| 2002年の日記 |
| 5月19日(日) |
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16日の木曜日に、奈良国立博物館の『大仏開眼1250年 東大寺のすべて』を観てきた。もともと博物館に昔のものを観に行くのは好きだが、とりわけ仏像が好きである。東大寺にゆかりのある仏像、しかも国宝級が多数集まるとあって、どうしても行きたかった。 有名なこともあるが、日光、月光の両菩薩像がもっとも印象に残った。あの端正な顔立ちを目の前にして、自然と身が引き締まる。仏像は絵画などと違って立体として存在するだけあって、見るほうが受ける力がものすごく大きい。よけいな考えが頭の中から抜けていくのを感じた。 わざわざ平日に休みを取って行ったのは正解だった。奈良一帯は修学旅行や遠足でたくさんの児童や生徒がいたけれど、だいたいは東大寺や興福寺などの建築物に流れ、博物館ではほとんど見かけなかった。おかげですいていてゆっくり回ることができた。 博物館を出たのが午後2時で、何を考えるともなく京都から金閣寺を観に行ったが、正直なところこちらはちょっと興ざめした。数百年あるいは一千年以上前の諸作品にふれた後で戦後に再建された金閣を観たからかもしれない。あるいは金閣の鮮やかさが場違いに浮いていたからかもしれない。小雨が降り出していた。 |
| 5月6日(月) |
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先週になるが、東京国立博物館の『没後500年特別展 雪舟』を観てきた。雪舟の作品がこれほどの規模で一堂に会するのは50年ぶりだそうで、それを聞いたら何だかいてもたってもいられなくなった。といってもこれまで雪舟に特段の興味があったわけではなかったのだが。 展示はやはり水墨画がほとんどだった。一部着色しているものもあった。 水墨画といえば、遠近感のあるものを多く思い浮かべる。手前の景色に対して奥にはたいてい山があり、それらはえてして淡くふわりと描かれている。それを何気なく見ていたけれども、それらは空気や温度、湿度を描いているのだとする解説を読んだとき、目が覚める思いがした。 遠くにある景色であっても、寒い日や風が強い日であればくっきり見える。逆に風がなくそれなりの温度と湿度があると、ちょっとした距離でも白みがかる。水墨画の背後にある山の色が薄いことを、空気を描いた結果だと評しているのである。 これには心底驚いた。空気を絵に描くなんてできるわけがないと思っていた。それが500年も前に描かれていたなんて。 芸術の前では常識はあてにならないことを知った。 |
| 2月3日(日) |
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実家に帰ったら、いつの間にかマイナスイオンブラシというのがあった。スイッチを入れるとブラシの真ん中からマイナスイオンが吹き出して、髪の毛に潤いを与えながらブラッシングできるという代物だ。使ってみるとこれがかなりよい心地がする。もともとくせっ毛なのと日ごろの手入れに効果がないのとで、髪の毛ががさがさになりがちだった。それが、髪を軽く水で濡らしてこのブラシでとかすと、うまい具合にまとまる。 マイナスイオンが出るブラシ、またはドライヤーがあるのはちょっと前に聞いたことがあったが、価格はドライヤーで2万円もすると知って驚いた記憶がある。ところがいまはかなり下がってきていて、Webサイトで調べてみると実売では1万円を切っている。それを買うことにした。ちなみにブラシのほうはだいたい5千円くらいである。 ドライヤーを買ってきてさっそく使ってみると、実家で試したのと効果は同じく、強い風でぼさぼさになっていた髪の毛がすーっとまとまる。これを毎日使っていけば、髪質がよくなっていく気がする。決して安くはないが、長く使えそうな一品だ。 |
| 1月13日(日) |
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爆風スランプのベストアルバム『シングルス』を買った。秋くらいにテレビの歌番組で『大きな玉ねぎの下で』という歌が流れていたのを聴いて懐かしく思っていたのだが、なぜかここへきてもう一度聴きたいという思いが日増しに強くなってきていた。『大きな玉ねぎの下で』はもっとも好きな歌のひとつであるという人が多い。私も例にもれずそのひとりである。 本当のファンに言わせると、『大きな玉ねぎの下で』や『Runner』などといったシングル曲は営業戦略として作った曲であって、爆風スランプの本質が現れているのではないそうだ。多くのアルバム曲は歌詞やメロディーがもっとおもしろおかしく作ってあって、真の爆風スランプはそういう歌を聴かせるバンドなのだという。 自分の好きな『大きな玉ねぎの下で』が営業戦略の過程で作られたということを知ってちょっとショックだった。けれど、裏の事情がどうであれ『大きな玉ねぎの下で』が爆風スランプの曲であることには変わりなく、こうして世の中に出て支持されている以上それが爆風スランプの本質ではないということにはならない。『大きな玉ねぎの下で』は間違いなく爆風スランプを射影したときのひとつの形である。 それはそうと、ボーカルのサンプラザ中野はやっぱり歌がうまくない。それだけにカラオケの練習にもついつい熱が入る。 |
| 1月1日(火) |
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大晦日の夜に放送されるNHKの『ゆく年くる年』が好きだ。大晦日はだいたい『紅白歌合戦』を見るのだが(そのうち午後九時から十一時半くらいまでは起きていられなくて寝ている)、終盤が近づくとけっこう騒がしいものだ。それだけに『紅白歌合戦』が終わって『ゆく年くる年』が始まってからの手のひらを返したように静寂なひとときは、いろいろ波のあった一年間の疲弊を慰めるのにふさわしい。呼吸や鼓動が知らず穏やかになるのを感じる。『ゆく年くる年』には、そういう空気が流れている。民放がやるやかましいカウントダウンの番組などはまったく見たいと思わない。 『ゆく年くる年』では、全国の年越しの様子が映し出される。京都・奈良の名刹で除夜の鐘を鳴らす僧があるかと思えば、長崎ではミサを司る神父がある。北海道では神輿をかつぐところがある。地域によって年越しの風景はかくも多様なのかと思う。 陽は毎日沈んでは昇り沈んでは昇り、休むことなく繰り返される。一年に三六五回ある夜のうちの一日に過ぎない。それでも人々はそれぞれ特別な思いで大晦日の夜を迎える。人間の暮らしには区切りが必要である。 |