いい日は幾らでもある。手に入れるのが難しいのはいい人生だ。(ディラード)

迷い
2004年7月31日(土)

毎年この時期恒例の吹奏楽コンクール。今年度になってからは初めて聴きに行く。
北海道生活が長くなると、教え子が出場する学校もチラホラとエントリーしていて・・・。応援ついでに大きくなった姿を見るのが楽しみでもあり。

現役を退いて10年になるなぁ。コンクールかぁ・・・白く飛ぶような明るいライトの当たるステージで、拍手喝采を受けていたのももうはるか彼方のことのようだなぁ。

今日のコンクールは、中学校部門。
ういういしいなぁ。緊張してるなぁ。あがってるんだろうなぁ。・・・見て分かるモン。・・・良くも悪くも、それは演奏にも表れていて・・・。
最初は俺も、そうだったんだよなぁ。

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俺が中学校に入って、すぐに選んだのは「卓球部」だった。
でも、1ヶ月も持たなかった。2週間ほど経つと、だんだんサボるようになり・・・。
それからは、部活の時間は勝手に帰って、同じように部活をサボった仲間の家にたむろしたり、買い食いしたり、そこらで遊んだり・・・。2年が終わるまでのクラブ活動の思い出は、ほとんど無い。

3年になって少し経った頃、担任に呼ばれた。
「おまえは中学の3年間で、何をしてきた?(高校受験用の)調査書に書けるようなことなんにもないぞ!」
「生徒会役員してます。」
「それはあるかもしれないけど・・・、クラブ活動はしないで終わるのか?」
「・・・・・。別に、クラブなんていいです。」
「もう運動部はレギュラーが決まっていて今さら出られないけど、まだこれから大会があるクラブがあるんだよ。おまえ、やってみたらどうだ?」

それが「吹奏楽部」だった。・・・俺に「吹奏楽部」を勧めてくれた先生は「柔道部」顧問の先生だったけど、その先生は自前のトランペットを持っていて、俺がちゃんと吹奏楽部の活動に出るのなら、そのトランペットを貸してもいい、とまで言った。

それから俺は5ヶ月くらいの間、その先生から借りたトランペットとともに「クラブ活動」をすることになる。(当時、吹奏楽のコンクールは9月だった。)もともと高校の進学先なんて、こんな成績でも入れるところならどこでもよかったから、クラブに時間を十分に割くことができた。

うちの中学の吹奏楽部は、毎年予選落ち。部のみんなの目標は「地区予選突破、県大会出場!」・・・でも、俺にとってはなんでみんながそんなに「県大会」にこだわるのか、よく分からなかった。自分たちの演奏が評価される場があることを、そのときの俺は知らなかったからね。
俺にとって、初めてのコンクール出場は、緊張し通しで、よく覚えていない。なんでこんなに緊張するんだろう。なんでみんなこの本番のステージにここまでのめり込むんだろう。なんで県大会に行きたいんだろう。・・・・・分からないたくさんのことと、緊張とで頭がゴチャゴチャになりながら、訳も分からず大勢の観客と審査員の前に進み出て、ライトを浴びて、演奏して・・・。

俺が初めて出場した吹奏楽コンクールの結果は、うちの中学校は地区代表として県大会に推薦されていた。部始まって以来の快挙。みんなの念願だった「県大会出場」。会場の一角で、仲間が声を上げて泣いている。うれし泣きだ。・・・それを見ていた俺も、なんだか涙がこみ上げてきて・・・・・。中学に入って、声を上げて泣いた、ただ一度の感動の思い出。

県大会に向けて、俺が顧問の先生に聞いたのは、ほとんどこのこと一つだけだったように思う。
「なんで、こんなに緊張するのかなぁ。俺、緊張するとうまく演奏できなくなるよ。」
「きっと、『迷い』があるんじゃないかしら。」と、顧問の先生。
・・・「迷い」が無くなったとき、緊張もなくなって、全力を尽くした演奏ができるのかもね、と教えてくれたっけ。

部として初めて出場する県大会に向けて、部全体で燃えるように練習した。
「間違うかも・・・」「緊張するかも・・・」という迷いが無くなるよう、ベストの状態がモニターされるまで、納得するまで何度も練習した。

そうして迎えた県大会。会場は県内最大のホール。
・・・やっぱり俺は、そのステージのこともほとんど覚えていない。ステージにいる俺たちよりもはるか高いところまで観客が座っていたのを思い出す。そして、自分が吹いた音が、ステージから遠くに座っている観客のところまで響いていっているのが時々分かるくらいの余裕があったことも覚えている。

中学の頃の、悪い思い出ばかりな俺の、数少ないいい思い出。

のちに俺が進学する高校の吹奏楽部顧問の先生が、そのときの県大会の俺たちの演奏を聴いていて、俺はしっかりその先生に覚えてもらっていた。
高校に進学してすぐ、その先生に声をかけられ、俺は高校ではすぐに「吹奏楽部」に入ることになるが、残念なことにまたすぐサボるようになり、停学もするようになり・・・。

中学でのあの素晴らしい思い出は、なんだったのか・・・。俺って、そんなことばっかり。
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今日のコンクールの中学生達も、かつての俺のように緊張しているのがよく分かる。
残念ながら、その緊張が悪い方向に出てしまった団体がほとんどだった。
もっとのめり込まなくちゃいけないのだよ、中学生達よ。全力を尽くすほどに。緊張になど負けないほどに。
・・・そう思いながら、俺は励ましの意味も込めた拍手を贈っていた。

教え子達の中学校は、予選トップの成績で通過。青は藍より出でて藍より青し。

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それにしても、
一生の間に、全力を尽くすことって、どのくらいあるのだろう。
何もかもに全力で取り組む、なんて無理だろうから、一生の間に使える「全力」ってのは限りのあるものなのかもしれない。・・・かといって、いつか全力を尽くすときのために力を温存するふりをしてグータラしていても、いざというときに全力を出せるものかどうか・・・。

今日、吹奏楽コンクールを聴きながら、ちょっと考えていた。
全力を出し切れるかどうか、というのは「迷いのなさ」にあるのではないだろうか。
取り組むことに「迷い」があったなら、そのことに全力を出し切ることはできないなぁ、と。

吹奏楽で言ったら「楽器の技術の向上」とか「音楽性」かもしれない。人によっては「家族を守ること」かもしれないし、「仕事」や「生き方」かもしれない。そのことについて深く考え、感じ入り、価値を認識し、納得しながら「迷い」を拭い去っていくことで、人は「全力を尽くす」ことができるんだろう。

誰にでも、そのことのために「全力を尽くす」だけの力があるはずなんだ。発揮するためには、そのことの価値を認識し納得するために、誰しもが考えていかなくちゃいけないんだ、と。

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こうして日記を書いてみると、俺としてもいろいろと実りのある吹奏楽コンクールだったと思う。明日は大会2日目、明日も聴きに行きます。

でも、家に帰ってみると、この暑さに溶けてしまったようにダラダラしてしまって・・・。
こんなんじゃ、「全力を尽くす」の話どころじゃないよ。
でも、暑いのはダメなんです。今年の夏は、暑くて死にそう・・・。ダラダラダラァァァ。

・・・・・成長してないなぁ、俺。

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空高く そびえるガラの山の頂きに独り たたずみ
暮れゆく横浜(まち)を見下ろす
この場所に やがて出来る新しい未来と 新しい出会い
そのために明日も また汗を流そう
(manzo:作詞「希望の丘陵(おか)」から/「日本ブレイク工業 社歌」より)

汗を流すのだって、苦になるのと、ならないのがあるでしょ。そういうのを考えていたわけで・・・・・。

聞こえなかったサイレン
2004年7月28日(水)

先日のこと・・・・・。

夜中も2時をまわってウトウトしていたら、いきなり電話が鳴った。
何でこんな時間に・・・と思いながらも、電話に出る。
「今、そっちの方に消防車が行ったけど、そっちの住宅のあたり火事じゃないですか?大丈夫ですか?」
・・・かつて2年間担任を持ったMくんだった。俺の住宅のあたりにサイレンを鳴らした消防車が走っていくのを見たので、心配になって電話をくれたのだった。
ウトウトしていて、消防車が外を走っているのも分からなかった。サイレンだってさっぱり・・・。
「あ、あぁ、うちは大丈夫だよ。・・・今日は実家に帰ってきたのかい?」
寝ぼけてそう答えたが、その声を聞いてMくんはホッとしたらしい。
「・・・じゃ、すみませんでした。こんな時間に電話をかけちゃって。おやすみなさい。」

このMくんを俺が卒業生として送ってから5年近く経った。今では札幌の有名高校に通うほどになり、すっかり俺の中高時代を越えた立派な生徒になっている。それなりに悩みもあってよく訪ねてきたり電話をくれるが、そういう大人の会話もできるようになったことは、教師冥利に尽きるなぁ。

それにしても、俺が家にいる時間が短くてあまり電話に出ないためか、最近はあまり電話をかけてくる教え子は少なくなり、パソコンなどのメールで連絡をくれるようになった。
俺としては、最近はこの住宅は、「寝るため」に帰ってくればいいところというだけの扱いで、家でじっとしているよりは、外で何かしていたい気分なのだ。30歳もすっかり過ぎてしまうと、自分の生きたいように生きることを考えるようになってきて・・・。

先日、両親から、北海道にに遊びに行きたいから案内してほしい、と連絡があった。
俺は断った。「あんたらと会うために時間を作る気はないし、この夏、実家に帰るつもりもない。」・・・この夏休みも、好きに過ごすつもり。


「『一生どうでしょうします』と決めた段階で、誰になんと言われようが僕たちは負けないんですから。」(藤村忠寿:「水曜どうでしょう」ディレクター)

一生思い続けられるものがある人は、強い。俺は何を持っている?

「火曜サスペンス劇場」に出演!?
2004年7月8日(木)

あれは、5月27日(木)の夜のこと・・・。

俺の住む街で、テレビドラマの撮影があって、そのドラマに出演するエキストラを募集していた。・・・まさかね、と思いながらも、おもしろいもの見たさに、仕事を早々と切り上げて、俺も撮影会場に行ってみることにした。

病院の患者役でエキストラ出演者5名、地元の人で。・・・おれはエキストラになんて出るつもりは全然なくて、ドラマのロケ風景を見に行ってみたくてさ。
でも・・・。
どういうことか、おれはエキストラとして選ばれてしまっていた。・・・控え室に通され、入院着を着せられ、カメラやライトがゴチャゴチャある撮影場所に行くことになり・・・。

なんだか分からないけど、ADさんの言われたとおりにカメラの前に出る。
リハーサルで撮影の後、カメラチェックで俺が外されることもあった。「患者なのに、元気すぎる!」とかなんとか・・・。
控え室で待ちながら撮影に借り出されること4〜5回、拘束時間にして約4時間・・・・・おれのドラマ収録の出番はなんだか分からないうちに終わった。

あれから一ヶ月あまり・・・。
7月6日(火)の「火曜サスペンス劇場」。
『弁護士・高林鮎子(シリーズ33)「特急うずしお30号の罠」』
眞野あずさ・主演、丹波哲郎、橋爪 功・・・・・

・・・出ていました。俺も。ほんの一瞬だけだけど、確かに「火サス」に出演してしまっていました。
あまりに一瞬過ぎたから、俺以外には誰も分からないだろうと思っていたら、こっそり出演のことを伝えていた知人の数人から、「『火サス』に出たの、分かったよ」と連絡をもらって。あんなに小さく、一瞬出ただけだったのに!・・・やっぱり、俺、出演していたんだなぁ。と。ははは・・・。


『ひょっとして』(八木重吉)

ひょっとして
ぐうっと 心がのびて
自在に 形づくってゆく

私のである
(そして 世界のである)
新しい 草をつくる
木をつくる


今年は確かに忙しい。
でも、それなりにいろんなこともあって、充実しているのも確か。
まだまだ縮こまっている俺に、新たな水をかけてくれる人もいて、俺はまた新しい枝を伸ばしているところ・・・に違いない。

殺害事件
2004年6月19日(土)

長崎・佐世保での事件。小学6年女児殺害事件。
ここ何日も気になっていて、考えていたことでした。
今、運動会が近づき、遅くまで動き回る毎日だが、夜、家に帰って横になれば、考えないではいられない。疲れているとはいえ。

この事件が報道された次の日の朝、クラスに入ると、子供たちの関心も高かった。
子供たちはいろいろ知っていることを話していた。カッターナイフのこと、友達同士でも殺害までやってしまうに至ったこと、学校で起きたということ、これが小学生の事件だということ・・・。
ひととおり、子供たちの言葉をよく聞いた後、俺はゆっくり話した。
このクラスの担任になって、一番長い「朝の会」となったのではないかと思う。

君たちは独りではない、ということ。
もし、自分では解決できない悩みや問題があったとしても、一緒に考えてくれる人は必ずいる。親でもいい、俺でもいい、誰かに話してほしい。もし、そういう悩みがあって、それを俺に話してくれるなら、俺はその悩みが落ち着くまで、いつまででも一緒に考えていくつもりだ。俺では頼りにならない、と判断しても、君たちの周りには、必ず君たちを救ってくれる人がいる。君たちを誰一人救う人がいない、なんてことはない、ということ。

自分の感じる「痛み」は、他人だって感じる、ということ。
人に傷つけられることには敏感だが、自分が傷つけているということには、なかなか気づかない・・・俺だって偉そうなことは言えない。でも、相手の痛みを考えられる人は、相手からも傷つけられないのではないか。俺も君たちも、他人(ひと)の「痛み」を感じられる人になりたいね。

どんなに世の中に荒んだモノが溢れているとしても、清らかなものは決してなくならない、ということ。
暴力的なモノ、荒れたモノ、人の心の弱さにつけ込むモノ、心を惑わすモノ・・・俺自身も迷ったし、荒れた。でも、この世に生まれたからには、ぜひ自分にとっての「尊いモノ」「永遠に変わらないモノ」「清らかなモノ」を考えてみてほしい。迷うことがあるかもしれない。でも、いつか必ず「そこ」に行き着いてほしい。俺もこれからも、自分の生き方や、普遍的なモノ(子供たちには、もっと分かりやすい言葉を使ったが)を考えていくつもりだ。

どうしてこういう事件が起きたのだろうか、と思うと、やりきれなくなる。また、子供たちを前にして、伝えたい言葉はいくつも出てくるが、俺にそれを伝えるだけの力があるのか、とか、自分にそれを言う資格があるのか、とかを思うと、力のない自分に無性に腹が立ってきて、やりきれなくなる。・・・・・さまざまな思いが、子供たちを目の前にして話している自分の頭の中でぐるぐる回り・・・

そんな俺の話を、子供たちはシーンとなって、しっかりと聞いてくれていた。
ふと、真剣な顔のみんなの顔を見て・・・・俺はついに声が震え、涙がこみ上げてきて・・・。
この日、みんなにとっても俺にとっても、特別な「朝の会」となった。


たとえば、「カッターの使い方」を教えるときも、俺は、できるだけ怪我をしないように使えるように教えてきた。刃は使う分だけ出して、手を置く位置に気をつけて、無理に動かさないで、人に刃を向けないで・・・。確かに教えられた子供は、カッターを使っても怪我はしなくなる。

でも、怪我をした痛みを知ることもなくなる。指を切ったら痛い、ということを、怪我をしない子は、分かっているのだろうか。

でも、だからといって「自分の指をカッターで切ってみなさい」なんて馬鹿げたことは言えない。
・・・・・でも、「切ったら痛い」ということを、分かるように考えさせる大切さ、というものがあるのだろう、と思う。
自分が切っても「痛い」のだから、そのカッターで切られれば、他人だって「痛い」ことを分かってほしい。

俺にもっと力がほしい。・・・「大切なこと」や「尊いこと」のこと、「生きる力」のこと、命は一つだということ・・・・・そういうことを伝えていける大きな力がほしい。


俺も一人の人間として、紆余曲折はあるにせよ、よりよく生きていくようにしたいものだ。

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・「渚スコープ」(吉田峰明:作曲)・・・1987年度全日本吹奏楽コンクール・課題曲B

こないだの日曜日に、久々に伊達方面に行った。
高速を走る車の窓から、光り輝く大きな海が見えて、運転中ながらもつい目をうばわれてしまった。海といえば、さまざまな作曲家が海をテーマに作曲しているが、俺はこの「渚スコープ」がお気に入りだ。この曲は4分強の短い曲ながら、海のもつさまざまな表情(風景)をよく表現していると思う。

高速の道路際は、今、ルピナスの花がきれいに咲いている。どうしてそんなところにというところに、誰に見られるでもなくきれいに咲き誇っている。

お笑い大好き
2004年6月10日(木)

半月間ほど、パソコンが使えなくなっていた。
突然、OSが立ち上がらなくなったのだ。自分の知っている知識の範囲でいろいろ処置してみたが、一向に立ち直る気配がなかった。・・・仕方なく、OS再インストール。
 ところが、再インストールもうまく行かず、四苦八苦。インストール画面の途中、いつも同じところで止まってしまったり、せっかくインストールできてもネットに繋いだとたん、ウイルス感染!・・・ウイルス駆除ソフトを入れていたのもに関わらず!?
 ・・・やっとインストールを終えたものの、前に使っていた環境まで持って行くにはまだまだ時間が要るかなぁ。

もう半月以上も前になるが、5月16日(日)、札幌に「お笑い芸人ライブ」を見に行ってきた。エレキコミック、東京03、スピードワゴン、バナナマン・・・4組のお笑い芸人のライブだ。

・エレキコミック「やっつんレストラン」
・東京03「飯塚・角田・豊本(豊子)で旅行(オーシャンビュー)」
・スピードワゴン「甘いセリフを言える男になりたい〜そっちのマジカルばなな〜クイズ&なぞなぞ〜むかしはワルだった」
・バナナマン「日村の誕生日マル秘どっきり大作戦」
・4組のサイン入り色紙抽選会(10枚)・・・残念ながら俺らは当選せず!

いつもはテレビでしか見ない芸人が、目の前にいるというのは、すごく不思議な気分だった。お笑い番組、お笑い芸人、お笑いライブ・・・「お笑い大好き!!!」(スピードワゴン・井戸田潤風に)

特に今年は、家に帰っても「仕事・仕事・仕事」・・・。持ち帰りの仕事がなくても、子供たちを取り巻く様々な事件やら環境やらで、俺も足りない頭のなかにあれこれ考えや悩みを思いめぐらす毎日。生身の人間と向き合う仕事をしている以上、こういう悩みから抜け出せることはないのだが、正直、心が張り切れそうな時もある。

ちょっとでいいから気を抜かないと、持たないなぁ、とも思う。
そんな俺だから、
「お笑い大好き」なんだろうな、と。

これで明日もまた、やっていける。


「真理というのは、実はどこにでもあるものだ。」
「真理がどこにでもあるなら、道に落ちている石のように、ありふれたものでしょうか。」
「その通りだ。だから誰にでも拾うことができる。」
「ではどうして人々は拾わないのでしょう。」
「真理という石を拾うには身をかがめなければならない。難しいのは身をかがめることなのだ。」

ほしいものを楽して手に入れようなんて、そんな甘いこと言える自分ではないのは、これまでの俺のやってきたことを思い返せば分かり切ったことなのに、ときどき短絡的なことばかり考えるのは、まだ自分のすべきことをきちんと考えられないからなんだろうなぁ。

理想は見えているのに!


淡い〜濃い
2004年5月12日(水)

「さくら」(はたちよしこ)

はるだった
のっていたバスは
いくつものくるまと すれちがっていた
そして ふいに
ひくいさくのあるトラックとならんだ 

五、六ひきもいただろうか
ふるぼけたさくのなかには
ゆらゆらゆれながら
ぶたが のっていた

ぶたは
さくらのはなびらいろをして
ぜんたいが すきとおるようだった
だれにもほんとうに
うつくしいときがある

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うちのアパートからすぐの「桜坂」は今、桜が7分咲きくらいか。週末辺りが見頃。
アパート前の桜は、明日辺り、咲き始めるのではないかと思うようなつぼみのふくらみ。来週中ごろには満開になるのではないだろうか。

そういえば、北海道の桜は、花色が濃いように思う。染井吉野ではないのでは?
小さい頃、実家の近くの神社に咲いていた、山桜の色に似ている気がする。

俺の場合、桜と言えば、「岩手公園・不来方(こずかた)城址」とか「高松の池(全国桜の名所100選)」の桜を真っ先に思い出すが、それを見に行かなくなって、もう7年になる。

・・・あの淡い花色の桜も好きだったが、最近は、北海道の桜の色の濃い花色も、その色鮮やかさに惹かれるようになったなぁ。

桜ばかりが春の花ではないが、やはり桜が咲いて、しっかりと「春」が来た気分になる。
「雪月花」・・・冬の雪、秋の月、春の花・・・今俺が住んでいるところは、立ち止まりさえすれば、その時々にそれらをゆったりと味わうことができる美しい場所である。

だれにも、ほんとうにうつくしいときがあるものだ、と、そう思いたい。
雪月花の美しい、この景色の中にいるのだから。

まだ寒い
2004年5月11日(火)

家に帰ってきて、夕食を食べ終わったら、そのままの姿勢で寝てしまっていた。
寒さで目が覚めて、今、ちょっとパソコンに向かっている。
まだ、暖房なしでは、夜は寒いなぁ・・・。

「登り坂と下り坂は、一つの同じ坂である。」(ヘラクレイトス)

桜はまだかな・・・
2004年5月10日(月)

HPの方の日記がほったらかしになっていて・・・。
「短くてもいいから、毎日載っければ。」と、知り合いから。

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「生きる理由」(新川和江)

数えつくせない
この春ひらくつぼみの一りん一りんを
若いうぐいすの胸毛のいっぽんいっぽんを
だから わたしは 今日も生きている
そうして明日も

歌いつくせない
喜びの歌 悲しみの歌 そのひとふしひとふしを
世界じゅうの子供たち ひとりひとりのための子守歌を
だから わたしは 今日も生きている
そうして明日も

歩きつくせない
人類未踏の秘境どころか いま住んでいる
この小さな町のいくつかの路地裏さえも
だから わたしは 今日も生きている
そうして明日も

汲みつくせない
底のない桶をあてがわれているわけでもないのに
他人の涙 わたしの涙 この世にあふれる水のすべてを
だから わたしは 今日も生きている
そうして明日も

愛しつくせない
昨日も愛した 一昨日も愛した けれどもまだ
口いっぱいにはしてあげられない あのひとを
だから わたしは 今日も生きている
そうして明日も

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4月に入ってから、確かに大変だったのです。
いや、今年に入った辺りで、実はいろいろ考えるようになって・・・・・今の仕事を辞めてしまおうかな、とか、北海道から出ようかな、とも思ったりもしていて、なかなかその気持ちをしっかりと吹っ切れないまま何ヶ月かが過ぎています。でも・・・・・。
4月に入ってからは、これまでにない忙しさの毎日で、あれこれ考える余裕が無くなってしまったのが、かえって良かったのかな、と。

まだまだ「ここ」で修行しなければならないことが、俺にはたくさんあるんだと思って、今日も頑張ってます。

4月のはじめ頃、久々に実家から荷物が届いた。荷物といっても、たいてい、実家に届いている俺宛の手紙が束になってるだけのモノだが・・・今回はその中に、「ネコヤナギ」の枝が数本入っていた。
『裏庭のネコヤナギがきれいだったので、数本折って、手紙と一緒に送ります。北海道は寒いからネコヤナギもまだまだでしょう?』と。
・・・ネコヤナギは北海道のモノも岩手のモノも、同じくらいに開花なんだよなぁ、と思いながら、おふくろが送ってくれた「ネコヤナギ」は、ひと月経った今でもパソコンの横に飾ってある。

今年は5月10日を過ぎても、家のアパートの前の桜はまだ咲かないなぁ。桜のつぼみすらまだしっかりしておらず、桜の木を遠くから眺めると枝先がちょっと赤く見えるくらいか。もう、室蘭辺りの桜はだいぶ咲いたそうだから、ここいらも今週末辺りには咲き出すだろう。
・・・今、木全体で今年の「桃色」を創り出そうと、頑張っているところにちがいない。

「ネコヤナギ」は、岩手のモノも北海道のモノも、同じくらいの時期に開花するけど、桜は北海道の方がだいぶ遅いなぁ。・・・・・と、そんなことを思う北海道7度目の春。

春の街
2004年4月4日(日)

あなたのこころが
きれいだから
こんな小さな野の花が
宝石のように
きれいに見えるんですね

あなたのこころが
うつくしいから
遠い谷間の小鳥の声が
うつくしい笛の音に
聞こえるんですね

あなたのこころが
きれいだから
見るもの聞くもの
すべてがきれいに
うつるんですね
うつくしいこころの人には
うつくしい姿を見せるんですね
花でも小鳥でも……
(相田みつを)


新学期が始まるので、新たに教育専門書などを揃えに出かけた。
まだ雪は残っているものの、日差しは温かい。
景色を見ないで通りすぎるにはもったいなさ過ぎる、春のよい天気だった。

普段なら地下鉄を使うところを、今日は歩いてもいいなー、と。

大学に進学するときに、大きな街に移った。
それまでも一人暮らしではあったけど、初めての一人暮らしは実家と同じ市内だったから、大学進学で移り住んだあの街は、俺にとって2番目の故郷。

あれからも、春になると何度か新しい街に移り住んで・・・。今では、いくつかの街で暮らした記憶が残っている。

春になると、何をするわけでもないが、街を歩きたくなる。
いろんな街に住んだ、いくつもの記憶を懐かしく思い出しながら。

教室移動
2004年3月29日(月)

教室移動。

2年間使った教室を去り、4月から新しい教室へと移る。
2年間使ったこの教室も、こうして元に戻さなければならない日が来るのだなぁ、と思いながら、せっせせっせと片づけていた。掲示物も、教材も、指導書も、机の配置も、黒板の磁石も、画鋲の一つ一つまでも。・・・・・あんなこともこんなことも、いろんなことをしながら「2年間」かけて作り上げてきた俺の教室環境は、「半日」で真っ新になってしまった。・・・・・この教室に初めて入った時のように。

きっと、俺が新しく行く教室も、今、これまで使っていた先生が真っ新に片づけている。そして、今度は俺が新しい環境を作っていく・・・。

北海道に来る前の教職経験を除けば、北海道に来てからの教職6年間で、小学校の1〜6年まで全てを1年間ずつ受け持った。7年目が始まるこの4月、俺は、一段階違う何か新しい区切りが始まるような気持ちだ。

 経験を持ってはいたが
 意味を見失っていた
 その意味を考えるとき
 経験は元どおりになる
(ミュージカル『キャッツ』〜「しあわせの時」から)

このところ、4月からの人事の不満を漏らす同僚が多い。
俺が一人で教室で今年度の残務整理をしていると、同僚が代わる代わる一人ずつ訪ねてくる。そして「ちょっと聞いてくれよ」なんて始まると、みんな異口同音に人事に関わる不満を語る。・・・・・いつの間にか、うちの学校の担任群では、俺が一番の古株になっていた。
「そういう不満は、管理職に言った方がいいよ。」と俺は言うようにしているが、たいていの場合、管理職に言えないからこうして俺のところに言いに来るらしい。
「うちの職場に『聞き役』が居るとしたら、君だねぇ・・・」と言われ、そういうことだったのか、と。

俺も大変な年になりそうだな、と思っていたが、みんなもまたそれなりに大変な年になりそうだ。

あのころのように
2004年3月18日(木)

・交響曲第3番「フィラデルフィア物語」(M・ドアティ:作曲)
第1楽章「日没のサウス・ストリート」
・・・ジョン・コルトレーンやディジー・ガレスピーら往年のジャズ・プレイヤー達が歩いていた頃へのオマージュ。
第2楽章「テル・テイル・ハープ」
・・・エドガー・アラン・ポーのホラー小説「テル・テイル・ハート(物言う心臓)」に掛けて。
第3楽章「ストコフスキーの鐘」
・・・フィラデルフィア交響楽団と、このオーケストラを世界的地位まで引き上げた指揮者ストコフスキーへの賛歌。

どの楽章もフィラデルフィアにゆかりのある人がモティーフとなっている。
「ストコフスキーの鐘」・・・とにかく「鐘」の効果がすごい。終曲では鐘(チャイム)が鳴りまくる!!!
ストコフスキーと言えば、「ストコフスキー・サウンド」が有名だが、それはクラシック・ファンのみ知っていることなのであって、一般的には、ディズニー映画「ファンタジア」の中でミッキーマウスと握手を交わした「あの指揮者」ということで有名なのだろう。

かつてフィラデルフィアでは、夜明けの「自由の鐘」が街中の鐘と共鳴して、広く遠く鳴り響いていたらしい。ストコフスキーはそんな鐘の音を聴いていただろう。
美しいものとのふれあいは、いつでも大切にしたいものだな、と。


先日、北海道に来てから初めて受け持った時の教え子Mが、職場に遊びに来た。
今度、高校の修学旅行に行くのだという。なんでもMの高校の修学旅行は、2週間強もの日程でニュージーランドに出かけるのだそうだ。農場にステイしたり、向こうの高校生との交流会に出たり、ラグビーの試合を見たり、雪山から流れる川で釣りをしたり・・・・・。高校時代、修学旅行の無かった俺は、何ともうらやましくMの修学旅行の行程の話を聞いていた。
修学旅行に出かける前に旅行の準備をしに実家に帰ってきたのだそうだが、時間があったので、修学旅行に行く前に、俺に顔を見せに来てくれたのだ。俺が受け持っていた小学6年の頃、Mはクラスの男子で一番背の低い子だった。それが、今はどうだ。俺の背を軽く越えてしまっている。そして、あのころは幼くて出来なかった、生き方の話や将来の話を話し合ったりもするようになった。教え子とそういう話をすることは、なんと幸せなことだろう!・・・・・もう、Mは修学旅行に出発して5日ほど経った頃だ。今頃ニュージーランドで、どんな経験をしているのだろうなぁ。

このところ、夜は温泉に入りに行くことが多くなった。せっかく温泉の街に住んでいるのだから、毎日「温泉」なんていう贅沢もいいものだ。・・・昨日、ある温泉銭湯に行って入っていたら、やはり以前教えたことのあったT君が「先生、お久しぶりです」と声をかけてきた。・・・・・なんでも、今度高校に合格し、4月からは親元を離れ、高校の寮生活をするのだそうだ。もともとスポーツが得意だったTは、高校もスポーツで選んだ。
「寮生活をはじめるのは、不安じゃないかい?」と聞くと、「むしろ、楽しみですよ。」と言うT。「親から離れたら、羽根伸ばして、髪とか染めちゃったりしないかい?」「ははは、そんなことしないですよ、俺」・・・
小学校の頃は素直だったTも、中学では一時期不安定な時期を過ごしていたらしい。よくTの「荒れた」噂を耳にした時期もあった。・・・が、今見るTは、目がどこか澄んでいて、荒んだところがない。またひとつ壁を越えたということか。
風呂で30分も話をしたあと、Tが俺の背中を流してくれた。「小学校の頃は、組長(俺のあだ名)おっきいなぁ、と思っていたけど・・・小さくなった?」・・・・・いや、君の方が随分と大きくなってしまったんだよ、と俺は嬉しくなった。

明日は卒業式。
俺がこの小学校に赴任した年に入学した子供たちが、明日、卒業する。
俺は、この子達が1年生から6年生になるまで、大きくなっていく様子を毎日毎日見てきた。6年間を通して見てきた子供たち。めまぐるしい毎日では気付かなかったが、こうして卒業を迎える姿を見ると、改めて、心も体も大きくなったものだなぁ、と感心してしまう。あのあどけない顔での入学式から始まった6年間は、決して短くなかったはずなのだが、今こうして振り返ってみると、月日の経つのは早いなぁ、とも思う。


今日、仕事を終えて職場を出るとき、ふと、「俺ばかりが置き残されている」ような気がした。俺は全然変わっていないのに、教え子達はどんどん体が大きくなり、心も大きくなり、幼いときは話せなかった難しい話も普通にするようになる。みんな、大きくなっていくんだなぁ。
いや俺は、教え子達が会いに来たら、小学校で一緒だったあの頃のように、これからも変わらず受けとめることが、俺の出来る一番のことなんだなぁ、と思ったりもする。

この時期、かつて俺のクラスにいた教え子の近況が、めぐりめぐって俺の耳にも届いてくる。そして、顔を見せてくれたり、手紙をくれたり、メールを送ってくれる教え子も少なくない。・・・俺も今年受け持った子供たちと、あと数日一緒の教室で過ごしたあとは、新しいクラスが待っている。俺だって毎年常に新しく出会う子供たちとともに、新しくなってゆく。・・・・・でも、いつか教え子達がまた俺を訪ねてきたときは、あのころと変わらずに居ることにしよう、と。


もし人生が二回あればお母さんの言う通りに高校へ行くけど、
一回しかないんだから自分の自由にさせてください。(船木誠勝:格闘家)

明日にでも退職?
2004年3月9日(火)

素顔の幸福は、
しみもあれば涙の痕もあります。
思いがけない片隅に、
不幸のなかに転がっています。
屑ダイヤより小さいそれに気がついて
掌にすくい上げることの出来る人を、
幸福というのかも知れません。
(「幸福」より:向田邦子)

仕事の面では、人事に関してモヤモヤした時期を過ごしていた。
詳しくは書けないが、具体的な動きもあったというのに、すんでのところで・・・・・。
一度けりを付けてしまったこの気持ちを、再び新年度へ繋げるのには、時間がかかりそうだ。明日にでも退職して、故郷に戻ってしまってもいい・・・今はそんな気持ち。

「今回のことは、君のことを地域も職場も高く評価しているからなんだ。納得してほしい。」と言う。でも、俺としては「もうその職務からは手を引きたい」と強く願っていた面が、皮肉にも大きく評価されているのだ。複雑な気持ち。

「そういう人事なら、退職して岩手に戻ります。」
きっかけがあったら、ついそう言ってしまいそうな毎日。・・・いや、向こうに帰ったって教職のツテはあるから、無理ではないだろうと思う。でも・・・。

今日提出されていた、家庭からの連絡帳に書いてあった。
「2年連続でうちの子の担任をして頂きました。でも、あと半月で終わりですね。出来れば、先生には3年連続で受け持ってもらいたいね、とうちの子も親も話しているんですよ。3年連続は無理ですか?」

今日も踏みとどまったのは、この連絡帳があったからかな、と。

ここ何日かは温泉に入りに行ったり、家に帰ればマックをいじってみたりクラシック音楽を大音量で聴いたり(今いるこの住宅、今現在は上の住人も隣の住人もいないので、音楽は大音量で聴き放題!!!)と、気ままに過ごしながら、気分転換と心機一転を図ろうとしている。

幸い、プライベートでは4月以降も大きな変化はなさそうなのが、今の俺には大きな救いだ。


・「ラ・フォルム・ドゥ・シャク・アムール・シャンジュ・コム・ル・カレイドスコープ」
(天野正道:作曲)
La forme de chaque amour change comme le Kaleidoscope (Masamicz Amano)

昨年秋に終わった今年度の全日本吹奏楽コンクール一般の部で、最高得点を取ったグロリア吹奏楽団の自由曲。訳せば「愛は万華鏡のように変化する」。これまでの吹奏楽コンクールでは聴けなかったメロウなサウンドは必聴!おそらくこれまでの50年以上にわたる全日本吹奏楽コンクールの中でも頂点とも言える、完成度・感銘度の高い演奏。
作曲家・天野正道(あまのまさみち)さんの名前「Masamicz」は、これが正しい綴りだとか。

楽譜作成
2004年2月18日(水)

今まで使っていた簡易楽譜作成ソフトを使うのをやめ、楽譜を書く人なら誰でも知っているようなメジャーな楽譜作成ソフトを使っていくことにした。楽譜の浄書やmidiなどで楽譜の音源を得るのには、それなりにいいソフトを使っていったほうがいいかな、と思ったからだ。

今まで使っていた簡易ソフトとは比べモノにならないほど多機能。
パートごとの音源を簡易ソフトよりさらにリアルに設定。
細部にまでこだわって譜面起こしが可能。

・・・といえば、なんか今までの簡易楽譜作成ソフトよりずっといいソフトのように聞こえるが、実際には・・・ほとんど使い切れていないのである。

多機能すぎて、どのツールがどんな機能を果たすのか覚えられない
しっかりしすぎていて、「だいたいこんなモノでいいや」という設定を受け付けない
今までのソフトとテンプレートが違うので、楽譜起こしに大幅に時間がかかる羽目に。

この新しい楽譜作成ソフトに慣れれば、いいソフトだなぁと実感できるのだろうが・・・今はまだこのソフトは全然使い慣れないので、思うように仕事が進まない苛立ちばかりがつのっている。

今までのソフトがあまりに簡易的すぎるから、と今のソフトに変えたのだが、今では前の簡易ソフトの「よさ」ばかり思い出してしまう。

いつか、今のソフトもうまく使えるようになるまで、ちょっと辛抱かな・・・。頑張って使っていこうっと。


「立ち止まることを学べ。さもなければ、価値あるものがあなたに追いつけない。」(ダグ・キング)

どんどん使っていけ
2004年2月12日(木)

DVDマルチプラスドライブ買って、3CCDのビデオカメラ買って、Macも買って・・・。
・・・またン十万の出費。今年は、どうやら購買意欲があるというか、歯止めが利かないというか・・・。

去年だって中古車を買うのにン十万を一括で払ってしまうし、昨年末も30枚以上のCDを買って結構な額の出費だったのに。

買ったからには、いろいろ活用していこう、と張り切ってはいるけれど・・・。
1週間経って、MacとDVでやったことと言えば、1枚DVDを作ってみたことだけでした。

いや、これからどんどん使っていくつもりで、すでにいくつかの計画は用意している。

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「ソナタ形式は、人が自然に期待する心の動きを記述したものです」
「はあ」
「少々乱暴なたとえですが、家計簿は、その人の価値観をそのまま記述しています。普通は、家計簿は家計が赤字になっていないかどうかを正確にチェックするために使われます。しかし、その支出の精神を見ると、形あるモノにしか対価を支払わない傾向にあるか、あるいはコンサートやレッスンのように形はないけれども自己を高めるために対価を支払う傾向にあるかなど、多くのことを読み取ることができます。その人に関する風評や、親しい人からのゴシップを聞くよりもずっとよく分かるかも知れません。
「はあ」
「同様に、ソナタ形式を形の上からだけ見ると、主題提示部であるとか第一主題、第二主題というようなことがトピックとして取り上げられますが、私たちが読み取らなければならないのは作曲者の持つソナタ形式の精神とも言うべきものです」
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ソナタ形式といえば、俺の中で最高のモノはヒンデミット作曲の歌劇「画家マティス」の序曲「天使の合奏」(または交響曲「画家マティス」の第1楽章「天使の合奏」)。死ぬときに聴いていたい曲の一つ。あとは、ワーグナーの歌劇「タンホイザー」序曲。

苦笑
2004年2月2日(月)

また日記の進まない期間に入ったのかなぁ。ここ一月は、日付は書くものの、その後に続く内容が1、2行程度しかなく、それならばHPに挙げても仕方がない、とそのままフォルダに閉まってしまっている。・・・「雪かきをした」とか「また睡眠時間を削っています」とか「雷が鳴って停電した」とか「いったん落ち着いた体重がまた増加しだした」とか・・・。平凡な毎日を送っているような、もっと「生きた」時間であればよかったような。

今日、俺の住宅にちょっとした用事で同僚が来た。
同僚は、俺のクラシックCDの量を見て驚いていた。
「これ(クラシックCDの山)、全部聴いているのかい?こんなものにお金をかけているの?」
クラシックのCDなどにこんなにお金をかけていてはもったいない、とでも言いたげな同僚の言葉を、俺は苦笑して聞いていた。

人は、何で価値を判断しているのだろう。
高価なモノこそ価値があるのであれば、簡単に価値のあるモノにたどり着くだろう。
「値札」をみれば済むこと。・・・高価なモノこそ価値のあるモノ、と思う人もいるかもしれない。
でも、たいていの場合、「値札」と「そのものに感じる価値」をはかりにかけるのではないだろうか。「値札」に見合う価値を感じるかどうか・・・「価値をはかる目」が一人一人違うんだろうな。

他人の高い評価こそが価値のあるモノ、と思う人もいるかもしれない。
でも、今の世の中は、他人の言葉を鵜呑みにしていては迷ってしまうくらいの多くの情報があるわけだし・・・。

結局、高価という基準でも他人の評価でもない、自分自身の判断でよいモノ(価値のあるモノ)を選んでいくことなんだろうな。一人一人の「価値をはかる目」「自分自身の判断」。

俺のクラシックCDを見て、「なんで?」と驚く同僚のように、俺もまた、誰かが感じている「価値」を、そうとは知らずに踏みにじっていた(いる)のかもしれないな。

もっとも、俺自身の持っているクラシック音楽の「価値」の基準はあいまいなので、いつの間にか「量」が増えてきているみたいだ。なかには、安さに釣られて買ったCDもあるし、雑誌のCD評を参考にして買ったCDもあるし・・・。

俺達はみんな、学んだり経験から得たりして、それぞれに価値を推し量る力が備わっている。「価値」と「価格」の違いは誰でも持っていることなのだろう。・・・・・それでも身の回りを見回せば、本当の価値を見出せずに手に入れたモノも非常に多く目に入る・・・少なくても、俺の場合はそうだ。

どうやら、同僚の言葉に苦笑してばかりはいられない。
価値については、俺もまたこれからも学んでいかなくてはならないことがいくつもありそうだ、と思った出来事だった。


・『付き馬屋おえん事件帳』シリーズ1・最終回「過去から来た女」(テレビ東京・1990年)

「人と人が出会って別れて、泣いたり笑ったりして・・・それを繰り返していくのね。」
(「付き馬屋おえん事件帳」おえんのセリフより)

時代劇でこんなに印象に残っている作品は、俺の場合、「付き馬屋おえん事件帳」をおいて他にはない。特にシリーズ1の最終回だった「過去から来た女(前編・後編)」は、今から12年以上も前に、たった1度テレビで見たきりだったのに、今でも忘れることが出来ないくらいの素晴らしいストーリーだった。この時代劇、「水戸黄門」や「大岡越前」などのようにもう「出来上がってしまった」時代劇とは違い、なんかこう・・・独特の「雰囲気」を持っているんだよなぁ。

CSで放送されるのを、無理言って友人に録画してもらった。
12年ぶりくらいにこの作品を見て、また感動。素晴らしい時代劇だ、と改めて思った。
この録画してもらったDVDは、きっとこれからは俺の宝物になる、と言ってもいいくらいのモノ。

12年前の高校時代に、下宿の一人部屋で、この時代劇を見たときは、停学明けの不安定な時期だったなぁ。よくそんな時期に見た時代劇を、今まで覚えていたモノだなぁ。
「過去から来た女」は、それだけなんだか、妙に心に残る作品だった。

それにしても、かつて見たテレビ番組にまた出会うことが出来るなんて、なんてすごい時代になったもんだ!

死の舞踏
2004年1月22日(木)

「なぜ私は作曲するのか?それは私が心の中に持っているものが外へ出なけれればならないからだ。」(ベートーヴェン)

昨日、寝る前に、久しぶりにラヴェルの「ボレロ」を聴いた。・・・正直、このところ夜が遅くなってもなかなか寝付けず、それでいて日中は睡眠不足気味でダルく感じていたので、聴き慣れた「ボレロ」でも聴いて眠気を誘おう・・・そんな軽い気持ちだった。
クラシック曲など聴かない人でも「ボレロ」くらいは聴いたことがあり、知っているのではないだろうか。クラシック音楽の中の「ポピュラー」と言ってもいいくらい。

曲は優雅で上品!
親しみやすいメロディと、分かりやすい音楽運び・・・。
あの有名なメロディが、さまざまな楽器で奏でられながら、少しずつ少しずつクレッシェンドしていって、最後の絢爛豪華なクライマックス!

クライマックス?

いや、「ボレロ」は「アンチ・クライマックス」な曲なのだ。俺はそう認識している。

なんで、こういう曲にしたのだろうな。

同じメロディが何度も何度も繰り返される。しかも変奏曲的にではなく、「ボレロ」は全く同じメロディが何度も繰り返されるのだ。
曲の速さは、最初から最後まで変わることはない。
しかも、この曲で目立った音楽表現といえば、曲全体を一つの大きなクレッシェンドでくくっていることのみ。単純といえば単純な音楽表現。
そして、なんとも淡々としたリズム。
タン タタタ タン タタタ タン タン タン タタタ タン タタタ タタタタタタ・・・
小太鼓の叩き続けるリズムパターンは曲中変わることはない。このリズムパターンに、さまざまな楽器が、まるでリズム楽器のように重なっていくだけ。
サブ・テーマも「展開」もない。メイン・テーマが、さまざまな楽器によって色彩豊かに奏でられていくだけだ。・・・もっとも、この色彩感の移り変わりは、「オーケストレーションの魔術師」といわれたラヴェルの凄さを感じさせる素晴らしいモノではある。きっと同じようなこと(同じメロディを何度も繰り返すような曲の作曲)を他の作曲家がやっていたら、きっと飽き飽きして聴けたもんじゃない。ラヴェルだからこそ、の素晴らしい色彩・音色が生み出されている。・・・いや、「オーケストレーションの魔術師」であったラヴェルなら、もっともっとこの音楽に「潤い」や「展開」や「創作」などを付け加えられたに違いないのだ。・・・なのに、なぜこうも平坦なのだろう。

今まで何度も聴いてきた曲だけど、よく考えてみると、疑問も沸くなぁ。なんでラヴェルは、作曲家として自由に駆使していいはずの音楽手段を使わずに、こうも単純・平坦・明快な曲「ボレロ」を作ったんだろうか・・・。

ラヴェルは・・・?



きっと、「ボレロ」は、ラヴェルが、自分の持つ実に豊富な音楽表現手段を駆使することを、全く「放棄」して作曲した曲なのだ。

メロディを展開させず、原寸のままに繰り返す。
リズムは終始変化させない。
機械のように曲は終始同じ速さ。
音楽表現は「ほんの少しずつ音量を増加していく長いクレッシェンド」の他は一切なし。

まるで味気ない、実に味気ない音楽要素のみで作曲しようとして、「ボレロ」は生まれたのではないか、と。・・・実際には「ボレロ」はバレエ音楽であるが、それは本当は音楽要素をとことん削り取った「死の舞踏」ということだったのではないか。

しかし・・・
「ボレロ」は最終部で、ついに「展開」してしまう。
曲は最終部で新たなメロディを奏で、豪華絢爛に盛り上がり・・・・・そして、俺が「アンチ・クライマックス」だと思っている、ぶち切れたような終わり方。・・・もし、ラヴェルが「ボレロ」を「死の舞踏」として作曲したのなら、この「アンチ・クライマックス」は、さしずめ「音楽の終末像」だ。しかし、分からないでもない。むしろ、「死の舞踏」と考えた方が、この終わり方に納得しさえする。

なるほど。
こういう聴き方もあったのか。

一大名曲「ボレロ」の持つ輝かしく麗しい音響効果に心を惹かれるあまり、実はそこに隠されている、音楽要素をすっかり剥ぎ取ったあとの音楽であるというような・・・まるで「音楽抜き」に作曲したというような、「ボレロ」の裏面には、なかなか気が付かなかった。

たまたま、そんな思いが沸いたのかも知れないが、こういう考えで聴く「ボレロ」は、また新鮮!

今や、
ラヴェルが自分の持つ音楽表現手段の駆使を放棄して作曲した、死の舞踏としての「ボレロ」は、こうして誰もが知っている名曲となっている。素晴らしい名曲であるということは、たとえ聴き方が変わっても変わらない。

いや、
真に素晴らしいのは、他に類のないやり方で作曲された曲「ボレロ」が、ひとつの「芸術的効果」として成功を収めたことにあるのだろう。やはりラヴェルは偉大だ。


・・・「ボレロ」を聴いたら眠くなるだろう、と思っていた俺は、どうやらまんまとラヴェルにやられてしまったらしい。
曲のことをあれこれ考えているうちに、また今日も睡眠不足ということになってしまった。

昨年〜今年
2004年1月8日(木)

・ミュージカル『キャッツ』(アンドリュー・ロイド・ウエッバー:作曲 他)

生まれたのか
闇の中に
怖れないか
何者をも
黙ったまま
耐えて強く
生き抜けるか
その孤独を
嵐が来る
その気配を
見逃さずに
感じられるか
目を閉じていても
迷わないで
行き着けるか
天上へも
どんな時でも
遊べるのか
冒険には
挑めるのか
(ミュージカル『キャッツ』〜プロローグ「ジェリクルソング」冒頭)

『キャッツ』は、多分、俺の最も好きなミュージカルだ。

今日から、BGMも『キャッツ』から。・・・「劇場猫:ガス(アスパラガス)」・・・『キャッツ』と言えば「メモリー」が一番有名だろうが、俺は「劇場猫:ガス」の方がさらにいい曲だと思う。


昨年を振り返っての、なんでも「ベスト10」

1,富良野・・・昨年のラベンダーはここ数年で一番の出色で、見事だった!
2,24・・・「24」は、きっと今年一番ハラハラしたDVDでした。
3,ラーメンズ・札幌ライブ・・・久々に思い切り笑ったので。
4,「湯かけ祭り」が全国に生中継・・・俺はフンドシ姿を全身、全国に流して頂いた。
5,冒険者達〜ガンバとその仲間・・・劇団四季公演。ガンバが初出航するシーンは感動!
6,定期演奏会・・・今年も泣いた。この仕事をやっていてよかったと思う出来事。
7,Sさん来道・・・新鮮な出会いでした。俺ってまだまだだなぁ・・・。
8,2度の公開授業・・・大きな公開授業を指名されるようになってきた。
9,キリストの昇天(メシアン:作曲)・・・俺の好きな「アレルヤの音楽」がまた一つ!
10,車を変更・・・今回も大きな負担は無く、車を変更。
欄外,半年間の通院終了・・・薬を飲みながらの血液検査を半年続けた。今年の検査でも「心臓」「血液」は引っかかったが、通院の必要はなし。

他にも、いろいろあった1年でした。

今年はどんな1年になるだろう。仕事面も充実しそうだが、プライベートな面でもさまざま楽しめるといいなぁ、と。

お笑い芸人さんが多くテレビに出るようになったので、それをいろいろ見て過ごした正月でした。

実家では、父と母が別居を解消していてビックリ。もう離婚の話が出てくることはなさそうだ。・・・俺にはどうでもいい話だが。
正月に帰ったとき、オヤジに「帰ってくることはあるのか。」と聞かれたが、今回初めてキッパリと、俺はもうずっと「北海道で生きていく」ことを伝えた。それが今の俺の気持ち。

北海道での生活も、もう6年。
こっちでの生活をよりしっかりと確立していかなくてはならないなぁ、と、帰省帰りの電車の中で、漠然と考えていた。

黙ったまま
耐えて強く
生き抜けるか
その孤独を

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