RISC(Reduced Instruction Set Communications)
少し前から、コミュニケーションのRISC化が今後すごい勢いで進むに違いないと思っていた。昨今、携帯でメールを打ちながら(注1)歩く人の増加を見るにつけ、ますます確信が深まって行く。これは、早いうちに「わし前からこう思とってんで」というEvidenceを残しておくべきだという思いに駆られたので(注2)、今日のテーマはRISC。
前の会社に入社以来、電子メール関連の仕事に携わっていたので、NIFTYは有料サービスが始まる前からのユーザだったし、メールは日常的に使ってきた。技術系のコミュニティではかなり使える、という程度の地位は獲得していたかと思う。それが、94年あたりからすごい勢いで広がり始めて、あっという間に仕事上でのコミュニケーションモードの主流の座を占めるに至った。仕事どころか、プライベートのあらゆる局面を含めたコミュニケーションの主役の座にあると思っている人の割合も今では相当に高いだろう。メールが流行り始めてからのコミュニュケーションの質の変容、というのは感じていたけれども、明確な形でRISCというのを意識したのはUnwired Planet(UP)という会社にWAPの前身のデモを見せてもらった頃だから、96年か97年頃の事だと思う(注3)。
ここで断っておくと、RISCというのは、決して最近になってメールによりもたらされたものではなくて、元々人間の文化のトレンドとして長い年月をかけて進行中のものなのである。ナポレオン三世の時代に比べて、近年のエリゼ宮の晩餐会が簡素なものになっている(注4)とか、手書き文字がワープロになって文章の「味」が失われたとか、抑揚を持った鳴き声の交換から話し言葉への進化とか、そういった流れに沿ったものではあるのだが、メールの発達と普及により、RISC化に思い切り拍車がかかったと思われるのである。
その時見たUPのデモでは、携帯ユーザとパソコンユーザ間、或いは、携帯からグループウェアサーバ的なものへのアクセスといった、非対称な通信が想定された。パソコン或いはサーバ側がHDMLでリプライの選択肢をコーディングしたメールを送出してやれば、携帯側は面倒な文字入力をしなくても簡単に返信ができる、という部分が肝であった(注5)。
これを見た瞬間、サイヤ人のスカウターのようなディスプレイを身に付けて、ポケットに忍ばせた小型のゲームパッドのような入力デバイスを片手でゴソゴソやりながら、メールの返事をバシバシ返している人の図が浮かんだ。特に98年頃からXMLが盛り上がるに連れて、DTD及びそれに沿って解釈結果を展開するエンジンが進化すれば、メッセージをゲームのメタファーで見せる事が可能になり、メールの撃墜効率が一層アップすると思われた。XMLに対する気合レベルは訳あって低下中だが(注6)、携帯のキーを一心に叩く人を見るにつけ、人々の中のメール即時撃墜欲求は高まっていると思われるので、この方向で何らかの進歩があれば、大流行の可能性がある。
最近の若い人(という言葉がしっくりはまるおじさんになっちゃいました^^:)のコミュニケーションはface to faceの際の話し言葉でも、なんか間延びした考え落ちのギャグみたいに、流行り言葉のユニゾンで落とす、というパターンのインプロビゼーションセッションのように聞こえる。ちょっと前に流行った「DA. YO. NE.」というラップみたいな感じだ。携帯でのメールもこの延長上にあるように思う(実際にやり取りした経験があるわけでは無いけれど)。メールと言うと非同期コミュニケーションの代表のようにおじさんは捉えがちだが、彼らにとっては準同期コミュニケーションなのであろう。で、テトリスのようにくるっと回してストンと落とす、というインタフェースがついたコミュニケーションゲームになれば、彼らも今以上に猛然と歩きながら或いは電車の中でメールを打つようになるのだろう。
そういう意味ではRISC化を支えるのはテクノロジーだけではなく、というよりはむしろ、そのテクノロジーを受け容れる文化のほうにあると言えるかも知れない。手紙文の世界をディスプレイ上に移行した人たちのコミュニケーションと携帯メール世代のコミュニケーションと、どちらが今後のテクノロジーとの相性が良いかといえば明白である。コンピュータおたくがUNIX変調のかかったnerd言葉を話すのにも似て、彼らはXMLの助けを借りて、機械人間両可読言語を話すようになるに違いない。個々のコミュニケーションのインスタンスを取れば稚拙に思えるかも知れないが、茶の湯の心でもてなす友人が数名、という世界に住んでいる訳ではないのである。メル友やICQ友が1000人のオーダでいるような人たちのコミュニケーションというのは、当然その環境に適したものに、それを支えるテクノロジと共に進化するのであろう。
1995年頃に、ちょっと胡散臭いアメリカ人の知り合いが、"Those young generations seems unfair to me. They are breathing the internet."なんて事を言っていた。全く同感である。そういう世代に羨望しつつ、また、「おじさんはこのムーブメントの始まりから見て来たんやぞ」というせこい優越感にすがりつつ、RISC化必須のコミュニケーションに何か仕掛けを仕込みたく考えているこの頃である(って思い続けてはや3年かぁ、sigh)。
(注1) メールを「打つ」という表現は嫌いである。が、携帯でメールを書いている図だけは「打つ」という動詞がピッタリ来る。ついでに言うと、メールを打つ、と同様にFAXを「流す」と言う表現も嫌いである。
(注2) 残してどうなると言うものではない。ましてや、こんな誰も見に来ないサイトにメッセージを残す意味はほぼ全く無い。
(注3)HDMLのW3Cへの提出が97年5月なので、その前後か?
(注4) エリゼ宮の食卓
西川恵
(注5) 本当にその部分が肝だったのか、私が瑣末の部分に異常に反応したのか今となっては定かではない。
(注6) 盛り上がっていた頃はDTDの交換と言うアイディアに痺れていた。が、世の中の問題を突き詰めて考えるとことごとくトートロジーに陥る、ということからしても、アウトバンドでコンテキストの交換を予め済ませる、という方式の限界は意外とすぐに露呈しそうに思える。それでもEDIよりはずっと広く適用分野を見つけられるだろう、という程度の期待感は依然してある。
2001/11/6
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