「月姫 〜彼我の零距離、キミとボク〜」



第4夜 紅玉の月姫
 
 そこは白い牢獄、運命に翻弄されたものたちが己の闘いに身を投じるところ。
 平たく言えば、とある大学病院。白に包まれた巨塔を闇夜が包む。
 満月。月の綺麗な闇夜の邂逅。当たり前に出会っていた彼女とのそれはありえないはずの出会い。夜の闇に浮かぶ深紅の眼が綺麗としかいえなかった。
 恋とか愛とかを三段とばしくらいして、恐らく本能で欲した。多分、それは朱き命の輝きそのものだったんだろう。
 本当に酷いことをしました。泣かれてから自分の行いの全容に気が付いて頭の中がサンバルンバを踊って大変でしたから。自分の病気のことを聞かされて混乱して以来の別の意味でのパニック。
 修羅場がボクを待っていたに違いない。
 今でもそれを思い出すと、どうしてあんなことをしたのかを思い出せるのが怖いところ。
 理由はあってないようなもの。でもちゃんと有るんです。
 誘われたとしかいえないけれど、それに抗わなかったのはボクの罪です。
 後に散々謝って許されたことで、大分救われたがもし許されていなかったら今でも恐らく罪の意識を引きずっていたと思う。
 アレはそんな出来事だった。
 普通に健康な人生を送っていればついぞ経験することの無いありえない「彼女」と「ボク」の出会いと経験だった。

 うっすらと開いた瞼の向こうに、今まで見たことも無いような不思議な色合の瞳がのぞく。
 「紅の瞳」それは本来、人が持たざる美しさ。

 ご存知の通り、病院の夜には看護婦さんたちによる巡回が有ります。
 その合間を縫っての訪問。丁度この日はボクも彼女も薬を使っていない日だった。
 身体に倦怠感は無く、素早さの面では、朝まで普通の子どもと遜色ない動きができるだろう。
 勿論、看護婦さんたちの動きは事前調査済み。後、一時間はナースコールが鳴らない限りは大丈夫。
 しかも、自分が抜け出していることがばれないような工夫をしている(後に聞くと、看護婦さんたちにはバレバレだった)。
 時間確認のための目覚し時計とプリンの入った箱を紙袋に入れて持ち歩くという、トイレに行くという行為とはおおよそ無縁の格好での深夜のお茶会へと向かったのです。お茶は無いけれど、お茶会。変な感じだ。
 既に事前打ち合わせは出来ている。
 何でこんな時間なのかは、丁度おなかがすきそうな時間でも有るし、何より病院内は「間食禁止」だからだ。OKですか。
 食べたら口をゆすげば大丈夫でしょう。気になるなら即歯磨きです。
 例え、虫歯になってもここは病院。
 歯医者さん完備だから、酷くなる前に治ります。ドリルの音が「いやぁ」だけれど。 
 そういう覚悟の下、ボクと彼女は深夜のプリンを食そうと秘密の計画を立てたのです。

 唯、彼女は部屋から出ることはほとんど無いし、常に点滴をしている。
 だから、日付変更線をまたぐかどうか時間にボクが彼女の部屋を訪れるのは当然のことだった。
 しかも今回は母が気を利かせて、プリンを持ってきてくれていたので、それを持参する。
 彼女も滅多に食べないけれどプリンが大好きなんだと嬉しそうに話していた。
 途中から夢見るような視線を遠くに投げかけ、プリンを妙な抑揚をつけて呪詛をかけるように呼んでいた。「よっぽど好きなんだなプリンが」ということが怖いくらいよく分かった。
 というわけで、事前に、彼女の分もお願いして買ってきてもらっていたのだ。
 
 ご存知の通り、病院での栄養管理は完璧に成されている。
 病院食はまずいまずいというがそれはその人の舌が肥えているか、バランスが乱れているからだと思う。
 あんなもの感覚に慣れれば、普通に美味しくいただけるものだ。
 むしろ、術後などの病人食ならともかく、通常メニューはアレルギーでもない限り栄養のバランス良くかつ満遍なく出される。
 別に患者に痩せてもらうためにでも、太ってもらうためにでもなく調理された料理は分量もいわゆる適量で、味付けもどちらかと言えば薄め。
 当然、デザートというものには給食以下の縁しかない。果物になら縁はあるけれど、ね。
 そんな環境下、甘いものは強烈な魅惑的香りを放つのである。

 時間を見計らい、看護婦さんたちが通り過ぎたのを見計らい、さらに見付かっても大丈夫な看護婦さんが次の巡回に来るだろう事を確認してから、彼女の病室をそっと開いた。

 くることは予告していたが、彼女はやはり寝ていた。
 とても綺麗だった。死んでいるかのように安らかな寝顔。呼吸のたびに僅かに上下する起伏の無いパジャマの胸部分の生地の動きで生きていると自覚する。
 わかっていたことだから、彼女を揺すっておこしてみる。

 夜中に彼女に会ったのは初めてのことだったから。
 ボクは容易にその瞳に魅入られた。始めから最後まで綺麗だとしか感じられなかった。
その瞳は緋色。夕焼けより朱きもの、血の巡りよりも紅き者。
 白い肌と色素が極端に薄い繊細な髪がかすかに大気に揺れる。
 月の光、銀とも白ともつかぬ光、月はクリーム色に近い銀なのにその光は寒々しい銀色、そこに浮かび上がる相貌、そこにあって確かに朱の光の放つ双眸。
 赤色、紅、朱色。
 ガーネット、ルビー、スピネル。宝石にも例えられよう。
 その緋色の瞳を例えるだけの語彙をボクは持っていなかった。今でもそうだ。
 唯、あの時感じた思いを言葉にして他人に少しばかり伝えることができるだけの力ならば何とか持ち合わせていると思うが…。

ただ一ついえるのは、それは怖気が立つほどに美しい瞳だった。
 はじめてみるそれに息を呑む。置きぬけの彼女の緋色の瞳が開き、彼女の頬を染める赤、血の紅が広がってのが分かった。
 くああっとあくびをして、むーっと伸びをする。ふみゅっと言いながら頭をゆっくりと振る。
 眼をこする様でさえも何とも愛らしいその動き。
 そうした一連の行動の後、うっすらとぼんやりした顔をして、その血の流れそのものの紅い唇が笑みの形を作る。
 彼女は微笑んでいた。ボクのために。

 彼女の目は正確に言うと深紅ではなく、少々ピンク色にかなり近い赤だし、光の加減でブラウンに近い赤に見えることが有るが、月の光と少々の灯りに照らされる彼女の瞳はそこでは紅だった。
 まるで月の寵愛を受けているかのよう。
 それは、彼女に流れる命の証がそう見せているのであって、障害といえば障害だが、人よりも少し変わっているのだといえばそれだけのことだのに、だ。
 白金色の髪に紅の瞳、そして朱に染まりやすい血管が透ける雪以上に真っ白な肌。
 その白い皮膚の下に、柔らかい肉の中に。
 流れる生命の象徴を。
 命の泉である、血液の流れを。
 一瞬だけれど、欲しいと思った。異常と言う言葉がぴったり。
 だから私は異常者の心理をほんの少しだけ理解できるのかも知れない。
 ある程度行くと完全な唯物論だけれど、その導入部は心理学か感覚的に理解されているところだ。

 紫外線を浴びれないため、ビタミンなどの補給が欠かせない彼女は元来あんまり骨が丈夫ではないらしくしかもその肌自体もとっても薄いらしく、触ると普通の人よりも敏感に反応を示すし、痛みも感じやすい。
 昼寝から醒めた彼女を見たことがあるが、今の彼女は昼間の彼女よりずっとどこか倒錯的な、幼ささえも内包した美しさをもっていた。
 昼間の彼女はほお擦りしたい可愛さで今の彼女はもっと別の可愛さなのです。
 
 それがなんなのか、どういうものなのかを躰の深い部分で感じているはずなのに、魅入られたように引き寄せられた。
 
 その新雪のように真っ白でくもりのない肌になら、容易に自分の証を刻むことが出来るだろう。
 点滴が通っている彼女の左腕のわきの下に手を廻し、ぐっと抱き寄せる。
 しびれたり痛くならない程度に服の裾を握れるように仕向けるのも大切なところ。
 検査器具にあたらないように自分から身体を彼女に傾けるのが、苦労するところです。だってお互い病気で普段の力の半分も出ないからその加減には多少の武道に対する心得かもしくは馴れが必要です。
 この一連の事柄が入院患者の正しい抱きしめ方だと、ボクは思う。
 そんな事知ったところでどうしようもないし、本来全く必要ない知識ですが。
 ビックリしたという彼女。ボクも正直ビックリした。
「また、倒れるかと思ったよ」なんて言い訳してみたけれど、果たして通用したのかな。
 起き抜けでふらふらしたのは事実らしいから、それで良しとする。
 相手が嫌いな人でなければ、抱きしめること、抱きしめられることは幸せなことだと思う。
 無理矢理はダメですけれど、ね。その辺は大いに反省するべき点です。
 誰かの温もりが必要な時や、それを求められてる時には素直にそうしてやるのが、本当の人の温かさだと思うのですよ。ボクは。

初出 2004年01月22日(木)
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