言葉の抜き書き帳
中山庸子さんの本「夢ノートの作り方」に共感して、作ってみました。
自分の行動、考えを応援してくれる言葉たちを 見つけて、書きつづったものです。
というわけで思いっきり内面的なコンテンツなので クサかったり暗かったり(笑)するかもしれませんが
これを見て元気になってくれる人がいたら嬉しいな。
2002/01/08現在:78コ (まだまだ増えます!!)
「なりたい自分」になろう
どこでも咲ける花になる
好きなことを、好きな場所で。
今、自分のいる場所で行動する。
朝が来るまで泣き続けた夜も 歩き出せる力にきっとできる
太陽は昇り心を包むでしょう やがて闇は必ず明けてゆくから
どうしてもっと自分に素直に生きれないの そんな思い 問いかけながら
あきらめないでずべてが崩れそうになっても 信じていて あなたのことを
本当は誰もが願いを叶えたいの だけどうまくゆかない時もあるわ
希望のかけらを手のひらにあつめて 大きな喜びへと変えてゆこう
愛する人や友達が勇気づけてくれるよ そんな 言葉 抱きしめながら
だけど最後の答えは一人で見つけるのね めぐり続く明日のために
雨に負けない気持ちを 炎もくぐりぬける そんな強さ 持ち続けたい
それでもいつか すべてが崩れそうになっても 信じていて あなたのことを
信じていて欲しい あなたのことを
PIECE OF MY WISH 今井美樹
あなたはあなたがそうであると思っているとおりの人である
完全な円を描く人生もあれば 予想も理解もできない形の人生もある
映画 「メッセージ・イン・ア・ボトル」
無理とあきらめてやらないよりも、やってみて失敗したほうが かっこいいじゃない。
そしてそれは、失敗じゃないんだよ。財産になるじゃない?
まだまだこれからだよ。
つらい時が、登り坂。
成功の鍵はいつでも手のなかにある
言葉は人の心を左右する魔術師である
何でもおもしろがってしまいなさい
嫌なこと、気が進まないことは人生勉強、と思ってやりなさい
人生の兆戦のうち、半分は何かを成し遂げ、成功すること、
あとの半分はやる気を失わせる暗雲と闘うこと
暗い正直より、明るいハッタリ
自己評価は、ひとりよがりではない。
自分より真剣に考えてくれる人がいようか。
最初から完璧はつまらない。
やりながらの試行錯誤こそが醍醐味なのだ。
小さな行動の積み重ねが、あなたをつくる
頭で考えるだけのことは、何にもしないのと同じコトである
恐怖は判断を狂わせる
思いこんだことは、そのとおりになってあらわれる
人との比較ではなく、自分のしたことが好きということ
自分のことを、信じて生きていく。
暴風雨の中にある自分を、暴風雨にならない前に想像することは無駄である
陽気は美徳、陰気は悪徳
人生、笑い飛ばして生きなきゃだめよ。
全力投球しない日々が不安を増大させる
どんなことでも一生懸命やっていると、とてもおもしろくなるものです。
どんな気分でいたか、ではなく、今日一日、何をしたか。
あまりに一生懸命ではだめよ。肩の力をぬいて。
オーケー、今度はもっとうまくいくわよ。間違いなし。
過去に生きるのか?それとも今か?
ふっきるなんて無理するのと同じさ。あるがままを受け入れるのが幸せってもんさ。
それがホントの意味で「ふっきる」ってことなんじゃないか。
不運を味わった人は、幸福のありがたみを知っている。人生の素晴らしさを知っている。
不運な時は、チャンスを生かすための充電期間と考える
背筋をのばしているだけでも、幸せがあなたを見つける目印になるよ。
そんなに自分を責めなくっても、ほんとにどうしようもない時には誰か他人があなたを責めるってば。
もやもやしてるのがイヤなら フトンを噛んで考えて なんかあいつに
期待過剰なんじゃないの
人の心はどうしても 何か足りないけれど そこんとこ 埋めるべきなのは
恋人じゃない 親でもない ねえ そうでしょう
LOVE ME けちってないで ボクはきっと愛をもっと出せる
I LOVE YOU おごらせてるだけじゃ そのうち 誰もいなくなるよ
都合いいモノだけひっぱりだして 自分のウンの悪さを
そいつにべっとりなする癖 ないかい
やりたくないことばかりが 次々と見つかるけれど 消去法でイケルことも
あるらしい
そのうちまあ なんとかなる ・・・ ヘイ、そうだろう
LOVE ME
ピリピリするなら すぐにムッとするの ぐっと耐えて
I LOVE YOU 愛をはきだして それでもカッときたなら Baby、let’s dance
LOVE ME けちってないで ボクはきっともっと愛を出せる
I LOVE YOU 心許して 飽きるまで抱き合ったならなおさら
Let’s give it away けなしてないで たまにゃ海も山も人も誉めろよ
なんちゅうLOVE! 自分の芯から 気持ち良くなりたけりゃ今出して
-----「love me , I love you」 B’z
くるしいことだってあるさ
人間だもの
まようときだって あるさ
凡夫だもの
あやまちだって あるよ
おれだもの
あとじゃ
できねんだよ
なあ
いまのことは
いましかできぬ
やれなかった
やらなかった
どっちかな
その時
自分ならば
どうする
ただいるだけで
あなたがそこに
ただいるだけで
その場の空気が
あかるくなる
あなたがそこに
ただいるだけで
みんなのこころが
やすらぐ
そんなあなたに
わたしもなりたい
相田みつを
つらい現実を忘れていた方が、知らないでいた方が、かえって前向きに生きられそうなものですが、
それは違うのです。
それは、人生を減点法でとらえるか、加算法でとらえるかの違いといえます。
もしも人生を減点法でとらえるとすると、どんなに良いことがあったとしても、
どうせ死んでしまうのだから、何の意味もない、という気持ちが生じます。
それならばあえて苦しかったりつらいことから目をそむけ、
その場その場で楽して生きていったほうがよいという人生観が生じます。
一方、人生を加算法でとらえるとどうなるでしょうか。
どんな人間も老病死の宿命から逃れられないなら、それを事実として認めて受け入れる。
もっともつらいことを受け入れた以上は、それ以後の残された人生はすべてプラスであり、
それを精いっぱい満足できるものにしていこう、自分の全精力を残された人生で何ができるかに
賭けてみよう、ということになるわけです。
どうせダメだから残された力を温存するか、どうせダメだから今ある力をさらに高めてチャレンジするか、
の違いが生じてくるのです。
私たちはどちらの生き方をも選択できるのですが、人間の本性に、どちらの生き方がより近いかを考えるとき、
答えははっきりしているのです。
私たちの本性が喜びである以上、毎日失われ、減点していく自分自身に、
私たちは喜びを抱くことはできないのです。
私たちが喜びを抱けるのは、自分の希望に向かって、前向きに進んでいる時であり、
残された生命をいとおしく味わっている時であり、自分の可能性を広げている時なのです。
前向きに希望に向かえば、自信と成功とが従ってくるでしょうし、
いとおしい時を味わうなら、友情や愛情が従ってくるでしょう。
((中略))
また、加算法で人生を考えるありがたさは、「遅い」ということや「手遅れ」ということがない点です。
減点法では、何か重大なミスやダメージを負った時点で、もう自分の人生に意味はなくなり、
あとは生き恥をさらすだけ、といった状態になります。
しかし加算法では、残された時間自体に意味があるのですから、極端な話、あと数時間で死んでしまう
人だとしても、人生に意味を見出すことができるのです。
((中略))
大切なのは過去ではありません。大切なのは今であり、未来を築くことなのです。
今のあなたに、いったいどのくらいの時間が残されているのでしょう。
1時間ですか、2時間ですか・・・・・・・?
そんなことはないはずです。私たちもいずれは死ぬ身であるとはいえ、
まだまだ多くの時間が与えられているはずです。
たとえあなたが何歳であったとしても、どんな苦しい過去を背負っていたとしても、
最悪の絶望状態にいるとしても、決して遅いということはないのです。
たった一回の呼吸で、たった一言の言葉で私たちは救われる存在でもあるのですから。
イライラは見とおしのなさを示す
自立は依存によって裏づけられている
道草によってこそ「道」の味がわかる
羨ましかったら何かやってみる
-----河合隼雄 「こころの処方箋」
悲しみにしろ苦しみにしろ人生に無駄はない。
乗り越えた時には必ず、人間的に成長している自分に気付くはず。
人生はロクヨンのお湯割り。(中略)
六は自己肯定感。四は自己否定感。差し引き二割の自己肯定感が残ります。
殆どの人は、このほどほどの、自己肯定感の中で生きています。(中略)
二割の自己肯定感というといかにも頼りなげですが、ここで大事なことは、二割であれ、プラスであれば
人は充分な肯定感を得られるということなのです。
でも、人から「NO」と言われたときには、一時的に自己否定感が自己肯定感を上回ってしまいます。
そんなときには一割や二割の自己否定感であっても、気分的には全面的に否定的な気分になるのです。
自己肯定と自己否定は、全く正反対なので、その逆転には、何か劇的なことが起きているように感じますが、
自己肯定感が二割減って、自己否定感が二割増えただけで、こんな現象が起きてしまうのです。
感情にも損益分岐点があるのだと言ってもよいでしょう。
傷ついて、生きている価値がないと思ってしまう絶望的な気分も、このように考えれば救われます。
あと二割の自己肯定感があればいいのですから。
自己否定から自己肯定への大逆転。
一見大変そうにみえるこの心理的変化は、本当は日常の些細な出来事によって得られるのです。
ですから、人から「NO」といわれたとき、一番大事なことは、それを引きずらないこと。
「NO」に「NO」されないことなのです。
「NO」を引きずれば、上回ってしまった自己否定感が更に一割、二割は増えていって、
自己肯定への逆転は更に困難になってしまいます。
「NO」と言われた直後は、自己否定感が強く誰にも会いたくないものですが、
ある程度時間がすぎたら、人前に出ていくようにしましょう。
そうすれば、友人関係や仕事関係や、趣味の世界から、自分の支えになる肯定感を、
二割か三割(これはそんなに難しいことではありません)増やしてもらえます。
人は雑談ひとつで救われることもあるのです。
人は人といることで、生きる自信を取り戻す。
それが、私たちが今生きていることの証なのです。
高橋龍太郎
感情は意志の力で変えることはできない
感情はそれを刺激すればするほど強化される
感情は刺激しなければ時間とともに弱まる
行動によって新しい感情がわき上がる
忘れることが新しい道へ踏み出す一歩である
希望を発見することの上手な人は、生活の上手な人である
どん詰まりの状態になったときに、私ならどうするか、ということをお話ししましょうか。
私なら、自分が最後に下した判断を、絶対に信じる、ということです。
世間には人に笑われることを、しんからいやがる人があります。
しかし、人に笑われるのはそんなにいやなことでしょうか。
何か、とにかく今日から始めようと思うときには、何しろ何にも知らないのに今日から始めるのですから、
よく知っている人から見たら、どこか変てこな、おかしなことがあるに決まっています。
そうではありませんか。
まァ何に限らず、そういうものですね。
しかし、一ぺん人に笑われたら、あとは笑われた者の得だ。
私はそんな風にも思います。
宇野千代
頑張れば、必ずいいことがあるよ。
でもね、頑張らないと何も変わらないよ。
大切なのは過去ではありません。大切なのは今であり、これからの生き方です。
過去がどんなに不満足なものであったとしても、未来もそうだとは限らないのです。
なぜなら未来は今の生き方を変えることで、自由につくり変えることができるからです。
その時、もっとも重要な原理が、
「自分を好きになるには、つねに自分を好きになる言動をとらなければならない」ということです。
自分のことは自分には嘘をつけないので、たとえ、まわりをうまくゴマかせたとしても、
自分では決して自分のことが好きになれないのです。
自分を好きになる言動とは、たとえ不利に思えようが、
嘘でない本当の自分を表現していくことにほかなりません。
((中略))
自分を好きになりたければ、こうありたいと憧れる自分像で語るのではなく、
実際の今の自分から出る言動を大切にすることです。
そして結果は運を天にまかせた状態で待つということです。
相手が自分をどう受け取るかなどのいっさいを天にまかせてしまうのです。
すると、生き方や人生に対する、一種の潔さが出てきます。
結果がどうあろうと自分は自分という潔さがあれば、
私たちは自分自身をもっとも信頼できるようになっていくのです。
((中略))
自分に恥じない言動のその結果を天にまかせれば、結果のよしあし以上に
自分が生きていくことのほうが重大に感じられてきます。
やるべきことをやって結果を天にまかせることは、
自分を好きになり、自分に自信を持つことなのです。
誰もわかってくれなくても、誰も認めてくれなくても、
自分だけはわかってあげられる時、私たちは自分自身をもっとも頼もしく、
力強く感じられるのではないでしょうか。
お洒落は生きていく上での生き甲斐である
上手になるというのはひたすらに続けてするものである
嫌いなことでも、辛抱して、している中に上手になる
習慣が生き方を決める
宇野千代
ともかく
具体的に動いて
ごらん
具体的に動けば
具体的な答えが
出るから
だまっているだけ
だれにだって
あるんだよ
ひとにはいえない
くるしみが
だれにだって
あるんだよ
ひとにはいえない
かなしみが
ただ だまっている
だけなんだよ
いえば ぐちに
なるから
うれい
なみだで
あらわれるたびに
まなこがふかくなり
うれいが
ふかくなる
相田みつを
完璧に忘れるなんて無理かもしれない。忘れられないことにまた苦しむかもしれない。
それでも思い出す回数、思い出すたびにえぐれる傷、それは少しづつ、少しづつ薄くなっていくはずだよ。
ここまで大きなことじゃなくても、今までも、そうやって生きてきたでしょ?
だいじょうぶ、あなたは回復できる力を持ってる。
いいじゃない、自分でわかってるんだから。
いいところも沢山あるんだし。
主よ、
変えられないものを受け入れる心の静けさと、
変えられるものを変えてゆく勇気と、
その両者を見分ける英知を与えたまえ。
完璧に表現しようとしなくていいのだ。
絵もそうだが、言葉もそうだ。
10伝えたいことがあっても、
伝えられる側からすれば、そのうちの2か3くらいで、
結構相手の言いたいこと、伝えたいことはわかるものなのだ。
考えてほしい、変わってほしい、そのために私の話も聞いてほしい、と私は思っている。
そう思う以上、私は聞いてもらえるような話し方を考えなくてはならないし、
周囲に変わってもらうためには、私のほうがより働きかけなくてはならない。
変わることに相手が納得できるような働きかけ方を考えなくてはならない。
その難しさに、フーフー言いながら、私は声を発する。
気楽に、自然に行こうよ。
自分にそう言い聞かせて、ついつい肩に力が入りそうになる自分をおしとどめている。
臆病者が目をつぶって刀を振り回さないように、
自分にできることを超えて走り出さないように、
家族の顔を思い浮かべ、あのおばさんの言葉を思い出すのである。
姜 信子 「かたつむりの歩き方」
自分に自信をもつとは、自分を自分が思っている以上に評価しろということではない。
そして、周囲に馬鹿にされないように強い自分を装うということでもない。
自分の言葉、行動に責任をもつ、その覚悟をもって生活するということだ。
口から発する言葉ひとつひとつに責任を持つのだ。
そうすれば自然と、堂々と自分の考えを語れるようになるはずだ。
よいことはすぐ言い、悪いことは明日言いなさい
どんなことにも 2%ぐらいは、イヤなことがある。
THINK and ACT
希望と挑戦
時間は限りあるもの。
その中で、ひとつずつやっていくしかない。
バランスを保ち、自分を保ち、
足元をしっかりと踏み固めて一歩一歩進んでいくのだ。