なんとなく、最近タカモトが冷たいなぁ。どうしようかなぁって思った夜。
 また、奈瀬くんに会いたくなった。
 




 昇華  




 うちから自転車で15分のところにあるワンルームマンションの三階。


 間の抜けた音のチャイムを鳴らす。 『はい』

 インターホンから低い声。タカモトの少し高めのとは違う。

「南でっす」

『え? ちょっとちょっと待ってて……』

 カチャカチャチェーンを外す音がする。 いくら一人暮らしだってっても、男でしょあんた、と心で微苦笑して。

 開いた扉の向こうで南くんは、困ったような笑いを浮かべていた。
「どうしたの南さん?」
 だいたい予想はついてるくせに白々しい。
「お邪魔していい?」
「あ、汚いけど……」
 最後まで聞ききらないで、私は玄関でブーツを脱いで、ズカズカ中にに入る。
 奈瀬くんの家は、おじいちゃんの家と似た匂いで落ち着く(一度本人に言ったらそれって僕が爺臭いってこと?って笑った)。

 汚いなんて言って、狭いけどあたしの部屋より全然綺麗に片付いた、奈瀬くんのお城。
 あたしはコートを脱いで、いつもの指定席、ベッドに腰掛けた。
 いつものように、奈瀬くんは台所に立つ。

「紅茶だったよね」

 慣れた態度にが気に入らなくて、

「今日は緑茶」
「はいはい」


 ほかほか湯のみに、ほんわかしたお茶の香りと、奈瀬くんのふんわり笑顔。
 落ち着く。落ち着きすぎて。
「はい、どうぞ」
「ありがと」
「ニヶ月ぶりくらいだね? で、どうしたのこんな夜中に」
「まだ八時すぎだよ」
「夜中だよ、不良娘」
「あいっかわらずマジメすぎ!」


 高校のときと同じテンポ。これにタカモトがいれば、本当に高二のときと同じだわ。
 あたしは、猫舌で冷ましてた緑茶を、念入りにふぅふぅして一口飲む。普通の味。


「またタカモトと喧嘩したの?」
「ッちッ。舌火傷しちゃったじゃない」

「じゃ、図星?」
「違うよ」
「じゃあ、どうしてきたの? 淋しいことがあったんじゃないの?」


 低くて優しくてあったかい。
 奈瀬くんの声は、あたしの涙腺を緩ませる。
 こらえるために、ワザと声を荒げて、涙を凝固させた。


「理由無く来ちゃ駄目? 迷惑なんだったら帰るよ」
「いや、全然。迷惑なんかじゃないから」


 本当に嫌そうじゃなく、困ったようでもなく、緑茶みたくあったかく微笑んで。

 奈瀬くんは優しい。


「あたしのこと好き?」
「好きだよ」


 至極当然のように、さらっと。
 あたしはきっと、コレが聞きたくてここに来たんだ。

「友達だもんね」
 と、あたしはぽつんと付け足す。奈瀬くんは微笑ったままだ。


 奈瀬くんは優しい。

 だから、奈瀬君はあたしにとって「都合のいい人」だ。



 高三の冬、あたしはタカモトに告られた。
 高二のときから、よく一緒にいた、あたしと、タカモトと、奈瀬くん。
 あとから、タカモトから、内緒だって聞かされた。

「奈瀬も、南のこと好きだったっぽくてさ、早いもん勝ちだと思って」


 あたしも、ほんとは気付いてたよ。
 奈瀬くん。実は、まだあたしのこと好きでしょ?



 いつもそれに甘えたくなる。あとからくる罪悪感くらい知ってるけど今の私は止められない。
 




 甘える。





「抱いて」
「それはだめだって」

 いつもと同じに、奈瀬くんは言う。

「あたしのこと好きって言ったじゃん今」
「だめ」
「どうしてよ」
「南さんが後悔するでしょ」


 奈瀬君は、優しすぎる。
 だから、今日もあたしの「都合のいい人」になりきってくれない。
 いつものやりとり。いつもの妥協。


「じゃあキスして」
「だめだって、もう。前で最後って言ったでしょ」
「して」
「タカモトがいるでしょ」
「してくれなきゃ帰んない」
「だめ」
「して」
「だめ」
「してくんないなら今夜はここで全裸で寝る」

 あたしはセーターに手を掛ける。

「あーもうもう南さんやめなさい女の子が!!!」

 必死で慌てる、奈瀬くんがあたしのセーターを戻した。

「したくないんだあたしとは」
「いや、そういうわけじゃないけど」
「じゃあ、したいの?」


 返事はない。


「ねぇ?」
「……したらちゃんと帰るんだよ」
「ん」
「これがほんとに最後だよ?」

 こんどはあたしが返事しない。


 奈瀬くんの手があたしの頬に触れる。
 手が冷たい人は心があったかいってのは、きっと嘘だ。奈瀬くんの手はいつもほかほかしてる。


「今日はほっぺた不可だかんね。クチじゃないとやだかんね」

「わかった」



 目を閉じるのを忘れてた。

 奈瀬くんの唇が、あたしの口角と頬の境に触れる。
 向き合ったとき、思わず不満気な目で見てしまった。



「これでいい?」
「……ん」
 中途半端なキスは、私たちの関係みたいだ。


「帰るね」
「送るよ」
「いい。どうせ近いし。まだ九時回ってないしね」

 玄関に座って、ブーツを履きながら、最後の最後に。

「ねぇ奈瀬君。あたしのこと好きって、友達として? それとも、女として?」
「さあ、どうだろね」

 また優しく、お兄ちゃんみたいに笑って。
 これ以上問い詰めたら、奈瀬くんを傷つけるような気がしてやめた。

 ううん、違う。私が、今の状況を気に入っているからだ。
 奈瀬くんに都合のいい人のままでいて欲しい、それだけだ。


「じゃ、ご迷惑おかけしました」
「いえいえ。またね」
「ばいばい」
「ん。ばいばい」



 ドアが閉まった。とたんにタイミングよくタカモトの指定着信音が鳴った。夜の廊下にガンガン響くアップテンポのメロディが私を責める。
 一部始終知ってんじゃないかこいつ。今しゃべれば声色でも何してたかバレそうな気がして無視した。

 我侭が言いたかった
 奈瀬くんは許してくれるって知ってる。

 奈瀬くんが好き。
 これは恋じゃない。友情でもない。
 出所不明の支配欲が私の中をうずうず火照らせている。

 エレベーターを待ちながらあたしは、奈瀬くんに彼女ができたらどうなるんだろうと考えた。
 そのときは、泣いてでも喚いてでも、彼女より先に身体を奪ってしまうんだろう。なんかよくわかんないけど、わくわくしながらそう思った。





初校(2002.12.8)


あとがき(2007.10.17)
ほんのり手直ししました。南の性格が悪くなっています。この五年間で私が捻じ曲がった分だけ。
奈瀬と南の名前の元ネタはドラマの「ロングバケーション」の瀬名(キムタク)と南(山口智子)だと今気付きました。
イメージ通りの良い名前だと思います。
ちなみに、奈瀬と南は親元を離れて同じ大学に進学してるのでそれぞれ一人暮らしです。高本(タカモト)は地元で浪人中です。


「昇華 another side」(2002.12.9)
昔まいおあアキさんがくれたのん。手直し前のやつに呼応して書かれてます。一応前のも置いておきます、あまり違わないけど。ラストのモノローグとかが違う。



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