第三幕 「静滅」
  
  学校からの帰り道、俺は今日保健室で出会った美雪さんのことについて考
 えていた。 確かに美雪さんは綺麗な人だと思う。どちらかというと可愛いとい
 う部類に入るかもしれないが年上の人にそういうことを言うとかえって怒 らせ
  るかもしれないのであの時は口に出すのをやめた。背の高さは女性としては
  まあ普通といったところ、髪の毛は少し明るめの茶色(おそらく地毛だろう)で
  肩より少し長めのストレート。見かけは落ち着いてそうな雰囲気があったが実
  際は・・・思い出すと少し苦笑してしまった。 だがそれもすぐに消えうせる、 俺
  を心配そうに見上げてくる彼女の顔・・・それは彩香の顔にとても似ていた。顔
  そのものが似ているというわけではなく、雰囲気が似ているような感じがした。
  その感じに耐えられなくなりあの時俺は顔を横に背けてしまったのだ。
 (あのとき俺を見上げてきた美雪さんの顔・・・あれはまさに彩香の見せる
 顔の感じにそっくりだった・・・だから俺は・・・)
 歩きながらそんなことを繰り返し考えている。肌に感じる風が少し冷たく感じる
  ようになってきた。秋がすぐそこにやってきているのだろうか・・・

   今俺は天読楼に向かっている。母さんに頼まれた本を買う用事もあったが
 俺自身、 最近小説を全く読んでいなかったので何か瀬田さんに薦めてもらお
 うと思ったのだ。
  (瀬田さんに会うのも久しぶりだな。 街とかじゃほとんど会うこともないし。 も
  しかして1年中店に引きこもっているのか・・・?そんなわけないよな。)
 ふと思った疑問を即座に自分で納得させた。まあ特に意味は無いのだが。

   そういえば体育のサッカーの試合だが、 俺が抜けた後しばらくは健二がキ
 ーパーをやっていたらしいがそれは大きな間違いだったようで翔太にはヘディ
  ングで入れられ、透夜にはロングシュートを決められる始末。どうやら、 あい
  つはキーパーに向いていなかったらしい。 その後他の奴にキーパーを代わっ
  てもらい自ら点を入れてきたらしい。 しかも俺が保健室の中から見た健二の
  ヘディングはどうやら2点目のようで、この前にロングシュートを入れているら
  しい。そして試合は2対2の引き分けで終わったようだ。
   (今度はフィールドでもやるか・・・健二がどこまでやれるのかも見てみたしな。
  その前に睡眠をしっかりと取らないとな。)

  そんなことを考えて歩いていたらいつのまにか俺は天読楼へと辿り着いてい
  た。 扉を開けて中に入ってみると、 カウンターにいつものように椅子に腰掛け
  てタバコを吹かしながら小説を読んでいる瀬田さんがいた。 瀬田さんは本とい
  う本を大事に扱うのだが、 その本だけは特に大事に扱っているということを俺
  は知っていた。 俺に気づくと本に栞を挟み、 タバコを咥えたまま話しかけてき
  た。その栞には"紫苑"の花が押し花として使われていた。
  「なんだ、稜人か。何か用か?」
  「用がなければ来ちゃいけないんですか・・・今日は瀬田さんに何か小説を薦
  めて貰おうかと思ったんですけど、何かありますか?最近全く読んでなか
 ったもんで・・・」
 瀬田さんはタバコを一回吸い込んでから何か考えるようにしてから一冊のハ
  ードカバーの本を俺に手渡してきた。
  「これどんな本ですか?」
 俺が疑問を吹きかける。
  「まあ読んでみろ。今のお前にぴったりかもしれないぞ。」
 瀬田さんはタバコを灰皿に押し付け火を消す。
  「え、それってどういうことですか?」
  「見た感じそのままを言っただけだ。用は済んだだろ?とっとと帰れよ。」
 そう言うと瀬田さんはタバコをまた一本咥えて火を付ける。そしてさっきまで読
  んでいた小説に目を落とす。 こうなるとしばらくは何を言っても耳をかそうとは
  しなくなる。
  「そういえば、これいくらですか?」
  「あ?あー、めんどくせぇからいいぞ。今度飯でもおごればそれでチャラに
 してやるよ。」
  (この人は済ました顔してこういうことを普通に言うからなぁ・・・)
  「あまり高いものは無理ですよ?まあ本の代金分はおごりますから。」
  「ああ、それでいい。」
 そう言って再び本に目を落とした。
  「それじゃ、また来ます。」
 そう言って俺は店を出た。外に出ると既に空が闇に染まろうとしていた。

 * * *

   稜人が出て行ってから俺は本をまた閉じた。
  「あの馬鹿・・・あいつのことをまだ・・・」
 あいつの目は曇ったままだった。2年前の冬から・・・
  (俺があの時・・・今みたいに稜人に本を渡していれさえすれば・・・
 あいつは・・・あいつは・・・)
 だがあの時の事故で一つだけ腑に落ちない点があった。
  (あの時のトラック・・・まさかあれは・・・)
 俺は頭に中に出てきた疑念よりも腹のそこから沸きあがってくる怒りを抑えら
  れずに目の前にあった別の椅子を思い切り蹴り飛ばした。 木製であったに関
  わらず椅子はばらばらに砕けた。 足に痛みを感じるが、 今の俺にはそんなこ
  とはどうでもよかった。 俺はカウンターの横に掛けてあったコートを羽織って店
  を出る。 入り口の鍵を閉めてから俺は歩き始める。 空は暗く、 闇に染まって
  いる。 風が向かい風となって吹いてくる、 まるで俺の行く手を遮るように。 俺
  が今から向かう先は只一つ・・・それは・・・

 * * *

   店を出た俺はまっすぐ家に帰ろうとはしなかった。 どこか心が落ち着かな
  い。その理由はわかっている、 俺は2年前の冬の事を思い出しているのだ。
  歩いていると子供の頃よく遊んでいた公園に着いた。  滑り台にジャングルジ
  ム、 鉄棒にブランコ。他にもいろいろあるが今の俺にはどれもこれも小さすぎ
  る。俺はベンチに腰掛けて空を見上げる。 闇のカーテンに無数の星が散らば
  っている。 2年前はこうやって彩香と空を見上げることもあった。 そして遅くま
  でいろいろと語り合っていた。でも今は俺の隣に誰もいない。
  (あのとき俺が・・・財布を忘れさえしなければ彩香は・・・)
  「くそっっ!!」
 俺は横に立っていた木を、 右の拳で思い切り殴りつけてやった。木の上から
  は何枚もの葉っぱが落ちてくる。 木はあまり太くも無かったがやはり痛みは感
  じる。 拳の皮が少し切れて血が流れ出している。 腕は下に投げ出しているの
  で地面に血が滴り落ちている。 雪がまだ降っていなくてよかった・・・もしもそこ
  に赤く染め上げられた雪があったら、 俺は自我を保っていられるだろうか・・・
  今よりもさらに負の感情を抱いてしまうかもしれない。
   (そうなってしまったら俺は・・・)
  
   俺が思考を巡らせていると、 自分の周りがやけに暗くなっていることに気づ
  いた。公園にはライトがあるので暗くなるはずがないのだが・・・確かめようと俺
  が顔を上げるとそこに3人組みの男が立っていた。
  「ようやく気づいたか。」
  「なあなあ兄ちゃん、俺たち今から遊びに行くんだけどよぉ。どうも少し財布の
  中身が寂しくてなぁ〜金貸してくれねぇかなぁ〜?」
 やけに語尾を伸ばしてくる。その感じが俺に不快感を募らせる。
  「最近高校生は金持ちだからな〜もちろん貸してくれるよなぁ?心配すんな
  よ。いつか返してやるからよ。」
 俺と同年代だろうか、見かけからして明らかに不良とも言える奴らが俺に絡ん
  でくる。まあ世間一般で言われている"かつあげ"だろう。 ベンチから立ち上が
  り、無視して横を通りすぎると後ろから肩を掴まれる。予想していなかったわけ
  ではないが・・・
  「おい、無視ってのはないだろう。 そうなるとこっちも帰らせる訳にはいかねぇ
  なぁ。」
 背中に衝撃が走る、 どうやら蹴られたようだ。さっき殴りつけた右手ほど痛み
  は感じなかった。そのとき俺の頭の中をある思考が駆け巡った。
  (なぜ俺はここにいる・・・なぜこんなやつらを俺は相手にしなければなら
 ないんだ・・・なぜおまえらは俺を相手にする・・・ならば・・・)
 その瞬間周囲の空間に存在するものが全て敵と見える。刹那・・・目の前にい
  るやつらは全員倒れて蹲っている。それを見て俺は我に返った。自分でもどう
  やったか覚えていない。 ただ一つ言えるのはこいつらを倒したのは俺自身だ
  ということだけだった。
  「ひ、ひぃぃっ!」
 一人が立ち上がって逃げていく。
  「お、おい・・待てよ・・・」
 残りの2人もふらつきながらも後を追って公園を出て行った。 追いかける気分
  にはなれなかった。
  (なんだったんだ・・・今、俺は何をしたんだ・・・)
 自分でも訳がわからない。 しばらく俺はそこに立ち尽くしていたが、 それも馬
  鹿らしくなってきたので家路に着こうと公園を出た。

         少年はまだ気づいていなかった・・・

       自分の中で何かが変わり始めている事を・・・

        それは少年の人生、運命をも変える・・・

      彼がこの事に気づくのは、まだ先のことだが・・・

   それは遠からず彼の身に降りかかる災厄と共に現れるだろう・・・

 

 

 to be continued・・・