気になるオンナがいる。





  購買部のお姉さん


   (1)


 自転車で駆ける、早朝の田舎町、真冬の通学路。息で視界が白く濁る。
 寒い。死ぬ。寒い。死ぬ。

 二月もそろそろ半ばの田舎道。
 寒い。死ぬ。寒い。死ぬ。

 行きなれた二年目の道のさきに見える、我が学び舎。
 今の時刻は、まだ閑散としてる。

 午前7時30分。
 恐らく朝練のヤツらを除いたら、俺は学校着一番乗りの早起き小僧だろう。


 チャリを置いて、上靴に履き替える。
 教室棟には向かわず、向いの管理棟へ歩く。
 人気の無い、冷え切った校舎。
 向かうは、一階の東の端の階段横にある、ぼろっちい購買部。
 昼休みは行列の出来るパン屋と化すけど、こんな早朝に開店してるなんて、知ってるヤツのが少ないと思う。


 俺は、この購買に3ヶ月通っている。
 島田透子は、この購買で働いている。


「藤本くん、いらっしゃぁ〜い!」

 カウンターの向こうで、せこせこと商品いじっていた手を止めて。
 いつものように、悩みもなさげに、ほやんと笑う。
 化粧の薄い顔。奥二重の黒目がちな目。一つに結んだだけの赤茶の髪。ほろほろ落ちてる後れ毛。

「何で朝っぱらから桂三枝口調で挨拶してくるんだよ」
「今日も寒いねー」
「いや無視すんなよ」
 俺は、店側を向いてカウンターに腰掛ける。
 胸の高さに、彼女の顔。
 足だけ店内に入り、ストーブのあったかさが伝わる。
 彼女は、品だしを再開した。

「あのねー、今日はねー、パン、シュガートースト入荷するよ」
「へぇ」

 俺は気なさげに返事する。

「あれおいしいよねー。すぐ売りきれちゃうし。あたしもよくたべるんだけどね、」
「ってか商品食うなよ」
「……いーじゃんケチィ」

 頬を膨らませ、上目遣いで俺を睨み、わかりやすく拗ねる。いくつだよあんたは。

「そーゆー問題じゃねぇだろが」
「もう藤本くんには売ってあげないよーぅ。シュガートーストー」
 赤ボールペンを店頭に並べながら、横顔の唇が尖る。
「何意味わかんねこと言ってくだよ」
「だって商品食べちゃだめなんでしょ?」
「店員は食うなってば。俺は客」
「……藤本くんきらーぁい」



 気になる女。島田透子。購買部の従業員。
 
 これは、恋だろうか。


 この女は、特別顔が綺麗だとか可愛らしいとかいうわけでない。
 背は低いし、童顔だし、何より言動行動が幼い。
 この高校はこのあたりの県立じゃ一番の進学校で、クラスの女は微妙に色気も可愛げもないみたいなカンジのやつがほとんどだ。
 だからなんていうか……こういうぼやっとしたタイプの女がめずらしいっつーか。
 それだけ。それだけなんだ。

 なんとなく、気になる。すき?

 俺と彼女は、去年の12月から学校のある日はほぼ毎日、こうして人気の無い購買で会っている。
 キッカケはもちろんあった。そのほんの小さなきっかけから、俺らの微妙な交流は続いている。
 毎日毎日、他愛もないことを話して、なんとなく仲良くなって。
 だけど、俺がこの女について知ってることは、名前以外ほぼ無に近い。
 年も、出身も、好きな音楽も、嫌いな食べ物も、好きな男も。

 聞けば教えてくれるかもしれないけど、聞かない。
 知りたいけど、知りたくねぇ。なぜか。


 午前8時。一般生徒がそろそろ登校してくる。
 俺は、こうやってるところを、なんとなく人に見られたくない。
 俺と彼女の、短い時間の終わり。


 タトンっと音を立て、カウンターから廊下に降りる。
「じゃ、そろそろ帰るわ」
「あ、うん、勉強頑張ってね、あ! たまには、なんか買いに来てよー!」

 俺は、この時間以外に購買へ来たことがない。今までに一度も。
 俺は朝の彼女しか知らない。

「あーはいはい」と曖昧に返事して、俺は自分の教室へ向かった。
 そして、次のこの時間まで、俺と彼女の関係は、ただの、高校の生徒とその購買で働く従業員。
 じゃあ、この時間の俺と彼女は、どういう関係なんだろう?


 答えは出ない。




 三時間目の休み時間、俺は暖かな日溜りの中、数Uの教科書を枕に夢うつつだった。


 突然、脇腹を揉まれる感触。


「ぅおあああああああああ!!!???」


 奇声をあげて飛び起きる、目に入る、黒い長い髪。


「……山名ぁ……何」

 五歳児の頃から変わらない、長くて少し内に巻いた髪に、大きくて切れ長で、一重のひんやりした瞳。長身のほっそりした女。
 山名 雅(やまな みやび)は、俺の幼稚園から高校までずっと同じ学校という腐れ縁オンナだ。
 ……コイツは、俺の弱点を完璧に承知している。もちろん、異様にわき腹が弱いことも。


「藤本うっさい皆見てる」
 毛先を指で遊びながら、山名は迷惑そうに呟く。
 クラス中が注目してる。視線が痛い。


「ってかテメェが悪いんだろが明らかにっ」
「化学」
「聞けよ」
「化学忘れたの。貸して」
「……はいよ」
 俺は鞄から化学TBと書かれた教科書を渡す。
「資料集も」
「はいはいはいはい」
 さらに大判の資料集も机の奥から引っ張り出して山名に渡す。
「化学木曜まで無いから」
「ありがと。そのうちかえすわ」

 すっと目を細め、くっと口角を歪めて、小生意気に微笑う。お決まりの笑い方。無駄に整った顔立ちが不愉快だ。
 山名は立ってるから、どうしても座ってる俺が見下されるカタチだ。
 なんか……ムカツク。

 俺は、弱点やら小さい頃の失敗やら、全ての弱みをこいつに握られてる。だからこいつには敵わない。
 逆に、俺はこいつの弱みなんてほとんど知らない。こいつは、小さい頃からこの淡々とした性格で、俺よりなんでも出来て、弱いところを見せないヤツだ。
 こいつのことは、嫌いじゃないが、好きでもない。友達じゃない、幼馴染だ。

「そんじゃーねぇ」
 山名がそう言うのを聞くが早いか、俺はうつ伏せて睡眠を再開した。



「ってゆーか、この学校の生徒って、皆なーんか大人しいよねぇ」

 品だしの終わった島田透子は、カウンターに頬杖をついた。
 白い頬に指が少しめり込んで、肌の柔らかさと弾力を強調してる。

「はぁ……知らねぇよ、んなの」
 俺はいつものとおり、カウンターに腰掛けている。
 足だけにしかストーブがあたらなくて、暖かさがかえってもどかしい。冷えた手を擦り合わせる。
 彼女は、購買部の店舗の中に、決して俺を入れさせなかった。
 部外者なんだから、当然といえば当然だけど。面白くはない。

「なんて言うか、覇気が無いっちゅーかぁ。ね。進学校だからかな?」
「だから知らんよ」
「あ。そういやそろそろバレンタインだね?明日?」
「あーそうだな」
 彼女は、話が見事にコロコロ変わる。いかにも子供だ。

 バレンタインデー、2月14日。
 女が好きな男にチョコレートを贈る祭り。
 無意識に口を継ぐ言葉。

「あんたは、誰かにやんねぇーの?」
「んーあたしぃ?」
 彼女は上目遣いに俺を見る。
 奥二重の目、柔らかそうな頬、尖らせた桜色の唇。

 俺はほとんど自動的に口を動かす。
 聞きたくて、今まで聞けなかった疑問が滑り出す。

「好きな奴、とか、いねぇの?」


「藤本くん」



――――――……な!?

 ドクンと音がして、心臓が勢い良く、全身に血を巡らせた。


「――――は、好きな子いないの?」

「………はい?」

「だから、藤本くんは、好きな子いないの?」


 一瞬状況が読めなかった。


「……質問返しかよ」
 血が顔から足先までなだれ落ちたみたいだ。  少しでも焦って損した。ヘコむ。

「ねねねーねー、いないのーいないのー?」
 俺のブレザーの裾をついついと引っ張って、俺を見上げる。
 唇を尖らせるのは彼女の癖だ。

 可愛いかもしれない。

「お前、質問に答えろよ」
「えー何それーいやー藤本くんが言わないと言わないー」
「じゃーお前が言わないと言わない」
「藤本くんが言わないと言わない」
「お前が言ったら言うってば」
「藤本くんが言ったら言うってば」

 睨み合う俺と彼女。
 言いかえれば、俺らは見つめ合っている。

 こんなことをしながら、俺は自分らに「てめぇらは小学生か」と突っ込む。
 なんか、覚えのある懐かしいやりとりだと思ったら、小学校4年くらいの頃、なんとなくクラスで気になってた女子と、こう言う会話をしたことがあった。
 そのとき、その女子もなんとなく俺が好きだって感づいてた。
 だから、一斉のーで、で好きな人の名前を言うことにして、それは互いの名前で、しばらくはしゃいで、次の日からぎこちなくて、気づいたら自然に終わってた。

 よくある小学生的恋愛ではないだろうか。こういうの。

 そう。こういう会話のパターンのとき、たいていはお互い好き同士と決まっているんだ。


「すみませーん、ルーズリーフありますかー?」


 突然の声に、身体が思わずピクつく。
 振返ると、そこには背の低い女子がいた。
 多分、うちの学年のやつだ。この丸顔と三つ編み頭をなんとなく覚えてる。人の顔覚えるの苦手な俺が珍しい。
 気の強そうな吊った目で、カウンターに座ってる俺を、邪魔そうに見る。
 ってか、文具なんかこんなとこでだと定価だろーがもー。買うなよここでーっ

「あーはいはーいありますよー。A罫ですかー? B罫ですかー?」
 いつものテンションで彼女は接客する。そういえばこいつが客といるのを初めて見た。
「Bで」
「はいはいー130円カッコ税込みですー」

 彼女は、しゃがんでいそいそずるずる下から商品を出しながら、俺にカウンターから降りろ、と目で命じる。

 ダドン!!!!
 俺は、わざと音をおもっきし立てて降りた。足の裏が少し痺れる。客はまた嫌そうに俺を見た。
 さっきまでストーブにあたってたせいで、急に両脚がひんやりする。さみぃ。

「藤本くんー、130円のモノ買って200円出したときのおつりは?」
「70円」
「ありがとー、はい70円ねー」
「てかお前それくらい計算しろよ!」
「あのーお姉さん……おつり10円足らないんですけど」
 客の女子がおずおずと言った。
「あ、ごめんごめん! はい、残りの10円ねーどうもありがとー!」

 テキパキとした早足で、客が去った。


 それを見送って俺は、カウンターに背中をもたせかけて言った。
「朝って結構客くんの?」
「うん。藤本くん帰った丁度後くらいかな。まあまあ来るね」
「ふーん……」

 店内にかけてある時計を見る。もう8時を5分少し過ぎている。

「じゃ、俺帰るわ」
「あ。ん。勉強頑張ってね」
「つり銭の計算くらいできるようにはなっとく」


 俺は、自分の教室に向かって歩き出す。
 と、5メートルくらい歩いてから振返った。

「なぁ、おい」

「んー何?」

 彼女は小首を傾げた。

「俺さー好きなヤツいるから」

「あー、そうなんだー。 誰ー? クラスの子とか?」

「あんた」

「な?」

「―――――は、いねぇの?好きなやつ。言う約束だろが」

「あー……うん。いるよ」

「そっか」


 俺は、また教室に向かって歩き出した。

 他の生徒も登校してきて、ボツボツ騒がしくなってきた階段で、小さく「好きだ」と呟いた。



 その日は授業なんて右から左、上から下、前から後ろへ、ほとんどスルーだった。
 黙々と、島田透子の好きなヤツについて考えてた。
 なんとなく、朝の寝ぼけボケボケ頭で俺が好きなんだろって思ったけど、そんなこと、ある確率のが低いんだよな。
 島田透子は、たぶん俺より五つは年上だ。

 つまり、俺より五年以上長く生きている。
 それは、俺より、それだけ多くの経験をしてきたってことで。
 だって、仮に五つ違いとして、俺からしたら五歳年下は12歳……小学生だし。犯罪かよ。
 やっぱり、俺みたいなガキ、相手にするわけないのかも知れない。

   でも、心のどっかで、期待してる自分がいて―――――


 ああ、わかんねぇ。


 とりあえず、明日はバレンタイン。
 きっと、彼女はチョコをくれると思う。
 たとえ義理でも。今朝あんなことを話題にしたんだし。
 そして、あわよくば手作り、あわよくば本命―――――  


 ガラにもなく、2月14日――――真冬の不公平褐色西洋菓子祭りが楽しみだ。


続く


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