煙が目に染みる  



 前夜祭に、黄昏時のグラウンドは沸く。

「数学科準備室」と札の下がった教室。
 夕日に満ち満ちたその部屋から、下界の様子を眺める、若い教師。
 しどけなく机に腰掛けて、いかにも教師らしくない。
 その指から、窓からの風に紫煙がたなびく。

 ふう、と、煙を吐き出した、瞬間。

「先生」

 声と同時に、ドアが軋んだ音を立てて開く。
 セーラー服の生徒が、茜色の空間に、足を踏み入れた。

「驚いた……何だ? 質問?」
 携帯用の灰皿を、グレイのスーツから探り出す。
「はい……あ、吸ってて構いませんから」

 「そう」と言いながら、教師は煙草の火を揉み消した。

「文化祭前日に熱心だな受験生。数B? 数U?」
「いえ、先生」
 座った姿勢の教師に背を向け、生徒は窓辺に立つ。目下には、多くの生徒のはしゃぎ声。

「恋ってどういう気持ちですか?」

 教師はいぶかしげに顔を歪める。
「……何だ突然」
「よくわからなくて」
「ふうん……難しいな。何? 今恋してるんだ?」
「多分」
 生徒はスカートを翻して、教師に向き直る。
「じゃ、どんな気持ち?」
「たまらなく、欲しいんです」
「……ほほう」
「その人が、欲しくて欲しくて堪らない」
「……その人が他の人と話してると?」
「すっごいイヤ」

 ふむ。教師は短く唸る。
 睨むような生徒の黒目には、夕日が映りこんでいる。

「先生、わかるんです。自分は大勢のうちの一人で、だから、他人と同じに扱われるって。でもイヤなんです。……その人が結婚していることも知ってる。でも……欲しくて。何回も振られてる。でも欲しくて。自分だけのものになって欲しくて」

 生徒は、静かに、早口にまくし立てた。
 落ちつかないように、その手がスカートを押さえている。

「それは、多分独占欲だ、独占欲」
「え……」
「恋だ愛だってのは、そんな一方的なもんじゃないだろ? 欲しい欲しいってものじゃないんだから。気に入ってるだけだ。恋愛語るなら相手の立場考えてから言え。な?」
「違う!!」
 突然生徒が声を荒げた。
「好きで……好きだから。本当に先生が好きだから!!!」

 何かに盛り上がったのか、その時グラウンドから、一際大きな声が起こる。
 二人の間には、沈黙。
 その余韻が消えた数秒後、教師は、諭すように、静かに声を響かせる。

「諦めろ。目を醒ませ。……お前、酔ってるんだよ」
「違うよ」
「何度も言って悪いけど、気持ちは受け取れない」
「……世界で一番大事に幸せに出来る。先生。ずっと側にいる。絶対一人にさせない」

 再び、沈黙。
 教師の顔が少し強張る。
 生徒もつられて表情を固まらせる。

 室内の空気は、刻々と濃さを増している。
 既に空の端は、紫がかっていた。

 教師が、口を開く。


「……とりあえず、そのセーラー服脱げ」

「……え!?」


 教師はため息混じりに言う。



「お前はいつから女子になったんだ?」



 「ああ」と言って、生徒は、スカートをピラピラ摘みながら答えた。

「これは文化祭、野球部のゲイバーで使うから、試着」

 教師は、ワザとらしく、ガクゥッと頭を垂らす。
 その後ろで、まとめたセミロングの髪が跳ねた。

 一気に空気が軽くなる。

「ゲイバー……ったくもー。とにかくそんな格好で人妻に告白すんなよな」
「いや、今回はインパクト狙いで行こうかと」
「坊主頭でセーラーなんざ気色悪いだけだろが。インパクトどころじゃねーよバカ」
「……はあ」
 呆けたように、しみじみと。
「先生、よくその口の聞き方で嫁に行けましたね」
「うーるーさーい。ナニその女に惚れたのはお前だろうが」
「うわー自分で言っちゃったよこの人。惚れたとか」
「もー可愛くねーなー! 一生愛人になんかしてやんねーぞ」
「そんなんなりたくない。俺がなりたいのは、先生の旦那」
「もー……さっさと準備戻れ! ホラ!」

 ぺちっと、坊主頭をはたく。
 その手に、チクチクとしたこそばゆさが残った。

「ハイハイ」

 生徒は椅子から立つ。
「そうだ先生、これあげます」
 セーラー服のポケットから、桃色の小さな厚紙を取り出し、手渡す。
「なにこれ」
「ゲイバーの優待券。飲み物30円引き」
「イラナイ」
「オレのこと指名してくださいよ?」
「イカナイ」
「ちっ」

 すごすごと、生徒はすっかり暗くなった教室を出た。

 外の騒ぎはまだ続いている。
 文化祭は、まだ始まってすらいない。
 教師は、気だるそうに窓の向こうを見つめ、ため息を吐く。

「あ、先生」
 ドアの向こうから、ひょっこり顔を出して。
「ナニ」
「明日後夜祭でフォークダンス踊りませんか?」
「絶対にイヤだ」
「シャルウィーダンス?」
「ノーサンキュー」
「ちぇーガード固いな、人妻は」

 坊主頭が引っ込んだ。
 廊下を、パタパタ走る音が、デクレシェンドする。
 部活の仲間と会ったのだろうか、遅いだとか、どこに行ってただなどと突っつかれる声も、小さく響いた。
 やがて、グラウンドの嬌声のみ。




「……嵐が去ったな」

 独りごちて、再び煙草に火をつけ、開け放たれた窓辺にもたれかる。

 藍の空の向こうに、語りかける。
「ったくバカだよなあ。……私なんかにうつつ抜かしてるより、ピチピチ若い可愛い女子高生相手してるほうが建設的だろうが。なあ?」
 空には、ふくよかな月が出ていた。
 低い位置に、黄色く明るく。
「でも、あの子、あんたが高校生くらいだったときに似てると思わない?」
 ふう、と吐き出した煙の色は白。

「ああ、心配すんなよ。私はずっと、あんたの嫁だから」
 ふふ、とくすぐったそうに笑ったあと、眩しそうに目を細めて、天を仰ぐ。
「煙草、また値上げしたって知らないでしょ。あんたにとってのマイセンはいつまでも270円なんだね……そっちの世界でも煙草ってあんの?」  そして手を伸ばし、煙草の煙を、そっと夜風にかざした。
 風に乗って、上へ上へ。

「……届くかな」


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掲載:2003.9.10


アトガキ(2007.11.18)
ちょーっとだけラストの台詞を手直し。乙一に影響されすぎて陳述トリックのようなものを使いたがった当時。それなんて中二病?
人が死ぬ話はあんまりすきじゃないです。これ書いたときは煙草も知らなかったし

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