ハイパーネット

ちょっと昔話にはなるけれど、これは書いて残しといた方がいいと思ったので、書くことにします。

それは、ハイパーネットについてです。

97年に倒産した、ハイパーネットという会社の元社長である板倉さんという人が「社長失格」という本を書きました。あまり興味が無いので、その本は読んでいませんが、その後本人がいろんなところで話している内容と、読んだ人の感想から要約すると、以下のような内容と思われます。

1)ハイパーネットのビジネスモデル自体は優れたものであった
2)倒産の根本的な原因は社長の経営手腕の無さにある
3)最終的に会社を倒産に追い込んだのは手のひらを返した銀行の融資引き上げである

2)は本人に会ったことが無いので分かりません。3)はそういう事実はきっとあったのでしょう。
しかし、1)は絶対に違うと思います。初めて見た時から、ハイパーネットはダメだと確信していました。当時はISPの企画部門にいました。本当に進歩の速度が目まぐるしい時期で、「今これに手を出さないと未来は無い」というような強迫観念に常に追い立てられていました。そのせいで、後から考えると「なんじゃこりゃ」というようなものにも、結構手を出してしまったと思います。が、そんな当時ですら、ハイパーネットはダメだと思っていました。リソースも無いのに、あれもこれも手を出して、社内ではかなり批判もされていた私ですが、ハイパーネットには興味をそそられませんでした。だから、私がハイパーネットに興味を示さないのを意外に思った人も多くいたに違いありません。でも、どう考えてもハイパーネットがうまく行くとは思えなかったので、食指の動きようがなかったのです。

では、ハイパーネットのビジネスモデルのどこに問題があったのでしょう?
ハイパーネットのビジネスモデルは以下の命題の成立を前提としています。

1)インターネットはメディアである
2)メディアの運営には広告によるスポンサードという手法が有効である
3)よって、インターネットは広告により無料化できる

この三段論法には誤りは無いと思います。では、どこに問題があったのでしょう?上の三段論法の「インターネット」を「テレビ」に置き換えて考えてみましょう。
三段論法として正しいのはもちろんですし、事実テレビは「無料」で日々放送されています。では、同じメディアでありながら、テレビとインターネットはどこがどのように違うのでしょう?ここでは、メディアとしての特性の違いではなく、事業構造の違いについて考えてみます。
テレビ局というのは、インターネットで言うところのコンテンツプロバイダと(アクセス)サービスプロバイダを足したような機能を担っています。そして、両機能のうちの主たる部分はコンテンツ(番組)制作です。もちろん、テレビ局には設備産業的側面もありますし、東京タワーにお金を払って、電波を再送信してもらうといったコスト要素もあります。しかし、それらは番組制作費に比べると小さな比率でしかなく、番組制作費に上乗せしてスポンサーからもらうことが十分に可能な水準です。従って、「無料化(スポンサード)」されているのは、番組制作の部分だと言えると思います。で、そこからの上がりで送信設備分の負担も賄っているのです。
では、このテレビ局の比喩で、ハイパーネットがやろうとしたことはどういうことに相当するのでしょう?テレビ局の機能を、番組制作(コンテンツプロバイダ)と電波送信設備管理(サービスプロバイダ)に分割して、後者のみを独立採算で広告収入により運営しようとしたのです。これは、可能でしょうか?

答えは当然ながら「否」です。

例えば、雑誌出版は広告モデルで無料化が可能かもしれません。が、その上流工程である製紙業を広告モデルで無料化することは可能でしょうか?雑誌のコンテンツと結びつくからこそ始めて広告業が可能になるのであり、真っ白の紙に広告を載せる広告主が無料化を成り立たせるほど多数現れるとは考えられません。プロバイダ業と言うのは、流れるトラフィックの内容に関知していません。そういう、色づけ出来ないトラフィックに広告を載せたがる人が十分な数現れるとは考えがたく、また、その広告の有効性も相当に疑わしいものです。
もちろん、TVの世界には単に何万人にリーチする、というじゅうたん爆撃効果のみを狙ったスポット広告もあります(深夜の○○カメラのCMのような)。世の中のTV CMが全てこの類であれば、ハイパーネットの成功も多少現実味を帯びたかも知れません。しかし、TV CMの世界では松島菜々子が出ているドラマ枠だから、同年代の女性への化粧品CMを打ちたい、と言った番組内容と密接に結びついたマーケティング抜きには成り立たない広告がむしろ重要な部分を占めているのです。これらの広告企画は、番組制作機能から切り離された、電波送信設備管理業者(インターネットプロバイダ)には不可能です。しかも、インターネットアクセスに必要なコストは、どんどん安くなってきているとは言え、テレビ電波送信コストに比較すれば、かなり高いのです。そのコストが、効果の疑わしい広告でペイできるという発想は、相当にオメデタイと言わざるを得ません。

ハイパーネットは、入会時に詳細な個人情報を取得しているから、ターゲット広告が可能、と言っていました。本当でしょうか?もちろん誤りです。デモグラフィックをベースにしたマーケティングは成功しない、というのはマーケティングの基本中の基本です。なぜならば、それらは固定化された死んだデータだからです。アンケートの趣味の欄に映画鑑賞と答えた人がグルメ番組を見ている時に見せるべきは食べ物の広告であって、映画の広告ではないのです。その人が「今」興味を惹かれているものを見せるなのです。アンケートで集めた情報ではこれは不可能です。ちょっと凝った仕掛けを用意すれば、今ユーザが目にしている情報内容にマッチした広告を見せることが可能になるかも知れません。しかし、少なくともハイパーネットの稚拙なシステムでは不可能です。

というわけで、ハイパーネットのビジネスモデルのどこが甘かったのかをまとめると、次の2点になると思います。

1)「インターネット」が指すもの及びそのビジネス構造の認識が甘い
2)「ターゲットマーケティング」の理解が甘い

「インターネットはテレビを超えるメディアになる」なんて命題があちらこちらでまことしやかに語られたりします。この命題自身は真となる可能性を大いに孕んでいると思いますが、ハイパーネットはその際の「インターネット」というのが具体的に何を指しているかをもっと突っ込んで考える必要がありした。そこで、プロバイダに向かうのはあまりにも短絡的です。

ビル・ゲイツがハイパーネットを買収に来た、という話もさも自慢げに、そのことがハイパーネットのアイディアの優秀性にお墨付きを与えるかのように語られていますが、本当でしょうか?もしビル・ゲイツがハイパーネットを本当に高く評価していたのであれば、優れたアイディアが無能な経営者により無価値なものとなりつつある状況を放って置くはずがありません。倒産しかかっている、という絶好のチャンスに二束三文で買い叩いていたに違いありません。事実はそうはならなかった、というのはとっくに見切られていた証拠ではないでしょうか?

実は彼自身ハイパーネットのアイディアがダメなものであったことには気付いていて、ことさらに経営者としての能力不足の話をするのは、その事実から目をそらすための策略ではないか、と考えたこともありました。で、今回本稿を書くにあたって、いくつかウェブページを見てみたんですが、この人無茶苦茶やってますね。
もし仮にハイパーネットのアイディアが優れたものであったとしても、この人は会社をつぶしていただろう、というのが良く分かりました(笑)。できることなら、ハイパーネットがつぶれたのは、彼が無能だからではなく、アイディア自体がダメだったからだ、という結論を導きたかったのですが、諦めざるを得ないようです。「AならばB」という命題はAが偽の場合には、Bの真偽に関わらず、真になるのです。これだけ見事にAを偽に(ハチャメチャ振りを証明)されちゃうと、ハイパーネットのアイディア自体(B)の真偽を議論するのは不可能ですね(笑)。

最後に、プロバイダの無料化は長期的にはありうると思いますが、それは、「ハイパーネットの登場が早すぎた」ということとは少し違っています。これについては、次回。

2001/12/23

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