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○ ロートレック 誕生からパリ上京まで
アンリ・トゥールーズ・ド・ロートレックは、
1864年11月24日、南仏アルビに生まれた。
父は、十字軍の時代にまで家系を遡ることのできる伯爵で、
母は、その従妹であった。
そんな名門にありがちな近親婚が災いしたのか、
1878年(14才)に、ふとしたはずみで、左足を骨折、
翌年には、右足を骨折し、それ以来、彼の足は成長を止めてしまう。
とはいえ、身長は152cmあったというから、
「こびと」であったというより、
上半身と下半身のサイズがアンバランスであったというべきなのであろう。
身体の自由がきかなくなったことから、もともと好きだった絵画に
一層のめり込んでいくことになる。
1881年(18才)に、バカロレア(大学入学資格試験)に合格すると
それを口実に、母とともどもパリへ出て、
マドレーヌ寺院の近くのペレー館に住んだ。
そこから、はじめはボナの画塾(メトロ「La Fourche」駅の近く)に、
また1882年からはコルモンの画塾(モンマルトル クリシー大通りの東端)に
絵を習いに通った。
ときどき、コルモン自身の作品を見かけることがあるが
アカデミックというか、サロン風というか、
第1回の印象派展が1874年に開催されて8年経ったこの頃でも
支配的な画風は、コルモンのようなものであったのであろう。
○ シャ・ノワール(黒猫)
ロートレックがパリへ出てきた1881年に、モンマルトル ロシュシュアール大通り58番に
カフェ・コンセール「シャ・ノワール(黒猫)」が開店している。
1884年には、そこの出演芸人(?)だった、アリスティド・ブリュアンが引き継いで
「ミルリトン」として改装オープンさせている。
○ モンマルトル フォンテーヌ街19番、コランクール街
この1884年に、ロートレックは、母元から離れて、
モンマルトルのフォンテーヌ街19番の友人ルネ・グルニエ宅に居候をはじめ、
さらに、1886年には、コランクール街(もしくはトゥーラック街)に住宅兼アトリエを構えた。
資料によって、コランクール街になっているものと、トゥーラック街になっているものがあるが、
要するに、南北の通り(コランクール街)と東西の通り(トゥーラック街)の
交差点付近にあったのだろう。
○ ムーラン・ルージュ
1889年10月、モンマルトル ピガール広場の社交ダンス場跡地に
いよいよモンマルトルの精華「ムーラン・ルージュ(赤い風車)」が開店する。
この頃のロートレックは、「ミルリトン」や「ムーラン・ルージュ」に
足繁く通っていたのだろう。
1892年には、「ムーラン・ルージュ」のオーナーから依頼されて、
同店のポスターを制作している。
画面中央で、いわゆるフレンチ・カンカンを踊るのは、
看板ダンサーの「ラ・グリュ(大食い)」。
その右手でシルエットになっているのは、ダンスのパートナーの「骨なしヴァランタン」。
○ シャンゼリゼ アンバサドール
同じ1892年に、盟友のアリスティド・ブリュアンが
シャンゼリゼの劇場「アンバサドール」で公演することになると、
その告知ポスターも作成している。
下北沢のアングラ劇団が、銀座の帝劇に客演するようなイメージか。
「アンバサドール」は、現在、「ESPACE PIERRE CARDIN」が
建っているあたりにあったようだ。
○ アンポワーズ街、ムーラン街の娼館
1894年頃から、ロートレックは、さらにデカダンを極めて、
アンポワーズ街やムーラン街の娼館に入り浸るようになる。
窺い知る機会の少ない「失われた時をもとめて」のダークサイドの実像だ。
「ムーラン(風車)」の言葉からの連想か、「モンマルトルのムーラン街」と
記載されている資料もあるが、どちらも「モンマルトル」ではない。
アンポワーズ街は、オペラ座の東側にあり、ムーラン街はパレ・ロワイヤルの西側で
どちらもパリの場末モンマルトルよりも、はるかにパリの中心部にある。
○ モンマルトル フロショ街
1897年に、コランクール街から同じモンマルトルのフロショ街にアトリエを移転した。
ここが、パリでの最後のアトリエとなる。
長年の不摂生な生活のせいであろうか、1899年に譫妄を発症して、
長期療養し、一旦はパリに戻るが、
1901年9月9日、南仏マルロメで母に看取られて亡くなる。享年36才。
○ 旅の食事
まず、サンジェルマン・デ・プレのフレンチ・ビストロ「LE COMPTOIR」。
(メトロ「オデオン」駅のすぐ南)
人気の店で、11時の開店前に行列(主に日本人)ができ、開店10分ぐらいで満席になっていた。
前菜のパテ(写真)とメインに、グラスワインを少し飲んで、60ユーロぐらい。
そこそこの値段ではあるが、その値打ちはある。
もうひとつ、マニアなところで、世界一おいしいファラフェルの店との
触れ込みの「L'AS DU FALLAFEL」。
(メトロ「サン・ポール」駅から北西の RUE DE ROSIERS )
ファラフェルは、ユダヤ料理のファストフードで、
ピタに、豆のフライ団子とキュウリやキャベツの千切りを入れたもの。
エスニックのスパイスが効いていておいしい。5.5ユーロ。
○ 旅の一枚
ロートレックの盟友、アリスティド・ブリュアンのシャンソンのCDをアマゾンで見つけた。
ブリュアンの体格から、堂々たるバリトンか、と思っていたが、ちょっと甲高い声をしている。
1908年、13年の録音のようで、ブリュアンとしても全盛期ではないが、
生声を聞けるのは、とても貴重。
○ 旅の宿
前回と同じ、カルチェ・ラタンの「HOTEL DU COLLEGE DE FRANCE」に投宿。
立地が便利で、設備がまっとうな割には価格が安いので、直前には満室になっているようだ。
事前にHPから予約すると1泊分デポジットで支払いをもとめられた。(1泊95ユーロ)(2012年4月旅行)

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