WELCOME TO MY HOMEPAGE
ミュンヘンでヒトラーを歩く


theater
ミュンヘン 国立歌劇場

      ○ ミュンヘンにおけるヒトラー
     南ドイツ・バイエルン州のミュンヘンは、ナチス・ドイツ発祥の地。
     今回は、現在のミュンヘンでヒトラーとナチス・ドイツの軌跡をたどっていく。

      ○ シュライスハイマー・シュトラーセ34番
     ウィーンで美術学校の入試に失敗し、おみやげ品の風景画を描いて
     細々と暮らしていたヒトラーは、
     1913年5月、ミュンヘンにやってくる。
     ヒトラーの最初の住まいは、ミュンヘン旧都城から西北に出た、
     シュライスハイマー・シュトラーセ34番の下宿だった。

schliessheimer1        schliessheimer2
シュライスハイマー・シュトラーセ                   34番(中央のベージュの建物)



      ○ オデオン広場
     1914年8月、第1次世界大戦が勃発し、ドイツもこれに参戦する。
     ミュンヘンでもオデオン広場で参戦の布告が行われ、
     これに興奮する群集の写真の中にヒトラーの姿があることが知られている。
     この後、オーストリア国籍のヒトラーは、ドイツ軍に志願兵として従軍する。

odeons1        odeons2
オデオン広場のヒトラー                       現在のオデオン広場


      ○ ティエル・シュトラーセ41番
     第1次大戦がドイツの敗戦で終わった後、帰還したヒトラーを待ち受けていたのは
     革命政権が支配し、赤旗がたなびくミュンヘンの街だった。
     ミュンヘンの革命政権命は、間もなく転覆されるが、
     ヒトラーは、ドイツ軍の意向を受け、
     ミュンヘンの泡沫政党、ドイツ労働者党に潜入することになる。
     当時、ドイツ労働者党は、イザール門そばのビアー・ホール、
     シュテルネッカー・ブロイに事務室を構えていた。
     (シュテルネッカー・ブロイは、現在残っていないようだが
     シュテルネッカー・シュトラーセのどこかにあったものだと思われる)
     ヒトラーも、この頃ここから程近い、ミュンヘン旧都城を東に出たところ、
     ティエル・シュトラーセ41番に住んでいた。

sternecker        thiersch
シュテルネッカー・シュトラーセ                     ティエル・シュトラーセ41番(中央)



      ○ ビヤ・ホール・ブッチの行進
     ドイツ労働者党は、新手の弁士ヒトラーの過激な演説で党員を増やし
     1920年には、国民社会主義ドイツ労働者党、いわゆるナチス・ドイツに改称される。
     1923年11月8日、ミュンヘンのイザール川東側、ビュルガーブロイ・ケラーに
     当時のミュンヘン地方政府の首脳が講演に集まることを察知した
     ヒトラーらは、ブッチ(クーデター)を企てる。
     当初、ヒトラーらの脅迫を受けたミュンヘン地方政府の首脳はブッチに賛同し、
     政権奪取は成功したかに見えた。
     翌日、ブッチ隊の示威行為として、ミュンヘンの中心部まで行進が行われた。
     この経路を歩いてみる。
     まずは、ビュルガーブロイ・ケラー。
     これは現存しないようで、現在ホールやホテルの複合施設になっている。
     (Sバーン ローゼンハイマー・プラッツ駅下車 東側)
     ブッチ隊は、ローゼンハイマー・シュトラーセを西に進み、
     ルードヴィッヒ橋でイザール川を渡る。

rosenheimer        ludwigb
ローゼンハイマー・シュトラーセ                   ルードヴィッヒ橋


     ツヴァイブルッケン・シュトラーセをさらに西進し、
     イザール門のところで旧都城内に入る。
     さらにイム・タルを西進し、旧市庁舎を抜けて、新市庁舎前の広場へ出る。

isartor        tal
ツヴァイブルッケン・シュトラーセ                    イザール門


altes        neues
旧市庁舎付近                           新市庁舎前


     そこで進行方向を北に変え、ヴァイン・シュトラーセを進み
     ペルーザ・シュトラーセを東に入り、国立歌劇場前の広場へ出て

wein        perusa
ヴァイン・シュトラーセ                    ペルーザ・シュトラーセ


     そこからレジデンツ・シュトラーセを北に進み、オデオン広場に出る。
     (くしくも第1次大戦の参戦布告に興奮するヒトラーの姿が撮影された場所だ)
     ここで、ミュンヘン地方政府の正規軍から発砲を受け、行進は中止させられた。

residenz        odeons
レジデンツ・シュトラーセ                      オデオン広場



      ○ プリンツレゲンデンプラッツ16番
     ビヤ・ホール・ブッチに失敗したヒトラーは、逮捕され、
     ミュンヘン郊外ランツベルグ監獄に1925年まで収容される。
     これでヒトラーの政治的生命は絶たれたように思われてたが
     第1次大戦後にドイツを襲った経済不況とそれに続く1929年の世界恐慌で
     ナチス・ドイツは息を吹き返し、1933年にはヒトラーはドイツの首相に就任し、
     また1934年にヒンデンブルグ大統領が没した後は大統領も兼任して
     「総統」と呼ばれるようになった。
     この頃ヒトラーは、ミュンヘンでは
     イザール川東岸プリンツレゲンデンプラッツ16番に邸宅を構えていた。
     (ここは現在では、警察の施設として利用されているようだ。)

prinzregenten
プリンツレゲンデンプラッツ16番

      ○ ダッハウ強制収容所
     ナチス・ドイツの強制収容所は、現ポーランド領アウシュビッツが有名だが
     ミュンヘン郊外ダッハウにも強制収容所があった。
     ダッハウへは、ミュンヘン中央駅からS2バーンで約30分、
     駅前から726番バスに乗って約15分で着く。
     僕が訪れたのは、折りしもこの冬最初の寒波が到来した日で
     ただでさえ寂しい敷地に、雪が吹きすさんで、一層荒涼として見えた。
     建物の一部は資料館となっていて、
     1933年に開設した当時は専ら政治犯のための収容所であったのが
     後にユダヤ人の絶滅収容所となっていく経過や当時の遺留品が展示されている。
     圧巻は、1945年4月に米軍がこの収容所を解放した際に撮影されたカラー映像で
     やせ細った人々の死体の陰から、同じようにやせ細った生存者が
     解放の喜びを表現する余裕もないほどに消耗しきった姿で立ち現れる様が映っている。(2008年11月旅行)

dachau1        dachau2
ダッハウ強制収容所(正門)                 鉄扉には「ARBEIT MACHT FREI」の言葉が




TOP
トップページへ

GeoCities Japan

メイン / コミュニティ / アベニュー / E-List / 街角広場
インフォメーションセンター / 検索 / ヘルプ / ガイドライン