「海行きたい」と、サユリはのたもうた。
 ぷかぷか湯船に浮かぶ、黄色いアヒルをつつきながら。
 ……何も風呂入っとうときに言わんでもええやんか。



 空 蝉 



 夏の午後六時はまだまだ明るい。
 髪も生乾きのまま、サユリと手をつないで、むせるような熱気の中を泳ぐように歩く。
 とろとろゆるゆる。マンションに囲まれたポプラ並木の歩道を抜けて、ひたすら南へ、南へ。

 僕らの家から、海までサユリの足に合わせて歩いても二十分や。
 指先を握る、ちいさな手が頼りない。
 サユリはつないだ手を乱暴にプンプン振りながら、上機嫌に歌をうたっていた。

「みっちゃーんみっちみっちうんこしてーっ」
「コラ、女の子やねんからそんな歌うたうな!」
「保育園で皆歌っとうもん。てっちゃんもかっちゃんも歌っとったもん」
「よそはよそ、うちはうちや」
 口に馴染んだ、お子様を叱る常套句。まだハタチやってのに、なんや情けない。

 サユリは僕が高校一年の頃生まれた、この春四歳になった妹。
 サユリが生まれてから父さんの単身赴任が多なったから、生まれた頃からほとんど僕が父親代わりをしている。名前も僕がつけた。
 百合の花のように、儚い色でも強く薫り高く生きてほしかった。
 というのはこじ付けで、ほんまは新卒で美人やった当時の担任の名前がサユリさんやったからなんやけど。


 国道を横断する。排ガスで湿気た髪が汚れそう。
 ぬわっと、生暖かい風が吹いて、シャンプーの匂いが立ち込める。イチゴの香りは、サユリの子供用のヤツや。アンパンマンのボトルの。
 道路の向こうへ行くと、風景からだんだん緑が消えてくる。海際の工場群に近付いてきた。

「おにいちゃん、おしっこ」
 脈絡無く、それもひどくエラそうな口調で、サユリが言った。
「えー。もう、家出る前にしてきぃや」
「おうちでは、出んかったもん」
 春から保育園に通うようになってから、口答えが増えたように思う。可愛ない。

 道の先に小さな公園を見つける。
 住宅街の片隅の、滑り台と砂場しかない寂れた公園で、僕ら以外人はおらんかった。

「あのへんでしてきぃ」
 公園の隅の木が植わっているあたりを指差す。

 白いワンピースを翻して走る。裾が紋白蝶みたいにピラピラ舞う。
 僕は、滑り台の階段に座った。

 空は刻々と色を変えて、随分藍に近付いている。

 天を睨み付けた。空の果ての果てを見るように。行き場の無い怒りをぶつけるように。
 ふっとそのまま吸い込まれてしまいそうな、空の色。ぬるい大気で、けぶってるみたいやなと思った。



 思い出す。
 先週家族で行った海、海水浴場、あのときはプラスチックの玩具みたいな青い空やった。
 人ごみ、喧騒、波、サユリの黄色いビキニ、完全に幼児体型の癖に。
 波音、パラソルの下の母さんの笑顔、僕の帽子の白、ねだってたかき氷の赤。硝子のかち合うようなサユリの黄色い嬌声、



「おにーちゃん! こっち! 来て!」


 サユリの声で、飲まれそうだった意識が引き戻された。

「あー? なんやー?」
「来て! 来て!」
 木の下に立ってブンブン手招きしている。
 いかにも蚊が多そうで、イヤやなぁと思いながら歩み寄る。

「なんよー」
 サユリは太めの木の幹を指差して言った。力いっぱい背伸びして。
「セミさんいっぱい!」

 見上げると、蝉の抜け殻が、木の枝や葉やに、鈴なりになっていた。

「蝉やなくて、蝉の抜け殻な」
「せみのぬけがら取るねん」
「えー。こんなん取ってどないするんよ」
「んでな、お母さんのおみやげにすんねん」

 胸がすっと、冷えた。

「おみやげもってったら、おかあさんサユリとしゃべってくれるかなぁ」
 あんなぁ、サユリ。

「おかあさん、ご飯作ってくれるかなぁ」


 母さんは多分、もうサユリと話さないし、サユリにご飯も作ってくれないと思う。





 夕日の傾きだした、先週の海の帰り道。
 背後で小動物の悲鳴のような急ブレーキの音がして、振り返ると、サユリが宙に舞っていた。
 「アホ!!!」
 思わず飛び出したの言葉の矛先は、運転手なのか、手を繋いでたはずの母さんなのか、自分なのか、はたまた赤信号に飛び出したサユリ自身なのか。

 人だかり。どよめき。人形みたいにくったりしているサユリ。破れたシャツ。お気に入りのキティちゃんやったのに。
 いつしか救急車のサイレン。パトカーと消防車と聞き分けられるようになったんはいつやっけ? 泣き叫ぶ母さん。
 そっからの記憶がぶっとんでてよう覚えてない。
 ただ病院で、ご臨終ですと告げた医者が、やたらと芝居がかってるように見えた。

 そのまま葬式屋にされるがままになって、よろよろ無気力になった母さんや、気丈なふりして影で泣いてる父さんの代わりに、パタパタ目まぐるしく動きまわった。
 哀しいというより、全く現実感がなかった。僕は泣けんかった。

 嘘やんサユリがもうおらへんとか。ありえんやろ。普通に嘘に決まっとうやんけ。なぁ?


 色々がひと段落して、二日ぶりに一人家に帰ると、明るい午後のリビングで、サユリが座っていた。
 お気に入りの白いワンピースを着て、いつものように、自分の指で一人遊びをしていた。

「あーおにいちゃんおかえりー! お昼ご飯ー!」
「おーただいまー。冷やし中華やったらすぐ出来るでー」

 ほーら、やっぱり嘘やった。

 けれど、サユリの姿は僕にしか見えんかったし、声は僕にしか聞こえなかったし、僕にしか、触られへんかった。
 母さんも久し振りに帰ってきた父さんも振り向いてもくれないと泣くサユリを言い包め宥めた。

 きっと、サユリは幼すぎて、死んだっていうことが理解できてへんのやと思う。
 だから、こんな幽霊みたいになって、僕の隣におるんや。
 せやいうたかて、死ぬってことを知る前に死んだ子に、どないしてそのこと教えたらええねん。
 動物も飼ったことないし、親戚皆健在やし、そんなことわかる間もなかったはずや。仕方ない。

 何も出来ずに、僕はただ茫洋と、サユリと日々を過ごしてきた。



 僕は木にくっついている抜け殻をボソボソと取り外し始めた。
 こんなんする何年ぶりやろ。集めたぬけがらは、砂場で拾った玩具のバケツに入れる。誰かの忘れ物らしい。

「せっみさーん、せっみさーん」
「せやなー。蝉さんやな」

 何か楽しくなってきて、ポンポン調子よく抜け殻を掘り込む。

「……あれ」

 高いところの抜け殻を取ろうとしたとき、さっきまで続いてた軽く乾いた感触と違うそれが、指に伝わった。
 ひやっこくて、湿った感じ。
 恐る恐るとってみる。なじみのない重み。

「どないしたん?」
「……どないもせんよ」
 少し黄緑がかったそれを、僕は木の幹に戻した。

 中身の入ったままの抜け殻。大人になれなかった蝉が入ったままの。



 10匹ほどでバケツが半分ほどになって、僕らはまた南へ進みだした。

「だいぶ暗くなってきたなーいそがんと」
「うん」

 パタパタ懸命に早歩きをする姿がいじらしい。
 どんだけ頑張っても歩幅狭くてトロいんやけど。
 決して手は離さない。離さない。
 一握りで包み込める程小さくて、柔っこくて、少し湿った感触。

 このままの状況がええやなんて思ってない。
 仏教っぽい考え方でいけば、成仏すべきなんやろし。
 「お母さんもお父さんも夏風邪でしんどいからサユリの相手できへんねんてー」なんて言い訳、いつまでも通用せぇへんし。夏休みが終われば、保育園も始まるし。
 でも、死んだなんでどうやって伝える? こんなちっこい子に。なぁ? 言えへんやろし、言うてもわからんやん?それに、

 ……それに、

 サユリがおらんくなるの、嫌や。


「おにいちゃんーだっこー」
 甘えた声でサユリが両手を差し伸べる。
「あいあい」
 抱きかかえた重みも、サラサラ頬に触れる髪の感触も、ほてった体温も、どことない乳臭ささえも感じるのに。
 サユリは本当に死んどんの?


「おにいちゃん海まだー?」「もうすぐやで」「まだー?」「もうすぐやで」「ずっともうすぐ言うてるやん!」

 そんなやりとりを繰り返してるうちに、むっと潮の匂いがしてきた。
 錆付いた製鉄所の合間を縫うように行くと、海が見えた。
 ほとんど日が落ちた、濃紺の海。

「よーっしゃついたでー!」

 僕はサユリをかかえたまま、張り切って駆けて行った。

 殺伐としたコンクリートの海岸線。
 けれどその下に、確かに波打つ海水。

「ほらー見てみぃ!! 海やぞーサユリー!!」
「……ここ海ぃ?」

 不満げにサユリが僕を見た。
「あー? 暗くてよう見えんか?」
「お砂無いやん」
「まぁなぁ……」
「かき氷とか、タコヤキやさんとかあらへんやん」

 サユリは、先週行った須磨のような、海の家や砂浜のあるような海しか知らへんらしい。
 花火のクズやペットボトルが散らばり、工場に囲まれコンクリートで固められた手狭な海なんか、海と違うと言いたいんやろう。

「……でも、ほら、お水あるやろ? これ海やろ?」
「んー……」
「かき氷屋さんとかはまぁ無いけど……」
「ある!」
「え?」

 サユリは身を乗り出して、僕の肩の向こうを指差した。
 振り向けば向こうの細い路地に、赤字で「氷」と書かれたなじみののれんが揺れている。まだ電気もついていた。

「ようわかったな。あれかき氷屋さんって」
「あれな、『こおり』って字って、おかあさん言うてたから知っとんねん」
 誇らしげにサユリは言った。
「エライエライ」
「おろしてー」

 手足を振るサユリをゆっくり地面に降ろした。
 そのまま前のめりに、「氷」に向かって駆け出した。薄暗い中で白い服が薄く光ってるみたいや。

  「あーもうちょい待ちぃや!」

 慌ててその背中を追う。
 離れているのが不安で仕方なかった。



 氷屋で、サユリの好きな氷イチゴを買ってから、二人で海岸に腰掛けた。
 コンクリートが熱をまだ含んでいる。ほんのりお尻が汗ばむ。
 カキ氷とセミの抜け殻も地面に置く。
 買ったところで、サユリは食べ物を食べれない。わかってるのに毎食をせがむ。

「うーみーはーひろいーなーおーきーぃーなぁー」
 力任せで拙い歌が、べっとりぬるい潮風に溶けた。
「この歌しっとう?」
「知っとうよ。いってーみたいーなよそのーくーにー、やろ?」
「ちゃう。それ二番」
 冷静に四歳児に突っ込まれた。何か情けない。

「おにいちゃん、海のむこうって何があんの?」
「四国」
「シコクはガイコク?」
「日本やで」
「アメリカはないの?」
「これ瀬戸内海やからなぁ」

 空と海の境はわからんほど暗かった。
 遠くトラックの喧騒だけが耳障りだ。
 サユリの声は、胸に直接響いた。

「何やーつまらへんっ」
 子供相手にちょっと夢の無いことを言い過ぎやったかな。
「いや、せやな。四国のもっと向こう行ったらオーストラリアがあるかもな」
「それはガイコク?」
「せやガイコクや。コアラさんいっぱいおるで。王子動物園におったやん。サユリ好きやろ」
「好きー! かわいー!」
 ぱっと、目が輝いた。嬉しくなる。
「せやろせやろ」
「うん! おっきくなったら、サユリそこ行くねん」
「あー……」
「そんでな、コアラさんおうち持ってかえるねん」


 耐えられん。
 そんなキラキラした顔で未来語らんとってくれ。頼む。
 夢なんかみんとってくれ。お願いや。
 耐えられんかった。辛かった。
 そんな訪れん将来夢見て、いつ気づくんやろう。それは決してとこないこと。

 僕が教えたるまで、サユリはこのままやろうか。
 僕が教えたるまで、サユリはずっと側にいてくれるやろうか?
 僕が教えたるまで、教えたるまで……


 水平線のあたりを見つめながら、僕は黙り込んだ。
 おにいちゃん、と何度か呼ばれたけど、返事は出来なかった。決心を固めるている間。
 僕にまで無視されるのかと不安になったらしいサユリが動揺しはじめたから、髪を撫でた。
 すっかり乾いた。サラサラと軽い。イチゴの匂いのシャンプー。
 今日で最後。

「あんな、サユリ……よう聞いてなぁ」
「なあにー?」

 見上げてくる視線が痛くて、僕はやっぱり暗い海を見つめてた。
 じっと見ていると、吸い込まれそうな。
 このままこの中に沈んでしまえば、サユリの側にいてやれるんかな。

「サユリなぁ。前海行った日からな、母さんしゃべってくれへんやん。ご飯も食べれんやんてか、にいちゃん以外のものに触られへんやん」
 こくりと頷くのを横目で確認する。
「それはな、あんな、母さんな、病気でしんどいからしゃべってくれんとかってわけじゃなくってな。えーとな……」
「なぁに?」
「それはー……」

 どない言えばええんや。
 わかりやすく。婉曲に。傷つけず。
 僕は、置いとったかき氷を引き寄せた。夜風の熱で、三分の一ほどとけかかっていた。
 額に当ててみた。冷たい。
 頭冷やしてみても、やっぱ何て言えばええかわからん。
 ぐちゃぐちゃになった脳味噌で、僕はとりあえず口を開いて見た。

「サユリな………海の帰り道、前車にぶつかられたやん」
「うん」
「あのとき、サユリはおらんくなってもてん」
「……うん?」
「サユリは、おらんの」
「わからへん」
「おらんねん。せやからお母さんサユリと話できへんねん」
「だってサユリおるもん」
「おらんねん! サユリは死んでもたの!」

 大声に、サユリが身体がビクつく。
 全てを振り切るように叫んだ。吐き出した。
 そのつもりだったのに。

 サユリは死んだ。

 初めて自分で口に出したその言葉で、僕は胸が抉られた。
 無意識に、両目からつぅと、何かが滴った。

「……おにいちゃん泣いとんの?」
 少しおどおどしながら、サユリが僕の顔を覗き込む。
「……泣いてへんよ」
「おにいちゃんは強いから泣いたらあかんねんよー」
「……泣いてへんて」
「何かかなしいの?」

 小さいサユリの身体をかき抱いた。

「哀しい」

 ああもう哀しい。
 哀しくて哀しくて哀しくて仕方ない。
 たった四歳。四歳やで?
 僕の五分の一しか生きてへん。これから先なんぼでも楽しいことあるのに。
 なあサユリ。絶対お前美人になりよるわって、親戚皆で楽しみにしててんで?
 中学くらいになって、男つれてきたらどないしょーとか、本気で考えとったのに。
 せや、サユリ瀬戸内海しか見てへんやん。果てにアメリカもある太平洋も、信じられんくらい碧い沖縄の海も、見てへんやんけ。
 これから先の楽しいこと辛いことおもろいこと哀しいこと、全部いっしょに感じていきたかったのに。めっちゃ楽しみやったのに。

 哀しいって、認めたら何か心ん中で壊れる気がして。避けて通ってた。見て見ぬふりしてた。
 実際、僕の中で何が壊れたんやろう?
 とりあえず、何かが壊れた。とりあえず、涙腺は壊れた。


 しゃくりあがるまで泣いたのは、いつ振りやろう。蝉の抜け殻を集めてたときくらい以来かな。それでも、多分今のサユリより年上のときや。

 サユリが呟きだす。

「サユリは溶けていっとんねん」
「……どういうこと?」
「氷みたいなんから、溶けて、お水になっていっとんねん。それみたいに」

 指差した先には、もうほとんど液体になったかき氷。

「他の人も氷やねん。でもサユリお水やねん。皆とちゃうねん。お水やから、お母さんもようみえへんし、さわられへんねん」
「そうなん?」
「うん。そんでな、お水やからな、流れるねん。向こうの方とかにも、流れていきよんねん」

 言ってることは、ほんまのとこようわからんかった。
 生きてるものにはわからん感覚なんかもしれへん。

 よく考えれば、今まで死んだこともない僕が、死んだサユリに死ぬってこと教えるなんて、おこがましかったんや。

 腕の中のサユリの色が、急に褪せてきた。暗い中でもわかる。
 サユリが死に気づいた今が、ほんまにお別れのときなんやろう。
 ……もしかして、サユリはもっと早くわかってた?
 僕の準備ができてへんから、側におってくれた?
 せやったらごめんな、にいちゃんもう大人やのに。
 ごめんな、にいちゃん、まだ子供みたいや。サユリにえらそうなこと言えへんわ。

 目を瞑れば、赤ん坊の頃からのサユリの表情が流れた。
 初めて歯が生えた。初めて歩いた。初めてしゃべった。自転車は結局乗れんかった。
 走馬灯のようって言うんやっけ? あれそれは死んだときやっけ?
 僕死んだことないからようわからんわ。なぁサユリ?


「……お水になったサユリは、どうなるん?」
「サユリ、海のお水になりたい」
「そうなってどないすんの?」
「コアラさんのとこいく」
「ハハッ そりゃええわ!」
 誰やサユリに将来なんかないっていったやつは? ああ僕か。
 水になったサユリはどこまでもいける。どこまでもいけるんや。

「あんな、サユリ、お水さんの旅の話したろう」
「なにそれ。」
 声さえも、遠くに霞んできこえた。それこそ、水中みたいに。
 膝にサユリを乗っけたまま、僕はぽそぽそ語った。海の果てを見ながら語った。


 よう聞きや。おうちとかでお水使うやろ。それはな、綺麗にしてから川とおって、海に行くねん。海に来たお水さんたちはな、太陽にあっためられて、空気にとけるねん。そしたらその溶けたお水たちは集まって、雲になんねん。あの白いふわふわの雲やで。あれって、お水やねんで?
 それからな、いっぱい雲に集まったお水さんたちはな、そのうちまた地面に落ちてくるねん。雨とか、冬には雪になって。たまにつもるやん。綺麗やん。雪。あれもお水やねん。
 雪や雨のお水は川や池に流れ込んで、綺麗になって水道のお水になんねん。おうちに戻ってきて、皆に飲まれて。かき氷になるのもあるかもな。
 それで、身体を通って、それからまた海に流れていって、空気にとけて――――



 水の巡る道筋を、僕は三度くりかえした。
 自分で語りながら、どんな外国のおとぎ話より、どんな冒険の伝説より、これは何て素敵な物語なんやろうと思った。
 イチゴのかき氷は、最後のひとつの氷片まで溶けきって、すっかり薄紅色の水になっていた。

 僕の膝の上に、白いワンピースだけ広がっていた。
 布一枚の軽さ。僕の心に風穴が開いた。
 サユリがいない。

 星の無い空を睨む。吸い込まれるような闇夜。
 僕は泣いた。
 強くもなんともないお兄ちゃんの僕は、声帯が千切れるかと思うくらいに泣き喚いた。

 投げるようにワンピースを海へ放って、流した。
 オーストラリアでもどこでも行きや。
 それは白く咲く海の花のように、霞んだ視界で、ゆらゆらと波に揉まれて、消えた。  




 一人で歩く帰り道は、たったの10分やった。あっという間で何か腑抜けした。

 玄関に入ると、リビングから母さんと父さんの声がした。

「あの子おかしいなってもてて……最近部屋で独り言言うとうみたいやし、夕方もサユリのワンピース手に持って出かけて」
「あいつ、オレよりずっとサユリといっしょにおったさかいなぁ……葬式んときも全然泣いてへんかったし。まだ理解できてないんかもなぁ……」
「ただいまー」

 二人は慌てたような顔をした。
 とりなすように、母さんが言う。

「おかえり。どこいっとったん」
「海」
「海……?」
 途端母さんの表情はおびえたようになる。
「……そういえば、あんたサユリのワンピース持って出てなかった? どこやったん?」
「オーストラリア」
「え?」
「あとこれお土産」

 玩具のバケツをテーブルにおく。もちろん、蝉の抜け殻が詰まっとる。
 いよいよ息子がおかしくなったと、父さん母さんが顔を見合わせた。

 散々に心配すればいい。生きている息子を。
 哀しさはいつまでも癒えへんやろうけど。
 それでも、目の前の僕にかまけていれば、少しはラクになれやせんかなぁ?
 流れていったサユリの、ぽっかりとした穴を、少しでも僕のことで埋められやせんかなぁ?
 切ない笑顔で思い出せるようになるまで。僕の妹を思い出せるまで。

 水になったならいつか僕のところに巡ってくるやろう。
 そう思えば辛くない。寂しくない。そんなの勿論大嘘に決まっとう。



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後書き

 死という言葉を初めて知ったのが四歳のときでした。
 一夏かけて考えてました。一晩かけて書きました。夏休み最終日の朝。台風で外が荒れてます瀬戸内。
 死ぬだとか生きるだとか私が語るにはおこがましいと思いました。
 身近な人の身近な人がいなくなってしまったのを側で見ていて、色々思いました。
 思っただけ。色んな答えは死ぬまできっと出ません。  (2004.8.31)

一次創作小説同盟第二回企画参加作品です……これでも。
9/22まで投票期間らしいです。同盟員でなくても投票できるちっくです。お気に召した方一票お願いします……一位になったら図書カードもらえるんです……(金欠

(10.3追記)おかげさまで一位とれました。図書カードゲッツです。うふふ。

(2007.11.17)
再掲載にあたり、主人公を「泣かせました」。
これは企画で書いたもので、確か「冷やし中華」「かき氷」などの単語をいくつか埋め込まなくてはならないという制約があったと思います。
これを書いた数日後に元彼氏が亡くなって、初めて知った人が死ぬことの哀しさを知りました。






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