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(2006.04.15 於・長崎ブリックホール 開演17:30 )
今回のとこしへツアーは、小倉、倉敷に続き3回目。
さださんが名誉会長をなさっているブリックホール初体験です(^^)
折りしも新シングル『がんぱらんば』長崎弁バージョンの発売後。
地元、長崎ということもあって・・・期待大で公演に臨みました。
さださんの長崎弁でのトークも聞きたかったし。
あいにくと、お天気は朝から雨模様でしたが。
(MS.パンプキン)
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1. さよならさくら
2. 長崎小夜曲
今日は雨の中、本当にありがとう。
何かねぇ。
お天気の日に家出てくるのと
「やーん。雨の降りよる」
といって出てくるのとでは、やっぱり気分は違いますけれどもね。
おっ、冒頭から出ましたね>長崎弁
今日は、さだまさしがソロになりました通算3399回目のコンサートになります。
(さくら号の話)
旧国鉄時代の列車番号1番のさくらが、去年の2月28日に廃止になった。
東京〜長崎間を18時間半で結んでいた、あこがれのさくら号。
去年の2月23日に、東京、長崎の小学校時代の親友二人と
東京行ってからの親友、中学校の時の親友一人と僕と四人でB寝台、東京から長崎までさよなら乗車をして来た。
途中の停車駅が28。全部の写真を撮りながら帰って来た。
九州に入って博多を過ぎてからL特急かもめに4回抜かれた。
つまり、長距離列車が急ぐ必要が無い時代になった。
時代に追われてさくら号は消えていった。
長崎駅の線路の端目に立って、
長崎行きさくら号のエムブレムに向かって
「長い間、本当にありがとうございました。ごくろうさまでした。」と頭を下げた。
そしたら涙が、ぽろっと出てきた。
幼い頃から里を離れていた人間にとって長距離列車ってのは、本当に命綱みたいなもの。
里へ帰れるんだという思いが、さくらにはあった。
仲間のひとりに「さだ、さくら号の歌を書くのだ!」と言われたけれど、
列車が廃止になる歌をどんなに切々と歌ってもあまり感動しないので、自分が経験した
都会で傷ついて、故郷へ逃げ帰る人の歌にした。
2曲目は、「傷ついたらいつでも帰ってきなさい」と両手を広げて迎えてくれる理想の故郷像を歌った『長崎小夜曲』。
今日のオープニングは長崎もの2曲でしたで済む話をこんなに長く・・・。
アレンジを変えた『長崎小夜曲』
何だか、切なくてじ〜んとして、涙がはらりと流れてしまいました。
(駅の話)
地方人にとっての駅というのは非常に大きな存在。
駅という場所は色んな心を持っている。
九州人は本州へ行って大都会へ行こうとする時に、関門トンネルをくぐる。
だから、みんな門司という駅で故郷の服を脱ぎ捨てて、駅に預けて、決心を持って九州を離れたと思う。
そして、下関という駅で、心に都会用の服を着込んで何か決心をするように
そこから先にある大都会へとみんな出て行っているに違いない。
だから、帰るときは逆。
みんな下関という駅で都会用の服を脱ぎ捨てて、門司に着いて故郷の服に着替える。
さくら号に乗車したときも、関門トンネルをくぐった瞬間に車内がわぁ〜っと賑やかになって
「あぁほんとねぇ。」長崎弁がばぁ〜っと出た。
ああ、みんな九州に入った途端に こんなに安心してくるんだなぁと思った。
私も実際、その光景を見ました。
博多から特急かもめに乗車した時、車内で飛び交う九州訛りの会話。
本州の人間は、逆に、この訛りを耳にすると
九州へ入ったんだなぁと感じますね。
僕は、去年のアルバムにもうひとつ駅の札幌駅の歌を書きました。
3.冬物語
4.北の国から〜メインテーマ〜
5.五郎のテーマ
6.純のテーマ
7.蛍のテーマ
8.北の国から〜メインテーマ〜
9.手 紙
『北の国から』をメドレーで聴いて頂きました。
メインテーマ、五郎のテーマ、純のテーマ、蛍のテーマ、もう一回メインテーマ。
これ5曲に数えて頂きたいと思います。
〜「いいよ。準備して。」と下手に声を〜
(がんばらんばの話)
今、『みんなのうた』で私の『がんばらんば』という歌がですねぇ。
会場から拍手
「ありがとうございます」
プロモーションビデオ作ろうという話になって
1月の末にね、長崎に帰って来たんです。
冬って言うのは、長崎、あんまり天気良くないんですけど
帰ってきた3日間だけもう雲ひとつ無い良い天気が続きました。
長崎のダンサーチームが、少年少女達が
朝から夜まで一生懸命頑張って、一緒に俺とダ〜ンシング(ここ強調)してくれたんですね。
歌って踊る場所が凄い。
起き抜けのグラバー園ね。
こりゃ辛かった。
あなたがもし観光客として長崎に遊びに来て「グラバー園行こうね」と行ったらさだまさしが踊ってた。
どんなに怖いか。
踊っている周りにねぇ、観光客いっぱい居るんですよ。
最近、嫌な時代になりましたね。
こうやって、昔はね、「あっ、さだまさしだ」ってね。
写真こう撮られるのは構わない。
ところが最近はね。自分の親指見てますね、みんなね。
気持ち悪いですね〜。
踊った所、ロケした場所が、また凄いんだね。
今日は、私が、一生懸命ダンスをしながら、『がんばらんば』を歌わなくちゃいけないので今から。
〜ヘッドマイクを装着しながら〜
軽く今日はさわりだけいってみたいと思いますけれども・・・。
〜ヘッドマイクをつけて「聞こえますか?」「聞こえますよ」と〜
グラバー園でしょ。眼鏡橋でしょ。孔子廟でしょ。
孔子廟は蛇踊りまで参加してくれまして物凄い勢いでした。
それから「いつ、撮ったか〜?」って言われますけれども、
それからランタンフェスティバルのメイン会場で
ランタンフェスティバルの始まる前の日の夜にこっそり中でロケをさせて貰いました。
その他に長崎奉行所跡。歴史博物館ね。
お芝居をやっている芝居組っていう人たちも、ボランディアで後ろで踊ってくれました。
本当にねぇ、色んな扮装をしました。
長崎弁のラップです。
最前列に座られていらした方に
「あなた、新潟の人ですか?」
「おそらく、次に歌う歌は全く意味が解らないと思います。」
長崎っ子が聞いても、即座に全部意味が解るってのは、かなり年配の人ね。
今年の夏・長崎はね。
3万人のお客さんと一緒にこの踊りをみんなで踊ろうとこういう風に思っております。
解った?
覚えて帰る。
覚えて帰れない人は、そのうちプロモーションビデオが発売になりますから。
DVDを買って、よ〜く研究して、夏の長崎に備えて。
おぞましや、3万人で踊る『がんばらんば』
さあ、本邦・・・。
ここで大きな拍手
ほんと、緊張するね。緊張する
。
会場から「がんばらんば〜」の声援に、ご自分に言い聞かせるように
「がんばらんば!」
もう、緊張している様子がこちらにまで伝わってきて
生まれて初めて人前で・・・。
さっ、覚えて帰って。
1部の最後になります。
「がんばらんば〜!」
と大声で。
10.がんばらんば
ダンサーに混じって、スーツ姿にヘルメットの廣田さん、つなぎ姿の石井さんが出演。
終了後、幕が下りた時に、幕の前にひとり残される?石井さん。
ご愛嬌ですね。
それにしても、右端のダンサーの女の子は可愛かったし
さださんの右隣のチャイナ姿のお姉さんのダンスは群を抜いて上手かったです。
ポイントは、大きな動作、メリハリかしら?
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11.小夜曲
12.セロ弾きのゴーシュ
13.October 〜リリー・カサブランカ〜
長崎弁って歌にならないかなぁと試しているうちに
去年のアルバム作りの時に、突然、あんな歌が出てきてしまった。
「これは面白いかも知らん」って一生懸命作ってみた。
ところがアルバム10曲のどれに置いてもアルバムが壊れていくのよ。
あの歌を一曲入れるだけで他の9曲が全部、嘘に聞こえる。
「もうこれボツだねぇ」って言っていたらNHKの『みんなのうた』のスタッフが,
「これは子ども達が喜ぶんじゃないか。子ども達にいっぱい聞かせてやりたい。
意味が解るの解らないの楽しいものは楽しいんだ。元気がでればいいじゃないか。」と言ってくれて
今年の4,5月、『みんなのうた』でずっと流してくれている。
楽しみですね。夏・長崎。
いったいどんなになるんでしょうかね。
〜メンバー紹介〜
倉田さん、石川さん、岡澤さん、川瀬さん。
以上のようなメンバーと相変わらず宅間さんを省く。
宅間さんがずっこけた後で・・・
「30年間、変わらぬキャラクターで私を支えております。マリンバ、宅間久善」と紹介。
(13歳で上京。親友ののりちゃんとロボ先生の話。)
東京へたったひとりで出た時は、中学の1年生、13歳だった。
東京から長崎まで23時間57分。
その頃、30代の母は強かった。
「それがたったひとりで下宿生活よ、あなた。」
「あっごめんね。気安く呼んで。」
と最前列右側の方に
長崎市立岩屋中学校から転出して、東京都葛飾区の中川中学校というところに転入した。
転入した日は4月17日の土曜日で、その日は雨。
最初の授業は、数学の幾何で、その時の先生は村山修一といって通称ロボ。
土曜日に転入をして、そして日曜日を挟んで月曜日。
方言を笑われるってのは悔しいので、3日間おとなしくしていた。
自分の標準語が東京で通用するかどうか必至でこう聞き耳を立てていた。
最近は長崎に帰ってきて、長崎生まれ、長崎育ちの子に標準語で話し掛けられると寂しいですね。
さだまさしだと解っているんだったら、なして長崎弁で言うてくれんとね。
まあ、方言というのはね。
自分がどこで生まれ育ったかという自分の命の奥にともっている命の灯火みたいなものだから
これを大切に大切に残していきたいと思うんですけれどもね。
火曜日の放課後に、クラスで一番大きなのりちゃんという子が僕のところへ来て、「佐田君、一緒に帰りましょう」と言った。。
「はい。一緒に帰りましょう。」と言った。
黙って前を歩いていたのりちゃんが学校と木根川薬師の間のお墓の真ん中あたりで、後ろをバッと振り返って
「佐田君。」「はい」
私、そん時には、殺されるかと思いました。
「佐田君。君はベトナム戦争をどう思いますか?」と聞いてきた。
僕は「戦争はいけないことだと思います。」と言った。
そしたらのりちゃんは「そうですか」と言って、また黙〜って歩き出した。
後で聞いたらのりちゃんはのりちゃんで東京をしょってた。
長崎からたった一人で東京へ勉強にくるなんて偉いやつだなあと思って。
そいつに東京を馬鹿にされたくなかったそうだ。
東京を馬鹿にされない話題は無いかと思ってずーっと考えてたら
ベトナム戦争しか思いつかなかった。
それからのりちゃんとは大の仲良しになった。。
先生にも恵まれた。
ロボは、中学の2年、3年の時の俺の担任で中学校を送り出してくれた恩人。
「去年、死んじゃったんだよ、急にね。クモ膜下出血というヤツでね。」
人間の心とか人の命とかっていうのは思い上がっちゃいかんね。
簡単に壊れてしまうもんだし、簡単にいなくなってしまうもんだね。
ロボは直ぐ寝るヤツで、テストの監視に来て寝るヤツだった。
あれはホントに寝てたのかなあ。寝たふりしてたのかなあ。
ロボは、子どもが好きだったから、中学校の先生辞めた後も
千葉県の松戸の側で小さな塾やってた。
教え子にさだまさしがいるってのは、何か、ロボは自慢だったらしく、松戸のコンサートの時には、
生徒のお母さん達を数十人連れて楽屋に尋ねてきた。
みんながロボに最後に会ったのは、ロボの70の古希の祝いをした時だった。
「集まって酒飲むと、酔っ払って寝る直前になると『木根川橋』って歌の話になるんだね、ロボはね。
好きだったんだな。
それがロボの自慢だったんだなぁ。
ロボ、あんなに好きなんだったら、松戸ではロボが来ると解ってるんだったら
毎回歌ってやりゃよかったなと思う時にはロボは居ねぇんだ。」
(WBCの話)
あんちゃんと呼んでいる新地の江山楼の王国雄っていう社長が酔っ払って
夜中に電話してきた。
WBCの王ジャパンが優勝したのを
「王が優勝した、王が優勝した!」と。
松坂がMVPになった、俺、驚いた、それ聞いた時には。
「へ〜え。松坂?」
もう絶対、MVPはボブ・デービットソンと思ってた、審判の。
今まで見た中でもすごい軍師だね。
ホームラン、二塁打にする審判なんて。
だからMVPはボブ・デービットソン。偉大な審判だよ。
だから、俺達は今ね。黒でも白って言い張るヤツのことを
「デービってる」って言ってんの。」
あんちゃんが、お母さんの精霊流しの晩にね、泣きながら俺に言った事があった。
「生きてるうちじゃ遅いんだ。孝行は、親が元気なうちにするのが孝行だ。
まっさん、孝行は、親が元気なうちにいっぱいしてやってくれな。」と言った。
ああ、もっともっとロボに『木根川橋』を歌ってやりたかったなあ。って思う時には、もうロボはいない。
14. 木根川橋
15.案山子
16.秋桜
木根川薬師の植木市というのは、花祭りの4月8日の日に大体行なわれる。
この日はいつも雨が降る。
葛飾七不思議です。「そういうのが生きてる時代っていいよねぇ。」
我々が今、生きてここにあるというこの命をもっともっと
謙虚に、大切に受け止めていかなければいかんなとつくづく思っています。
『秋桜』と『がんばらんば』の作者が同じというのが・・・。
ここで、大きな笑い、大きな拍手。
「やっぱ、あん人、少し、おかしかばい。」と思いながら聞いてくれる人も。
振り幅ってのが人間ありますからね。
いつも暗い訳じゃない、いつも明るい訳じゃない。
私は『精霊流し』を作った男です。
この歌を作った男の振り幅ってのは、明るい方に振れる訳がない。
両極端は『がんばらんば』と『精霊流し』と思ってください。
暗いばっかりの人は、居ないんです。必ず、暗かったり明るかったりする。
手を大きく左右に振りながら
この振れ幅を感受性って言うんですよ。
振れ幅の大きい人を感受性が強いというんです。
片っぽに止まった人を病気っていうんです。
「がんばらんば、なんでん、かんでん」と作りながら、物凄く暗いんです、俺は。
解る?
解らんとやろね、ほんまに。
ち〜とは考えてくれんば、ほんまに。
・・・・・わろうとるだけでよかねぇ、もう。
もう、かってさ。
ひとが必死になってからさ、アルバムば出すばってんね、
「今度の歌、マシやねぇ。」
腹のたつ、もう。
う〜ん。この部分の長崎弁は、なかなか聞き取れず(^^ゞ
(弟の500円札の話)
中学校の頃から一人暮らしで頑張って、
金無くなると、長崎電話して、金くれって電話をした。
ある日、「金、金、金」プツッて切れたらその電話を弟が取ったことあるの。
弟は困ったよ、あれねぇ。
ちょうどお父さんお母さんが、2日くらい居なかった日に、よりによって
弟は「どうしよう〜」とおもうたやろねぇ。
小学生やったか、中学に入っとったやろか?
可愛かった日もあったとやけど。
その弟がね、どうしよう〜と思うたとやろねぇ。
何日か経ってから手紙の来たばい。
B型やもんね、弟は。
・・・言うたら終わりやもんね。
便箋1枚に3行よ。
「とりあえず、これでしのいどけ。」
500円札、3枚はいっとった。
もう・・・ごとあるね。
胸が痛かったよ。
500円札3枚。
弟の必死の小遣いやろ。
それば兄貴に送ってくれる、ねっ。
わかるやろ?
弟の性格、よう知っとるけん・・・・。
後で・・・と思うとるばい。
かわいかぁ、弟は。
「あのぅ、バイリンガルでお届けしているので、長崎以外の方には、ちょっと意味不明の
所があると思います。隣の長崎の人に通訳をお願いしたいと思います。」
「わかんないでしょ?」新潟の人と会話。
もう、繁理さんの話は、長崎弁炸裂で上手く聞き取れませんでしたが(^^ゞ
その時500円札を握り締めて外に出て行ったら、新発売記念セール、日清出前一丁が1個19円で売ってた。
「1個19円の出前一丁を500円でいくつ買えるの?
解らんと?
しよらんと?脳内トレーニング。
したさ、正月に。
子どもの持っとったけん、ちょっと貸してくれいうて。
せんかったらよかった、73歳。」
これで半月食った。残りの2枚は使えない。
弟に早く返してやりたい。という兄の気持ちもあって10倍に返す方法に走って数分で消えた・・・。
最後の一枚だけは、使えなくて、本に挟んで取っていたら
500円札を挟んでいることを忘れてその本を売ってしまった。
今は、昔に比べて、物が豊かになって便利になった。
豊かな日本が恥ずかしいなんて言う奴らがいる。
豊かであることは恥でも何でもない。
ありがったいこと。
僕らがどうしても恥ずかしいことがある。
この豊かさに感謝しない、これがいけない。
ありがとうっていう言葉からこの国の心をも一回掘り起こしていかないと、
おかしな所へ妙な人たちに連れて行かれてしまうような危機感を感じている。
(僕なりの幸せの定義)
僕もあなたが幸せでいてくれますようにっていう歌をいっぱい作る。
一体、幸せって何なのか?
僕はね、こう思うんですよ。
みんな、生まれた時、ポケットの中に入れて持って歩いてんの。
俺達は、不平、不満、そんなものをどんどんどんどんポケットに詰め込んでいくから
なかなか一番底にある幸せに手が届かないだけのことじゃないだろうか?
みんな幸せは持ち合わせている。
みんなポケットの中を探して見て欲しい。
17. とこしへ
18. MOTTAINAI
19. 女 優
『女優』のエンディング部分のさださんのヴァイオリンと宅間さんのマリンバのコラボレーション
の凄さに、曲が終わった後も拍手が鳴り止みませんでした。
圧巻でした。
『コンサート化けする曲』小倉でも、そう思いましたが
回を重ねる毎に磨きがかかったみたいです。
このブリックホールは私、もうホントに恥ずかしながら、この名誉館長を
お受けさせて頂いているわけであります。
『夏・長崎から』今年20回目、今年、最終回で。
『夏・長崎から』を始めたのは、今から20年前の借金でいちばん苦しい時だった。
ステージを組んで、しかも無料でコンサートをやる。
あの一番苦しい時に、何でまた借金までしてと周りは肩をおとした。
でも、タダでやりたい、1年で終わってもいいからって。
スタッフが頑張って頑張って頑張って続けさせてくれた。
俺はこんなにまでして、あの時にいったい何を伝えたかったのだろう?
広島の原爆の日に長崎から広島の空に向かって歌う思いをね。
あの時の俺の温度は下がってないのか?
俺の矛先は鈍ってないのか?
お客さんはどうなのか?
僕は毎年、8月6日に歌ってきた。
伝わっているものもあるだろう、勿論、伝わらないものもあるだろうけれど
一体、自分が何をしてきたか?
何が足りなかったか?を確認するには、現場から離れてみるしか方法が思いつかなかった。
そして、辞めてみて、十分だと思ったら、今度はそのエネルギーを別のことに
変えればいいし、
まだ足りないと思ったら、いつ歌いだしても怒る人は少ないだろうと思う。
今年、辞める決心をした。
10年前からずっと、加山雄三さんが歌いに来てくれている。
「ワカダイショウ」って紹介した日のことは今でも覚えてる。
「ワカダイショウ」って上手袖から加山さんがチャチャチャチャ〜ンと出てきた瞬間に
俺は図らずも涙がぽろ〜っと出てきた。
ああ、頑張っていて良かったと加山さんの笑顔を見ながら思った。
(大学時代のアルバイトの話〜帰郷〜グレープ結成、解散までの話)
アルバイトに明け暮れていた、あの頃は明日が見えなかったけれど、
何かにすがるように音楽に救われていた。
けれど、人間の身体ってのは弱いもんで肝臓をやられた。
ありがたいのは、長崎があった。親元へ逃げ帰る場所があった。
雲仙号で長崎駅へ帰って来て、ホームを踏んだ時に、恥ずかしくて膝が震えた。
家へ帰ったら親は普通の顔で迎えてくれた。
高校時代の音楽仲間だった吉田政美が長崎までやってきて、弟の部屋に2年居候をした。
そして、グレープが始まった。
長崎の人たちに可愛がってもらってそして東京へ。
売れたけれども、また身体を壊して辞めた。
このくらいの高さのステージからぽんと飛び降りるような軽い気持ちで大変なことしてしまったんだね。
ああ、しまった。せっかく音楽に帰ってきたのに。
音楽で生き返るようにチャンスを与えてもらったのに
俺は自分でそれを捨てたんだなって。
この後は、ディレクターとして生活していこうと思って
長崎放送の製作部長に履歴書を持ってったら、
「君は歌っていなさい」と言われた。
そして歌いだしたのに、こんなに長い間、
歌いだして30年だよ、ソロになってから。
こんなに長い間、みんなが支えてくれてほんとにありがとう。
ここで俺の人生が終わったって思ったことは、いっぱいあった。
生きている以上は、今、死ねたらどんなに楽だろうと思うことある。
でも、俺は死なない。って自分で決めた。
とんなに苦しくても死なないって決めた。
もし万が一、これから先にね。
さだまさし自殺って記事が出たら、それね、他殺だから。
必ずどこかに犯人が居る。
もし、若い頃に戻してやると言ってくれたとしても俺は断る。
だけど、若い頃の何も持たない俺に会いに行きたいと思う、ことはある。
明日も見えなかった俺に会いに行って言ってやりたいことが1つだけ有る。
今、何言われてもわかんないだろうけど、
とにかく一生懸命がんばってやっとけ。とりあえず、頑張って生きてろ。
そしたら、いつかお前の憧れの大好きな加山雄三が
お前のためにわざわざダダで、毎年、長崎まで
10年も続けて歌いに来てくれる日も必ず来るから。
それを信じて、お前、一生懸命しとけって
俺、言ってやりたい。
未来という時間空間はね、
今、とても想像できないような、とても素晴らしいことが起きる可能性がある時間を未来というんですよ。
未来というのは希望の別名だ。
俺がいくつになったって、
今、どんなに辛い悩みをいっぱい抱えていても
明日という日が来る限りは
必ず、今、想像も出来ない素敵なことが起きる。
みんなも信じて生きることにしよう。
もう、このくだりは、どんなに励まされたことか・・・。
さださんのトークの一言一言が、そのまま、希望に繋がるのです。
20.天然色の化石
21. 風に立つライオン
(EC)
22. 主人公
アンコールの演出は、ガラッと変わって
大小さまざまな風船が浮いた中で、歌われました。
そして、最後に、ステージ前に仲間たちと並ばれて、
風船を1つ、2つとお客様にプレゼント。
ご年配の方とか、お子さまとかに差し上げられていましたね。
長崎では、新潟の方にも差し上げられたような?
小倉の時とは、アンコールの曲は違っていました。
小倉は『奇跡』
いつから、『主人公』に変更されたのでしょうね。
しっとりとした、大人のコンサートでした。
『がんばらんば』は、異色だったけれど(笑)
回を重ねる毎に、グングン映えるさださんのヴァイオリンの素晴らしさに感動。
さださんが、トークでその半生について語られたけれど、
本当に、音楽から遠ざからないで居てくれて、ありがとう。と感謝しなきゃなりませんね。
(追記)
翌日の長崎新聞朝刊に、さださんの記事が載っていました。
こちらからご覧くださいませ。
レポートについては、一生懸命聞き取ろうと努力しましたけれども、
聞き取り難い箇所もありました。
おかしな取り方で話の概要が違っていたらごめんなさい(^^ゞ
新潮社刊の新書『本気で言いたいことがある』にても、このトークに近いことを
書き連ねていらっしゃいました。
今、さださんが私たちに一番言いたい、伝えたいことなのかしらと受け止めたつもりです。
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