積もらない雪
自転車をひたすらに漕ぐ僕の耳を、北風が引き千切る。
日暮れた町の空気で視界が危うい。
今日は、この冬一番の冷え込み。
けれども、春よ来いと思ってたのは昨日まで。
今は只、来ないで春よどうか来ないで。
今日は、この冬一番の冷え込み。
いついつまでもこの町を、凍てつく大気が包んでいれば良い。
いついつまでもこの町を、分厚い雪雲が覆っていれば良い。
そうすれば春は来ずに、あの人はこの町を出ていかないのに。
三年着こみすっかり小さくなった学生服が、
僕の首を締め身体に纏わり付き足首を晒す。
こんなもの今すぐ取っ払いたいけれど、脱いだところで春には新しい次の制服が僕を待つのだろう。
ああ、こんなものすっかり脱ぎ捨ててしまえたら。
あの人を僕の元へ置いとけるのかもしれない。
どうして どうしてそれまで待っててくれなかったんですか。
あと七年、いや、三年で良かった。
先生。
こんな錆付いた通学用の自転車じゃ、貴女を掻っ攫えもしない。
チラつく雪が桜吹雪に見えた。
寒いを通り越し冷たいを通り越し只痛い。
学生服は闇に溶けて見えるかもしれない。
一年生で国語を担当されたとき、鈴の鳴るような声と、砂糖菓子のような丸い頬が、とても大人に見えないと思った。
僕がどれだけ毎時間貴女の授業が楽しみだったか。
次の単元の文章の出典を探しては読んだ あの秋の日。
二年生で担当が外れたとき、僕がどれだけ落ちこんだか。
隣のクラスで貴女が授業するか細い声に、どれだけ耳をそばだてたか。
この年、僕が貴女の背を越したことに、気付いてるはずはないとわかっている。
三年生で担任と決まった日は、浮かれすぎて自転車で帰りがけ、赤信号の国道に危うく突っ込んで死にかけたんだ。
仲良くなりたくて話しかけたくて出来なくて。
貴女にとって、きっと僕は最後まで大人しい、国語だけが学年首位ということを除いては、目立たないイチ担任生徒だったんだろう。
それでも良かったんだ。
春になったら志望校の深緑のブレザー ―――貴女の出身高の制服を着て、職員室へ出向こうと思ってたのに。
生徒たちが受験の真っ只中、帰りのホームルームで。
ふわとその白い頬を染めて、結婚の噂を肯定した 世界一憎らしい僕の担任教師。
自分一人幸せになる、世界一愛らしい、僕の初恋のひと。
見たことも無い男は、あの人の愛した人はきっと、
こんなボロい自転車じゃなく、寒い思いもさせない車に乗っていて、
そして春に、あの人を遠い町へと連れ去って行くんだ。
鼻をすすったのは寒さのせいだ。
好きだ好きだと何度もつぶやいて。
僕の初恋は、北風にさらわれて、冬の夜に溶ける。
しゅわしゅわと音がするように。
初めての恋は、もう伝えない恋は、僕の心から溢れ溢れ。
いつか枯れ果ててしまうはずなのに。それなら楽なのに。
でも白い吐息になった僕の想いは、
そのままほの暗く冷たい空気に溶け、空へ昇り、
ただ不恰好にデカい牡丹雪になって、また僕の制服に染み込むんだ。
ああ、この雪があの人の髪も濡らせばいいのに。
春なんて来なくていい。
卒業式、担任に名前を呼ばれて、僕は鼻声にならない自信がない。
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アトガキ
初出は日記です。瀬戸内海沿岸の私の街には大きな牡丹雪しか降ってくれません。
(2004.1.29)
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