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○ パウル・クレーの生まれ
パウル・クレーは、1879年12月18日、
ベルン郊外ミュンヘンブフゼーの学校官舎に生まれた。
(父ハンスは、その学校の音楽教師だった。)
クレー家は、ベルン周辺で何度か転居した後、
1890年頃、オプストベルグ通り(Obstbergweg)6番に落ち着く。
ここが、クレー家のベルンでの居所になる。
この家は、12番トラムで、「Schosshalde」で下車、
トラムの通りから北へ入っていったところにある。
(ベルン市内から、2005年に出来た
パウル・クレーセンターへのトラムの経路にあたる。)
ご覧のとおり、凝ったタイル張りの家だが、
並びの建物は、どれも同じタイル張りの家だった。
手の込んだ建売住宅ということか。
○ ミュンヘンに移住 その後
1898年、19才のクレーは、絵画を学ぶため、
ドイツ ミュンヘンに移る。
その後のクレーの足取りを簡潔にたどってみる。
ミュンヘンで、ピアノ教師のリリーと出会い、
1906年に結婚。
1911年 画家マッケ、マルクらと知り合い、
1912年 第2回「青騎士展」に出展。
1916〜18年 第1次大戦にドイツ兵として従軍。
(ドイツ国籍だったことから)
1920年 ミュンヘン ゴルツ画廊にて大規模な個展を開催。
同 年 ワイマールのバウハウスに招聘、
1925年 バウハウスの移転に伴い、デッサウに転居、
1931年 デュッセルドルフ美術学校の教授に着任、
1933年 ナチスがドイツの政権を奪取したことから、
デュッセルドルフ美術学校を解任され、
スイス ベルンに戻る、 というところか。
○ キストラー通り6番の私邸
ベルンに戻ったクレーは、キストラー通り(Kistlerweg)6番に居を構えた。
(市内から、19番トラムで「Luternauweg」を下車、すぐ)
写真では、平板で無機質な家に見えるかも知れないが、
現物は、質感のある、こんなところに暮らしたいと思わせるいい住居だ。
1935年頃からは皮膚硬化症を患い、
1940年、イタリア ロカルノへ転養に向かうが、
同年6月29日、その地で歿する。享年60才。
○ パウル・クレーセンター
2005年、ベルン郊外にパウル・クレーセンターが開館して、
ベルン美術館に収蔵されていた作品と
クレー家に残されていた作品とが、このセンターに移管された。
ベルン市内からは、12番トラムで終点の「Zentrum Paul Klee」を下車。
センターの建物は、3つの波形で出来ており、北側から
1つ目が、カフェと子供のためのお絵かき教室、
2つ目が、クレーの作品の展示場、
3つ目が、作品の収蔵庫 になっている。
クレーは、ダンボールや新聞紙など、もろい素材に描いているため
展示場そのものは、かなり小さく、一時期に展示されている作品数も、
予想していたよりかなり少ないものだった。
○ パウル・クレーの墓
クレーの墓が、パウル・クレーセンターの近くに移設されている。
場所は、「Zentrum Paul Klee」のトラム停から
南北の道(Monument im Frchtland)に入ったところで
東側に見えてくる駐車場の北側の道(Undo-endo)から
墓地(Schosshalden Friedhof)に入って、すぐのところ。
墓碑銘には、1920年の大規模な個展の開催時に
クレー自身が寄せた、芸術家としての信条が刻まれている。
DIES SEITING BIN ICH GAR NICHT FASSBAR
DENN ICH WOHNE GRAD SO GUT BEI DEN TOTEN
WIE BEI DEN UNGEBORENEN
ETWAS NAEHER DEM HERZEN DER SCHOEPEUNG
ALS UEBLICH UND NOCH LANGE NICHT NAHE GENUG
(大意)
この世で、私は理解されることはないだろう。
なぜなら、私は、まだ生まれざる者や
すでに死んだ者のところに住んでいるのだから。
創造の核心部に、かなり近づいたが、
まだ十分とはいえない。
なるほど、その後20年の生涯で
クレーは、この「創造の核心部」へ近づく努力を続けた
といえるだろう。
○「クレーの散歩道」
パウル・クレーセンターでは、「クレーの散歩道」(Path to Klee)なる、
ベルンでのクレーゆかりの場所を案内したパンフレット(無料)を作っている。
実は、この「散歩道」には、
土地の写真とそれに関連する作品を掲載した54頁の小冊子バージョンと
地図を3つ折りにした1枚ものの簡略バージョンとがあり、
当然、ベルンでのクレーの探索者は、前者を携行しておかなければならない。
ただ、残部数があまりないようで、
パンフレットの棚を探しまわって、1部見つけてくれた。
「散歩道」の地図のところを掲げておく。
○ 旅の食事
クレーの叔父フリッツが経営していたレストランが
屋号こそ変わっているが、現在でもベルン市内で営業している。
中央駅からほど近い「Schauplatzgasse」のデラ・カーザ(Della Casa)が、その店。
ベルン風盛り合わせ(Berner Platte)をオーダーすると
写真の腸詰やベーコンの盛り合わせが出てきた。(ビールとで約36SF)
見た目から想像するのと、ほぼ同じ味であった。
○ 旅の宿
ベルンでは、ホテル・ベルン(Hotel Bern)に宿泊した。
(1泊約18,000円程度)
重厚な石造りの外観は、いたって普通だが、
SF映画に出てくるような超モダンな内装は、笑ってしまう。
とはいえ、堅実なホテルである。問題ない。(2013年4月旅行)

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