「すみた」しかない幸せ
「すみた」である。言わずと知れた、東京における讃岐うどんの名店「すみた」である。
ご多分に漏れず(ってほど一般的なのかどうか知らないが)、さとなお先生のホームページの讃岐うどん食べ歩きに感化されて、讃岐に行き、見事に開眼してしまったのである。関西出身者のアイデンティティの1つとして「蕎麦よりはうどん」派を自認していたつもりが、うどんのことなど何も知らなかったことを思い知らされたのである。
嗚呼、讃岐うどん、讃岐うどん、讃岐うどん、なのである。
が、ここに大きな問題がある。讃岐うどんはむちゃくちゃに素晴らしい。しかも、その素晴らしさをたたえた店が、あちらにもこちらにも、綺羅星のごとく讃岐各地に点在しているのである。たまに讃岐を訪れるだけのよそ者は、どうしたって次はあの店、そのまた次はあの店、とはしごせずにはいられないのだ。讃岐うどんMLやいろんな人のホームページに記された「讃岐うどん行脚記」を読むと、口中に涎が溢れてきて、「ああ、うらやましい。ワシもまた行きたい」としばし白昼夢に浸ってしまう。が、それら「巡礼記」の百万倍うらやましいのが、「恐るべきさぬきうどん」での食いっぷりである。待ってる間におでんを食べて、温いのにオプションを乗せて1玉、冷たいのをさっぱりと1玉...これを酒池肉林といわずして何という。A級店を訪れて、「小一杯」でそそくさと立ち去るのは人生の大損失である、恥である。がそこはたまにしか行けないよそ者のつらさ、どうしても巡礼モードになってしまうのだ(涙)。実は、讃岐には一度しか行ったことが無いので、「どうしても..なってしまう」かどうかは不明である。しかし、さとなお先生も同じ悩みを抱えておられたようだし、讃岐うどんMLを見ていても、やはり皆さんチェインイーティングモードになってしまうようなのである。
嗚呼、讃岐に移住しない限り、ワシには酒池肉林は見果てぬ夢なのか(涙)。
そんなある日、ネットで「すみた」を発見。早速家族で行ってみた。うどんの「つや」「コシ」これは紛れも無く讃岐うどんである。しかも、つゆもうまい。釜玉もほんまもんの釜玉である。「すみた」が「ある」だけでも幸せなのに、更に素晴らしいことには東京には「すみた」しかないのだ(他にもいくつかあるようだが、うちの家から気軽に行こうかな、という範囲には「すみた」しかない)。何と言う幸福。これでもう、「次の店があるから、オプションなしで小だけにしておこう」とか考えなくていいのである。「釜玉とぶっかけとおでん盛り合わせとビール!!!」とオーダーしても全然OKなのである。最近はマスメディアへの露出が増えて、行列店になってしまったため、大盛りが注文できなくなったが、全く構わないのである。すみたしかない、とは言っても、すみたの中で「かけ」にしようか「釜玉」にしようかそれとも「かしわ」か「ぶっかけ」か....と優柔不断してしまうのである。結局、大盛りをオーダーするよりはどうしても小を2品頼んでしまう私なので、大盛り禁止は何の影響もないのである。
しかも、安い!!讃岐の「一杯百円」の世界からするとべらぼうに高いかもしれないが、東京で親子三人大満足で二千円台!!!である。ああ、幸せ。そんなわけなので、毎週末はほぼ欠かさず家族で「すみた」詣でをしてしまうのである。特に、おかあちゃんが一人出かけて、2才の息子と留守番しているような日は100%「すみた」確定なのである。息子も「すみた」ののれんが見えてくると「○○クンち」と指差すのである。既に第二の我が家状態である。しかも、土曜日がそういう日だと、一人行けなかったおかあちゃんが悔しがって行きたがるので、日曜日もほぼ100%「すみた」になってしまうのである。これくらい通っても、行くたびに「今日は何を食べよう」と思い切り贅沢な悩みに浸れるのである。
つやつやと澄み切った、心が洗われるようなつゆが魅力のかけにするか?
もちもち感とほかほかの湯気と半熟卵が幸せな釜玉にするか?
麺の魅力を最も端的に味わえるざるにするか?
麺の魅力にだしと薬味が絶妙の渾然一体感を演出するぶっかけにするか?
極上のだしで伸ばしたカレーはこんなにも美味だったのかと驚かされるカレーにするか?
しかも、外せないのはこの店の名物かしわ天である。
外せないからオーダーするに決まっているのだが、そうと決まっていても、単品で頼むか?かけに入れるか?ざるに入れるか?ぶっかけに入れるか?とこれまた大いに悩むのである。もうどう食っても美味なのだから、どれでも良いなどとは言ってはいけない。それぞれが違った魅力を振り撒いていて、私を悩ませるのである。
しかも、食べ終わった瞬間から、「来週は何を食べよう?」と既に悩み始めている。
こうして、「『すみた』しかない幸せ」は延々と繰り返されるのである。
2001/10/31
ひらひら太郎に励ましのメールを!