肌にまとわりつくようなぬるくてぶよぶよした水面から顔を上げると、正面に、楽しげに笑うオマエの顔が見えた。隣のスペースにはしっかりとアイツが収まっている。
 そこでオレは、オレとアイツの決定的な違いを理解した。オレと一緒に居る時、オレはオマエをこんなに綺麗に笑わせることなんて、出来なかったから。

 今頃気が付くなんて。

 おかしな水に長く浸かりすぎた所為かな?
 まったく、オレは何処まで馬鹿になったんだろう。

「よーし。皆、プールから一旦上がれ。」
 何時だって異様にテンションの高い体育教師の声がして、水からわらわらと這い出していくクラスメイトたちを眺める。
 例えばオレ達が魚だとして、この水槽は居心地が悪すぎる。そしたら次は、どんな場所を求めて泳ぐんだろうか。

 もっと広い世界?
 珊瑚や海藻が漂う、美しい世界?

 −−−−だとしても。
 オレは一人、この塩素とカルキの臭いが入り混じった息苦しいプールで、ずうっと泳いでいる気がする。

『オレ、長谷川の泳いでる姿がイチバン好きだな。』

 そういえば、オマエと初めてキスしたのは、ここだったよな。
 雨の中、喧嘩したのもここ。
 制服のまま飛び込んで、夢中になって抱き合ったのも、ここ。
 未練がましいかな?オレ。
 この場所が、なんだかすごく愛しいんだ。

「どーした長谷川ー!そんなにプールが好きか?水泳部ー。」

 頭上から、体育教師の間延びした声が聞こえる。
 周囲からはどっと笑い声。
 気が付くと、プールの中はオレ一人になっていた。

「長谷川ー!!なんか芸見せろー!!」
「バタフライ!バタフライやれよ!!」
「いや、ここは得意の高速クロールっしょ!?」

 舌打ちして、五月蝿いヤジを無視して縁まで泳ぐ。
 意識したわけじゃないけど、チラッと見た視線の先で、オマエの目もこっちを見ていた。隣には、狂犬みたいに鋭い目つきでオレを睨むアイツ。

 いいだろう。

 プールから上がると、そのまま飛び込み台から勢い良くジャンプした。遠い歓声と、オマエのイメージが交錯する。
 オレの腕の中で泳ぐ、白い肢体。
 不安げに揺れる、濡れた瞳。
 優しい言葉の一つも、満足にかけてやれなかった。不器用に、ただ、求めるだけ。
 綺麗で、頼りなげな魚には、オレの腕の中は居心地が悪すぎる。

 いい思い出なんて、オマエには無かったかもしれないけど。
 せめて最後に、好きだって言ってくれた姿を。

 あっという間にたどり着いた25メートル先の壁。周囲からは、ヤジと歓声が響いている。もう一度、オマエの顔を見たら、その瞳はなぜか揺れていた。

 間違ってなんか、ないだろ?
 オマエには、アイツの広い腕の中のほうが似合ってるよ。
 オレの住む世界なんて、この小さな25メートルのコンクリートの中。
 こんな場所じゃ、オマエをダメにしてしまうだろ?

 今更だけど。
 好きだったよ。

 微笑んで、濡れた瞳を見つめる。
 驚いたオマエの顔。
 オマエと付き合ってたとき、こんな穏やかな気持ちで笑ってやってれば、少しは状況も変化したかな?

 こんな時に気が付くなんて。
 やっぱりおかしな水に長く浸かりすぎた所為だ。
 まったく、オレは何処まで馬鹿になったんだろう。

 そのままプールから這い出たけど、オレの身体には塩素とカルキの臭いが染み付いていて、とてもじゃないけど他に住む場所なんて探せそうになかった。
 それでも、本気で恋をしたこの場所を愛しく思ってるオレは、やっぱりもうダメになってるのかな?

 はるか遠くで一匹の白い魚が綺麗に光るのが見える。
 
 これからは、どうか。
 綺麗な笑顔のままで。

 願いをかけた水面は、太陽の光を反射して、今までで一番、キラキラ輝いて見えた。


 今更だけど。
 好きだったよ。



fin.


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