美しき日本の面影コンサート
(2007/4/23 於・長崎ブリックホール PM6:00開演)


今回のツアーの千秋楽を長崎にもってこられたのは、さださんご本人の希望だったそうです。
しかし、ご存知のように、同月17日、長崎にて悲しい、悔しい事件が起こりました。
伊藤前市長さんと親交があり、
まして平和を提唱し続けてきた町で起きたこの惨劇。
さださんの胸中を察すると、痛々しいものがありましたが、
受け手の私たちもさださんと同じ温度で臨めば良いのじゃないか・・・。
そんな思いで長崎の地を踏み、
本当に開演まで気を揉んだ公演でした。
そんな心配をよそに、アーティスト『さだまさし』は活きていました。
そして、さださんは穏やかに、言葉を噛み締めるように、この町の人たちを
元気付け、前向きな言葉を仰ってくださいました。
どこまで伝えられるか解りませんが、少しでも、この公演の様子を感じ取って頂けたらと思います。


さて、私が会場に着いた時には既に開場してましたから、人、人、人で賑わって居ました。
確認する余裕もありませんでしたが、
仲間の話によると、お父様も左腕に黒いリボンを、そして繁理さんも同様につけていらしたそうです。
そして、ステージ上のさださんの上着にも、そして宅間さんたちメンバーさんも哀悼の意を表すリボンをつけておられました。


(オープニング)
pm 18:05

第1部

1.桜 人-序章-春の夜の月
紗幕がありました。
さださんのシルエットこそ見えなかったものの、「生歌?」の印象を受けました。


2.桜 桃

3.絵はがき坂

ここの手拍子はやっぱりあと打ちでしょう。
・・・と思っても周囲は先打ち。バラバラな手拍子にちょっと・・・。


MC〜オープニング挨拶〜
(伊藤一長元市長事件〜命について、平和について〜長崎の町への願い)


「今日はねぇ。
一体何を、最初に、言ったら良いか、こんなに迷ったコンサートは、初めてです。
僕は勿論そうだけれども、この町で住み暮らす皆さんのお気持ちを思うと本当に言葉が出て来ません。

20年間、あの稲佐山、或いはこの街中でね、
平和について歌ってきたつもりです。
この平和を発信するこの町でこういうことがおきてしまうというのが
実は私たちの今持っている平和の正体であるということを改めて強く感じます。

だけど、平和を諦めたりはしない。
それは強くこの町から発信していかなければいけない。

そう思います。

「何を話そうか。言葉が出てこないんじゃないか。ああ、もう、いや〜ねぇ。
なしてこんな時に来たとやろか。
そんな思いながら、
でも、昨日よりは良かったやかね、一昨日よりはましよ〜とか思いながら歌っている時に、
長崎市立ブリックホールの名誉館長になって欲しいと一長さんが僕に東京まで頼みに来てくれた時のことを思い出した。
ほんと、長崎の好きな人だったですからね。
こういう形で凶弾に倒れるということは、本人も想像もしていなかっただろうし、
もっともっときちんと、これがどういうことなのかは、はっきり知りたいという気持ちが自分の中に湧いてきます。
一長さんは、その時に、
長崎というのは、行政だけでいい町になっていく訳じゃないし、民間の力は絶対に重要だ。
だから長崎ブリックホールというこのホールを将来は、民間の長崎の人たちが
ここから長崎文化を発信する基地のようなものに育てていきたいんだと言われた。
つまり名誉館長やってくれっていうのは、将来、あなたも歳をとるから、そしたら長崎の文化の舵取りの座長に
なってくれというようなことで僕に話してくれたのを昨日のことのように思い出した。


新しい市長が『市民力』という言葉をお使いになっている。
民間だけでは出来ない。
それから行政だけでも出来ないことがこの町にはたくさん抱えていると思う。
少なくともいちばん傷ついているのは市民だ。
もう、この町で暮らす人々がいちばん傷ついています。
それは僕も痛いほどよく解る。

命について、平和について、僕は最後の『夏・長崎から』の時に
「考えるだけじゃ駄目だ。

答えが判ったらその為に行動しよう」と最後に提案をしました。
このことをこれからもひとりひとりで考えて頂き、
そして、もう二度とこんなことが起きない、きっと素晴らしい町になっていくことが
伊藤一長さんの願いでもあると思います。


春の歌からスタートいたしました。
解りやすいコンサートですねぇ。
冬の歌が出てきたら終わりということです。
〜笑〜
美しい国というのは今、流行(はやり)?
総理も美しい国という言葉をお使いになっていらっしゃるが、
なぜ今、あえて美しい国と確認するようにそんな言葉を使いたがるのかについて考えていこう。


本当は美しいと信じている。
この国に住み暮らす人の殆どは美しい。
だけど本当に美しいんだろうかと思うような事件や事故が繋がってくると自信が無くなってくる。
自信が無くなってくるからお互いの顔見て
美しいんだよね?と確認したくなるような、そんな思いがこの非常に危うい、ある人は平和ボケという。
平和ボケというよりも
平和の正体というのは、実はこういう脆弱なものなんだけれども
こういうものを胸に秘めながら、それでも平和を諦めない、

そんな思いで今日は歌っていきます。


4.惜 春

5.驛 舎

MC
 (『驛舎』そして長崎駅での思い)

長崎駅の1番ホームを端から端までゆっくり歩くとだいたい『驛舎』の長さぐらいだそうです。
これを発見したのは、僕のの仲が良かった評論家のこすぎじゅんいちさんという人
この人がこの曲を聴きながら歩いて改札口を出た瞬間に曲が終わった。

「まさし、これ計算したの?」

いつもいつも長崎駅に帰ってくる度に
自分は何か肩を落として傷ついて帰って来た日のことを思い出す。
どうにも自分が情けなくて、いつも故郷に逃げ帰るように帰ってきた。
そして、改札口を抜けて表へ出た時にこうパァ〜ッと差す光というのが
なんか
「まあ、よかさ〜」と言ってくれるような気がしてね。
故郷に帰ってきたなぁって、ずいぶんそれで救われてきた。

(一時期館長と一長さんのお話)

僕はね、
諏訪市立原田泰治美術館の名誉館長なの。
〜拍手〜
そして、長崎ピースミュージアムの名誉館長は原田泰治さん。
原田泰治美術館のこけら落とし、お祝いの記念式典に招かれた時のお話。
市の関係者ばかりのしーんとした真面目な雰囲気が嫌いで崩さなきゃと思った。


「いや〜どうも、さだまさしです。
名誉館長、大変名誉なことでございまして。
だけど私、宣伝するくらいしか力ありませんから、あいつ役に立たない奴だから
ってんですぐにクビになると思いまして、まあ、ほんの一時の館長だと思いまして
これはあの
一時期館長といいまして形はこういう風な(浣腸の形を手で)」
と言ったんです。
そしたら原田泰治さんがブーッと吹いたんです。
そしたらシーンと。
「わあ〜!すべった〜!」と思ったんです。
そしたら助役が前の方に出てきて
「さださん、そんなこと言わねぇで長ぇことやってくだせぇ」

もう汗かきながら下りてきて自分の席に座ったら、隣で弟が
「わいはバカか!
すべったねぇ。
こげん時に言うな。バカが。」

ほんとにすべってしまいましてねぇ、


直後にこのブリックホールのオープニングセレモニーで長崎に帰ってきた。
最前列センターで右隣りが知事で左隣りが市長が座られた。
伊藤さんと金子さんに挟まれて俺ね、名誉館長の席に座ってて、ずっともう真面目でね。
一番嫌なんです、俺、そう真面目なの。
そうすると、金子さんが出てきて挨拶する時にいきなりやってくれて緩んだ。
いきなり長崎ブラックホールって言ったの。
僕はプッと吹いたの。
脇で一長さんがペッペッと僕のこと肘で突いてね。
「引き込まれるねぇ。」
あれには参ったわ。

それから一長さんが出てって、好きなこというとムラムラしてくるわけ。
弟に「繁理〜、繁理〜」って弟呼んだら
「なんか〜」
「言うてもよかか〜」
「なんばか〜」
「一時期館長」
「お前はバカか。普通、言うか」

俺が上がってきて客席を見たら、わぁ〜って笑い声が起きた。
背中を何者かに突かれて、ついに一時期館長言ってしまった。
知事と市長が一番うけていた。

このブリックホールの名誉館長、
名誉館長とは名前ばかりで何も長崎のこのホールのために何かが出来たという実感もなければ、
何かをやったという思いもありません。
まだまだこれからね、本当にこの町の文化のために、それを考えていかなくちゃいかん。

長崎には友達もたくさん居るが、友達とは有難いですよね。
僕のこのコンサートツアーのこのスタッフもみんな友達みたいなもの。だいたい30人。
便利なスタッフですよー。木をはやしてくれるし。
今度、毛も生やして欲しいですけどね。
倉田と二人で連獅子を・・・
とお二人で頭を振ってみせる
「そんな時代もあったっけなぁ、お互いに。」


(献灯会〜明治寺・故草野榮應氏の話)

後ろ手のテーブルを指して
このスタッフがこしらえてくれた時計置きに小さな時計が置いてある。
これは僕のね、友人の形見のようなものだ。

東京・中野区沼袋にある明治寺。
ここには観音様が庭先にたくさん居らして、土地の人には百観音として親しまれている。
ここの三代目のご住職だった草野榮應さんはさださんと同じ学年。
優秀なお坊さんがなぜかさだまさしが好きで、コンサートにもディナーショーにもご家族連れで来てくれた。


似合いませんよ、そりゃ。クリスマスディナーショーに坊主。

この人にね、一度ね、庭先の観音様、何体あるのか訊いたことあるの。
「何体ぐらいあんの?」
って訊いたらね
「180・・・んー前後」
雑でしょ?言い方が。
「ちゃんと数えたこと無いの?」と訊いたらね、それが良い話なの。
それがね、
「いや、それがね、数える度に数が違う」って。
私はこういうね、不思議だなあって話は大好きで、
人を怖がらせるだけのオカルトは大嫌いですけれどもなんかこう不思議だなぁっていう話は好きだ。

「数える度に数が違う、ちゃんと数えてないんじゃ?
「いや、前回の調査ではいらしたけれども今回いらっしゃらないから」

「観音様はもともと人助けの菩薩様だから、今いらっしゃらない観音様はどなたかをお助けに出張中と考えてる。」
それは良い話だなあと思った。

その明るくて愉快な榮應さんが脳腫瘍を発症し、手術の後、再発をして4年近く前に亡くなられた。
最後にお見舞いに行った時のことは一生忘れない。
視野が狭まる形で脳腫瘍の影響が出てきていたから
しんどかっただろう、きつかっただろうに着物を着て、正座して向かい合って座られた。
辛かろうと思い、嘘をついて早めに帰り支度を始めたところ

榮應さんが「さださんに観音経をあげなきゃいけない」って言い出された。
俺は無理だと思った。

太鼓叩きながらの観音経だから、それは無理だと思った。
奥さん止めるのかなと思ったら、奥さん止めなかった。
後でね、伺ったら
「今日止めたら、榮應さんがさださんに観音経あげて差し上げる機会が無くなりそうで
止めように止められなかったんです」って仰いました。
彼は腕はもう痩せ細っていたから、
自分の腕よりも太くなったバチを持ってお太鼓の前に座って、俺一人のためだけの観音経あげてくれたんだね。
声もかすれがちでね、最後は何を言ってるかわかんなくなった。
榮應さん、何を言ってるかわかんなくなってと思って、よーく聞いたら
「さだまさし」って俺に対するエールに変わってたんだね。
太鼓叩きながらね。
「がんばれ、がんばれ、さだまさし。フレー、フレー、さだまさし」
「がんばれ、がんばれ、さだまさし」って彼はね、一心不乱に太鼓叩きながら叫んでんだね。
これは今でも突きささっているよ。
この声は一生忘れない。
俺は日本中歩いて、
「みんな元気だそうね。辛いこといっぱいあるけれど頑張ろうよ。」って言って歩いてる、仕事だから。
きっと、俺も榮應さんと同じような仕事だと思ってくれたんだろう。
「がんばれ、がんばれ、さだまさし」というこのエールは俺の胸の中で宝物になって
これからも背骨を支えてくれると思う。


そして、一周忌の時に、
「榮應さん、高野山、一番で出た時に頂戴した懐中時計を大切に、どこでも持って歩いてて、
それはもう汚れて古くて人様に差し上げるようなものじゃないから同じ時計を探してきたから
これひとつ榮應の形見だと思って持っていてください」って言われて、奥さんからこの時計を頂戴した。
ここにおいて置くと、否が応でも俺の歌の好きな人だったから聴かなきゃならない。
喋りの好きな人だったから、何回でも同じような話を聞くだろうと。
その度に振り返ると「がんばれ、がんばれ、さだまさし」って言ってくれるような気がしてね。
それでここに置いてある。

榮應さんは30年程前に180体あまりある観音様にお灯明を差し上げる献灯会というお祭りを始められて
そのお灯明料を集めて世界中の貧しい恵まれない子どもたちにユニセフを通じてずっと送り続けて来られた。


世界的にみるとね、学校に行きたくても行けないんだって子供たちの方が圧倒的に多いんですね。
日本みたいに学校に行きたくないって子どもが居る国のほうが少ない。
物は豊かだけど心に恵まれない子どもたちの方がよっぽと不憫な気がするけれど
実際に行きたくて行けないくらい可哀想なことはないなという気もするね。
そんな世界中の子どもたちに榮應さんの志がノートの一冊、鉛筆の一本になって届けば良いなと思ってね、
去年こんな歌を作った。


6. 献灯会

7.さよなら橋


メンバー紹介〜

MC
(『献灯会』に歌われる花にまつわる不思議な話)

百観音さんには、花がいっぱい咲いているからどんな花でもあると思ってこの歌を作った。
出来上がった時に、詩と曲をね、とりあえず奥様にお届けしたら、ものすごく喜んでくださった。
ところが後で電話がかかってきて、
「さださん、大変です。」
「どうしました?」
「立葵が無いんです。」
「百観音の献灯会と歌ってくださっているわが百観音に立葵が無いのは許せません。だから植えます。」と仰った。
夏に、立葵は種から育てると最初の年には花が咲かないというので花の咲くやつを植えてくださった。
11月の文化の日過ぎにね、奥様からまたご連絡を頂いた。
榮應さんの供養塔の脇の所になんかもやもやっていう草がある日突然生えてきた。
何かしら、これ、まさかと思うけれどまさかかしらと思って植木屋さん呼んで
「ねえ、これ何だか判る?」
「ああ、立葵ですね」
不思議なことってあるもんでね、自然に立葵が生えてきた。
まあ、科学的に考えりゃ、鳥がね、ここに糞をしたでしょうけれど
奥様は榮應さんから「どうせ、立葵を植えるんだったらこの辺が良いよ」ってご指示頂いたようで嬉しかったですと仰っておられた。