「月姫 〜彼我の零距離、キミとボク〜」



第7夜 KISS IN THE DARK

 ※恐らくこちらの規定に引っ掛かるかどうかすれすれのもの。
  苦手な方は此処を読まずに第8夜まで飛んで下さい。(以下反転)

 実のところ、私は初めてのキスのことをよくは覚えていない。記憶と言うか記録では確かにあるはずですが、このキスに比べれば月とすっぽんです。
 はっきり憶えているの想い出は、この口吻のこと。
 銀の月の光と緋色の瞳。キミとボク。ちゃんと調べてはいないが、この日はほとんど満月だった。

 その月に見守られるように、唇と唇が触れ合わさった。
 通じ合った喉の奥から息をのむ感触が伝わってくる。
 唇の先端が重なり合い、お互いの体温が粘膜から伝わってくる。
 小さな子どもにはあまりにも強烈な体験。

 その瞬間、彼女は小さな驚きの声をもらしてびくっと震えた。
 目をカッと見開いて、すぐにぎゅっと瞼を閉じた。

 キスの時に目を閉じるのがマナーだと知ったのは退院してからの話で、そのほうが拠り感覚を楽しめることに気が付いて残念だった。
 まあ、開けているとお互い恥ずかしいし。
 それが好きだって男の人もいるけれど、まあ、それはそれ。

 唇を合わせていた時間はさほど無かったと思う。すぐに離れた。 
 瞬間、彼女は息継ぎをしすぎたような小さな声をあげた。
 こちらを見る彼女の瞳は相変わらずの紅玉、頬が紅く染まっているかも知れないだってとても熱かったから。
 この感覚を至高といわずしてなんといえばいいのか。押さえている頬はすごく熱くて柔らかい。
 吐息を、そして鼓動を感じられる距離。
 
 その幼さで深く色づいた無垢で紅潮した表情は、見ているだけで何がしかの感情を胸に抱かせるのだ。
 親愛の情はもちろん、愛情の類や保護欲だったりと、溢れんばかりの気持ちでボクの中が一杯になる。
 撫でれば心地よく、純真な眼差しは保護欲を通り越して嗜虐心すら涌いて来る。

 自分に微笑みかけてくれる時の表情もお気に入りだが、視力が多少乏しい彼女でもボクを間違いなくはっきりと見ることができるだろうこの距離での表情は絶品だ。

 少しの間だけ彼女の存在を独り占めできる。
 欲張りなのは良くないけれど、これだけは譲れない。そう思えた。
 零距離でキミを感じる。キミはどうだったのだろう。
 
 視線を極力固定したままに、なるだけ音が漏れないように息を吐き、ゆっくりと深呼吸をする。
 吸い込むことができる空気には彼女の体臭と薬の僅かな匂い、そしてその髪の柔らかな匂いが篭っていて、かえって混乱が深まってしまった。
 ドキドキのきわみ。心臓の弱いボクが耐えられるかどうかの瀬戸際。
 全身にじんわりと汗が滲み出してきた。彼女の吐息を感じて、それがいつもより遥かに荒いことに気がついて嬉しくなった。
 彼女が息を次ごうと小さく開いた口をみて、誘われるかのように唇に手を伸ばし柔らかいそれをなぞるように触れる。
 そのたびにジンと痺れるように心酔していく。
 後に言う、好きな女の人を愛撫している時の感覚のそれに良く似ていた。

 それは幼い日のボクには強烈すぎる、だが何にも勝る幸せな酔いだった。
 酔いに任せて、それに溺れる。そのときボクは今までとは違う種類での嬉しそうな顔をしていたと後の彼女はいった。

 この場合、それは狙ってできることではありませんでした。
 逃げる可能性のほうが高かったし、多分ボクの蕩けかけの理性でも彼女の拒否には反応できたでしょう。
 が、時は既に遅かった。
 二度目の口吻の慣行。
 奇跡か時が止まったか、彼女は逃げなかった。
 あの時の感覚は記憶には実は薄れ掛けている。
 でも、やめることを頭から締め出してしまうくらい強烈な経験だったと今でもはっきり言える。
 受け入れることが喜びで、ゆっくりと征服することに酔っていく。
 魔が射したとしか言い様が無いこの先の流れ、上手くできたかどうかは不明、キスって本当はこう言うものなんだと、幼心にとんでもない展開を迎えたのです。
 発展途上国が先進国に一気に仲間入り。まさに聖域無き構造改革です。
 でも、同時にこれは、しなきゃ良かったと思えることでも有ったのです。

 再び、唇を合わせた。抱きしめるよりも深く深く接触できる行為。
 先ほどよりも幾分か時間をかけてゆっくりと感触を味わい、そして合わさった唇を離した刹那、彼女の唇を舌先で舐めていく。
 誰かに教わったわけではないが、やってしまったこの禁忌の行い。
 彼女の吐息が荒くなり、ビックリしたように震えて、逃げようとするのを頬をから顎にかけてしっかりとホールドした手に力を込めて逃さない。
 たんなる口付けが、奪う接吻にかわる瞬間。
 漏れ聴こえる吐息が自分のものかもわからないほどの一体感に例えようの無い興奮を覚えた。

 舐めることをやめて、深く、自重で潰すような勢いで唇を落し、無理にでも口唇を開かせる。
 性急に物事を進めるには訳がある。いつもはほのぼのとして鈴がなるように綺麗な彼女の声を聞きたくなかったのがその理由だ。
 聞いてしまえば、きっと自分は止まってしまう。その確信が有った。
 押し付けるたびにあたるごつごつとした前歯の硬さが妙に心地良かった。
 歯列を割って、内部に侵入していく。どちらとも付かない洩れ聞こえる荒い呼吸とかすかな声がする。
 徐々に舌で蹂躙した口腔の柔らかさ。
 指先で拘束した頬を伝う唾液の粘性を感じる。
 勿論、今舌先が触れている熱くて狭くて、柔らかさ固さが混在するその場所にも同じ液体が溢れてきている。

 制圧した口唇内部を歯列を舌で塞いで蕩けた呼気を肺に吸い込んで息継ぎの代わりにする。
 途端、強烈な痺れが脳を駆け巡る。
 まさに闇の魔法という表現が似合っているこの行為に溺れそうになる。
 暗闇で病院で、お気に入りの彼女と。後に知る背徳感に溢れたシチュエーション。

 口腔のぬめりと、抵抗を弱めこちらの動くがままに翻弄される舌先、力を抜くと、逃げるように蠢く動きに変わるその舌先がちろちろと粘膜の先端に触れてさらに欲望が加速していく。
 それを自侭に絡めとり、吸い出し、音をたてながら舌の裏側までも蹂躙する。

 すすり込む間もなく彼女に送り込まれる唾液が、落ちざまに舌の潤滑剤となって、背中から脳髄にかけてゾクゾクするような痺れる感覚を感じ、知らぬ間に唾液により粘性が生まれていて、自分の分泌した液体を彼女が飲み下す音が、耳に響きさらに身体の内で起こっているその行為がもたらす水音が理性さえも押し流してしまうように頭の中で反響した。
 時折舌を引き戻して、彼女のものも咀嚼することも忘れない。
 人のを飲み下すのは初めてだったけれど、決して不味くは無い自分とは違う味を堪能できた。
 何度かそれを繰り返していくと、何だか彼女と一つになっているよう気がして世界の全てがここに収束していく感覚がした。
 彼女の中を満たし、ボクの中を満たしていくありえざる感覚、征服していくこと、受け入れることの全てが悦びに還元されていき、ボク自身が愉悦に支配されていく。
 唾液に一杯になりながら、溢れてくる欲望を舌で喉の奥に押してやり、掻き出そうとする舌を抑え付けて無理矢理に嚥下させた。
 彼女が押し出そうとした唾液を引き出しては吸い取る。
 ひたすらに唇をぶつけ、開いたところから舌を縦横にかきまわす。
 今まで生きてきた中で一番、生を感じる行為。
 口の周りをどちらのものともわからない唾液で濡らし、表現するのが陳腐なくらいの水っぽくて湿った音と喉が上下する音、そして苦しいけれど甘い吐息だけを聞き入れながら神経を口先に集中する。
 頬を掴んだ手のひらに伝わるのは、内側で口内を荒らす舌の動き、身じろぎした彼女の顔を手の平で挟んで、時折、手を顎に下ろしては、あふれた唾を拭って指先で彼女の頬に塗りたくった。
 歓喜に打ち震える自身と、蕩けてしまいそうな唇、うるさく鳴り響く心臓の重奏的ワルツ。
 感じられる限りの感覚がココロを酔わせ、羞恥心とか彼女に対する配慮を押し出していた。

 押し殺された声のかわりに流れる甘い吐息。
 絡み合う舌先に段々と緩慢さが出てくる。疲れがピークに達し口を開けていられなくなるのを自覚し、最後に彼女の口唇を拭ったそれは、ブレンドされた液体とわずかな塩分。
 月の魔力に狂ってしまったのか。それともこれがボクの正体なのか。
 圧倒的な、絶対的な悦楽を伴う、融化寸前のキスに彼女との一体感を憶えた。
 この人の道に外れた幸せのカタチにしばし心酔していた。
 
 考えればすぐに答えが見えてくる。とんでもないことをした。
 本当の意味でとんでもないことを。
 どのくらいそれをしていたか、彼女の犠牲の上に成り立つ快楽に浸っていた。
 このキスを経て価値観が変容した。何より悦楽を覚えた時点でそれまでよりも違う境地が開けた。
 深い口付け。ディープキスって言う行為。
 抑えがたい口悦は、天井知らずに高ぶりつづけ、次をどんどん求めてしまいそうな口腔内の疼く感覚を最後には理性と生きるための本能で押さえつけ、酸欠になりそうなレヴェルまで来ていた彼女を解放し、僕もまた大きく深呼吸して、太くて間隔の短い息を吐き出した。
 粘質の唾液が離れる間際に、名残惜しそうに彼女とボクの間に糸を掛けてすぐに切れた。
 頭がぼおっとしてくらくらしていく。だけれど、このはじめてはすごく心地よかった。

 秒針が一回りしてもマラソンしたかのように吐き続ける荒い息がユニゾンする。
 それが何回か続いた後、漸く呼吸のリズムが戻ってきた。
 徐々に整いつつある呼吸をBGMに、口の中の感覚に戸惑いながらふと見下ろすと、口の端から涎を流しているのはともかく、その赤い瞳から一筋涙を零した彼女をみて、ハッと我に返った。
 というか、気が付かされた。
 綺麗な緋色の眼に涙を溜めて見上げてくる彼女の表情は苦しみに染まっていた。 
 泣かせているという揺るぎ様の無い事実。例えて言うなら、フリーフォール。
 快楽のきわみから、絶望のどん底へジェットコースターライフ。
 ゴメンナサイが何度も頭の中でリフレインされるも、キスの余韻に麻痺した唇は言葉を紡げない。

 そこから先はもう、逃げるしかなかった。敵前逃亡。
 苦しそうに涙を浮かべる彼女に「ごめん。それ食べてて良いから」とひっくり返りそうな声を必死に押さえて伝えると目覚し時計を引っつかみそれこそ脱兎の如く逃げ出した。
 
 彼女の部屋よりさらに奥、看護婦さんがいるかも知れないことを無視しつつ、なるべく音を立てないようにして自分のいる二人部屋の病室に身を滑らせると、そのままベッドにダイビングヘッドを繰りだし、枕に突っ伏した。
 ホモサピエンスの一生の4分の1すら生きていないにも関わらず、ボクは恍惚がもたらす浮遊的な感覚を憶え、隠し切れない快楽に身もだえした。
 愉悦に頬が緩む、とても人様に顔向けできるものじゃない。勿論彼女にも。
 歓喜の絶叫が口から飛び出そうとするが、枕に顔を押し付けることでそれを何とか押さえつけた。
 ついでにその時に口の端から顎のラインに掛けて残ってた、べったりとした唾液を拭った。
 彼女とボクのがいっしょになったそれを拭うのは、とても残念な気がした。


 彼女の柔らかさ、美しさに触れ、寝付けない夜を過ごしたある日のこと。
 アリガトウとゴメンナサイが一緒くたになった満月の夜の日のこと。

 そう言えば、リフレインってルフランとも言うのですよ。
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初出 2004年01月23日(金)
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