怪我用心 痛いのはもう沢山だ

2004年1月9日 白血球は減る傾向には無い

23300まで下がった後は30000近くで安定してしまった。発病後3年になるから白血病なら死んでいると言われたが、気休めでしかない。骨髄穿刺の死亡事故があったりして不安を抱きながらの毎日だが、アルツハイマーの母を巡って悩みは尽きない。

2003年8月22日 白血球 24400、尿酸値 6.8 

白血球の下がり方が鈍い、ハイドレアの効力が期待通りでない。赤血球と血小板は下がって来ているから、内出血しないように気をつけて暮らしている。

2003年7月18日   尿酸値 7、白血球 29900・・・まだまだ順調に下がったと言えない状況だ。

4月の36800、5月の31300、6月には23300まで下がり流石抗がん剤と安心して、今月は下がり過ぎていないかと期待が大きかったが逆に増えてしまった。薬を増やすかもしれないが、前途は楽観できないけれども自覚症状は全くない。

2003年5月9日    尿酸値上がっているが、白血球は下がり始めたようだ。

36800まで増殖した白血球だが、抗がん剤であるハイドレアの服用を始めて21日目には31300に下がった。尿酸値が高くて左親指が痛むが頑張れそうだ。

2003年3月10日  真性赤血球増多症ではなかった。4月18日からハイドレアを服用する。

右親指と人差し指が細くなって痛みは治まった。腰の痛みもなくなって、痒みは残っているが、元気に暮らせるようになったが、右奥歯が折れてしまった。 血液内科のほうは白血球が34800にまで増えてしまい、瀉血では済まなくなった。代謝拮抗剤でハイドレアと言う 抗がん剤を服まなければならなくなった。 瀉血では白血球を減らせないからと言うが、慢性骨髄性白血病と言うことではないのか? だとすると予後は悪い病気だし、余命が4-5年と言うことだ。 落ち込む気力を振り切って元気を取り戻すために、5年目の車を止めて新車を入れた。 最後まで頑張ることを決意している。

                   2002年12月12日現在 右人指し指と親指にリウマチが起きてしまった
10月30日不整脈の検査でホルターを付けたら発疹が出来て、それが全身に広まり皮膚科に通うことに為った。疥癬らしいということでオイラックスを塗ったが酷くなるばかり、薬疹も疑いありで尿酸値を下げるザイロリックを飲んでいたのを中止したら、リウマチが出てしまい右手人指し指と親指が痛くて堪らない。20日に採血をして瀉血をするのだが、今年は病院漬けの年になってしまった。

                    2002年9月17日〜21日 採血、内臓エコー、骨髄穿刺、瀉血
9月17日東芝病院で採血、動脈血酸素検査で真性赤血球増加症と診断された。19日採血、内臓エコー、骨髄穿刺。21日200ccの瀉血。10月4日二回目の瀉血も200cc。10月18日採血の結果、効果が無い為瀉血を中止した。

                2002年9月12日〜14日 腫れが引き痛みも軽くなったが、骨髄検査をする羽目になった。
天野先生から紹介状を貰ったので、東芝病院の血液科に早く行くべきだが連休明けの17日にする。憂鬱だが写真の通り痣も薄くなっている。まだ腫れが残っているので動くのは億劫だが、もう少しの気がしている。

              2002年 痛みが酷くなり片山外科へ行きレントゲンを撮った  9月2日〜
骨に異常は無いとのことでモーラステープで湿布。安静にしていたが、3日、4日と痛みが軽くなる様子が無い。5日に成って鈍痛が重くなって 恐る恐る患部を見たら写真の様な酷い状態だった。このような内出血は白血球が28000、赤血球が840、血小板が49.1なので血液の病気であろうと思われるが、不安は増大するばかりだ。7日現在痛みは治まらず痣も大きくなって背中にまで広がった。昨年の経験からは回復に一月位掛りそうだ。

                   2002年   左腰に異様な鈍痛が起きた   8月30日〜
左腰に思い掛けない異常が起った。31日は圧迫感が強いが我慢できる痛みだ。思い当ることなく痛くならない事を祈るばかり・・血管が悪いのか? 検査は必要なのか? 落ちついたら片山へ行こう。

           2002年 右肩が使えない、痛みは右腰の時と同じ種類・・・8月13日〜17日
右肩を打った後痛みは出ていたが、冷房に当ったら激痛となり右腕が使えなくなってしまった。少しの動きでも刺す様な痛みが走り二月の右腰の痛みと同じで入院を覚悟するものとなった。母の潮田病院行きなどのため、ロキソニンを服んでみたが即効性は無くて、二日間寝込んでしまった。筋肉の衰えが全身のバランスを崩し少しの事でも大きな障害になってしまう。結局自宅療養で寝ているだけで済んだが 気をつけても駄目なのか?

                  2002年    次から次へと起る不安と痛み・・8月2日〜
2002年8月2日原因不明で不整脈が出たためエコー、心電図、採血をした。リフラップとメサデルムが原因かと自己判断するが、すべての薬を止めても不整脈は酷くなるので8日に徳田院長にホルターを頼んだ。9日朝母が起き上がれなくなってしまった。目が空ろで相当悪いように見えたので潮田病院へ連れて行き2時間ほど点滴を受けた。ホルターを着けた身体で暴れる母の点滴を見守り腕を抑えていたが、病気は怖い。一度帰ってから徳田へ行きホルターを外してもらった。13日ホルターでの24時間観察で、104501回のうち千回程度の落脈だから大丈夫と言われた。3ヶ月に一度くらいホルターを付けて観察すれば心配は要らないとの事。  

                 2002年  駄目だった・・・・・2月8日入院〜3月2日退院
油断ってなんだ? 2月8日午後から痛みが憎悪し、連休明けどころか一晩中苦しむ羽目になった。夜の明けるのを待って 9日朝 救急車を頼み片山整形外科に運んでもらう。骨折の疑いでレントゲン、MRI 検査などされたが 幸い骨折が無かったので、そのまま安静を命じられてベッドの生活が始った。 薬剤アレルギーのため痛み止めも呉れないので 湿布だけで寝ていたが 経験の無い痛みを経験してしまった。 10日(日曜日)は仕方ないにしても、11日の祝日は恨めしかった。 やっと ロキソニン が使えることになり痛みは 急に楽になったが 安静の日が続き足の肉が目に見えて落ちた。 負傷後三週間は掛ると言われていたが 息子の姿が見えないとアルツハイマーの母が異常な行動をして手に負えないというので 山本院長は退院を焦らない方が良いと言って呉れたが、三月二日午後 急遽退院して来た。 大腿骨に鬆が入っているから 転ぶと骨折するとの宣告で 歩ける様になるまで日数が必要だが 今度こそ油断大敵を肝に銘じる。

                     2002年 またやってしまった・・・・・2月1日〜
平成14年2月1日午後残念ながら うっかりして腰を捻った途端 嫌な音がして腰骨に鋭痛が走った。 一晩寝れば収まると思いながら 寝返りも儘成らぬまま頑張ったが、どうやら簡単には治りそうも無い。湿布だけで安静にしているが、今日で8日なのに痛みは変わらない。連休が続くので週明け2月12日には外科病院へ行くことを決意している。

               2001年   油断しないために記録しておく・・・・・10月20日〜 
平成13年10月20日午前9時ごろ 不注意で後へ転倒する際、柱の角で肘を打ったが、始めの痛みとは関係なく、結果は酷いことに成ってしまった。パテックスAを貼っていたが、午後になって腫れが出て痛みも出てきた。夜になると肘が曲らないほどに腫れ、痛みもズキズキとなった。一晩寝れば治ると思いきや、翌日は動けないほどの痛みと腫れで、終日眠ってしまった。それでも病院へは行きたくなく、自然治癒を待つ事にした。日毎に痛みは和らいで行ったが腫れは引かず、26日一週間を迎えて写真のような状態でやっと外科の診察を受けに行った。  レントゲンで骨折は無く、内出血だけと判り、血を5CC程抜いてもらったが、抗生物質を使えないため 湿布薬だけの処置で帰ってきた。 楽になると期待したが、余り効果なく 28日現在未だ熱を持っている。 右指のリウマチとされる痛みと重なり、外科医師が皮膚を抓って痛覚が鈍いと言ってくれたが、嬉しいような嬉しくないような試練の日が続く。