『MISATO』

シャワーの後、髪を乾かすのが習慣になったのは付き合い始めた頃から。
長かった髪を切ったばかりだった。乾かさないと朝起きたとき大変なことになる。
部屋に戻ると、テレビでは十代の女の子のグループが歌っていた。
テーブルの携帯電話を手にとり、開く。
そこで手が止まった。
テレビからは女の子たちの歌声が流れてくる。
美里の手は止まったまま。
歌が終わり、拍手が流れる。
拍手に促されるように、そのまま携帯電話を閉じ、テーブルに戻した。
CMが流れる間、携帯電話を見つめ、それが終わるのを待っていたかのように立ち上がる。
寝る前に戸締りを確認するのは、子供の頃からしつけられていた。
ベランダ窓の鍵を確認する。
窓の外には、雪が降っていた。まだ積もってはいない。
少しの間、雪に見とれる。
美里は雪が好きだった。雪がたまにしか降らない地方の人間の誰もが思う程度に。
カーテンをきっちり閉じると、パジャマにコートを引っ掛け、財布と携帯電話をポケットに滑り込ませる。
車のキーを手に外に出ると、「着替えてくれば良かった」と、思わず言葉が漏れた。
階段を下り、駐車場の端の愛車に急ぐ。
アスファルトはまだ濡れた程度だが、車にはもう、うっすらと積もりかけている。
車に乗り込み、エンジンをかける。
驚くほどのボリュームで歌が流れた。
おととい、入れたままのCD。
ボリュームを絞り、替えを探す。
今の気分にしっくり来るものはないが、そのまま聞いていたくなくてCDを取り出した。
エンジン音だけが聞こえる。
それがなんとなく心地よく、美里はそのまま車を出した。

雪が迫ってくる。
雪の日に車に乗るのは、少し怖いけれど美里は好きだった。
でも、まだ凍りも積もりもしない時間だし、交通量の多い国道ならまだまったく心配ない。
これが1時間後なら出かけたりしないのだが。
家からすぐの自販機でタバコとコーヒーを買い、すばやくまだ暖まらない車内に戻る。
コーヒーのおかげで少しだけ手に温かみが戻ってくる。
缶を空けて一口飲んでからアクセルを踏む頃に、ようやく車内が暖まりはじめた。

国道は思った以上に渋滞していた。
タバコを取り出し、火をつける。
煙を吐き出しながら見上げた街灯に映る雪は、降るというより舞い上がっているように見えた。
車は少しも動かない。
きっと、いつもの交差点まで続くだろう。
対向車線を行き過ぎる車が実際以上の速度に感じられる。
「自分の言ったこと、よく考えるんだな」
おととい聞いた、最後の言葉。
きっかけは、いつもどおり、些細なことだった。
それがいつもどおり、エスカレートし、いつもより尾を引いている。
毎晩やり取りしていた『おやすみ』のメールを昨日は出さなかったし、来なかった。
車が動かないまま、タバコを消す。
中央分離帯には、雪は積もり始めている。
ようやく少し動き、また止まる。
のろのろと動く。
サイドミラーに雪が積もっていく。

渋滞を抜けると、アクセルを踏み込み、2本目のタバコに火をつけた。 そのままアクセルを踏み込みつづけ、事故をする。
中央分離帯に突っ込み、即死。
彼のことは好きだし、葬式は保険でできる。
そんなことを考えながら、80キロでアクセルを緩めた。

いつもなら、20分と少しでつく彼の家まで、今日は30分以上かけて到着した。
会う気ははじめからない。
ただ、来たかっただけ。
彼の部屋が見える道路の端に車を止め、ライトを消す。
端から2番目の、彼の部屋の窓を見ながら、一服する。
カーテンで、明かりがついているかどうかも分からない。
タバコを消し、ポケットから携帯電話を取り出すと、『寝てた?おやすみ』とだけ、メッセージを送る。
ほどなく、返事が来た。
『起きてた。おれももう寝る。おやすみ』
メッセージを読み終えると、携帯電話を閉じ、もう一度窓を見る。
厚いカーテンが、きっちりと閉じているのが見えるだけの。
ライトをつけ、車を発進させる。
彼の為の空の駐車スペースに、雪は積もりもせず降っていた。