母病死の直後、五歳と二歳の我が子を残し、
召集された父。

 熾烈な戦場の戦火の中、終戦の日まで生き
延びた父。

 やっと、帰れると思ったのに。
 ソ蒙軍に拉致され、シベリア抑留のために
連行されたという。

(単行本/246p)

(この本は全国の主な図書館で所蔵してもらっています)

「父の詩 母亡き幼子残し応召の補充兵」 目次

小説

うた

母亡き幼子残し応召の補充兵

 十二 父の生死が不明

 十三 父の妹夫婦の突然の来訪

 十四 父の妹夫婦に引き取られる

 十五 父の妹夫婦の元で暮らす

 十六 父の妹夫婦に初めての赤ちゃん誕生

 十七 暮らしの浮き沈み

 十八 父の死亡告知書が届く

 十九 父と母を含む先祖代々のお墓を建てる

 二十 六十五年ぶりに、父の上司、八木隊長の
     消息が判明

二十一 六十三年ぶりに、父がシベリア抑留のた   
     めソ蒙軍に連行されたことが判明

 一 父の生い立ち、母の生い立ち

 二 父と母は恋愛結婚

 三 満州国から内地へ帰国

 四 太平洋戦争勃発

 五 母が病死

 六 父、召集される

 七、父の上司、八木隊長から軍事郵便

 八 父が負傷し、入院

 九 岡山大空襲

 十 太平洋戦争、敗戦で終わる

十一 亡母の弟が復員








        

父の詩




















































  父が遺していった遺品(いったんは祖父母が預かり、私が小学校高学年になった時、
 譲り受けたもの)

   

     
   
     家族四人の最初にして最後の写真(満州の大連から帰国した記念に写したようである。
    昭和16年5月20日、岡山市内の百貨店「天満屋」にて)



  家族四人の最初にして最後の写真(昭和16年5月20日、岡山市内の「後楽園」にて)


   

     名刺からすると、仕事は、大阪市東区高麗橋にある大阪海軍監督官事務所の会計室
    で働いていたようである。

 
 
  
  演習召集令状(演習召集ヲ命ス。昭和17年3月25日、29日の午後6時、平野国民学校に参着
 すべし)


 
 
   錬成運動通達書(昭和17年8月17日、午後7時30分に平野国民学校に出頭すべし。8月7
  回、9月7回出頭している)


 
  
   教育参集ノ件達(昭和17年9月20日から27日まで、午後6時半に平野国民学校に参集を命
  ず。毎日のように7回参加している) 


 
  
   昭和17年9月28日からは、町会の役員をおおせつかっていたようである。



 

   演習召集令状(昭和18年3月21日午前7時、平野国民学校に参著すべし)


 
  
   昭和十八年度簡閲点呼軍事教育ノ件達(昭和18年4月10日から7月31日まで、毎土曜日、
  19時30分から軍事教育実施に付き、参加すべし)


 

   昭和十八年度簡閲点呼軍事教育ノ件達の裏面(父は、4月10日から7月18日まで出席して
  いる。母が6月28日に病死したが、病床中の6月26日も、6月29日の葬儀後も、7月3日から
  出席している)


 

   昭和18年6月29日の母のお葬式に、母が重病になってから預けられていた岡山県の円城
  村の合田家から祖母と二人駆け付けた。


 
 
  簡閲点呼豫習教育ノ件達(昭和18年7月18日午前7時、平野国民学校に参集ヲ命ズ。この日
 で軍事教育を終了し、召集令状をもらったようである。服装についての指示の中に「頭髪ハ召
 集入隊スルノ堅キ決意ヲ表明スルタメ短カク理髪スルモノトス」となっている)


       
   
     入っていた父の爪と髪の毛は、昭和36年7月、念願の「嶋崎家先祖代々の墓」を建立
    し、お墓の中に納めた。



 終戦後四年程たった昭和24年7月、突然訪ねてきた叔母(父の妹、山口春子)からもらった
写真(この時点で、父の消息は不明であった)。


      

      
      

       写真の裏面には、父の字で「昭和19年6月4日 於 奉天病院」と書かれている。その
      横に伯母(父の姉)の夫、三浦和夫がメモをしたためている。
      「 昭和19年6月23日 再度出征の途中 
       天津にて受け取る 三浦 
       丸々と肥え元気らしい兵隊になってゐた。若し戦死の時は 
       子供を靖国神社へつれて来て呉れと云った。 しっかり覚悟
       しての再度の出征と思ふ。」 



 終戦後12年程たった日、福井県知事から届いた昭和32年8月3日付けの死亡告知書


  
  
    「昭和20年11月5日時刻不詳 中華民国黒河省愛琿県黒河第二病院で戦病死と認定せ
   られましたので御通知致します。」となっていた。これは、政府が、長い間行方不明なって
   いた軍人の戦後処理を行ったものであると言われた。この時、私は、大阪府富田林市に
   住む叔母、山口春子夫婦の下で暮らしており、志望大学受験に失敗し、浪人生活をさせても
   らっていた。


 
 終戦後63年たった平成20年9月、父がシベリア抑留のためソ蒙軍に連行されたことが奇跡的
に判明したが、その根拠となった手記が載っている本『春三のあしあと 北支派遣独立歩兵第
三十三大隊』(表紙)


  

    この本の中に「抑留」と題する高橋兼城氏の手記が302頁から339頁にわたって掲載され
   ている。父の所属した北支派遣独立歩兵第三十一大隊のことも語られており、父の行動が
   手に取るようにわかる。この手記を探し出して下さったのは、公益財団法人偕行社の大東
   信祐氏であり、どんなに感謝しても感謝しきれない(この本は、靖國偕行文庫と山梨県立
   図書館が所蔵している)。


 高橋兼城が上記の手記に加筆して出版した本『我が青春のあしあと モンゴル抑留の記録』
(表紙)


  

   2009年1月15日、初版発行され、国立国会図書館、京都府立図書館、川崎市立麻生
  図書館、貝塚市立図書館等が所蔵している。

  



                            
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