銀と金 名言集

ここでの名言の採り上げに対して、掲示板で反響がありました。
私より長いコメントを書いてくださった方まで…(笑)
ありがとうございます。


「人はギリギリせっぱつまってくると
無為に耐えられないものなんだ
 ここまで築いた手牌を崩していく
 その行為に耐えられない
 そして勇気を出す
 今までの人生で使ったことのない勇気をな…
 (中略)
 破滅を間近に感じている人間は一種の狂人
 地獄を見つめて生きるよりも
希望を追って死にたい
 そう望む…
 それが人間の末期…」


自分の分を超えた金を賭けている麻雀。
敗色濃厚の終盤、逆転の清一手が入った。
しかし、相手が白發をポンしている状況、ここで中をつかんだ。
ここで手を崩せますか?

ここで手を崩すことは、今までの人生の努力を否定するみたいで…
そしてわずかに残っていた可能性をぶちこわす…

つまり、敗色濃厚の絶望的な状況が長時間続くより、
敗北が決定する方を選ぶという特性があるのかもしれない。
こうなると、人間は本当に知的存在なのか?と思えてくる。

ちなみに、私ですが、あの麻雀の状況なら…
「ここは降りるべきだろ…だが待てよ、
中がもし暗刻で、他で張っていたら…
そして自分の降りた牌で当たることもありえるな。
だったら恥もいいところ」
と考えて中打ちに走りそうな気がします。

 


 

過去に採り上げた名言

この人達はだ…
処刑場へ連れて行かれる羊…
そして罪人のように頭を下げる
その理由はただ金を持っていないということなのだ…
どんなに真面目に働いても
金を持たなければ罪人!

いきなり最初から言ってくれる。
しかし、これは我々がいる世界のあり方そのものである。
例えば、ある人が自動車で人をはねて大けがをさせたとしよう。
その人が被害者の治療代よりもはるかに多くの金を渡すことができたら、
きっとその人は「誠意ある人」となるだろう。
だが、もしその人が素寒貧で治療代すら弁済できないとしたら…
「誠意がない、重罪にして欲しい」なんて被害者に言われてしまうのではないか…。
我々が存在する現実世界とはそのような世界なのだ、
とまず認識せねばならないことを教えてくれる。

 


 

「わいなんか…金持たにゃあサルやけんの
 当たり前のことや…!
 しかし
持っているうちは人として扱ってくれる…」

その通りである。
しかし、これを認識している人がどれほどいるだろう。
これは銀行相手の話だが、他でも当てはまる。
プロ野球なんかでは、「うちは君を必要としている」なんていう場合があるが、
必要としているのは、「活躍してくれる君」だ。
つまり、その打撃力、守備力、走力、投手力などが必要なのである。
本当に「その人」そのものが必要とされる場合などないと言えよう。

 


 

「それほど銀行金利は低い
 あの低さは
サギやからな」

現在のような金利1%未満の場合の話ではない。
6%ほどあった時代の話である。
何もしなくても金が増えるのだから、とてもそんな考えはできないだろう。
ましてやサギとは…。
だが、よく考えてみれば、これは正しいのである。
企業はそれ以上の金利で銀行から金を借りるのだから。
また、こうとも言えるかも知れない。
自分の才能を活かせば、銀行金利以上稼げくことができるのだと…。

 


 

「あの子ら(盲人)は間違いなくオレを信頼してくれているんだが…
 
その信頼の根っこを支えているのはオレの心とか善意とかじゃなく
 視力…!
 目が見えるということだろ…
 つまり
能力だ…!
 (盲人は)どんな善人に手をひかれても
 その人間に視力がなければ彼らにとってこんな心細いことはない」

世界は能力至上主義。それを言いたいがためのたとえ話。
いくら熱意があり、やる気があっても、肝心の能力がなければダメ、ということ。
友人同士の関係では能力(結果)よりも、信頼(途中過程)の方が大切かも知れない。
約束の時刻にいけなくなった…でも、ちゃんと正当な理由があり、間に合わせようと最大限努力したなら、
あまり責められることもないだろう。
しかし、これが会社の取引相手とか、受験とかだったら…
間に合わせようと努力したかどうかより、実際間に合ったかどうかが重要である。
間に合わなければ、いかなる正当な理由があろうと許されない。
そんなのおかしい、いやだ、自分はそうじゃないと思うかも知れないが、
友人同士でも金がからんだ話になれば、至極当然の話と納得できるだろう。
自分にとっても大金である金を友人に貸したとしたら、返そうと努力したかどうかより、
実際に返すかどうかの方が重要となるはずである。
それがいけないとか言うのではなく、それが我々のいる世界である、ということを教えてくれるセリフである。

 


 

「欲の世界を突っ切った先に世界がある…
 
がいるのか…ひょっとするとにでも遭えるのか
 いや…案外そこに座っているのもやはり
かもしれない…!」

何かを極めていった先に何があるのか…誰もが知りたいことだろう。
これは金の話だが、拳法、剣術、麻雀でも同じこと。
私だったら、科学といえるかもしれない。
この宇宙の始まりから終わりまで、すべて分かり尽くしたとき…その先には何があるのか…。
アインシュタインが夢見た4つの力の統合は…
(すいません、私はそこまでの研究してませんね。)

 


 

正しさをふりかざす奴は…
 それはただ
おどれの都合を声高に主張しとるだけや」

純粋な漫画なんかを読み過ぎると、正義とは普遍のもの、と思ってしまうかも知れない。
が、正義とは個人個人で異なっているはずである。
ただ…ある正義を信じる人が少ないと…
大多数の人が信じている正義から、悪と呼ばれてしまうことになる。
アメリカの同時多発テロ。
ほとんどの人にとって悪だが、
それを正義と信じている人もいるわけである。
だが、正義が違うから相手(この場合テロ)を認めろ、ということではない。
遠慮なく相手の正義を叩きつぶしていいのだが、
自分の信じている正義が普遍の正義だと考えることは傲慢である。
それは自分の都合に過ぎないのだから。
人を殺してはいけない、というルールさえも、殺されたくない人たちの都合なのだから…。
(断っておきますが、殺人を奨励・容認してはいません)

 


 

金しかないやろ…それが一番確実やろ」

人の善意なんてものは、当てにはならない。
仲間だと思っていてもいつ裏切られるか分からない。
しかし、金は裏切らない、裏切れない。
(世界中が壊滅状態になれば別だが)


また、よく言われることに、「世の中には、金では手に入らないものもある」がある。
それは正しい。
しかし、「金がなければ、何も手に入らない」のだ。
言い換えれば、金があると入手できず、金がない場合のみ入手できるなんてものは存在しない。
それに「金で手に入らないもの」はあるかもしれないが、
それは「金で手に入るもの」で代用できるのではないか、と思う。

 


 

「今いる政治家の中でもっとも民主的でない伊沢敦志が私は好きです
 なんせ話が早いですから」
民主主義は時間がかかりすぎるよな
 時間をかけて…それでも決まればまだいい
 決まらないってんだから話にならない」

今これを言うとどっかの国が、民主主義への挑戦=テロ支援だ!と言い出しそうだが・・・。
常々思っていることだが、何かを決めるのに、民主主義は最良の手段ではない。
賢者も愚者も同じ1票しかもたない多数決だからだ。
そして、たいてい愚者の方が圧倒的に多い。
愚者とまでいかなくても、賢者の出した「良い案」を理解できない者が多い。
そのため、多数決で潰されることもありえる。
いわゆる衆愚政治となりかねない。
(もうなっているか?)

しかし、最良の手段は何かと言われると困る。
(私心の全くない)賢者1人による独裁・・・かもしれない。

 


 

「とどのつまり人はみな悪…!」

よく聞く「なんの罪もない市民を・・・」などと言うのはウソである。
「その事件に関して罪がない市民」と言うべきだろう。
もはや人は、なんらかの悪に加担しなければ生きていけない。
あとは程度の差である。
巨悪→悪、悪→普通、小さな悪→善と言い換えているのであろうか。

そもそも、生命が生きていくとは、即ち他の生命を犠牲にしている、ということである。
特に人間は、生まれてから死ぬまでに一体いくつの生命を犠牲にすることだろう。
他の生命を犠牲にして生き残る価値が人間にあるのだろうか?
そうであればよいのだが。

 


 

人は能書きでは動きません
 利で動く」

賭博黙示録カイジや無頼伝涯でも出てきたような台詞。
福本世界の基本法則といってもいいだろう。
いろいろ考えるが、最後の決断は利で決まるということ。
自分の利は全く省みず、理想を追求していった…と言う人もある。
医者になる動機が「病気で困っている人を助けたいんだ!」
学者になる動機が「○○の謎を解き明かしたい!」
よくある話だが、それだけではあるまい。
人間は霞を食って生きているわけじゃないのだから…。

小学生向けの伝記なんかだと、能書きだけで動いてきたみたいな人がたくさんいる。
エジソン、ガリレオ、宮本武蔵とか・・・。
今読み返すと笑えてくる。
自分が成長したと言うべきなのか、それとも…。

 


 

そう…彼は今回のポーカーで初めて勝つ保証を失ったのだ

上辺は真剣勝負をしている振りをして、実は必勝のイカサマをしている者。
いわゆる「神」の立場にいる者である。
福本漫画では、こういう人間が多くいる。
対等な立場に引きずり出されたとき、その者は途端に崩れる。

周りが勝つために不安ながらも必死になっているを見ながら、
自分だけは必勝の策を持っている、または完全な傍観者である…
これは非常におもしろい。
カイジでいうところの「安全であることの愉悦」
誰しも人はそれを追い求めるのだろう。
ニュース番組を見たまえ。
自分とは関係のない多くの事件を取り扱い、「安全であることの愉悦」を思う存分体験できる。

 


 

彼は出会った者の財産・未来・良心を喰い散らかす
この世でもっとも性悪な魔物
ギャンブル…!

分かっているならやめなさい・・・ってことで(笑)
しかし、やめられない。特に僅差負けが続くと絶対やめられない。
自分が、ギャンブラーの心理を少しつかんだのは、コンピュータ麻雀。
自分がでかい手を張ると、すぐ他家のロン牌をつかんでしまうことが続いた。
もう1回、もう1回と熱くなっていき・・・
ふと気が付くと半荘20回以上も続けていた。
金も何もかけていないのに、これだけ熱くなってしまう。
ぞっとした。
ましてや金をかけていたら・・・。

宝くじは何枚買うのが効果的ですか?という質問があった。
答えは1枚。
宝くじの返還率は4割しかない。
買えば買うほど損をしていくのは自明の理。
よって、買わないのが一番よいが、
何枚買うのがよいか?という質問だから、答えは下限の1枚である。

 


 

「籠絡の決め手は、
 彼らが
こう理解してほしいという『思い』のとおりに
 彼らを
理解してやることだ」

銀さん(平井銀二)の必殺のセリフ。
この手法で何百人もの人間を落としてきたという…ぞっ…。
自分が為していることをなかなか他人は理解してくれない。
自分で自分を誇りに思えればそれでいいんだ、と思っていても、
やはり心の奥底では人にも理解してほしいと思っている…。


私は物理学の研究しているが、
「世の中の役には立たない研究だな」
「金にもならんし」
「それが分かったから何が嬉しいの?」
などと他人からは言われる。
「学問の価値は儲かる儲からないで決まるもんじゃないだろ」
と思っていても心のどこかではやはり…。
そんなとき、
「こういう基礎研究の積み重ねで今の科学技術があるんだよね」
「純粋に自然界のあり方を探っていくって価値あるよ」
などと言われたら…
やばっ…なんでもしちまいそう…。

 


 

運命に『もし』はありません
 (中略)
 そういう賢明な選択をしたあとで
 もう一方の破天荒な道はどうだったか…と覗く行為
 これはいわは
『運命』に対する冒涜でね」

次の牌が「中」だったら全財産を失う敗北、そうでなければ勝利。
そこで、勝負をやめ示談にしたその後で、
その牌がどうだったか知りたがる…
そこに出た銀さん(平井銀二)のセリフ。

この現実世界に起こった出来事に対して「もし〜を選んでいたら」を言っても意味がない。
A、B2つの選択しがある。
そのとき、Aを選択しBを選択しなかった、それが全てである。
「もしBを選択した世界」など存在しない。
Bを選択する、ということはそこに至るまでの道も違うはずなのだから。

「あのチャンスにタイムリーが出ていたら」
「もし関ヶ原で西軍が勝っていたら」
それが起こるということは、それ以前からの条件が違うはずであろう。
それなのに、そこだけ結果が変わるなんて虫が良すぎる。

でも、量子力学によると、多世界解釈っていうのがあって、
観測されるまで、状態は決まらないとか。
(不確定性原理から、粒子の位置とか速度が確率的にしか決まらない)
となると、同じ条件をもってきても結果が変わるってことがあるのかもねえ…
うーん…

vjNOBさんのコメント

もうひとつの選択肢を覗いているようじゃ、
選んだ方の選択肢にまで裏切られるかもしれませんね
選択する、という機会は意外に少ないもので
だからこそ、真剣にならざるを得ないといったところでしょうか・・・

 


 

「いずれが勝ってもその差はわずか…
 こんなところまでは人智は届かない
 これはもう…ほとんど
運命・宿命の世界
 
勝負を支配しているなにものかの気まぐれ…」

またまた平井銀二のセリフ。
「なんだ、勝負は運任せってこと?」と思ってはいけない。
その直前(漫画のページ上ではかなり前)に、
「万全を尽くしただけではダメで、天運(なにものか)に愛されなければならない」
と言っている。
努力した上で、プラス何かが必要だといわけである。

それは一体なんだろう。
「精一杯努力して、あとは運を天に任す」ということとも違うような気がする。
幾多の修羅場をくぐり抜けてきた者だけか感じるのだろうか。
私には窺い知るよしもない。

分野は違うが、人間を超えた「なにものか」の存在を感じることはある。
この世界には確固たる物理法則がある。
一体なぜそんな法則があるのか…
また、生物の進化、周りとのバランス、
なぜこんなうまくできているのか…
「なにものか」がそこにあることは間違いない。

アインシュタインは言った。
「私は神の心が知りたいのだ」と。

でも、そこらの宗教が言う神やら造物主やらは信じませんけど


 

「この勝負が5万、50万の勝負ならわしはいくらでも潔くなる
 男らしくもふるまおう
 しかし…4億だ…
 今のわしにとってそれは
命の金だ…
 (中略)
 負けましたではすまされないから
 勝つ…!」

「カイジ」で利根川も「人は命を金に換えている」という似たようなことを言っていたがその通り。
人によって潰れる限界となる金額は様々だが、
金=命という認識は間違っていない。
自分の限界金額を獲られるというのは、命を失うことと等価である。

利根川も言っていたが、
一般人が数千万円得るためには、数十年かかる。
したがって、一般人から数千万円盗るというのは、その数十年の人生を盗る、否定するということである。
これはもう、間接的な殺人と言えるのではないか。

「金を出せ」と強盗に言われて拒否して殺された、という話を時々聞く。
「バカだね、おとなしく出せばいいのに」
「命なくしたらしょうがないじゃないか」
という人も多い。
しかし、その命を失った人というのは、この金=命をはっきりと認識していた人…
なのかもしれない。

vjNOBさんのコメント

福本マンガは表面的には「金こそ全て」と言っているように見えるけど
行間を読んでみると、本意はそこにないということがわかります
それぞれのマンガの主人公は金に執着しません
(カイジがちょっとダメ人間なので執着しますが)

僕は金というものは手段であり最終目的ではないと思います
使わずに貯めるだけなら、邪魔だから捨てちまった方がいい
これは福本マンガのテーマと重なる部分があると思います
金そのものに執着して負けていくクズ、
そして、金を手段として利用し勝ちを得る兵たち・・・

福本伸行氏はギャンブルマンガを通して
「金よりも大事な価値観がある」ということを言いたいのではないでしょうか
勝ち負けとはいったいなんなのか?金を得たら勝ちなのか?

カイジは限定ジャンケンで得た金を石田救済に使いました
金、金、金・・・
金という価値観が支配するこの世界を蹴飛ばしたくて・・・

アカギは自分の生き方を自分らしく完結させるために
全てを自ら捨てさり、死んでいきました

お前ら、金なんていう人が決めた価値観で生きて
それで充実感があるのか?
お前は何者だ?
お前は自分の人生を自分で生きたと実感しているか?

福本マンガからはそういった問いかけが聞こえてくるのです

孤立せよっ・・・!

伝さんのコメント

最後の到達点が「金」ではどうしようもない気がしますね。
その金で何を築くか?
それは自分が満足できることか?
銀と金ではこれを書きたかったのじゃないかと思います。


えー掲示板にログがまだ残っていますが、
本当はもう少しコメントがあります。
が、さすがに長くなりすぎたのでここで止めておきますね。

 


 

他人を信じられない人間は
とどのつまり
自分も信じられない
信じることが出来ない…!

猜疑心だけで世の中を渡ってきた画商。
最後には自分の判断力さえも信じられなくなり、偽者をつかんでしまう。
実際には、正しい判断ができていたのだが…


お人好しで誰でも信じてしまうのはよくない。
しかし、騙されまいとして何もかも信じないというのも、意味がない。
それでは、何もかもホイホイ信じるのと変わりはないのだろう。
そこにこのリアルワールドの難しさがある。

 


 

「自分を悪く悪く仕立て上げ
 それによって求心力を維持しているところがある
 
『悪』であることすなわち能力の証明

善VS悪の戦い。実は善側は大きなハンディがある。
警察VS悪の組織・・・そこまで行かなくても暴走族、を見ても明らか。
悪側は、何もしてもOK。
殺そうが、逃げようが、誰かを人質にとろうが…。
しかし、善側はそうはいかない。
生かして捕らえる、自分の方が逃げられない、卑怯な手段を使えない。
この差は致命的である。
だからこそ、悪であることは能力があること、と言えるのだろう。

また、善であることは、最後の砦。
負けたときの言い訳の…
それで負ける確率が跳ね上がっているのだが…
そんな保険を打っていては悪に勝てるわけはない。

 


 

「気がつくと深い谷の前に立っている自分がいて
 その谷を飛び越えようとしているんだけど
 でも周りは漆黒の闇でまるで見えない
 かんじんのどれだけ跳べばその谷を越えられるかがわからない
 しかし超えたい
 超えなきゃいけないと感じている
 この時の次の一歩がギャンブル
 そのイメージの中では感じている…
 この谷を跳べるかどうかは…
 もう俺の力の及ぶところじゃないと…
 
それは谷が決めること
 俺にできることはただ地を蹴り宙に身を投げること
 跳べるか跳べないかさえもう問題じゃない…
 ただ
その跳ぼうとする行為
 それがギャンブル…」

長い文章だが、これが準主人公・森田鉄雄のギャンブル感。
主人公・平井銀二の考えと共鳴するものがある。
銀二も勝負に勝つのは何者かのきまぐれ…と言っている。
違うのは、この谷を飛び越える例で言えば、
銀二は「跳べるかどうかは谷が決める」といいつつも、
きっと何か落ちない工夫をするのではないか?
もしくは、跳ばないのかもしれない。
森田が全く策なしで跳ぶとは言わないが、
運命(谷)が決める、と考えている割合が高いのではないか?
そんなふうに感じる。
しかし、その無謀とも言える行為が、銀二にも開けない道を
拓いていく可能性もある…
(正確には「あった」というべきか)

 


 

ちょっと番外編

「あの平井って男と君たちの兄貴分…
 二人は今いないんだね…」
「え…?なんで…?」

 なんで…? → 「なんで分かる?」の省略形 → 二人はいない…!


警察と取り引きするため、偶然捕らえた殺人鬼有賀を監禁していた6人。
交代で1人ずつ有賀のいる部屋で見張っていたのだが…
ふと有賀が口にした言葉に反応してしまった。
腕の立つ2人がいないことがばれ、有賀は反撃に転じる。

つまり、ほんのささいなことからでも決定的な情報が敵に伝わってしまうと言うこと。
逆にうまく情報を引き出させる天才もいるともいえる。

実はカイジサイト最大手・サードニックスさんの「銀と金の謎」に投稿したんですが、
なんで…? →「 なんでそんなこと聞く?」の省略形
という論法も成り立ちそうな気がしますが…。

 


 

「なぜ奴らがハッキリした言い方をしないのかというと
 (中略)
 自分へのごまかし…
 要するに
自ら悪徳の決断はしたくないって事
 イヤな決断は…例えばこのオレのような悪党に委ねてくるのさ」


覚悟がない人間が持つ、自分を守るための心理的防壁。
「自分は気が進まなかった、いや、やめようと思った、でも押し切られてしまった」
(悪事が)全部終わった後で、そう自分をだまして、善人である自分を保つのだ。
実はこれは悪事に止まらない。
迷った場合、決断を人に委ねる…
そうしておけば、結果が悪くても自分のせいではなくなるからだ。
いや、と自分で思いこめるからだ。

人間の心の弱さをズバリ見抜いた名文である。

「残り物に福がある」っていうことわざがあるが、
それも実はこういう心理があるからじゃないかと思う。
残り物=選択肢がない=自分が決断したのではない…
今の世の中、「最初に福を選び出せ」の方が正しいことわざかもしれない。
(そのまんまだな…)

 


 

「むろんあんたは今回のことを他言する気などない
 (中略)
 しかし奴らそれを信じないって…
 どれだけ言っても信じない
 人殺しは疑うよ…!
 
罪を背負った人間の疑念は一種の病気
 決して癒せない
 疑って疑って疑いつくす」


普通の人間は人を信じられても、罪を犯した者は人を信じられない。
それは、もちろん露見したとき、自分が破滅するから万全を期すということもあろう。
しかし、実は、人間の心の負の部分を、はっきりと見てしまったからなのだ。
そして、人の心の弱さに気づいてしまった…。
なにしろ、自分が既に罪を犯すということで、それを実証しているのだから。

ほとんどの人は、人間の心の弱さに気づかず過ごす。
気づいてしまえば、自分がいるこの世界が、非常に危ういもので、
自分はその均衡の中で、かろうじて生きていると認めざるを得なくなる。

国家という単位になると、ハッキリと気づいているから不思議な気がする。

 


 

「真に勝敗を分けるポイントは対戦相手の破滅
 これしかない…!
 相手の破滅を目指さずして
 どうして相手を追いつめられましょう…」


どうやら人間は、非常に小さい確率でも破滅を恐れるようだ。
宝くじの一等で3億円が当たる確率は恐らく1億分の1ほどだろう。
それが当たると信じて疑わない人はいない、
それどころか当たるかもなんて本気で期待するする人もいないだろう。
もし、このくじを、「一等が当たったら逆に3億円没収、金がなければその分強制労働」
とでも変えたらどうだろう。
大変な恐怖を生むに違いない。
それは恐らく遺伝子レベルで刻み込まれた、死…存在しなくなることへの恐怖なのだろう。
勝負に、この特性を利用しない手はない。

交通事故で死ぬ確率は1年間当たり0.01%。
もちろん、安全運転の人も無謀な運転をする人もひっくるめての平均だが…。
あまりこれには恐怖していないようだ。
飛行機事故だとこれよりもっと少ない確率のはずだが、かなり怖がる。
自分の力で回避できる可能性があるか?人間の意志が働いているか?
という点が重要なのかもしれない。

 


 

「必勝法っていうのはつまり詐欺なんだ…」


ルールに従っていれば、誰にでも勝つ可能性がある。
そうでなければ、誰も勝負しようとなどしない。
従って、必ず勝つ、という策はルール違反をしなければならない。
つまり詐欺行為だ。

よくある、「必ず儲かります」、というのは自分が詐欺行為をするか、
それ自体詐欺かのどっちかだ。

 


 


「もし悪を葬るものがあるとすれば
 それはつまり
それ以上の悪
 新たな悪党…世代交替だ…
 だからおまえが誰かを助けるというか…贔屓したかったら…
 いっそ駆け上がれ…
巨悪に…!」


力のない者がいくら正当なことを言っても、誰も耳を傾けない。
しかし、力を持つ者の言うことなら、聞かざるを得ない。
正義だなんだと言っても、結局は力関係。
「金を盗まれた、盗んだ奴が悪い、許せない、自分は悪くない」
しかし、この正当な主張も、警察力がもしなかったら、
いくらわめいても、虚しく響き渡るだけだろう。

国家間ではまさにそう。
もしも、日本がアメリカの身勝手が気に入らないとか、
北朝鮮の拉致問題に対する対応が許せない、
と思うのだったら、いっそ日本が世界最強国家になればいいのではないか…?
そして、正義を実現すればいいのだ…。

(ま、実際は力を握ると万人の正義のために動いたりしないですけどね…)

 


 


「オレは…涅槃を抱いてここにいる…
 あんたが抱いているのは自分の
保身だけだ
 それも獣の保身じゃなく、通常レベルの保身…
 ハナから敵じゃない…!
 ままごとだ…!
 命とりだよ…そんな根性 
戦場じゃ…!」


いやーこの台詞は、日本に聞かせてやりたいですね。
死の覚悟を決めた者は手強い、というのは常識かもしれない。
いいか悪いかは別にして、生き残る、という強い意志を持った「K国」…
K国の軍事力なんかたいしたことない、と言う人もいるが、
それでも驚異なのは、日本にない覚悟をもっているからなのだろう。

ええっ、K国が特定出来ますか?
あなたが思い浮かべたであろう北朝鮮は日本としては、韓国の一部であるはず…
あれ、やっぱりKじゃん。
いや、だから英語で言えば、コリア…
…もうあかん(笑)