小説  内なる戦い 外なる戦い

        第四章   人生の楽しみ

 

  土門涼子は角川が自分と同じ境涯だったことを知り胸を痛めた。同時に嬉しくも思えた。

  角川光太郎も下を向いていた。

  二人とも涙ぐんでいた。鎮魂のレクイエムが聞こえて来るような雰囲気だった。

  どちらも口を開かなかった。数分が過ぎた。...

  涼子は下を向いている角川を見て、ふと正座して勤行をしている彼の姿を想像しようとした。 

「未だに信じられない!あの強くて逞しく芯のとおった光ちゃんが勤行しているなんて!想像できない。」彼女は思い付いた感情をそのまま口にした。こういうビックリさせることを彼女はしばしば言うことがある。しかし、この一言で雰囲気が楽しいものに変わった。

「それはお互い様だ」角川も笑みを浮かべた。

「そうだ、今度一緒に彼の追善勤行をしよう。!互いの勤行・正座姿も見られるし。」

「いいね、賛成!場所は?」

「場所か、そう、涼子の家の仏間がいい、だって忘れずに5・10としてやってきた場所だろう?」

「うちで?」

「涼子の親友とBOTHのおかあちゃんは俺のこと知ってるんだろう。じゃ、いいじゃないか、そこで、作ったことのないケーキもごちそうになろうかな」

結局、涼子に考える間を与えず決まってしまった。しかし、彼女は角川のそんな強引さとユーモアが好きでなにも言えなかった。

  考えてみると面白い。さっきまでの苦しみが楽しみに変わっているからだ。何かの縁で苦しみも楽しみに変わる。苦しみが有っての楽しみである。

  しかし、人は楽しみだけを求めようとする。秦の始皇帝は二千人の美女を裸ではべらせその上で酒を飲んだ。さらに、不老不死の薬を求め日本の富士山まで使いをやったという。でも、結局究極の楽しみは得られなかったに違いない。

  角川は楽しみのみを追い求めてもなにもない、いや、地獄にすらなることを思い出した。

「あれは,この世の地獄だった。」

「え、なに?」

  角川の心の中を過去に向けて馬が再び走り出した。

  平成三年一月、湾岸戦争勃発の年である。角川はタイ、ピャンマー、ラオスの国境付近の密林山岳地帯にいた。いわゆるゴールデントライアングル、魔の三角地帯である。

  ここに至るまでが長かった。バンコクからバスで15時間かけチェンライに至り、そこで現地ガイドのローを雇い、メナム川の支流を船外機付きのいかだで3時間北上、そこからはガイドのローが操る象に乗って急坂を登り、山道を歩いてはまた象に乗ること繰り返し2日間かけようやくアカ族の村に到着した。

  この村は不思議な村だった。なんと丘の上に集落が有る。周りはすべて急坂であり、水もなく川からいちいち象で運ぶ。もちろん、ガス電気のたぐいは一切ない。道路もない。周りとは完全に隔絶されているのである。

ガイドを雇ったのもここではアカ語しか通じないし道もわからないからだ。

  ここへ来た目的は山岳少数民族の暮らしを知りたかったのと途中象に乗れるという理由からだった。象に乗ったのはたしかにおもしろかった。愛嬌がありクソばかりする。途中何度も葉っぱを食べるため止まる。しかし、急坂をまっすぐ人とものを乗せてかなり早く歩くのには仰天した。

Why is aka`s village on the hill?

May be for their custom don`t no well」ガイドのローも良く理由がわからないらしい。

  ちなみにローはわずか16歳、英語,タイ語,アカ語、ヤオ語に堪能で象まで操る。身長一五〇センチちょっとのあどけない少女だった。「カドカワは大学まででているのになぜ英語が下手なのか」となんども尋ねられた。中卒の彼女に何も言えなかった。確かに英文読解能力は低かったが、発音はカドカワより数段上である。タイの働く女性の逞しさを見る思いだった。

   アカ村の家は高床式で家の下はブタやにわとり,羊が走り回り臭いもすごかった。村に着いたのはもう夕暮れだった丘の上なので熱帯に沈む夕日がなんとも言えず美しかった。

  「Hi,」三十五歳くらいの白人が近づいてきた。しかし、様子が変だった。ふら付いている。顔が見える距離になって角川は背筋に寒い物が走った。目の焦点が合っておらず、いや、なにか幻想を見ているような目をしている。しかも千鳥足である。

Are you ok?」

答えない。発音が悪いのか。いや自己陶酔していた。

Happy,happy,,,,,,,,」と言ってその場で寝込んでしまった。角川は酒に酔ってるのかとも思ったが、いやな予感がしていた。

  夕食の準備ができたとローがいう。

数種類の幼虫の揚げ物が、いぶした葉っぱと並んでいる。焼ブタが妙な味で並んでいたのでそればかり食べた。まずかった。ローと同行しているシンガポール国籍のマレー人の夫はこの幼虫を食べた。しかし、華僑の夫人と角川は共に顔をしかめていた。

  その後アカ族の民族衣装の村の女の踊りや民芸品の即売がおこなわれた。そして、その後だった。火鉢とキセルが運ばれきた。三人のアカ族の男がキセルに何か粉を詰めて吸い出した。「たばこか?」しばらくして三人の様子が急変した。さっきの白人と同じ状態になった。寝転んで目はどこを見ているのかわからない。何かつぶやいている。角川はやっと事態を飲み込めた。この村はアヘン窟なのだ。丘の上にあることもうなづけた周囲から隔絶できるからだ。ローに確かめた。

「オーピイエム!」知らない単語だ。ポケットにあった小型の英和辞典を引いた。やはりアヘンだった。

  「You want smoke?」値段は格安だった、日本円で数十円といったところか。角川はもちろんNo thank youと答えた。ローに吸ったことがあるのか尋ねてみた。怒ったようにNoと答えた。彼女はビジネスに徹しているようだった。

  つづいて、彼らの一人が別の粉をキセルにつめて、吸いだした。

「マリファナ!」と彼らはいう。

今度はマレー人の夫が婦人の静止を聞かずに吸い出した。

OkNo,probrem!」確かにマリファナは禁止されていない国もあるほどだから

効き目が弱いのか、アヘンのように自己陶酔状態にはならないようだ。

他の二人はうわ言ばかりいいだした。ローが言うにはこの村ではこれが唯一の楽しみで、彼らはだいたい四十代で身体がぼろぼろになって死ぬと言う。

  角川は写真を撮らせてくれるよう頼んだ。麻薬は重罪であり難しい。しかし、チップをもらえれば、アヘンの粉を撮らなければOKと言う。これもビジネスのようだ。角川はチップと民芸品の代金を払い写真を撮った。しかし、アヘンの異様な臭いが我慢できず外のテラスに出た。

  他の家を見るとどこからも煙が出ている。みなアヘン窟と化していた。隣の家でも白人数人がテラスでキセルを吹かして分けのわからない事をつぶやいている。別の家ではテラスで男女が交わっていた。陶酔しきった声を出して。ふと、先ほどの白人が角川のテラスに上がってきた。

You! Chinese?

No,japanese

といきなり

I want to fuck  Japanese girl,beutiful! beautiful!」目は例のよってどこを見ているのかわからない。角川は戦慄を覚えた。

  しかし、暴力を振るう気配はなかった。あたりまえである。ここにはただ同然のアヘンがいくらでもある。禁断症状など出るはずはなくみな陶酔しきっている。

  そこで、勇気を出し、なぜアヘンを吸うのか聞こうと、しばし彼と会話をした。彼はニューヨークのタクシードライバーで毎年一ヶ月ここにアヘンを吸いに来ると言う。残りの十一ヶ月はただアヘンをアメリカで買うのとここに来るためにあると言う。ここに現地妻もいて、中国人系だという。アカ族は色は黒いが顔立ちは漢民族と変わらない。

  アヘンを吸ってやるセックスは最高だとも言う。

  でも,日本人はもっときれいでとにかくセックスがしたいらしい。しかも,一緒にアヘンを吸いながら。そして、角川に日本に行ったら家に止めて案内してくれと言い出した。

「冗談じゃない。こんなヤクチュウを泊められるか」しかし、相手はヤクチュウである禁断症状はないとはいえ、幻覚が発生するかもしれない。刺激は厳禁である。  角川は日本ではアヘンなど公然と吸えるところはなくアカ村のような場所はないと断った。しかし、とにかく日本女性としたいとばかり言う。しかたなくソープランドについて教えてやったら是非行きたいと言ったが最後、うたた寝をはじめてしまった。そうすると現地妻がやってきた。彼は気を取り戻した。そうかと思うと、角川の前でその女性と行為をはじめてしまった。アヘンをやると羞恥心がゼロになるようだ。そこら中で行為が行われている。

  うめき声とあえぎ声、そしてヘラヘラ笑う声と色のついたような臭いの煙!

  まさにこの世の地獄だった。

  「アヘン窟! アヘン窟を見に行ったの?」

「別にアヘン窟が目的で行ったんじゃないが、結構このパターンでアヘンの常習者になる旅行者が多いらしい。帰りのいかだであった日本人のフリーカメラマンがそう言っていたよ。」

「苦しみない楽しみなんてないわよ!絶対的幸福境涯は戦い切った後に得られる

のよ」彼女は戸田会長の言う絶対的幸福境涯について説明した。

「でも、このタクシー屋さんは十一ヶ月の苦労の末にアヘン窟にくるんだぞ、苦しんだんじゃないのかな?アメリカでは麻薬で三回捕まると終身刑だからな。」角川は少し意地の悪い質問をした。

「スリーストライクアウトのことね。......わっかた!そう正法に向かって努力しないと無意味なのよ。正しいことじゃないと」

「じゃ、アヘンは悪いことなの?誰も迷惑していないぞ、身体がぼろぼろになるのも好きでやっている」さらに意地の悪い質問をした。

  確かに幻覚や禁断症状が出なければ他人に迷惑をかけるわけではない。しかし、麻薬は悪いに決まっている。それをなぜかと聞く。涼子は少しうんざりしかけたが「彼はこうして思索を巡らし、信心の疑問を解いて来たんだ」と感じ自分も挑戦しようとした。

「とんちね、悪いことじゃないかもしれないが全く価値がないから正しことでもない。正しいことをしない、やらざるはすなわち悪と同視よ。牧口先生が言われているよ。」

「全くそのとおりだと俺も思う」涼子の鮮やかな答えに感心した。

  

  ちなみに法的には麻薬は社会秩序を破壊するから悪いことになっている。しかし、それなら程度の差こそあれ酒だって博打だって同じはずだが、なぜか麻薬はどこでも重罪である。中国やマレーシアでは死刑である。社会秩序を理由に刑罰を科すことは戦前の治安維持法のように危険性を伴うが、歴史的に麻薬だけは特別の様だ。社会を根底から破壊する。事実清朝末期には人口の一割(二割ともいわれる)がアヘン中毒となり清朝滅亡そして大動乱の一因となった。

  たいていの人はアヘンなど絶対に手を出さないという。しかし、酒や性交やグルメには苦しみのない楽しみを求めていることあるのではないか。そう思い角川は言う。

「酒自体を目的に飲むとアヘンと同じになるぞ?」

「確かに私は酒豪だけど酒には飲まれていないわ、酒を道具に元気をだそうとするだけよ!」酒豪であることを自認し彼女はきっぱりと言った。

この男性顔負けの強さが彼女の魅力の一つである。

角川は飲み比べをしたら、この半分の体重しかない涼子に果たして勝てるのだろうかと苦笑いした。

「話すのも少し疲れた。ビールでも頼もうか?涼子は飲んだ方が過激で面白いし。それに俺が先輩ということでで遠慮が未だ残っているみたいだから。」

やがて、この対話の席上にビールが運ばれた。

  心の中の対話である何でも自由自在なところがいい。

 

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   第四章 人生の楽しみ  終わり