自然を愛して見失った心を探して

ブルーローズ4
 私の庭には薔薇がなかった。かわりに細い木の、もっと細い枝に優美に咲く白い花があった。その名前を知らない。夕闇迫るころ、その花のあたりは青白く匂い立つようで、凛とした美しさは潔癖な少年を思わせた  今もあるのだろうか。ひとにとってそう言う時期がほんのいっときであるように、花もすぐに終わったのだろう。香りの乏しい、影の薄い花だった。しかし不思議と、しぼんだり、はらはらと散りゆく姿を思い出すことはない。薄い一重の花弁が、古風で慎み深い、寡黙な日本人を今も偲ばせる  木の花は草の花とは違う。その木の大きさや生命力にしたがって、まっすぐと力強い姿が良い。あまり飾り気はないが、過剰なほど咲くこともあれば、機能だけの、ほんの申し訳程度か、何か試験的な、進化の途上のような花もある  そこでもやはり青い花は少ないような気がする。白か黄色、桃色といったところが思い浮かべやすい。きっと青は、虫にとって魅力が少なく、目に付きにくく、植物にとっては色素を作ることも、子孫を残すことも難しかったのだろう  それでも青は魅力がある  青は毒の色、腐敗、悪魔的な色でもある。それでひとは、青いものを口にすることをためらう  ところがそう言う禁断を犯すところに、悦びを覚えることがあるから厄介である。青と言う言葉に、それ自身に負わされた誠実と清らかさを、まっこうから否定しようと言うイメージがあるのは、それと似た心理ではないかと思う。純白が誠実と清らかさを、弱さや危うさを秘めながらも、決して否定しないのとは対照的だ  堕落と言うものを知らないことは貴い。けれどもそういう、人間の愚かしさやずるさ、危うさを、自分の中にも親しい他人の中にも見ようとはしないことは、人間性を半分しか理解していないということではないだろうか。たまたまそれまでの人生が、コップの中の平穏であったような場合、堕落とか心の高みとか、人間性の明暗にまで至っていないことが多い。もしもそれを人生と言うのなら、人間は生まれたままの子供が、ただ外見だけ年を取って、夢の中をいつのまにか生きて、夢の中に死んで行くようなものとは言えないだろうか。戯れに堕落をもてあそび、毒や悪魔を口にして気分を高揚させる者は居るが、それはいっときのあだ花よりも早く興が冷めて、冷たい現実に向かい合うことになるだろう
2002年07月01日 00時25分06秒

  • 2002年07月01日 00時13分57秒
    ブルーローズ4

     

  • 夜ごとの悪魔
     悪魔と言うと、馬鹿馬鹿しく感じる。どんなによくできた物語でも、宇宙人と悪魔が出て来たとたん、作者の幼さやナイーブさが露呈するようでいただけない。自分でも信じていないことを読者に押し付ける、その無神経さに憮然とすることが多い。  それでは本当に信じていた場合はどうか  それは良いのではないか。本当に信じているのなら、その心の真実性に興味がわく。  何しろ嘘は良くない。人生は嘘に一々付き合っていられるほど暇ではない。物語が軽く受け取られるのは、それが職業的な嘘である場合が多いからではないか。若いころは経験不足から、上手な嘘から卑劣な嘘まで、盲目的に感心したり影響されたりするが、年を取るにつれ、人生の空虚さや先の短さから、どんなに稚拙なものであれ、真実の方が貴いと思うようになるものだ。   中世ヨーロッパの無名の市民が、毎夜悪魔に会っていると信じて、書き留めた日記があるという。私はそれを読みたいと思う。どんな面白い物語よりも、今は読みたいと思う
2002年06月16日 18時22分44秒

  • ブルーローズ<3>
     青い薔薇は存在しない。水色でも難しい。存在しないからこそ価値が高いというわけではないが。薔薇の香りはもの狂わしいので、若いころは未知の世界への憧れをかきたてる。年を取るにつれ、ああ、純粋に美しいなあと思うようになった。実際の世界よりも予感や序章、期待のほうがずっと神秘的であるように。入り口が美しいことは誰でも分かるが、だからと言って、誰もおいそれとは入れない、瀟洒な私邸のようだ。  それでもいい。生きている証のようなものだ。あだ花の代表のように言って軽蔑する人は、堅実な世界で実利的なことだけを追求すれば良い。   物語にも似たようなところがある。知っていても知らなくてもいい世界を好む人間は、どこか現実を遠ざけようとしているのかもしれない。それとも現実を、別な感覚で探し直そうとしているのだろうか。ただそれは、夢物語でも、職人芸であってもならない。個人の心の現実であって欲しい  若いころ、「マルテの手記」を読まされて、自分の現実とかけ離れたものへの感情がどんなに、浅はかなものでしかないかを思い知らされた。文学に嫌気が差すときは、そう言うときかもしれない。良い答案の見本なら、誰かが書いたかもしれない。しかしそれは、ただそれだけのことだ。「私はテニスンさえあれば生きていけます」同じころ同じクラスの学生が、教授にそう述べるのを聞いた。その言葉は、年齢にしては幼いのだろうか、老獪なのだろうか。      卒業すると、物語はひどい、暴力の世界に変貌してしまった。そんな世界にはついて行けなかった。我々は猟犬ではない。あだ花は、血の匂い。だが、それもこれもすべて終わってしまった。
2002年06月09日 16時09分18秒

  • ブルーローズ<2>
    この世で本当に必要なものはたくさんあるのだろうか。何かが発明されるたび、どんどん必要なものが増えていく。一日は二十四時間で、人間は赤ん坊で生まれ、学習を重ねて大人になり、やがてすべてを放棄して原始人に戻って死んでいく。もちろん程度の差はあるけれども。  最近足腰が弱ったな、とか、体に柔軟さが失われたとかに始まって、次第に複雑な動作が困難になって来て、意識に明晰さが失われてくる。考えてみれば単純にやってできないことはほとんど、本来必要でなかったことなんじゃないか、と思うようになる。かえって意識は明朗になる  もちろん原始人と老人とは違う。原始人といえば若死にだったろうし、狩りができなければ飢え死にするしかなかったのかもしれない。老人が、中年すら、いたのだろうか。家族愛が原始人を支えていたにしても、中年以降生き延びたとすればよくよくのことだ  現代の老人はよく病院に行く。老人ではなくとも。医療はもっとも大きな恩恵の一つなので、医師は特別な意味を持っている。呪術は医療に変わり、村の長老は裁判官に、弁護士に代わり、洞穴はガラスの摩天楼に変わった。もう野獣のように生肉を貪ることもない。芸術品のような食べ物が並ぶ。  しかし、すべてが有料なのでいろいろとむつかしいことを思い付いて商売をやらなければならない。ひとの思いつかないこと、人が必要としているであろうことを、マジックのようにぱっとあらわして見せる。疲れる。ひとときの安らぎを求めて安直な楽しみの世界に浸ってみるけれど、所詮は他人事であるばかりではなく、自分に無い物を敢えてまた教えてもらったような気分になる。というのも、物語の世界では、飛び切り優れた人物や絵に書いたような幸福、あとでこわれるにしても、非常に美しい世界が主題になっているからだ。人並みな人生さえ、ずっと続けていくには困難が伴うというのに       26/05/2002
2002年05月27日 11時45分01秒

  • ブルーローズ<1>
     青い薔薇は存在しない。あってもよさそうものなのに。多くの忙しい人々にとって、最もどうでも良い問題だ。それでも青薔薇の出現に寝食を忘れる人々が昔から居る。彼らはすべて園芸家かというとそうでもない。どこの世界にも好事家というものがいる。  青薔薇の神秘性は歌にされ、絵画となって表現されるが、結局のところ遺伝子のレベルで不可能と分かっている。たとえ開発されたとしても、それほどまでに人工的な品種が健やかな感じがするか疑問だ。  それでも青薔薇は生まれ出るであろう。求められているからだ。                           2002年5月7日
2002年05月07日 21時21分28秒

  • 旅路
     世界中を旅して、得るものは何だろう。日本中を旅して、どこへ行っても代り映えしない。スタバックス、看板、半西洋風の喫茶店、車、車、人、人、与太者、日常生活から逃げているだけだ。自分が変わらない限り、どこへ行ってもつまらない。  今はメディアの翼に乗って、意識だけがどこまでも行ける。子供のころ寓話で、なんでも願いをかなえてもらえる詩人が、すべての幸福に飽きて、最後に世界中を旅する話を読んだことがある。例によって詩人は苦痛に顔をゆがめ、「ああ、この肉体さえなければ、どこにでも風のように飛んで行けるだろうに」とつぶやく。すると詩人は、肉体を離れた意識だけの存在になり、世界中を旅している。目も綾な王宮からゴミゴミしたスラムまで。そしてこの世に、確かなもの、本当の幸福などどこにもないと知って涙を浮かべる。「おや、この男は泣いているぞ」「いいじゃないか。肉体の苦しみを逃れて、やっと幸福になれたんだ」神か悪魔か知らないが、葬式にやってきた不思議な男たちが語り合った。参列者はほかには誰も居ない、忘れ去られた詩人の葬式。「こんなのは本当の幸福じゃない」男が魔法の長靴を脱がせると、詩人はよみがえった。棺桶の中から見まわす、暗い自分の葬式。偽りの名声も家族も、とっくに彼を見捨てていた。詩人ははだしで、とぼとぼと自分本来の生に戻っていく。  今メディアでどこにでも行ける。この詩人のように、あらゆる世界の暮らし、自分のではない、を知ることができる。汗だくになって息あえがせながら駆けずり回らなくとも、世界中を旅して、かつての王侯貴族のように、よその世界を味わうことだってできる。それでも確かに幸福だとは言いがたい。自分自身がお留守になった分、空虚な思いは影のように離れがたい 23/4/2002
2002年04月23日 15時52分55秒


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2002年04月20日 22時32分12秒