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         アンバランスな関係 -8- 
   






            時間を巻き戻すことができるなら、二年前に戻りたい。
      それが出来なければ、タイムマシーンにでも乗って、あの頃の自分に助言
      してあげたい。
      ・・・なんて、バカなこと考えてみたり。
      どう転んだって、過去を変えることは出来ない。
      そして今だって・・・。
      「─可南子?」
      康則の優しい声で、現実に引き戻された。
      微笑んでるその顔は、この間とはまったくの別人。
      いつもの優しい康則だった。
      だけど、私はあの日から、上手に笑えないでいる。
      「・・・ごめん、何だっけ?」
      オープンテラスのこのカフェは、康則と初めてのデートで来た場所だった。
      緑の木々の隙間から、差し込む光は柔らかくて。
      そういえばあの日もこんなに天気のいい日だったっけ。
      あの日と同じなのに、康則も変わらないのに。
      私だけ・・・あの日と違う。
      本当は康則の隣には居てはいけないんだ。
      いくら康則が望んだとしても。
      「前から言ってた旅行だけど、今月末あたりにしようと思ってるんだ」
      そう言って、テーブルに旅行のパンフレットを広げる。
      笑顔の康則は、きっと無理をしているんだと思う。
      私の心がここにないことを知っていて、それでも一緒に居たいと言う。
      だからいつも笑っているんだよね?
      だけど、その笑顔を見る度に、私は苦しくなる。
      パンフレットをめくりながら、楽しそうに眺めている康則の手を思わず握
      りしめた。
      「康則・・・私・・・」
      こんな気持ちのまま、一緒に旅行になんて行けない。
      「何・・・?」
      「旅行・・・もう少し先に延ばさない?」
      これが私の精一杯だった。
      康則の顔を見てしまうと、行けないとは言えない。
      「行きたくない?可南子がそうしたいなら・・・無理にとは言わないけど」
      「ごめんなさい・・・」
      「別に謝らなくていいよ。旅行はいつだって行けるし」
      微笑んだ康則だったけど、少し寂しそうな表情に見えた。
      ズキンって、胸が痛んで。
      服の上から胸元をギュっと掴んだ。












       
      いつもの休憩場所に向かうのに、エレベーターを待っていた。
      律子は急ぎの仕事があるから、今日はパスだって。
      ひとりになると、溜息ばかりついちゃって暗くなる。
      でも、仕事じゃ仕方ないものね。
      エレベーターの扉が開いて乗り込むと、そこには暁彦がいた。
      「・・・・・・」
      お互い無言で、私はすぐに階数表示のボタンを押して背を向けた。
      なんでこうエレベーターで二人きりになることが多いんだろう。
      「・・・お前、痩せたんじゃないか?」
      気まずい空気を破ったのは、暁彦の方だった。
      話し掛けてくるなんて思わなかったから、思わず振り返ってしまった。
      目が合って、そしてすぐに姿勢を戻す。
      暁彦の質問には答えられない。
      ここ数日あまり食欲がなくて、ろくな食事を摂っていないから痩せたのは
      事実だ。
      だけど答えたら、いろいろ聞いてくるに違いない。
      「何かあったのか?」
      その時、暁彦が降りるはずの階にエレベーターが止まり、ドアが開く。
      私はただじっとして、暁彦が降りるのを待った。
      だけど、暁彦は降りる気配がない。
      「お、降りないの?」
      小さく呟くように言ったけど、聞こえなかったのか暁彦は黙ったままだった。
      そしてドアは閉まってしまう。
      静かにエレベーターは上昇し、休憩場所である階に止まってしまった。
      私が降りると、その後をゆっくりと暁彦も降りて来る。
      ついて来ないでよ、と心の中で思いつつ、私は振り返らずに窓の方へと歩
      いて行った。
      「・・・何かあったんだろ?」
      「別に」
      背を向けたまま、冷めた口調で言った。
      「彼と・・・何かあったのか?」
      「違うって言ってるじゃない。ちょっと仕事が忙しくて、食欲がないだけよ」
      そう言って振り返り、その場から立ち去ろうとしたのだけれど、暁彦に手
      首を掴まれた。
      「嘘つくなよ。お前見てれば嘘かどうかわかるんだよ」
      「だから?もしそうだとしても、暁彦には関係ないじゃない!」
      口調を強めて、手を振り払った。
      その瞬間、目の前が真っ暗になって、体がズルズルと落ちていくのを感じた。
      遠くで私の名前を呼ぶ暁彦の声が、フェイドアウトしていった。












      目が覚めると、真っ白な天井が飛び込んできた。
      瞬きをしていると、暁彦が心配そうな顔をして覗き込んでくるのが見えた。
      どうやら私、ベッドに横になっているみたい。
      「大丈夫か?」
      あれ・・・私どうしちゃったんだっけ?
      「いきなり倒れるから、ビックリしたよ」
      あ・・・そっか。
      あの時、暁彦に掴まれた手を振り払った時に、私・・・倒れちゃったんだ。
      やっぱりちゃんと食事は摂らないとダメね。
      でも、診療室まで暁彦が・・・?
      「ここまで暁・・・」
      名前を言おうとして、慌てて口を押さえた。
      ここは会社の診療室。
      名前で呼んでいるところを聞かれてしまったらまずい。
      「今は先生いないから大丈夫だよ」
      「そうなんだ・・・。暁彦がここまで運んでくれたんでしょ?ありがとう。
      でも、誰かに見られちゃったよね?」
      暁彦が私を抱きかかえている姿なんて、他の人から見れば意外だろう。
      噂にならなければいいけど・・・。
      「気にするな」
      そう言って暁彦は、私の頭を優しく撫でた。
      懐かしくて優しくて、なんだか涙が出そうになる。
      「仕事・・・戻らなくていいの?」
      「あぁ。その前に・・・」
      続きは言わなくてもわかる。
      「暁彦・・・。心配してくれてありがとう。でも・・・大丈夫だから。暁
      彦が心配するようなことは何もないよ。ちょっと・・・彼とケンカしちゃ
      っただけだから」
      これ以上、暁彦に心配掛けてはいけない。
      これは私と康則の問題なんだから。
      私は不自然にならないように、笑顔を作って見せた。
      「そうか・・・わかった」
      「うん・・・」
      「もし、何かあったら・・・」
      暁彦は私の目をじっと見つめて、そして小さく首を振った。
      「いや、何でもない」
      言わなくてもわかる。
      だけど、私も暁彦もきっと同じ気持ち。
      これ以上、歩み寄ってはいけないんだ。
      相手を想う気持ちがあったとしても。
      それが、私が選んだ道なんだから。
      「じゃあ、オレは仕事に戻るけど、可南子はもう少し横になってろよ。部
      長には言ってあるから」
      そう言って、暁彦はカーテンの向こうに消えて行った。
      優しくされると、気持ちが揺らぎそうになる。
      いっそ嫌いになれたら、どんなに楽だろう。
      だけど、こんな気持ちのままじゃいけないんだ。
      暁彦に心配されるようじゃ・・・。












      お鍋がコトコトと音を立てて、キッチンを甘く美味しそうな香りで包む。
      肉じゃがにミネストローネ。
      康則が好きな料理を作った。
      テーブルにお皿を用意しているとドアフォーンが鳴り、玄関の鍵が開く音
      がした。
      「いらっしゃい」
      笑顔で迎えると、康則は手に持っていた小さな箱を差し出して微笑んだ。
      「ケーキ買ってきたから、後で食べよう」
      「うん、ありがとう」
      こんな風に笑えるようになったのは、本当につい最近のこと。
      暁彦に心配掛けてはいけないっていう思いと。
      いつまでも下を向いたままじゃいけないって思ったの。
      康則のことは嫌いになったわけじゃない。
      だからと言って、前のように好きっていう気持ちがあるのかって言うと、
      嘘になってしまう。
      でも、でもね。
      同じ時間を過ごすなら、前を見て進んで行きたいって、そう思ったの。
      康則とは、この先もずっと一緒にいるかはわからない。
      先のことはわからないし。
      ただ、少しずつだけど、笑えるようになった。
      「もう少しで出来るから、テレビでも見て待ってて」
      「あぁ、わかった」
      鍋を開けると、肉じゃがの甘い香りが鼻先に広がる。
      康則に料理を作ってあげるのなんて久しぶり。
      この間までは、時間にも気持ちにも余裕がなかったから。
      「肉じゃが作ってくれたんだ?」
      耳元で声がして、気付くと後ろに康則が立っていた。
      「康則、肉じゃが好きでしょ?」
      「あぁ、好きだよ」
      そう言って、康則は私を抱きしめた。
      一瞬、体が反応してビクっとしてしまうが、すぐに力を抜く。
      「久しぶりに作ったから、味は保証出来ないけどね」
      笑って冗談を言った私を、康則は更に強く抱きしめる。
      「康則・・・?」
      私の髪に顔を埋めて、康則は小さく呟いた。
      「・・・ごめん」
      ごめん、の意味がわからなくて。
      私はただ黙って、腕が解かれるのを待つしかなかった。
   
       

      

 
    

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