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私の庭には薔薇がなかった。かわりに細い木の、もっと細い枝に優美に咲く白い花があった。その名前を知らない。夕闇迫るころ、その花のあたりは青白く匂い立つようで、凛とした美しさは潔癖な少年を思わせた
今もあるのだろうか。ひとにとってそう言う時期がほんのいっときであるように、花もすぐに終わったのだろう。香りの乏しい、影の薄い花だった。しかし不思議と、しぼんだり、はらはらと散りゆく姿を思い出すことはない。薄い一重の花弁が、古風で慎み深い、寡黙な日本人を今も偲ばせる
木の花は草の花とは違う。その木の大きさや生命力にしたがって、まっすぐと力強い姿が良い。あまり飾り気はないが、過剰なほど咲くこともあれば、機能だけの、ほんの申し訳程度か、何か試験的な、進化の途上のような花もある
そこでもやはり青い花は少ないような気がする。白か黄色、桃色といったところが思い浮かべやすい。きっと青は、虫にとって魅力が少なく、目に付きにくく、植物にとっては色素を作ることも、子孫を残すことも難しかったのだろう
それでも青は魅力がある
青は毒の色、腐敗、悪魔的な色でもある。それでひとは、青いものを口にすることをためらう
ところがそう言う禁断を犯すところに、悦びを覚えることがあるから厄介である。青と言う言葉に、それ自身に負わされた誠実と清らかさを、まっこうから否定しようと言うイメージがあるのは、それと似た心理ではないかと思う。純白が誠実と清らかさを、弱さや危うさを秘めながらも、決して否定しないのとは対照的だ
堕落と言うものを知らないことは貴い。けれどもそういう、人間の愚かしさやずるさ、危うさを、自分の中にも親しい他人の中にも見ようとはしないことは、人間性を半分しか理解していないということではないだろうか。たまたまそれまでの人生が、コップの中の平穏であったような場合、堕落とか心の高みとか、人間性の明暗にまで至っていないことが多い。もしもそれを人生と言うのなら、人間は生まれたままの子供が、ただ外見だけ年を取って、夢の中をいつのまにか生きて、夢の中に死んで行くようなものとは言えないだろうか。戯れに堕落をもてあそび、毒や悪魔を口にして気分を高揚させる者は居るが、それはいっときのあだ花よりも早く興が冷めて、冷たい現実に向かい合うことになるだろう
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