洗濯物もたたみ終え、さてこれどうしたら良いのかしらと広間をうろうろしていると
(広間もとても素晴らしかった!革張りのソファ、つやつやした長くて大きいテーブル、華美すぎない装飾品)、
どこかのドアがかちゃりと音を立てたのが聞こえた。あの青年かなと思い(しかし青年が「寝る」と言ってから30分程度しか経っていないのだが)
ロビーに出てみると、一階右手のドアから髪の毛ぼさぼさの女性が出て来たところだった。
「…」
「…あの…」
「え?」
やっとこちらに気がついた女性は、お化粧をすれば20代真ん中くらいに見えるだろうけど、
何も施していない顔は隈やら吹き出物やらで荒れに荒れていて、ともすれば30代に見える。
年齢不詳。けれど美人な人だ。
「…ああ、新しい家政婦さん、」
ぽりぽりとパジャマからはみ出している背中を掻きながら。
「違います!私下に越して来て…」
「洗濯物たたんでくれてるじゃない」
「…これは、『ゆうさん』とか言う人に」
「あたしの、これと、これ。ありがとね」
ひょいっと私が抱えていた洗濯物から幾つか摘み取り、にっこり笑ってまた部屋に戻ろうとする。
やっぱり美人。しかし肌荒れが玉に瑕。
「あ、あのー!」
ん?とでも言うようにこちらにまた目を遣り、
「あ、白倉さん、いつ出たの?」
『しらくらさん』…さっき青年も口にしていたけれど、恐らくもちもちおばさんのことだろう。
「4、50分前だと思いますけど…」
「そっかー、入れ違いだったなあ。寂しくなるわ、白倉さんのご飯が食べられなくなると思うと」
そう言って、ああダルイ、と今度こそドアの奥へと吸い込まれていった。
今の人の下着分減った洗濯物を抱えて佇む私。
さっきから『ゆうさん』と言い女性と言い、全くこちらの話を聞いてくれない。
「だからー…これ、どうすれば良いんですかー…」
吹き抜けのロビーに空しく響く。

もう30分程誰か出て来はしないかと待ってみたが結局誰も出て来ず、
「もう知るか!」と言いつつも若干の後ろめたさを胸にして、園光邸を後にすることにした。
既に陽が傾き始めている。
念のため洗濯物の上に
『どこに置けば良いのか分からないため、ここに置いておきます。
         沖立(下の空き家に越してきました。よろしくおねがいします。)』
というメモを残しておいた。不甲斐ないが、メモで挨拶を済ませてしまうことになってしまった。
玄関前で改めて園光邸を仰ぎ見ると、やっぱり素敵だ。
何の準備も無いままに何故だか園光邸に足を踏み入れてしまったので、
ろくに邸内を鑑賞することが出来なかったのが惜しまれる。
またお邪魔できるかな。いやなあ、よっぽど家主の人と仲良くならないと無理かなあ。
「やっぱり家政婦バイトすれば良かったのかなあ」
今更ながらにそういう選択もありではないかと気がついた。遅い。
家政婦としてなら園光邸にお邪魔するのも勿論当たり前だし、怪しまれずにじっくり鑑賞することが出来る。
家は近所なのだから住み込みでなくても通えば良いし、
近辺には働ける場所など無いに等しいのだからお金稼ぎとしても一石二鳥ではないか。
「しかし、料理も特に上手ってわけではないしなあ…」
こういう踏ん切りのつかなさは折り紙つきだ。
何か物を買うにも、その店の周りをぐるぐる3周4周してしまうタイプ。
(とりあえず、今日のところは帰ろう…疲れた)
一日分の気力をほんの数時間で使い果たしてしまったような気がする。
こんな調子では、今日のところはもう何も出来そうも無い。
のでとぼとぼと帰路に着いたのだった。

猫が居る。黒い猫。つやつやと濡れているような毛並みの。
じっと、私を見つめている。
猫が佇んでいるのは、この間人影を見たところだ。
そこからじっと、こちらを見下ろしている。
何で私、こんなに山盛りの洗濯物を抱えているんだろう。
「新月の晩に、喫茶店を開いているから、おいで」
すると猫はそう言ってひらり、あの人影と同じように、森に溶けて消えた。
山程の洗濯物が突然、も、も、も、更に膨れていく。
「ちょ、破裂するっ」
もこ、もこ、もこ…
ぱ、ぱんっ
破裂した洗濯物は瞬く間に空に舞う紙切れへと姿を変え、地面に降り積もる。
一枚一枚に、何かプリントしてあるので拾って見てみると、
「良かったわあ、あなたが家政婦をやってくださるなんて!」
ともちもちおばさんが満面の笑みでそう喋っていた。
「きっと、あの人もあなたのことを気に入るわ」
あの人?
「きっとよ」
誰?

(誰?)

何か夢を見たようなのだけれど、内容はちっとも思い出せない。
思い出そうとする度にそれは形を無くしてやがて蒸発してしまった。
時計を見ればまだ5時。いつもより1時間ほど早く起きてしまったようだ。
頭ははっきりと覚醒していてもう一眠り出来そうも無かったので、起きることにする。
(昨日の煮物が残ってるから、それと…)
庭に面している窓の雨戸を片っ端から開いていく。
(魚もあるからそれを焼いて、お味噌汁でも作るか。うん、純和食)
向かって一番左側の雨戸は非常に建て付けが悪く、いつも苦労する。しかも、音もうるさい。
ば、ばかっ!
と、どうにも人をおちょくったような声を出すのだ。
そして今日も、

ば、ばkブッブー

しかしおちょくりはドアチャイムにかき消された。雨戸、ブー初のブッブー敗北ブブー。
「ちょちょちょ、」
慌ててブブ玄関へとブッブブー向かう最中ブにもチャブブブーブイムは鳴らされ続ブーけている。
そもそブーブも私のブブー記憶が確かブッブッブーならば只今の時刻、
午ブ前5時。非常識ブーにも程がある客人だ。
「はいはいはい!」
半ば血管が切れそうになりながらも戸を開けると、そこにはつい先日、見かけた顔。と知らない顔。
園光邸に居た、あの美人。お化粧をしていて尚一層美人。
けれどファンデーションでも肌荒れを完全に隠すことは出来なかったようだ。
その後ろにいるのは、ハァハァと息を切らす気の弱そうな男性。
胃腸薬を常備していそう、なんて失礼な印象を抱いてしまうような。
「遅いじゃない」
開口一番美人はそう吐き捨てて玄関に上がり込み、ばたっと倒れた。
「み、美希ちゃん!」
慌てて男性が駆け寄る。と、「美希」と呼ばれた美人がすかさず男性を、殴った。
「いてっ」
「いつまで着いて来てんのよ。気色悪いわね」
「ママから美希ちゃんをちゃんと送り届けるように言われてるって、何度も言ってるでしょう。
それを鍵が無い、なんて言うから…いたっ」
また殴る。そしてすっくと立ち上がり、
「そうなのよ。鍵失くしちゃったみたいなの。
12時にあそこ鍵閉めちゃうじゃない。チャイム鳴らしても誰も開けてくれないし」
と説明しだした。どうやら、園光邸に入れないらしい。
「美希ちゃん鍵失くすのこれで何度目?
そのたんびに色んな人に迷惑かけるんだから…本当にすいませんいてっ」
ひたすら殴る。この二人、どういう関係なんだろう。
「良いのよ、この子新しい家政婦なんだから。こちら沖立さん。ニュー家政婦。
下宿人のあたしの面倒を看てくれるのは、当たり前のことなのよ」
「さっきからこの調子で。ほんとすいませいてたっ」
「連、もう帰りな。あたしはここで少し酔い覚ますから…
家政婦さん、うちに、連絡しておいて…」
そこまで言ってまた、ばったり。
ぐーぐー寝る美女。困り果てる男。と私。
「み、美希ちゃん。本当に本当にすいません!」
「……」
田舎に引っ込んで早々、密度の濃い毎日が続いている。
なぜ。

私自身が悩む間もなくあと何時間かすれば、「園光邸 新家政婦」の称号が私を待ち構えている。

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