これは男として生きる男に対する男の俺の考え方 「男とは」 決して暴力は振るわない、怒らない、そう心に誓ったのは小学校を 卒業する間近の頃。その頃から俺は両親の不仲を見る様になり 親父がお袋を殴るのを見たこともあった。人が人を傷つける事、それを見る子供の気持ち、 それは、夫婦であっても子供であっても兄弟であっても友達であっても 見ず知らずの他人であっても、私はその当事者になる事も、第3者になることも 拒みたいし、見たくはない光景であり、非常につらい気持ちになる。 TVで家庭の不和を描くドラマ等は俺の心を悲しい気持ちにさせる。 俺は現場から逃げたい訳でも見たくはない訳でもない、そんな状況を 生み出したくないだけだ。俺なりの、今時点での解決策がやさしさなのだ。 その所為かどうかはわからないが、自分の為よりも人の為に、 誰かの為になれることが今でもとても好きだ。 人に喜んでもらえる、人の笑顔を見れることは俺にとってとても 嬉しい瞬間なのだ。しかし、時々悲しく感じる時がある。 喜怒哀楽を通じて人は精神のバランスを整えていると耳にした時 同じ悲しさが俺の心の中で小さな漣を立て始めた。 俺は怒りの感情を表だって見せられないのではないかと。 もしかしたらうわべだけの付き合いしかできない人間なんだろうかと。 自分が大切だと思う人になら、友と言える人になら、感情を剥き出しにして その人に気持ちを伝える事も必要なのではないかと、 そう思い悩む一瞬がある。それはまたの時に悩むとしよう と、俺は答えを出さずにそこで心の奥底にしまいこむ。 そしてそれは昔の嫌な体験の所為にしたりはしないし、したくはない。 何の解決にもならない事だから。自分で切り開かなくてはならない事。 やさしさだけじゃ生きていけないと人は言うだろう でも、俺は全てを寛容できるやさしさだけでしか今は生きていきたくない 近い将来、もしかしたら今の現実自体がやさしさだけで生きる限界なのかもしれない もし俺に奥さんが、子供が、家族ができた時、厳しい試練が待ちうけているかもしれない でも ある人が言った。苦しかった、辛かったと言えるからこそ 大きな喜びを、感動を、結果に納得できるのだと ある人が歌った。悲しみは優しさにかわるよと 俺は信じる。怒り、憎しみ、悲しみは純粋で強くやさしさ心に 代わり得る可能性を持っていることを 素直に接する事のできる未来の自分になっている事を信じて そしてその時、傍らには支えとなってくれる人がいてくれると信じて 拳を振わない、やさしさを大切に、強い心を持つこと、 自分が大切だと思えるものを心に抱き続ける事、それが 男である俺が今俺自身に問う「男」なのだ。