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SORA−HANAにした理由
   
SORAは空、HANAは花。
 実はどちらも私の持つメルアドのアカウント名だったりする。今回HP作製にあたって色々新しく入れてみてもすべて既に所得済みされていて、ええいと思ってこの二つをくっつけたら通って、決まりという訳。 で、自分のHNを「そら」にしたのは、一時期この名前でメールしてたことがあって、気に入ってるから。
 空はただ眺めているだけでほっとする。特に青空。何故か、小さい頃やほんの数年前までは空を見上げては時々「帰りたい」と思ってた。 ここにいてもしっくりしない感じがどこかにあった。 何故、帰りたいなんて思うんだろう。 よその星から来た訳なんだろうか?! でも、生まれ変わりを信じる私は、そんなこともありのように思う。 といって、よその星の記憶があるわけではないんだけどさ。。。。 でも、もしせっかく来たんなら、楽しもうと思ってる。
そうそう、ある人のエッセイにあった考え方が気に入ってる。
『地球は遊園地だ』って。
「地球は巨大な遊園地。何に乗って遊ぶのもあなたの自由。ジェットコースターに乗ってスリルを楽しむも良し、お化け屋敷に行って恐れを感じるも良し、メリーゴーランドに乗ってゆったり楽しむも良し。何も乗らずにいてもいい。何度だって乗ってもいい。それが嫌になったら変えたらいいだけのこと。」というような内容。 結局、人生はこんなもんなんだと思う。 どうせいつか、「宇宙ーそらー」に還れる。
それまで大いに楽しもう!と思うとります。
 花はもちろん咲いてる花も好きなんだけど、喜納昌吉さんの「すべての人の心に花を」から。とってもいい歌です。私は自分の核というものに興味がある。自分の本質というのかな。結局私という人間はなんだろうということ。それを、喜納さんは花で表しているように思う。「いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ」と唄っている。そして、花はまた、愛なんだと思う。すべての人の心には花があると私は信じていたい。。。。いろんな意味のこもった花だけど、そんな自分の花もいつか咲かせたいなあと。
 そんな意味があってのSORA−HANAです。皆さんよろしゅうに! 

  


自分というもの
    毎日毎日自分の思いを日記という形でHPにとばす。そうしている人がジオシティだけでも日記の街に約6千人居る。インターネット全体で見たらその数は何万に上るだろう(何十万かな?)。自分の思いを様々な形式で打ち出すどれ一つとして同じものがないHP。それが私達一人一人の個性だと思うとその多様性に改めて感動する。皆がHPという形を借りて、自己を表現している。その目的は何であれ、その思いは「私はここにいる」という表明ではないだろうか。
現実の私を知らないHPだからこそ本当の自分が出せる人たち、HPだからこそこんな私を出そうという人たち、HPだからこそ思いをうち明けたいという人たちはいると思う。それで良いんだと私は思う。人は一面性だけでは語れない。
  自己の多面性を認識することで人は生きることが楽になれるように思う。明るい自分もいれば暗い自分もいる、優しい自分もいれば冷たい自分もいる、寛容な自分もいれば厳しい自分もいるむちゃくちゃ利口な自分もいればむちゃくちゃ馬鹿な自分もいるetc.etc.。それは時として、状況によって変わりうる自分だ。色々な自分を認めないと苦しくなる。人の理解は人間はそもそもそんなにいい人にはなれていない事を知ることからのように思う。そして色々な自分を楽しめるくらいでいて良いと思う。
  ありのままの自分を見つめ始めたとき、人は自分の中に多くの多面性を発見すると思う。私もそんな発見の毎日だ。自分をめっちゃいい奴と思うときもあれば、なんてやな奴と思うときもある。開き直るわけではないが、それが人間って奴なんだと思う。だから、毎日が楽しかったり、嬉しかったり、苦しかったり、哀しかったりする。それは私という人間の中に多面性があるからだと思う。それらがどれ一つとしてなかったら私は今ここにいる『私』という人間ではない。だからそんな部分すべてを私は認めていきたいと思う。 だから日記には色々なことや思いを書いていきたい。それは私が自分を見つめる作業であり、公表することでそんな私がここにいることを知って欲しいから。そしてこれを読んでくれている人とも色々なことを話していけたら嬉しいと思う。私じゃない『あなた』がいることを私は感じたい。。。。。
  もちろん人は日々変わりゆく。その多面性の一部分が強調されたり、消えたりと変わっていく。その変わりゆく中で変わらない『私』がいる。多面性の中心にある変わらない自分の本質を私は見つけていきたい。 



大切なこと
   
  ただ時が流れるのを見る。
それだけのことがなかなか難しかったりする。自分が何をしたらいいか分からない。これでいいのか分からない。結果を考えずにやってみること、そしてあとはただ時が結果を出してくれるのを待つこと。その結果がすぐに見えないかもしれない。それでも時が流れるのを見たい。
 時々こんなふうにしていると、思わぬ所で解決の糸口が見えたり、解決したりする。そんなとき、なんだかじたばたしても始まらない、何か大きな流れがあることを感じる。結局何とかなるものだという考えが私のどこかにある。実際今まで何とかなってきた。だからこれからも何とかなるに決まっているという思いこみ。でも、そんな思いこみがあって、なんとなく回るならそれはそれでいいんじゃないかなと。
 私に必要なことは、「これから」を信頼すること。そして、何が起きても大丈夫な私がいることを信頼すること。


アメリカのテロ事件に思う
    毎日、テロ事件後の世界の行方が気になっている。このことについては色々な情報が飛び交っている。友達と話す話題にも必ず上るほどだ。これだけ世代を問わず話題に上がり続ける事件もすごいことだ。自分さえ良ければいいと世界のことなど関心のない人々さえもが、注目している。この事件は正に自分が世界とは無関係ではあり得ないこと、その世界のために何が出来るかを多かれ少なかれ考えさせる契機になったと思う。 今の私に出来ることはこの動向を静かに見守ること、そして、平和のため祈ること。 そして実質的には寄付など出来ることをしていきたいと思う。 今日、登録しているメルマガの中で紹介していたのが下記のサイト。
グローバルピースキャンペーン 「アメリカの新聞に平和の全面広告を出そう」
http://www.peace2001.org/
ということで、退役軍人の方のブッシュ大統領への手紙をアメリカの主要新聞に広告として載せようという活動を知った。 その中には、このことに賛同した人達の思いや意見が多く寄せられている。 この活動に賛同するしないは別だけど、ここに寄せられている人達の手紙や意見を読んでいると、まだまだ世界は捨てたもんではないと思う。 情報に惑わされず、自分のハートで感じることが大切だと思う。 多分このほかにも色々な活動があるのだと思う。 自分に出来ることは何かを一人一人考えていかなくてはと思う。 と、同時に何もしないのもまた自分のハートがそう感じるのならそれで良いのだと思う。 毎日情勢が変わっている中、流されないで自分を保つことが大切だと思う今日この頃の私。。。。