1) 米英軍によるイラク戦争の結果を見ると、つくづく“勝てば官軍”の思いを新たにする。 戦争開始前は、世界的に反戦運動が高まっていた。また、国連ではフランス、ロシア、ドイツなど戦争反対の国々も多く、アメリカとイギリスを支持する陣営は少数派と見られていた。
イラクへの武力行使を認める新たな安保理決議が採択されないまま、米英軍は戦争に突入する。 当初、この戦争は長引くことも予想され、開戦してからも世界の反戦運動は高まりを見せていた。ところが、対イラク戦争はわずか3週間で決着がついたのである。
米英軍の圧倒的な軍事力の前に、イラク軍はほとんどなす術もなく敗北した。 開戦前後は、軍事専門家の話しなどによれば、イラク軍は相当頑強に抗戦するだろうと予想され、また米英軍は、砂漠の砂嵐や補給線が伸び切ることで苦戦すると見られていたようだ。
しかし、結果は予想以上の速さで米英軍が圧勝したのである。 精鋭部隊と言われていたイラクの共和国防衛隊等は、効果的な抵抗をほとんど見せず地滑り的に敗北した。イラク軍はなんと弱い軍隊なのか、と思った人も多かっただろう。相対的に、米英軍の一方的な強さが印象に残る結果となった。 世界の反戦運動が高揚する間もなく、戦争はあっけなく終ってしまい、フセイン政権は崩壊してしまったのである。
今回のイラク戦争を見ていると、軍事力(武力)がいかに重要で、決定的なものかということを痛感させられる。 そんなことは当り前だと思う人が多いだろうが、戦争反対の国々が多数派で、新たな国連決議もないまま戦争が始まり、また、未だにイラクの生物・化学兵器(大量破壊兵器)の所持が立証されていないというのに、この国の歴史は大きく変わることになった。
歴史を変えたり創ったりする大きな要因は、結局軍事力ではないのか。 そんなことは人類の歴史を見れば明白なのだが、未だにそれが分からない“平和ボケ”した日本人が多い。 この場で、日本の軍事力の増強を云々する気は毛頭ないが、歴史の真実とは何かということだけ指摘しておきたい。
2) 先日、私はプルタルコスの「英雄伝」を少し読んだ。 日本では「プルターク英雄伝」(岩波文庫・河野與一訳)などで知られているが、アレクサンダー(アレクサンドロス)大王やシーザー(カエサル)らの戦いが生き生きと伝えられている。
アレクサンダーやシーザーだけでなく、チンギス・ハーンもナポレオンも軍事力で世界の歴史を変えた。 事の善し悪しはともかく、歴史はほとんど軍事力で変えられてきたのである。また「革命」も古来、その成否は最終的に軍事力によって決せられている。
革命には民衆の支持や共鳴、思想・主義といった心の要素も大きいが、軍事力がぜい弱だったために、どれほど失敗を繰り返したかという事例は無数にある。 こうして見てくると、歴史を創り動かしていく要素として、軍事力(武力)が大きなウエートを占めていることは明白である。
よく使われる譬(たとえ)として、「実力のない権威ほど惨めなものはない」というのがある。 この場合の“実力”とはなにか。いろいろなケースによって実力の意味が違ってくるだろう。ある時は生産力であったり、またある時は金力であったりするかもしれない。
しかし、“実力”を歴史的に見れば、これはほとんど軍事力を意味することが多いのではないか。 軍事力がぜい弱になったために、滅亡していった国家、政権といったものは枚挙に遑(いとま)がない。もちろん、国家や政権が滅亡していく背景には、民心の離反や時代の流れといったものがあるが、最終的には軍事力という“強制力”が崩壊する場合が多い。
今回のイラクの場合も、フセイン政権の善し悪しは別として、共和国防衛隊等の軍事力が崩壊したため、あっけなく戦争は終了したのである。 イラク軍がどうしてあんなに弱かったのかと、ここで軍事的な分析をするつもりはないが、要は相対的に、米英軍の軍事力が圧倒的に強かったと言えるだろう。
米英軍の実力によって、イラクの歴史は変えられたのである。 この事実を非難しようが嫌悪しようが、それはここでは問題にしない。フセイン政権の滅亡を善しとする人も多いのだから、事の善し悪しを論じるつもりはない。 フセイン政権は「実力のない権威」を世界に露呈しただけである。
3) このような言い方をすると、まるで“軍事力最優先”と受け取られかねないが、歴史の真実はそういうことではないのか。 一つの国家や政権が自らの存在を維持していくためには、どうしても軍事力や警察権力といった“強制力”が必要になってくるのだ。それが体制と秩序を支えるのである。
体制と秩序を守るには、国家や政権への民心の支持がもちろん必要であるが、反体制の人間はいつの世にも必ずいるから、国家や政権が自らの存在を維持するためには、どうしても軍事力、武力という強制力が必要となってくる。外敵に対しても同様である。
今回のイラク戦争の場合、フセイン政権は外敵(米英軍)に対して、まったくぜい弱な軍事力を露呈してしまった。 従って、同じような立場の北朝鮮の金正日政権は、ますます核戦力といった軍事力の強化に走らざるをえないだろう。
我が国には「勝てば官軍、負ければ賊軍」という分かりやすい比喩があるが、歴史の真実はそういうことである。 勝ったものが歴史上、正当な地位を占めるということになる。アレクサンダーもシーザーも、チンギス・ハーンもそうであった。
例えばシーザーの場合などは、彼は共和制ローマの大反逆者であり、旧勢力から見ればその体制を覆したのだから“大犯罪者”ということになる。 しかし、歴史はシーザーの卓越した軍事力によって、彼を古代ローマ世界の栄光ある勝者にしてしまった。(帝政ローマへと道を開く。)
古来、どれほど多くの哲学者や宗教家が“愛”や“平和”を唱えてきただろうか。 人間が生きる道として愛や平和は尊いものだが、歴史を主導してきたものは、幸か不幸か武力(軍事力)である。これは今後も続くだろう。
現代のパックス・アメリカーナ(アメリカの支配による平和)も、アメリカの軍事力によって成り立っている。 アメリカは自由と民主主義を標榜しているが、その理念に賛同するかどうかは別として、成否は軍事力にかかっている所が大きい。
シーザーが当時の世界に新たな支配と改革をもたらしたように、アメリカもその支配と改革(自由と民主主義)を21世紀の世界に及ぼすだろう。 それは好き嫌いや善し悪しの問題ではない。そこにアメリカの巨大な軍事力があるからである。 (2003年5月6日)