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○ ロンドンにおけるシェイクスピア
ウイリアム・シェイクスピアは、1564年に、ロンドンから西北に約150km、
ストラトフォード・アポン・エイヴォンで生まれた。
4月26日に洗礼を受けた記録があることから、一般に4月23日生まれとされている。
父ジョンは、皮手袋などの商いで財をなし、
一時はストラトフォード市の参事会員を務めるが、後に零落する。
成人するまでのシェイクスピアがどのように育ったのかは、よくわかっていない。
父の地位から、グラマー・スクールには通っていたと考えられている。
1582年、18才のシェイクスピアは、8才年上のアン・ハサウェイと結婚し、
翌83年に長女スザンナ、85年にハムネットとジョディスの男女の双子にめぐまれている。
シェイクスピアが、いつ、どのような経緯で、ロンドンへ上京したのかもよくわかっていない。
1592年に「ヘンリー6世」「間違いの喜劇」「タイアス・アンドロニカス」などの作品で
人気を博しているとの記録が残っていることから
88年頃には上京していたものと考えられている。
シェイクスピアが上京する少し前のロンドンの演劇事情を振り返ってみる。
宮内大臣や海軍大臣などの有力者の庇護のもと、
王侯貴族の邸宅やパブの中庭などを巡回して公演されていたが
1576年、ロンドン・シティの東北側、ビショップ・ゲートを北へ出たショアディッチに
初めての常設の劇場シアター座がジェームズ・バーベッジによって建設された。
それが営業的に成功したせいか、1577年には同じくショアディッチにカーテン座、
1587年には、テームズ川の右岸サザックにローズ座が出来ている。
シェイクスピアが上京したのは、まさにロンドンで常設の劇場が増えていき、
劇場での観劇が庶民の娯楽として定着していく時期であった。
シェイクスピアは、95−96年頃には、
ショアディッチに近いビショップ・ゲートのセント・ヘレン教会区に住んでいたらしく
この地区の税金滞納者のリストに名前を連ねている。
1597年、ジェームズ・バーベッジが亡くなり、
シアター座の借地延長交渉が暗礁に乗り上げると
98年、ジェームズの子、リチャード、カスバート・バーベッジ兄弟らは
シアター座の建物を取り壊し、その建材がシティの北のはずれから
テームズ川の対岸に運び、サザックのローズ座の並びに再建した。
これがグローヴ座である。
シェイクスピアは、リチャード、カスバート兄弟らとともに、
このグローヴ座の共同経営者に名を連ねていることから、
この劇場移転作業にも携わったものと考えられている。
グローヴ座は1599年、シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」
「お気に召すまま」などの公演によりこけら落としされた。
この頃、シェイクスピアは、サザックのセント・セイヴィア教会(現在のサザック大聖堂)区に
住んでいたらしい。
劇団の本拠地がグローヴ座に移ってから、しばらくの期間が
「ハムレット」「リア王」「オセロー」「マクベス」の4大悲劇を成す、
シェイクスピアの劇作の充実期といえる。
しかしながら、いつ書かれたのではなく、
いつ上演されたかで見ると、作品の見え方が変わってくる。
ある学者の推定によると、1604年のシェイクスピアの属した「国王一座」の
公演スケジュールは、次のとおりであったという。
月 尺には尺を
火 恋の骨折り損
水 オセロー
木 十人一色(ベン・ジョンソン作)
金 間違いの喜劇
土 ヘンリー5世
現在、脚本を読んでいる感じからすると、「尺には尺を」や「オセロー」の日替わりで
「恋の骨折り損」や「間違いの喜劇」が上演されているのは、信じられない気がする。
シェイクスピアにすれば、初期の習作的な喜劇でも
客の入りがよければ、それでよかったのかもしれない。
シェイクスピアは、04年には、シティの北側、
クリップル・ゲイトのシルヴァー通りに住み、
1611年頃には、故郷のストラトフォードに戻ったとされている。
そして1616年4月23日に亡くなった。
グローヴ座のその後を見てみる。
1613年6月、シェイクスピアの「ヘンリー8世」上演中に、
芝居道具の大砲の火が藁葺きの屋根に引火して、「第1次」グローヴ座は炎上してしまう。
翌14年に再築されたが(「第2次」グローヴ座)
1642年のピューリタン革命で閉鎖され、44年には取り壊されてしまう。
それから約350年後の1997年、ほぼもとの場所に
「第3次」グローヴ座が再興されて、現在に至っている。
というわけで、現在のグローヴ座に行ってみた。
ちょうど「ヘンリー4世第1部」が上演中で、
平土間の立ち見は7ポンド(約1000円)だが
3時間ほどの立ち見はきついかもしれない。
シェイクスピア当時の定員は2500人ほどだったとされているが、
現在のグローヴ座は2000人は入らないように思う。
予想どおり、こじんまりとした劇場で
舞台上のささやき声の独白もしっかり聞こえる。
第2幕第4場の旅人の荷が横取りされた真相が明かされるシーンは
全シェイクスピア作品のなかでも一番の笑いどころであるが
この破壊力は今日でも健在で、場内に哄笑を沸き起こしていた。
○ 旅の食事
まず、サザックのジョージ・イン。
ここには、演劇団がパブを巡業していた当時を彷彿させる中庭があり、とても居心地がいい。
写真のソーセージ料理とビールで10£ぐらい。
次は、セント・ポール寺院の近く、フリートstから少し北へ入ったところにある
イェ・オールド・チェシャー・チーズ。
こちらは時代が下って、ジョンソン博士のいきつけのパブだったらしい。
写真のスコティッシュ・ロースト・ビーフとビールで14£ぐらい。
ここも歴史を感じさせる内装で、居心地がよかった。
最後に、チャイナ・タウンのチュェン・チェン・クー(泉章居)。
やはり、ロンドンでうまい料理といえば中華になってしまうのではないか。
点心3品とポットサービスのお茶で10£ぐらい。
○ 旅の1枚
グローヴ座の企画モノのCD「THIS WORLD’S GLOBE」。
グローヴ座で、シェイクスピアの名場面がガラ・コンサート風に上演されたもののライヴ録音のようだ。
演目の間は、その時代の音楽でつながれている。
このCD、大阪・日本橋の中古CDショップで見つけた。
グローヴ座のショップに行ってみると、このCDは現在扱っていないようだった。
○ 旅の宿
大英博物館の北西、ガワーStにあるラングランド・ホテル。(LANGLAND HOTEL)
10年ほど前にロンドンを訪れた際も、ここに宿泊した。
そのときは、中庭側に面した静かな部屋であったが
今回は、ガワーSt側だったので、自動車の走行音がかなり騒がしかった。
バス・トイレ共同のシングルで、3泊140£。(2010年7月旅行)

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