。 いつまでこの蒸し暑さが続くのだろうかと思いながら、彼は狭い路地から甘泉園前の広い通りに出た。
その通りを横切ろうと、行き交う車や自転車に注意しながら前方を見ると、小柄な男がうつむきながら右の方向へとぼとぼと歩いていた。 学生でもないようだし、さりとて社会人という風体でもない。
青白い顔をしたその男は元気のない様子で、歩き方も弱々しく一見して浮浪者のような印象を与える。 彼の横顔を見ているうちに、行雄は背筋がすうーっと寒くなるのを覚えた。 その男は大川勇だった。
大川が三池闘争で鼻硬骨を砕かれ、全学連の過激な闘争に疲れ果てたのか自殺を図って倒れていた時に、行雄は大久保の彼の家に見舞いに行ったが、会えなかったことがある。 あれ以来、行雄は自分のことでも大変だったので、大川のことをほとんど忘れていた。
その彼がいま、力ない足取りで歩いている。 行雄は通りを横切ると、甘泉園のことはすっかり忘れて本能的に大川の後をついていった。 暫く彼の後をつけながら、行雄は声をかけようかと思ったが、なぜか言葉が出なかった。なお暫く、行雄は大川の後をつけていく。
そのうちに、もし大川と話しを交わしても、語ることは何もないという気持になった。 今さら自分は元気にやっていると言っても、心身ともに傷ついた彼にとって、どれほどの意味があるのだろうか。 仮に二人が互いの“傷をなめ合った”としても、それが何になるというのだろうか。 行雄は空しさを感じて、大川の後をつけていくのを止め、遠ざかっていく彼の後ろ姿を見送った。大川はやがて行雄の視界から消えていった。
秋もたけなわの季節になり、行雄は平凡だが落ち着いた学生生活を送っていた。 自分の将来について少しは考えるようになったが、取り立てて進路を固めようという気持にもならなかった。「なるようになれ」が信条みたいなものだから、将来の進路について真剣に考えようとはしなかったのである。
ただ、このまま仏文科にいるのが良いのか、それとも好きな歴史の勉強をするため、第三学年の専門過程で史学科に移った方が良いのか考えることはあった。 しかし、行雄にとって、フランス文学はそれなりに楽しく思え、一部の作家、文学者に興味を惹かれるものがあった。
自分は文学の研究家には向いていないと思うが、場合によっては大学院に進んで少しは専門的に勉強したいという気にもなる。 当面は、いま置かれている仏文科で学んでいくうちに、いずれ自分の進路が見えてくるだろうと考えていた。 そうした在り来たりの学生生活を送っているうちに、行雄にとって生涯忘れることのできない、衝撃的な事態がやってくる。
その日は十一月七日だった。別にその日は特別の日ではない。 ただ、彼にとって終生忘れることのできない日になったから、覚えているだけである。 その日は、朝から暖かく穏やかな日和だった。“小春日和”というのがあるが、春のように暖かく晴れ渡った一日だった。
行雄はいつものように、北浦和駅から国電で赤羽経由、池袋で乗り継いで高田馬場駅で下車した。普段よりやや遅めに着いたので、彼は駅前からバスに乗った。 時間に余裕がある時は、二十分ほどかけて文学部の校舎まで歩くのだが、遅刻しそうな時などはバスを利用して通学していた。
この日は、バスの中はけっこう込み合っていたので、行雄は吊り革につかまりながら窓の外をぼんやりと眺めていた。 国電に乗っていた時から、十一月七日の今日は「ロシア革命」の記念日なんだと思っていた。
行雄のように、つい最近まで左翼の学生であった者には、ロシア革命記念日は十一月七日ということが、頭の中にこびりついているのである。 左翼の者には、ロシア革命記念日は“聖なる日”だから、脳裏に染み込んでいるのだ。従って、そう言えば今日は「ロシア革命記念日」だと、行雄は思い出したに過ぎない。 しかし、今の彼にとっては、そんな記念日はどうでもよいことだった。
大学へ向うバスは、交通渋滞でいつもよりのろのろと走っていた。 腕時計を見ると授業開始の十分ほど前だったので、行雄は少し時間が気になってきた。 今日の一時間目は、K教授がマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」を講義することになっている。
K教授はいつも定刻に講義に出てくるので、行雄は自分が遅刻するのではと心配になってきた。 しかし、バスは相変らずのろのろと走っている。少し進んだかと思うと止まり、また動き出すという具合だ。
西早稲田のバス停で二十人余りの学生が降りると、前の座席が空いたので行雄はそこに腰かけた。 もう一度腕時計を見ると、授業開始時刻まで二、三分ほどしかなかった。これでは完全に遅刻だ、仕方がないと彼は諦めた。バスは相変らず、進んだり止まったりしている。
行雄はぼんやりと前方を見ていたが、後ろ向きの長身の男子学生の黒いズボンが、バスの動きに合わせて左右に小刻みに揺れている。 すらりと伸びたズボンの向う側に、女子学生の白いふくよかな両脚が垣間見えた。行雄はなんとなくその両脚に目をやっていた。
車内に強い日差しが射し込んでいて、少し暑苦しい感じがする。 馬場下の交差点に近づいた時、バスが急停車し、長身の学生の背中がぐらりと右に揺れ、黒いズボンの両脚も一、二歩右に動いた。
その瞬間、行雄の眼前にクラスメートの中野百合子の姿態が現われた。息を呑む一時であった。彼の視線は彼女の姿態に釘付けになっていた。 右に一、二歩動いた男子学生の背中は、元の位置に戻らなかったので、行雄の眼前には百合子の姿態が“あからさまに”現われたままである。
ふっくらとした頬、伏せた視線、水色のカーディガン、緑色のタイトスカート姿の百合子が目の前に座っている。 彼女は膝の上にベージュ色のカバンを置き、その上に淡いピンク色のハンカチを出していたが、多少いらいらした感じでそれを畳んだり広げたりしていた。
百合子はうつむいたままだったが、その様子は、他人に見られていることをはっきりと意識しているようだった。 相手がクラスメートなのに、行雄は声を掛けることも忘れていた。心の中でただ「ああ、中野さんだ、中野さんだ、中野さんだ!」と叫んでいるだけである。
彼は目のやり場がなくなった。 彼女の白く長い両脚が妙に視線にこびりついてくる。ふくよかな白い両脚はぴっちりと閉じられている。 行雄は無理やり視線をバスの前方へと移した。彼は一刻も早く大学前に着けばいいのにと、そればかりを念じていた。
馬場下の交差点を過ぎると、バスは勢いよく走り出した。 交差点を左折した時に、前にいる長身の男子学生が少し左に動いたため、百合子の姿態はほとんど見えなくなり行雄はほっとした。 バスの進行方向に大隈講堂が見えてきた。腕時計を見ると、授業開始時刻を五分ほど過ぎている。
バスが終点に着くと、学生達がぞろぞろと下車していく。 行雄は中野百合子を避けるため、一番最後に降りようと思って暫く座席に腰かけていた。遅刻などは、もうどうでもいいことだ。 彼は学生達の最後から降りようとして乗降口に近づいた。
そして、何気なくバスの外に目をやると、大柄な百合子が肢体を伸ばすようにして、先程まで行雄が座っていた座席の方に向って、さも“わざとらしく”微笑んでいる。 行雄は動転し暫く足が止まった。運転手が、何をしているのだと言わんばかりの表情で彼をにらみ付けた。
一瞬の後に、百合子は身を翻すと軽快な足取りで大学構内へと去っていく。 行雄の脳裏に、今度は百合子のわざとらしい微笑が焼き付き、彼はある種の衝撃を覚えながら、ゆっくりした歩調でキャンパスに入っていった。
百合子と同じ教室に居合わせるぐらいなら、いっそのことK教授の講義をサボってしまおうかとも考えたが、行雄は“機械仕掛け”のように足を動かして文学部の校舎に着いた。
今日の講義は地下一階の小教室で行なわれるため、正面階段を少し上って、右横の昇降口から地下へ下りなければならなかった。 行雄は重い気持で階段を二、三歩上った所で、ふと顔を上げると愕然として立ちすくんだ。 百合子が階段を下りてくるではないか!
彼女はとっくに教室に入っているはずだったのに、行雄を待ち構えていたのだ・・・そして、何食わぬ顔をして一歩、また一歩と非常にゆっくりと階段を下りてくる。 百合子のタイトスカートが太股で盛り上がって見え、彼女が一歩下りるたびに、その長くて太い大腿部の動きがはっきりと見て取れるのだ。
行雄は息を呑んだ。視線が合うと彼は思わず会釈した。 すると、今まで素知らぬ顔をしていた百合子の表情がパッと輝き、彼女は満面に笑みを浮かべて勢いよく階段を駆け下りてきた。
「村上さん、同じバスに乗っていたでしょ!」百合子の声が弾む。「うん、知ってた!」 行雄は悲鳴に近い声をあげると、彼女から逃れるようにして昇降口を駆け下りた。 百合子はその後を追うように足早に付いてくる。行雄の心臓は早鐘のように鼓動を打っていた。
二人が相次いで教室に入ると、K教授の講義はすでに始まっていた。「すいません」行雄はK教授に一言謝ると、前方の椅子に腰かけた。百合子は後方の座席についた。「失われた時を求めて」の教材を取り出して目をやったが、頭に血が上っているので、行雄は暫くの間、何がなんだか分からなかった。
プルーストの文章は、ただでさえ長たらしくて難解である。 気持が動転しているのですぐに分かるわけがない。彼は講義に沿って教材を読んでいくのを諦め、授業を聴いている風を装い心を静めようとした。
百合子との今日の出会いはなんと鮮烈だったことか。 いつも教室で顔を合わせている彼女なのに、今日はどうしてこんなに衝撃的な印象を受けたのだろうか・・・そんなことを考えているうちに、行雄の動揺はようやく治まってきた。 後方に座っている百合子の方をそっと見ると、彼女は何事もなかったかのように、平然とした様子で教材に目を落としていた。
その日から、行雄の脳裏に中野百合子の面影がこびりついて離れなくなった。 朝起きた時から夜寝るまで、百合子の幻影が絶えず行雄の脳裏にまとわりついた。彼女を想わない時間などは、一時もなかった。 食事をしていても、電車に乗っていても、講義を聴いている時も、百合子の幻影が迫ってくるのである。行雄は彼女の“呪縛”にかかり心の自由を失った。
十一月七日の出来事が、あの日の百合子の姿態が、走馬灯のように絶えず繰り返されて彼の脳裏を駆け巡る。 行雄は強いて他の事を考えようと努めたが、その努力はほとんど無駄であった。来る日も来る日も彼は百合子の幻影にまとわりつかれ、どうしようもない精神状態に追い詰められていった。
緑色のタイトスカートを盛り上げていた彼女の太くて長い大腿部、バスの中へ送ってきた“わざとらしい”微笑、パッと輝いて満面に笑みを浮かべたあの表情・・・それらが渾然一体となって、巨大な中野百合子の幻影を生み出してくるのである。
十一月中旬のある日、行雄は文学部の大教室で一般教養課目の文科人類学の講義を聴いていた。 文科人類学は嫌いな科目ではなかったが、彼は百合子のことで頭が一杯だったので、この日の受講はあまり身が入っていなかった。
行雄はN教授の講義をほとんど聞き流していたが、右の最前列に近い席で、“立ったまま”男子学生と何やら話しをしている女子学生の姿が目に留まると愕然とした。 百合子が男子学生からノートを返してもらっているようである。
講義中だというのに、大教室に大勢の学生がいるせいか、N教授はそうした事をほとんど気にしていないようだ。 百合子は男子学生とにこやかに言葉を交わした後、右端の通路を足早に後方へ去っていった。
行雄は彼女を目で追うことはなかったが、心の中で「ああ、中野さんだ、中野さんだ、中野さんだ!」と叫んでいた。 それまでのぼんやりした気分が一変して、怪しげな甘酸っぱい不安に駆られてきた。
一時して、左やや前方の五、六メートル離れた席に、人影が着席するのが視界に入った。 行雄がぎょっとして見ると、それは正しく百合子だった。彼女は明らかに行雄の存在を意識しているようだ。 彼はにわかに緊張して百合子の姿態を凝視した。
息が詰まるような状況になったが、行雄は気を取り直して講義を聴くことにした。 眼鏡をかけてがっしりした体格のN教授は、今や文科人類学の講義に熱弁をふるっている。 彼の赤ら顔が一層紅潮しているように見えた。行雄はN教授がとても熱心な人だという印象を受けていたので、これまでその講義に引き込まれることが多かった。
しかし、今は違う。百合子がすぐ側にいるのだ。 甘酸っぱい不安と胸騒ぎが彼の心を締めつける。行雄は怖いものでも窺うように、恐る恐る左前方に目をやった。 次の瞬間、百合子の潤んだ右の瞳が彼の視線をしっかりと捕らえた。彼女の目元と口元に艶やかな微笑が浮かび、その秋波は彼の視線を決して放すまいとしているようだった。
行雄は動転して息がつけなくなった。百合子の嫣(えん)然とした微笑は彼の心に“毒”を注ぎ込み、その精神を麻痺させた。行雄は完全に金縛りにあい、両眼は彼女の姿態に釘付けになった。
クリーム色のタイトスカートの中で、百合子の大腿部が上の方へうごめく。 その大腿部の暖かい血潮の流れが目に迫ってくるように感じられ、行雄の心臓は早鐘のように鼓動を打ち始めた。 ドキン、ドキンという鼓動が耳の奥に達してくる。彼はもうどうしてよいのか分からなくなった。
この異常な様子に気がついたのか、隣に座っていた男子学生がけげんな面持で行雄の方を見たので、彼はようやく我に復った。 行雄は急に恥ずかしくなり、百合子から目を離すとうつむいた。
その日から彼は、なんとしても百合子と親しく付き合いたいと考えるようになった。 同じクラスメートだから、仏文科専修の授業の際にはいつでも声を掛けることができるのに、行雄は気後れがして彼女に近づくことができなかった。
全学連で活躍していた頃、彼は自分の考えや主張を誰はばかることなく披瀝していたのに、いま百合子に対しては何も言えない状態なのだ。 どうしてこんなに意気地がなく尻込みしてしまうのかと、自分が歯がゆく思えてならない。
異性との交際は悪いことではないし、かつて雨宮和子や森戸敦子と付き合った時には、怖じ気づくようなことはほとんどなかったはずである。 しかし、中野百合子と交際しようと思うと、なぜか怖じ気づいてしまうのだ。 どうしてそうなるのか。そこには、何か得体の知れない恐るべきものが潜んでいるようだ。
和子や敦子にほとんど感じなかったものを、行雄は百合子に感じていたのだろう。それは“女性の肉体”というものだろう。 後日、その決定的な違いを彼は知るのだが、その当時は、自分がどうしてこんなに臆病になるのか理解できなかった。
4)白昼夢
十一月下旬の早稲田祭が近づいた頃、行雄は、中野百合子が歌舞伎研究会のサークル活動をしていることを思い出した。 彼女は入学した時からサークル活動をしていたようで、教室でも時々、歌舞伎の話しをしていたことを行雄は覚えている。
彼は歌舞伎にそれほど興味はなかったが、歌舞研(歌舞伎研究会)ももちろん早稲田祭に参加しているので、それを縁にぜひ百合子に接近したいと考えた。 早稲田祭が始まる前日、行雄は意を決して荻窪の彼女の自宅に電話をかけた。
大きな期待と小さな不安で心臓がドキドキしたが、電話口に出た百合子の母親の声は明るく、とても感じが良かったので行雄は胸をなで下ろした。 百合子を呼び出してもらうと、彼女の弾んだ声が受話器の向うから流れてきた。
「まあ、村上さん、なんの御用でしょうか」「うん、どうも。 あしたから早稲田祭が始まるけど、君は歌舞研のサークル会場にいるよね」 「勿論いますよ。でも、いつもいるわけではないわ。時間によってメンバーと交代しますから」
「それじゃ、あさってはどうかしら」「あさっては・・・ええと、午後二時から五時ぐらいまではいますよ」「それじゃ、あさって三時過ぎぐらいにサークル会場に行っていいかしら」 百合子が明るい笑い声を上げた。「勿論いいですよ、だって誰でも来てくれていいんですから。歓迎します」「じゃあ、あさって必ず行きます。その時間にいて下さいね」
百合子がまた明るい笑い声を上げた。「勿論いますよ。だってその時間は私の当番ですから」「じゃあ、必ず行きますから」 行雄は受話器を置くと、安堵の気持と同時に嬉しさが込み上げてきた。 明後日は、歌舞研のサークル会場で百合子と楽しく話し合うことができる。 その後、彼女に時間があるならお茶に誘ってもいいかな・・・喫茶店は「茶房」がいいかな、それとも別の所がいいかしらなどと、浮き浮きするような想いが去来してきた。
そのうちに行雄は、歌舞伎を勉強しなければと思った。百合子と話し合うなら、歌舞伎を知っておくことが必要だと考えた。 そう考える所に、この男のペダンチックで哀れな“悪癖”があるようだ。 歌舞伎のことなど知らなくても、いやむしろ知らない方が、百合子からいろいろ楽しく教えられるというのに・・・ ともかく彼は、歌舞伎の本を買うために、すぐに自転車に乗ってS書店に向った。そして、歌舞伎の入門書を購入すると自宅に戻って早速読み始める。
歌舞伎の起源とは、十六世紀から十七世紀にかけて「出雲の阿国(おくに)」という女性が演じた念仏踊りが始まりで、それが江戸時代初期には若衆歌舞伎、野郎歌舞伎に発展し、元禄期になって演劇として確立したなどと、歴史的経緯から書かれていた。
行雄は読んでいくうちにだんだん飽きてきたが、これも百合子との会話に役立つかもしれないと思うと、辛抱強く読み続けていった。 翌日も大学が早稲田祭で休みだったので、彼は一日かけて歌舞伎入門書を読了した。
そして、次の日が来た。秋晴れの素晴らしい天気である。 ただ冷たい風が強めに吹いていたので、行雄は白いダスターコートを着て大学に行くことにした。 このコートは以前、森戸敦子の両親が彼に贈ってくれた大学進学のお祝い金で購入したものである。
行雄はふと敦子のことを思い出した。彼女との純粋な恋愛が懐かしく蘇ってくる。敦子は今どうしているのだろうか。 そんなことを考えていると、敦子の幻影がいつしか中野百合子の幻影に変っていった。 そして、百合子への思慕も絶対に純粋なものだと、行雄は思うのである。
彼は武者震いするような気持で家を出た。「いざ出陣」という感じである。彼女と会ったらどんな話しをしようかと、そのことばかりがあれこれと思い巡らされてくる。 歌舞伎の話しは勿論だが、その他にも何かないものだろうかと取り留めなく考えていた。
勇み立って家を出てきたせいか、高田馬場駅には百合子との約束の時間より二時間も早く着いてしまった。 行雄は大学に徒歩で向う途中、蕎麦店で昼食の掛けソバを食べてから早稲田祭の会場に到着した。
時間がまだ充分にあるので、足の赴くまま幾つものサークル会場を見て回ったり、キャンパスを散歩したりした。 そのうちに午後三時が近づいてきたが、不可解なことに勇み立った気持が消え失せて、次第に重苦しい気分になってきた。
歌舞伎研究会のサークル会場に向う頃には、重苦しい不安感がますます高じてきて、一歩一歩が次第に遅くなるような気がする。 こんなことではいけないと、行雄は自らを励ましながら歌舞研の会場にやって来たが、一瞬、入ろうか入るまいかと迷った。
なぜこんなに臆してしまうのだろうか。彼は自分の心の変化に戸惑ってしまうばかりである。 緊張感が高じる中で、彼は意を決して会場に入った。時間は百合子と約束していた午後三時を少し過ぎている。
会場の中は閑散としていて、数人の学生しか訪れていなかった。 行雄は入口に最も近い掲示物の前で足を止めたが、そこには歌舞伎の歴史に関する年表や解説文が掲げられている。 色とりどりの形状や文体になっていたが、ごく月並みなものに思えた。一昨日、昨日と、行雄が歌舞伎の入門書で知ったばかりの事柄が綴られていたからである。
この掲示物の前には、歌舞研のクラブ員と見られる男子学生が、やや退屈そうに椅子に座って脚を組んでいた。この男が上目遣いに送る視線を行雄は避けたが、重苦しい不安感は一向に治まらず、百合子はどこにいるのだろうかと彼は恐る恐る会場の中に目をやった。
すると、細長い会場の最も奥まった所で、百合子が男子学生と何やら言葉を交わしていた。 彼女の姿を目に留めると、行雄は胸が詰まって急に心臓がドキドキと鼓動を打ち始めた。会場から逃げ出したい気持になったが、彼の足は掲示物の前で釘付けになっていた。 緊張と不安がますます募り、彼は身体中が熱くなってくるのを覚えた。
同じ掲示物の前で立ちすくんでいるのも変なので、行雄は隣の掲示物の方へ重い足を運んだ。 そこには「歌舞伎の用語」と題して、黒衣(くろご)、せり、みえ、とんぼ、たて、宙乗りなどのことが、写真や図解入りで丁寧に解説されている。
行雄はその掲示物に目を通していたが、百合子のことが気になって仕方なく、そっと目をやると彼女の方も彼に気付いたようである。百合子は男子学生と話しを続けていたが、時おり行雄の方に視線を投げかけてくる。
百合子に気付かれたと思うと、行雄は身体がさらに熱くなってくるのを覚えた。彼女に話しかけようという気持はまったく消滅して、逆にますますその場から逃げ出したい衝動に駆られてくる。 しかし、彼は動けなかった。
まるで“ロボット”のように突っ立っていると、男子学生との話しを切り上げた百合子が、ゆっくりとした足取りで行雄の方へ近づいてくる。 彼の心臓は激しく動悸を打ち、身体中が緊張のあまり硬直してきた。
行雄は他の数人の学生が気になって仕方がなく、彼等の視線がどうか自分に向けられないようにと祈っていた。 とうとう、百合子が行雄から二、三歩の所まで近づき足を止めた。長身の彼女は彼を見下ろすように立っている。行雄は百合子の肉付きのよい大柄な身体から、物凄い圧迫を感じた。
彼女は上着のポケットに両手を入れリラックスした雰囲気で立っていたが、行雄の様子が異常に見えたのか、けげんな面持ちを浮かべている。 暫くして百合子は言葉をかけてきた。「村上さん、何か御用ですか」 彼女の声は静かだが、しっかりした口調だった。
二、三人の学生が行雄らの方を見ているのを感じて、彼は恥ずかしさで身体中が火のように熱くなった。 なんと答えて良いか分からず、行雄は顔をしかめて呻くように叫んだ。「なんでもないさ!」
百合子の表情は血がひくように青ざめた。彼女の落胆した様子を見てとると、行雄は逃げ出す一瞬のチャンスをつかんだと思い、一言も挨拶をせず、弾かれたようにサークル会場から外に飛び出した。 ダスターコートを着ていたせいもあるが、身体中の火照りで行雄は発汗しているように感じた。 彼は喘ぎながら大隈講堂前のバス停にたどり着くと、急いでバスに乗って帰路についた。
茫然自失の体(てい)たらくで家に戻ると、行雄は見る見るうちに悔恨の情に苛まれた。 自分はどうしてあのような不様な醜態を演じてしまったのか。なぜ百合子に対して素直に話しかけることができなかったのか。
歌舞伎の予備知識をあれほど頭に詰め込んで出かけたのに、一言も触れることなく逃げ出してくるとは、一体どうなっているのだ。 自分はなんと意気地のない不甲斐ない奴なんだ! 百合子の青ざめた落胆した表情が目に浮かぶ。あの瞬間、彼女の目元が涙で潤んだではないか。
自分は百合子にどうやって謝ればいいのか。行雄は慙愧の念に耐えられず自分自身を責め苛んだ。 しかし、彼はどのようにして謝ったらいいのかが分からない。結局その日は、悶々たる気持で過ごさざるをえなかった。
翌日になると、行雄の苦悶も少し和らいできた。 すると、百合子への謝罪の気持とは別に、彼女の大柄で艶やかな姿態が想い起こされてくる。昨日、百合子がゆっくりと行雄に近づいてきた時の、丸みをおびた腰の周りの曲線が目に浮かぶのだ。 それは妙に悩ましく、なまめかしい。そして、彼女のふっくらとした胸の辺りの盛り上がりも、脳裏に焼き付いて離れないのだ。
それは、かつて森戸敦子や雨宮和子に抱いた想念とは、まったく異なるものである。どうしても百合子の“肉体”が気になってくるのだ。 彼女の肉付きのよい腰や大腿部が、幻影となって行雄の眼前に迫ってくる。彼は恍惚としてそれを愛(め)でるのだ。
百合子は大輪の花だと、行雄は思う。 彼女は、大きくて豊かで美しい。正に大輪の白いユリの花だ。 そう思っていると、百合子の全体像が彼の脳裏に巨大な幻影となって映ってくるのだ。 彼女ほど素晴らしい女性がこの世にいるだろうか。彼女ほど美しく麗しい女性が他にいるだろうか。
行雄は白昼夢を見るようになった。 百合子の幻影が、来る日も来る日も脳裏に浮かんでくる。しかも、それは日増しに大きく美しくなっていく。 彼女の顔、胸、腰、大腿部までが日々新たに輝いてくる。 光り輝く百合子の白昼夢に彼は酔いしれるのだった。
早稲田祭も終り十二月に入ると、寒さが身に凍みる季節となってきた。 授業の時などに、行雄は百合子と出会うことがあったが、彼女は人が変ったように不機嫌そうにむっつりしていて、彼の方に決して顔を向けなかった。 ことさら彼を無視しようという態度に見えたので、行雄は謝罪の言葉をかけることができなかった。
ありきたりの謝罪をしても、百合子は許してくれないだろうと思うと、行雄の気持は一層重苦しくなり話しかける気にもなれない。 なんとかしなければと思うのだが、彼女に対する仕打ちがあまりに酷かったので、彼は謝る勇気を失っていた。 仕方がないので、行雄は多少の距離を置いて百合子の様子を窺うしかなかった。
しかし、彼女を想う気持が内向していくと、思慕の情と幻覚はますます強まっていった。 行雄は家にいると、ロマンチックなクラシックレコードをしばしば聴くようになった。 彼はリストの「愛の夢」と、ベートーヴェンの「ロマンス第二番」に特に魅了された。
これらの曲は、愛する感情の結晶ともいうべきものだ。 甘美な調べは行雄の夢想を限りなく広げ、百合子への思慕を深めていく。彼は夢想の中で百合子を抱き締めていた。彼女は“かぐわしい”匂いを放ちながら彼の腕の中にしなだれている。 そういう恍惚とした想いに耽る時、涙が頬を伝って落ちてくる。
行雄の白昼夢は止まることがなかった。来る日も来る日も朝から晩まで、彼は百合子の幻影に魅せられ息が詰まるような状態が続いた。 俺は百合子と結婚する。彼女と永遠の契りを結べばどんなに幸せであり、どんなに喜びに満ちたものになるだろうか。 このように想像すると、行雄はしびれるような快感に浸るのだった。
夢想に明け暮れるうちに十二月も押し詰まってきた。 ある日のこと、行雄は自宅でたまたまイタリア・ルネサンスの絵画集をひもといている時、レオナルド・ダ・ヴィンチやラファエロなどの名画とともに、ある一つの絵画を目に留めて愕然とした。
それは明るい陽光の中で、大きな貝殻に乗ったヴィーナスが、風を受けながら海辺に姿を現わした絵でる。 ヴィーナスは茶色の長い豊かな髪で陰部を覆い、恥じらうように戸惑いの表情を見せている。 その右手は右の乳房の上に置かれているが、左の乳房は露わに光にさらされている。
若く美しいヴィーナスは、自分のまばゆい裸体に困惑しているようだ。あまりにも美しく生まれ、これほどまでに光り輝く自分の裸体を、どうしてよいのか持て余しているように見える。 神秘的であるとともに官能的な絵である。このサンドロ・ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」を見た時、行雄は深い衝撃を受けた。
ヴィーナスはすぐに中野百合子の幻影に結び付き、彼は百合子の裸体を想像し頬が火照るのを感じた。 彼女の裸体もこのヴィーナスのように、美しく豊かで、まばゆいものに違いない。ヴィーナスの白く輝く太股は、あのタイトスカートに包まれた百合子の大腿部を連想させる。
暖かい血潮が流れる彼女の長くて丸い大腿部の幻影が、行雄の脳裏に迫ってくると、彼はもう息がつけないほどに感じられた。百合子は俺のヴィーナスだ! もう、どうなってもいい。俺は百合子を自分のものにするのだ。彼女を永遠に抱き締めるのだ。 悦楽の夢想に行雄は感動し、この想いを実現するしか自分の生きる道はないと信じた。 しかし、現実生活で彼は何もできないまま、二学期は終った。(以下の続きは、第96項目で連載していきます。)